大型放射光施設 SPring-8

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高エネルギーX線散乱を用いた新たなリチウムイオン電池評価法を確立(プレスリリース)

公開日
2017年08月31日
  • BL08W(高エネルギー非弾性散乱)

2017年8月31日
公益財団法人高輝度光科学研究センター
国立大学法人群馬大学
立命館大学
国立大学法人京都大学

成果のポイント
• 高エネルギーX線散乱実験と理論計算の併用により、リチウムイオン電池の性能を決める電子軌道の可視化を行った。
• 散乱X線を解析することにより、電池内の電位シフトをモニターできることを示した。
• リチウムイオン電池の診断や高性能化に貢献することが期待される。

 高輝度光科学研究センター、群馬大学、立命館大学、京都大学の研究グループは、ノースイースタン大学(米国)、アントワープ大学(ベルギー)、AGH科学技術大学(ポーランド)の理論研究グループと共同で、大型放射光施設SPring-8*1の高輝度・高エネルギーの放射光X線を利用した実験と理論計算の併用により、蓄電池の性能を決める電子軌道の可視化に成功しました。

 リチウムイオン電池では、リチウムの伝導電子が正極材料物質に移動することで、電流が発生します。正極材料物質が電子を受け取ったときに、その電子が収まる電子軌道を酸化・還元軌道*2と呼んでいます。酸化・還元軌道は電位や電池容量などの電池性能を決める重要な因子として知られていますが、実験上の難しさにより、その状態は明らかにされていませんでした。本研究グループは、100 keV以上の高エネルギーX線を用いたコンプトン散乱法*3により、安全かつ高性能な蓄電池極材として知られるオリビン型リン酸鉄リチウムを測定し、高信頼度の理論計算と連携することにより、オリビン型リン酸鉄リチウムの多結晶体試料から酸化・還元軌道の可視化に成功しました。その結果、酸化・還元軌道は正極材料物質の結晶歪みの具合によって大きく変化するだけでなく、酸化・還元軌道の状態変化は重要な電池性能のひとつである電位の変化に比例していることがわかりました。すなわち、この知見を応用することで、高エネルギーX線を利用したコンプトン散乱法により電位シフトを計測できます。

 コンプトン散乱法は、高い物質透過能を有する高エネルギーX線を用いているため、非破壊でリチウムイオン電池の内部を観察することができます。従来のコンプトン散乱法ではリチウムイオン濃度分布を測定する方法として使われてきましたが、本研究により、さらに一歩進んで、酸化還元軌道の電子状態分布や局所電位シフト分布の測定が可能になり、より根本的な視点からリチウムイオン電池の動作原理の理解が進み、リチウムイオン二次電池の高性能化に貢献することが期待されます。

 今回の研究成果は、Science誌などを刊行する米国科学振興協会(AAAS)のオープンアクセス雑誌「Science Advances」に掲載されました。

 本研究の一部は国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)先端計測分析技術・機器開発プログラム、および、独立行政法人日本学術振興会科学研究費助成事業(若手B)「コンプトン散乱測定を利用したLi元素の非破壊定量分析法の開発(研究代表者:群馬大学・鈴木宏輔助教)」と「Li濃度オペランド定量分析法の開発に向けた電池電極反応機構の解明(研究代表者:群馬大学・鈴木宏輔助教)」において実施されました。

発表雑誌:
論文タイトル:”Visualizing redox orbitals and their potentials in advanced lithium-ion battery materials using high-resolution x-ray Compton scattering”
著者:H. Hafiz, K. Suzuki, B. Barbiellini, Y. Orikasa, V. Callewaer, S. Kaprzyk, M. Itou, K. Yamamoto, R. Yamada, Y. Uchimoto, Y. Sakurai, H. Sakurai and A. Bansil
雑誌名Science Advances

<研究の背景>
 放電時に電子を格納し、充電時に電子を放出する正極材料物質の電子軌道(酸化還元軌道と呼ばれる)は、リチウムイオン電池の性能を決める重要因子の一つとして知られています。しかし、従来のX線吸収分光法では電子軌道の空間分布を直接的に計測することができないため、実験データに基づいて酸化還元軌道を可視化することはできませんでした。

 高エネルギーX線を用いたコンプトン散乱法は電子運動量分布*4を計測できるという特長があります。電子運動量分布は電子軌道の実空間分布と同じ対称性を示すことが知られており、コンプトン散乱X線は電子軌道の空間分布に関する情報を直接的含んでいます。すなわち、コンプトン散乱実験の結果に理論計算の結果を合わせることにより、電子軌道を可視化することができます。従来のコンプトン散乱法では単結晶試料が必要でしたが、本研究の成果により、多結晶粉末試料のデータからリチウムイオン電池の正極材料物質の酸化還元軌道を可視化することができるようになりました。

<研究手段と成果>
 コンプトン散乱実験はSPring-8の高エネルギー非弾性散乱ビームライン(BL08W)で行いました。115 keVの高エネルギーX線を試料にあてて、約80 keVを中心にして、ある一定のエネルギー幅をもって分布しているコンプトン散乱X線を測定しました。試料はリン酸鉄リチウム(LiFePO4)からリチウムを離脱させたリン酸鉄(FePO4)です。

 理論計算では、高精度の電子状態計算により、酸化還元軌道の空間分布とコンプトン散乱X線のエネルギー分布を求めました。計算で求めたコンプトン散乱X線のエネルギー分布と実験結果を直接比較することで、電子軌道の空間分布を導き出すことができるため、LiFePO4とFePO4の実験結果から、オリビン型リン酸鉄リチウム酸化還元軌道を理論計算により可視化しました。

 さらに研究を進めることにより、オリビン型リン酸鉄リチウムの酸化還元軌道と電位の関係が明らかになりました。電位は重要な電池性能のひとつです。すなわち、酸化還元軌道である鉄の3d電子軌道はリチウムの挿入・離脱の影響を受けて、隣接する酸素の2p電子軌道との重なり具合が変化します。この重なり具合の変化が、酸化還元軌道の状態だけでなく、そのエネルギー準位を変えるので、電池の電位が変化します。オリビン型リン酸鉄リチウムでは、充放電に伴う大きな電位シフトが知られています。本研究により、鉄をコバルトやニッケルに置き換えると酸化還元軌道状態の変化が小さくなることが明らかになり、鉄をコバルトやニッケルに置換することで、オリビン型リン酸鉄リチウムの電位シフトを低減できることがわかりました。

<今後の展開>
 コンプトン散乱法は高エネルギーX線を利用しています。高エネルギーX線は、物質に対する透過能が高いため、電気化学反応セルの内部や電池製品の内部の材料挙動を観察するうえで有力なプローブです。既に、コンプトン散乱法を利用して、リチウムイオン電池の正・負極内のリチウム組成変化を電池動作下で同時に測定することに成功しています。本研究の成果は、リチウム組成と比べて、より深く電池性能と結びついている「酸化還元軌道」と「電位」の視点から、リチウムイオン電池の正極部の挙動を観察することできることを示しています。今後は、本研究で開発した手法を従来のコンプトン散乱法に組み込むことにより、電池動作を原子レベルで理解したり、診断したりできるようになり、大容量で高速充放電可能な高性能電池の設計・開発が進むものと期待されます。

図1

図1 リチウムイオン電池は、正極と負極の間をリチウムイオンが移動することで充電や放電を行う。正極にリチウム遷移金属複合酸化物、負極に炭素材料が用いられる。


図2 正極材料物質:オリビン型リン酸鉄リチウムの結晶構造

図2 正極材料物質:オリビン型リン酸鉄リチウムの結晶構造


図3

図3 (a) オリビン型リン酸鉄リチウムのFeO6八面体の立体構造、(b)FeO6八面体の中心にある鉄(Fe)の酸化還元軌道。横軸と縦軸は電子の運動量、すなわち速度の大きさを表し、図中の四角は第1ブリルアンゾーンを表している。


<用語解説>
※1 大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨研究学園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その運転と利用者支援などは高輝度光科学研究センターが行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来します。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のことです。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。

※2 酸化還元軌道
化学反応のうち、原子やイオンまたは物質間で電子の授受がある反応のことを酸化還元反応といいます。この酸化還元反応において、原子やイオンまたは物質が電子の授受を行う際に、電子を受け入れる電子軌道のことを酸化還元軌道といいます。

※3 コンプトン散乱
光(X線)は粒子としての性質を持ち、光子とも呼びます。X線光子と電子とがビリヤードの球のように衝突したときに、光子は電子によって散乱され、電子も弾き飛ばされてしまいます。衝突後の光子のエネルギーは衝突前に比べて低くなって観測されます。このような散乱現象をコンプトン散乱と呼びます。多くの教科書的な書物において、コンプトン散乱は、静止した電子とX線光子との弾性衝突として説明されていますが、現実の物質中の電子は常に運動しています。そのため、コンプトン散乱されたX線光子は、電子の運動量を反映して(ドップラー効果)、エネルギー分布を示します。エネルギーに対するX線の散乱強度を測定したものをコンプトンプロファイルと呼び、これが物質中の電子の運動量を反映していることを利用して、物質の電子状態が調べられています。

※4 電子運動量分布
運動量は物体の運動の状態を表す量で、質量と速度の積で定義されます。電子運動量分布は、物質中で運動している電子の速度分布とみなすことができます。



《問い合わせ先》
公益財団法人 高輝度光科学研究センター(JASRI)利用研究促進部門
 主席研究員 櫻井吉晴(サクライ ヨシハル)
 住所:〒679-5198兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1
 TEL:0791-58-2750 FAX:0791-58-2750
 E-mail:sakuraiatspring8.or.jp

国立大学法人 群馬大学大学院 理工学府 電子情報部門 
 助教 鈴木 宏輔(スズキ コウスケ) 
 教授 櫻井 浩(サクライ ヒロシ)
 住所:〒376-8515 群馬県桐生市天神町1-5-1
 TEL:0277-30-1714 FAX:0277-30-1707
 E-mail:kosuzukiatgunma-u.ac.jp

立命館大学 生命科学部応用化学科
 准教授 折笠 有基(オリカサ ユウキ)
 住所:〒525-8577 滋賀県草津市野路東1-1-1
 TEL:077-561-3063
 E-mail:orikasaatfc.ritsumei.ac.jp

国立大学法人 京都大学大学院 人間・環境学研究科 相関環境学専攻
 教授 内本 喜晴(ウチモト ヨシハル)
 住所:〒606-8501 京都市左京区吉田二本松町
 TEL&FAX : 075-753-2924
 E-mail:uchimoto.yoshiharu.2natkyoto-u.ac.jp

(群馬大学に関すること)
国立大学法人群馬大学 総務部 総務課 広報係
 TEL:027-220-7010 FAX:027-220-7012
  E-mail:s-publicatjimu.gunma-u.ac.jp

(立命館大学に関すること)
立命館大学 総合企画部 広報課
 TEL: 075-813-8300 FAX:075-813-8146
 E-mail:ikedamatst.ritsumei.ac.jp

(京都大学に関すること)
国立大学法人京都大学 総務部 広報課
 TEL:075-753-5727 FAX:075-753-2094
 E-mail:kohho52atmail2.adm.kyoto-u.ac.jp

(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課 
 TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
 E-mail:kouhou@spring8.or.jp

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