SPring-8とは
「百聞は一見にしかず」という諺があります。この諺については、多くの人々が「確かにそうだ」と実感していることでしょう。このことは、我々人類が物事を認識する際に、いかに多くの情報を「目」から得ているかを端的に表しています。「目で見る」ためには「光」が必要であり、我々は「光が当たることで物の姿を見ている」わけです。日常生活では自然光あるいは蛍光灯などでものを見ていますが、科学の世界でも「見る」ことはたいへん重要なのです。しかも、「どのような光」を使って「何を」「どのように見るか」がポイントになってきます。大型放射光施設SPring-8は自然現象を微視的に見るための巨大な「科学の目」と言えるでしょう。「微視的世界」と「巨大科学施設」とがどのように結びつき、「何をどのように見る」のかこれから述べていくことにします。
温度コントロールされている蓄積リング棟実験ホール。
ここで様々な成果が生まれている。
X線でものを見る
太陽光のような目に見える光(可視光)で観測される世界や、人が手で触れるような大きさの世界を支配する科学法則の多くはすでに解明され、人類の知的探究心はさらにミクロな世界の現象究明へと向かっています。
SPring-8での研究対象は、原子 ・ 分子の世界であり、物質の電子状態などの性質を科学的に探究し、ミクロな世界の現象や諸構造を理解することです。その際、物質内部のミクロな世界を照らし出すのに必要な光として、透過力の強いX線を用います。SPring-8は世界一強力なX線をつくり出しミクロな世界を観測することのできる「巨大な顕微鏡」といえるでしょう。
光学顕微鏡で試料を観察したときに、倍率を50倍、100倍、200倍と上げていくと、顕微鏡の視野内が徐々に暗くなっていきます。これは、より微細な領域を観察しようとするにつれ、そこに当たっている光の量が減ってくるためです。原子 ・ 分子の世界を観測できるようにするためには、微細な領域をも十分明るく照らし出せる光、すなわち、「よく絞られた強いX線」が必要となります(図1)。そのために、SPring-8では電子蓄積リングと呼ばれる大型の加速器を建設し、「放射光」と呼ばれる「高指向性の強力なX線」を発生させ、利用しているのです。放射光はミクロの世界を探求するのに大変有用な光です。
図1.明るい光をあてると細部まではっきりと見えます(可視光の例)。
大きな装置でミクロに挑む
兵庫県西部の播磨科学公園都市に建設されたSPring-8の敷地内には、一周が1436 mある巨大な銀色のドーナツ型の建物(東京ドームの3倍の直径をもつ)があり、この中に電子蓄積リングが設置されています。蓄積リングの中では、電子の塊(電子ビーム)がほぼ光速で周回しており、電子ビームを形成するそれぞれの電子が放射光(X線)を発生します。電子が円形の軌道上を周回するように軌道に沿って電磁石を設置し、電子軌道を曲げています。電子ビームがこの電磁石によって進行方向を変えられると、軌道接線方向に向かって、放射光と呼ばれる指向性の高い強力なX線が発生します。SPring-8では、加速器(蓄積リング)を用いて、「わざと電子ビームの軌道を曲げる」ことにより放射光を発生させ、それを利用しているわけです。
放射光には次のような優れた特徴があります。
• きわめて明るい
• 指向性が強く広がりにくい
• 赤外線からX線までの広い波長領域の光である
• 偏光している
• 短周期で明滅するパルス光である
これらの性質を利用して、多様な科学実験が行われます。
SPring-8のX線(放射光)には「エネルギーも輝度もきわめて高い」という優れた特性があります。このようなX線をつくるために、電子ビームエネルギーを80億電子ボルトに、また加速器の周長を1436 mにしているのです。電子ビームエネルギーが高いと、より透過力の強い高エネルギーX線(硬X線と呼ばれ、きわめて波長が短い)を発生できます。加速器の周長が長いと、電子ビームを小さく絞り込むことができ、結果的に電子ビームから放射されるX線も細く絞り込まれることになります。絞り込まれたX線であるために、ミクロの微小領域であってもそこを明るく照らし出すことができるわけです。
ただ明るい(光子数が多い)だけでは十分ではなく、それが広がらずに絞り込まれていること、すなわち、「高輝度」であることが重要です。周長が長いと強力な放射光を発生させるために必要な光増強器(挿入光源)を電子ビーム軌道上に設置することができます(図2)。また、放射光の採光口も数多く設置できるため、高価な装置を有効に利用できるというメリットがあり、現在、SPring-8では最大62カ所での同時実験が可能です。
図2.蓄積リング棟の中には、電子ビームを周回させる装置、偏向電磁石と挿入光源(光増強器)があり、それぞれが放射光を発生させます。
放射光で調べる
では、この放射光X線を使ってどのようにものを見ているのでしょうか。我々が景色を見るときには太陽光が風物に当たり、その反射光が目のレンズを通して網膜上に結像し、景色の像ができるわけです。X線で物質の微細構造等を見るには、X線をその物質に当て、出てくるX線と照射後の試料の状態を観測することが必要です。観測法は2つに大別されます。
ひとつは、試料に照射した後のX線を検出する方法です。透過力の強いX線は試料の物質内部に深く入り込み、物質を構成する原子 ・ 分子からさまざまな「作用」を受け、物質の物理的「情報」をもって試料から出てきます。たとえば、物質内部になんらかの構造体があれば、それによって起こるX線の回折や散乱の様子が「情報」となります(図3a)。
もうひとつは、X線を照射し試料を物理的に刺激し、試料がその後どうなるかを調べることです。X線のエネルギーを変えながら、物質によるX線エネルギーの吸収状態を見る、あるいは照射後に物質から二次的に放出される光や電子を調べるなどの方法があります(図3b)。具体的には以下のような手法です。
(1)X線回折 · 散乱法
X線は光の仲間なので「波」としての性質があることから、結晶状の物質に当てた場合、原子 ・ 分子の並び方の条件(ブラッグ条件)が整っているとX線が回折され(曲がり広がり)ます。この回折像を撮り、回折X線の位置と強度を解析することで結晶構造に関する情報が得られます。散乱角度の非常に小さい小角X線散乱(SAXS)では、結晶構造のみならず、1 nmから1 μmまでの大きさの微粒子の状態や試料の不均一構造を解析できます。
(2)イメージング
X線による物質の透視画像を撮影し、物質によるX線の吸収率の違いから内部構造の情報を得ます。放射光は平行性が高く、一般のレントゲン撮影に比べて格段に解像度のよい画像が得られます。指向性の強いX線をさらに光学的手法で絞り込み、マイクロビームさらにはナノビームをつくって微小物体のX線CT画像を得ることもできます。
(3)X線吸収微細構造解析法(XAFS)
X線を物質に照射するとX線の一部が物質に吸収されます。X線のエネルギーを変えながら物質による吸収率を測定すると、ある特徴的なエネルギーのときに吸収率が大きく変わることがあります。この変わり方が元素固有であるため、エネルギーを変えて吸収される様子を見ると、試料内の特定元素の電子状態や周辺の原子の配列状態がわかります。
(4)光電子分光法
試料に真空紫外線や軟X線を照射すると電子(光電子)が放出されます。X線のエネルギーを自由に選び、放出された光電子のエネルギー分布や放出角度分布を測定することで、物質の表面や内部の電子状態や化学結合状態を調べることができます。
(5)蛍光X線分析法
物質にX線を照射すると、物質に含まれる原子から蛍光X線が放出されます。蛍光X線のエネルギーは元素に特有なので、蛍光X線を分析することによって元素の種類と含有量がわかります。
(a)X線は原子 · 分子と相互作用し回折 · 散乱する。その回折 · 散乱の情報が物質の構造を知る手がかりを与える。(b)X線を物質に照射し、X線の吸収率や物質から放出されるX線や電子を調べることにより物質内部の情報が得られる。
巨大にして精密なSPring-8
SPring-8のX線の品質は世界一といわれていますが、それは加速器をはじめとする諸装置の性能が優秀であり、SPring-8そのものが先端技術を結集した文字通り精密機械の集合体だからです。高輝度のX線を発生させるには、そのX線を生み出す高品質電子ビームが不可欠ですが、その点、SPring-8蓄積リングの電子ビームの品質は大変優れています。蓄積リングを光速で周回する電子ビームの大きさは進行方向に対して、縦6 μm(マイクロメートル=10-6 m)×横300 μm×長さ4 mm(標準偏差に基づく)の扁平なビームとなっており(ちなみに髪の毛の太さは100 μmです)、この領域内に80億電子ボルトのエネルギーのそろった100億個の電子が極限まで絞り込まれています。
電子ビームは断面が楕円形をした口径数cmのアルミ二ウム合金製のビームパイプ中を1秒間に20万回も周回しており、電子ビームが残留ガス等と衝突して散逸しないように、ビームパイプ内部は数十兆分の1気圧という人工衛星が周回する宇宙空間なみの超高真空に保たれています。電子ビーム軌道を円形にし安定的に周回させるために設置される電磁石には、電子軌道を形成制御する偏向電磁石、軌道補正用の二極電磁石、電子を収束させる四極電磁石、エネルギー偏差を修正する六極電磁石があり、その総数は1500台余になります。重さ数十kg〜数百kgの電磁石は磁場性能の製作誤差が0.01%以下に抑えられ、磁石の中心の設置誤差も10 μm以下の精度で円形に配置されています。
一周1436 mの周長を光速で周回する電子ビームの軌道位置は絶えずモニターされており、全周にわたって設置された約300台のビーム位置モニターは測定誤差1 μm以下で電子ビーム位置を測定することができます。この計測精度を用いると、1436 mの周長が1日に2回周期的に10 μm変動していることがわかります。この変動は、月が地球に及ぼす潮汐力による地表面の変形の結果なのですが、それさえも計測可能なのです。それは東京〜大阪間の距離が5 mm伸縮するのを識別することにも相当します。
加速器の装置を収納する建物は日照等の影響で伸び縮みします。そこで、加速器本体を収納する筐体(機器を収納し防護する外箱)と建物を物理的に切り離しています。また、機器の変動要因やビーム安定化の阻害要因となる空調や冷却水による温度変化、さらには諸々の振動の抑制除去対策もとられています。
このように精密かつ巨大なSPring-8の装置 ・ 設備群の建設地には、高度の安定性を確保する必要上、兵庫県西播磨の三原栗山と呼ばれる岩山が選ばれ、岩を削り露出させた巨大岩盤上に、世界に誇る一大研究施設が建設されました。
特徴と工夫
SPring-8には電子ビームを徐々に加速し80億電子ボルトにするための入射用加速器があります。電子ビームはまず、長さ140 mの線型加速器で10億電子ボルトまで加速され、さらに周長400 mのブースターシンクロトロンで80億電子ボルトまで加速されたあと、蓄積リングに入射されます。蓄積リングの真空度がいかに高くても電子ビーム中の電子同士の散乱などで電子ビームは徐々に失われ時間とともにその強度は下がるので、その寿命は有限です。そうするとX線の輝度も低下するので、失われた電子ビームの分を補填して一定のX線強度が得られるような運転(トップアップ運転)をしています。ブースターシンクロトロンのエネルギーが蓄積リングと同一の80億電子ボルトであることもフルエネルギーの入射を可能にしています。もしこれが違っていると、電子ビームが減るたびに毎回蓄積リングのエネルギーを下げてビームを入射して加速するか、一旦ビームを廃棄して新たにビームを入射して加速する必要があり、この間、実験が中断されてしまうことになります。
SPring-8では軟X線(長波長)から硬X線(短波長)までの広い範囲で高輝度のX線を発生させています。このために電子ビーム軌道上に5 m長の挿入光源が設置されています。挿入光源内部には数cm幅の永久磁石が電子軌道に沿って上下に多数配列設置されており、その間を電子が通過すると多数回軌道変動を受け、強力な放射光を生み出すことができます。これがアンジュレータ(挿入光源)という装置です(図2)。SPring-8ではこの磁石列を超高真空中に設置することで磁石列間のギャップを数mmまで狭め、さらに強力なX線を発生させるという世界に誇る技術を開発し、世界中に大きな影響を与えました。蓄積リングには25 mの長い直線部分が4カ所あり、そこに挿入光源を複数台設置して強力なX線を発生させるなど、その他の放射光施設にない特徴もあります。
これまで述べてきたように、SPring-8には国産の高度な精密加工技術、電子制御技術、土木工学技術、計測測定技術、超高真空技術などの先端的な技術が結集されています。そこから生み出される数々の成果は広く学術分野から産業分野まで多岐にわたり、SPring-8は科学技術立国の礎と言えます(図4)。
SPring-8で得られた成果のハイライトをこの冊子で紹介していきます。
図4.SPring-8を支える国産技術とその融合から生み出される研究成果