SPring-8 NEWS 121号(2025.9月号)
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目次
研究成果 · トピックス
実験技術紹介 利用者のみなさまへ |
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理論計算で予測された磁力の強いマグネタイトを作製する
SPring-8が証明した正四面体中の希土類元素が生み出す磁気特性
地球上に豊富に存在する鉄から作る新材料
鉄は地球に豊富に存在する元素です。地球の重量の約3分の1は鉄であり、地表の近くに存在する割合は、酸素、ケイ素、アルミニウムに次いで4位です。
自然界で鉄は酸素と結合して酸化鉄(鉄鉱石)として産出し、酸化鉄由来の材料はさまざまな場面で私たちの暮らしを支えています。
酸化鉄はいわゆる鉄がさびた状態です。
酸素の結合状態によって組成が異なり、代表的なものはFe2O3(赤)、Fe3O4(黒)、FeO(黒)の3種類です。
東京大学で電気材料工学を研究する関宗俊さんは、地球上に大量に存在する酸化鉄のうち、特に電気工学的に興味深い特長をもつFe3O4(黒さび)に注目して研究を進めています。
Fe3O4はマグネタイトと呼ばれる鉱物で、磁石を土の上にこすりつけたら集まってくる砂鉄の主成分もマグネタイトです。
自然界に広く存在する物質であるため安価で利用でき、化学触媒や環境浄化材料として用いた場合にも環境汚染リスクも小さいという特長があります。
さらにマグネタイトは生体安全性にも優れていると言われており、医療応用も検討されています。
たとえば、マグネタイト粒子に薬剤を封入し、体の外から磁場を与えて操作することで標的部位にのみ薬を届けるドラッグデリバリーシステムへの応用が研究されています。
また、マグネタイトは、次世代の情報処理技術である「スピントロニクス」の材料としても注目されています。
スピントロニクスとは、電子の量(電荷)だけでなく、電子のもつ自転(スピン)の向きも情報として利用することで、従来よりはるかに高密度な情報処理を可能にする技術です。
マグネタイトは、電流が流れる際にほぼすべての伝導電子のスピンの向きが揃うめずらしい物質(ハーフメタル)であるため、スピントロニクスのデバイスに応用する研究が世界中で活発に行われています。
こうしたポテンシャルを秘めたマグネタイトですが、現在のところ、その磁気特性を制御する有効な手法は確立されていないと関さんは説明します。
「マグネタイトの磁気特性を制御する方法、特にマグネタイトが示し得る最大の磁力(=飽和磁化)を高める方法が待ち望まれています。
そこで私たちはマグネタイトの飽和磁化を制御するメカニズムを研究することにしました」
もしマグネタイトの飽和磁化を増大させることができれば、その応用範囲はさらに広がります。
たとえば、使用後に外部磁石で容易に回収・再利用できる触媒を開発でき、環境への負荷を減らすことができます。
また、ドラッグデリバリーシステムに応用する際も、磁気が強ければわずかな量のマグネタイトで体内の標的部位へ薬剤を高精度に届けることができます。
スパコンで予測された物質を実際に作る
物質がどのような磁気特性を持つのかは、含まれる元素の種類や原子の配置、結合様式など、複数の要因が複雑に絡み合って決定されます。
そのため、組み合わせをひとつひとつ試す従来の実験だけでは、狙い通りの特性をもつ物質を効率よく作り出すことは困難です。
そこで登場するのがスーパーコンピュータ(スパコン)を使った理論計算です。
関さんの共同研究者である東京大学の吉田博さんは、スパコンを用いて原子間に働く力と電子の振る舞いを詳細に計算し、マグネタイトの飽和磁化を高める新たな結晶構造を検討しました。
その結果、鉄(Fe)の一部を希土類元素であるユーロピウム(Eu)に置き換えると、飽和磁化が元のマグネタイトの2倍以上も向上することがわかりました。
ただし、置き換える位置はどこでもいいわけではありません。
マグネタイトは図1に示すように、Fe(青・赤)と酸素(O)(灰色)から成る「スピネル構造」をとります。
FeはOに囲まれていますが、その囲まれ方は2種類あり、四面体のOの中に囲まれているもの(青:Aサイト)と、八面体の中に囲まれているもの(赤:Bサイト)の組み合わせになっています。
吉田さんの計算によると、Aサイトである四面体の中のFeをEuに置き換えたときに、飽和磁化が大幅に増大することがわかったのです。
図1 スピネル構造
関さんは吉田さんの理論予測を受け、Eu置換マグネタイトを実際に作製し、本当に飽和磁化が増大するかを検証することにしました。
まず、比較的簡便に薄膜を作製できる特長を持つ「パルスレーザー堆積法」を使って、Euを含むマグネタイトの薄膜の作製を試みました。
「EuはFeよりも大きな元素であるため、狭い四面体の中に入れるのは困難を極めました。
普通の方法で行うと、八面体の方に入ったり、別の結晶を作って不純物として析出したりしてしまいます。
一時期は、もうできないのではないかと思いましたが、大学院生の学生さんが、いろいろ条件を変えて粘り強くがんばってくれたおかげで、きれいな結晶ができる条件を見つけて作ることができました」
成功の鍵は速度にありました。薄膜を作る速度を通常よりも上げて不安定な状況を作り出すことで、広くて安定する八面体に入るのではなく、うっかり四面体の中に入ってしまうEuが現れる状況を作ったのです。
「この方法は以前別の物質を作製するときに成功した手法ですが、今回は約100個作製したうち、成功したのはわずか3個程度でした」
SPring-8で元素別にスピン状態を確かめる
関さんたちは、完成したEu置換マグネタイトの飽和磁化を「超高感度磁化率測定装置(SQUID)」で測定しました。
すると、元のマグネタイトの飽和磁化(約3.8 μB/f.u.) に比べて、約4.5 μB/f.u.という大きな飽和磁化を示すことがわかりました。
さらに、電子顕微鏡による薄膜観察と電気抵抗測定から、狙い通りの結晶構造が形成され、ハーフメタルの性質も失われていないことも確かめられました。
また、「X線光電子分光法(XPS)」という方法で、FeとEuが吉田さんの理論計算どおりの電子状態をとっていることも明らかになりました。
しかしこれだけでは、吉田さんの予測を完全に実証したとはいえません。
「研究室で測定した飽和磁化は、あくまで物質全体の磁化を足し合わせた値です。
それだけでは、本当にEuが四面体に入ったことで磁化が増大したのか、それとも別の偶然の要因でたまたま磁化が増大しただけなのかを見分けることはできません。
そこで私たちは、高輝度な放射光を用いて物質の性質を高解像度で解析できるSPring-8での測定を行いました」
関さんらはSPring-8のビームラインBL25SUを用い、「軟X線内殻吸収磁気円二色性(XMCD)」実験を行いました。
XMCDは原子種ごとに電子スピンの状態を観測できる手法で、物質全体の磁化ではなくFeのみ、Euのみのスピン状態を個別に調べることが可能です。
その測定結果を示したのが図2です。
図2 BL25SUによるXMCD測定結果
XMCDで磁石の性質を強く持つ強磁性体を測定すると、外部からかける磁場を変化させた際に磁化が急激に反転する「ヒステリシス曲線」が得られます。
今回作製したEu置換マグネタイトでは、Fe(図2上)だけでなくEu(図2下)でもヒステリシスが観測されたことから、理論通りにEuも磁石として振る舞っていることが確認できました。
「理論で予測された現象を実験で実証できたのは大きな成果です。
ただし今回の実験では吉田先生の理論計算で想定されたEuの10分の1の量しか結晶の中に含めることができていません。
そのため飽和磁化の値も理論値の約9.45 μB/f.u.には届いていません。
今後、吉田先生の理論のとおりの物質を作れるようになれば、とんでもない磁化を持つ材料が作れるはずです。
そんな期待を抱きながら、さらなる研究を進めているところです」
吉田さんの理論計算では他の元素に置き換えた材料の有用性も提示されており、それらについても関さんは実験を行う予定です。
SPring-8での精密な解析は、磁化を増やす手法の確立にもつながっていきます。
理論と実験が手を携えて歩む道は、新技術で便利になる未来につながっています。
関さんの興味の中心は無機材料の創製です。それも理論シミュレーションだけではなく、実際に実験で物質を作り上げることに重きを置いています。
「狙った性能をもつ分子を作り出す作業は失敗の連続であり、非常に地道な工程です。
しかし今回のように理論どおりの特性が得られた瞬間は、非常に面白さを感じます。
逆に、まったく予想していなかった物質ができても、それはそれで興味深いのです。
以前、マグネタイトの作製に失敗して酸化が進みすぎたことがありました。
ところが、その失敗作がこれまでにない特性を示し、光触媒として有用だということがわかったケースもあります」
関さんが所属する東京大学・田畑研究室のホームページには「バイオを学び、バイオに学ぶエレクトロニクス」という言葉が掲げられています。
「生物の生命活動を担う分子は、小さなエネルギーで効率よく働きます。
無機材料で作製したデバイスは、精度こそ高いものの、動作をさせるには非常に大きなエネルギーの投入が必要で、決して効率的とはいえません。
我々は、生物や生命の特性を学び、それを模倣したシステムを構築できないかと考えた研究もしています」
これまでにない新しい材料が誕生すれば、新しい技術が生まれます。
関さんが魅了されている、原子や電子の配置を工夫する「小さなものづくり」の可能性はどこまでも広がっています。
文:チーム・パスカル 寒竹 泉美
この記事は、東京大学大学院工学研究科 准教授 関宗俊さんにインタビューして構成しました。
BL25SUにおける軟X線磁気円二色性測定
「研究成果・トピックス」で紹介された、「理論計算で予測された磁力の強いマグネタイトを作製する」に貢献した軟X線磁気円二色性(XMCD)による分析は、SPring-8の軟X線固体分光ビームラインBL25SUで実施されました。
現在、BL25SUは光電子分光測定ブランチ(Aブランチ)と吸収分光測定ブランチ(Bブランチ)の2本に分枝化されています。
XMCD測定はBブランチで利用できます。また1つの課題において複数装置を、実験中に使い分ける(ブランチ切り替えが必要)こともできます。
本ビームラインにおける共用課題の募集は年2回で、一般課題のみならず成果専有課題など全ての課題種において申請が可能です。
BL25SUは、Twin-Helicalアンジュレータから発振される左右円偏光軟X線を光源とするビームラインであり、1 Hz周期の左右円偏光スイッチングシステムを搭載した高効率XMCD測定が行えます。
XMCDは300-2000 eVに吸収端を持つ元素の分析に適しています。
BL25SUのXMCD装置は、スプリットペア型1.9 T電磁石で生成された外部磁場下において、X線吸収スペクトル(XAS)の左右円偏光依存測定や外部磁場依存測定の実施を基本ルーチンとして主に磁性試料の分析をしていきます。
スペクトル信号の取得は試料補償電流による全電子収量法(TEY)検出と透過法を主としており、(i)磁性に重要な磁気モーメントの元素選択的分析、(ii)バルク試料のみならず、極薄膜やフレーク試料も試料ホルダーにマウント可能といった利点があります。
今回紹介された研究ではXMCDの元素選択性を用いて、複数元素のXASスペクトル観測を行い、目的部分から取得したTEYによるXMCDスペクトルおよびそれらの磁場依存性の解析によって電子状態と磁気特性を明らかにしたことで、微量の希土類元素が添加されたマグネタイトの信号の検出に成功しました。
XMCDでは他にも、寒剤(液体ヘリウム、液体窒素)を用いた温度変化測定が行えます。
これにより、磁気特性に与える熱の効果を抑制し、本質的な磁性の情報を抜き出すことが可能となります。
最近では、蛍光X線検出器を用いた部分蛍光収量法によるXAS/XMCDスペクトルの取得環境が整備されつつあり、これにより、試料内部の分析が可能となります。
本ビームラインは分枝化されたビームラインであるため、XAS/XMCDと相補的な手法である軟X線光電子分光装置も稼働しています。
世界最高性能の10 μm集光のX線とエネルギー分解能を兼ね備えた実験装置もありますので、皆様の研究に是非ともお役立てください。
図1 軟X線磁気円二色性装置の試料ステージ周辺の様子(カメラ映像)。 外部磁場は磁極間(幅30 mm)に沿って均一に印加されています。 X線は水平面内方向において磁場に対して10°の角度から入射されます。 試料は回転ステージ機構によって直入射配置と斜入射配置で測定できます。
図2 試料ホルダーにマウントされた粉末試料、薄膜試料、金属板試料の様子。 10 mm × 10 mmの範囲内に試料を複数個取り付けることが可能。 試料はカーボンテープ、導電性の接着剤(銀ペースト)などで固定します。 超高真空内で特別な表面処理を行わない場合は銅製を用いる一方、真空加熱などの処理が必要な場合はモリブデン製を用います。
SPring-8の 利用事例や相談窓口
BL25SU担当者 山神 光平さん
BL25SUは、固体から放出される光電子を測定する運動量分解光電子分光装置と磁場印加中に置かれた固体のX 線吸収強度を測定する磁気円二色性装置が特徴です。 磁性体や強相関電子系物質に見られる魅力的な物性物理現象を電子状態から探索する研究に使われています。
自身の専門分野を教えてください。
物性物理学、 放射光分光を専門としています。軟X 線や硬X 線の光電子分光、吸収分光、発光分光を駆使し、強相関電子系物質や金属錯体に現れる電子物性の起源の研究を行ってきました。 研究活動を通じて得られた経験は、新規ユーザーの皆さんの利用相談業務に活かされていると感じています。
日々の業務の中で特に重視している点や、ビームライン運用上の工夫についてお聞かせください。
ユーザーさんに寄り添った実験計画の提案を心がけています。特に新規ユーザーの方にとって軟X 線分光の利用はハードルが高いと感じています。 また、超高真空機器ゆえに1つの実験作業のトラブルが命取りとなります。 誰もが同じプロセスを踏めばトラブルが起こらない、そんな実験装置のデザインそして操作環境を整えています。
初めてこのビームラインを使う人に知っておいてほしいことや、うまく活用するコツはありますか?
1つ目は実験装置を丁寧に扱うことです。軟X 線分光は超高真空環境下の装置を操作するため、1つのミスで長期間の装置利用停止につながるリスクを持っています。 ながら作業をせず、自身の目で操作箇所を確かめながら作業する丁寧さが大切です。 2つ目は事前準備です。 測定を行うまでの時間がかかるため、実験成功率を上げるためにも事前打ち合わせや測定試料の準備が大切です。 気になることがあれば相談連絡をお待ちしております。
将来的に取り組みたい技術開発や、ビームライン運用に対する展望・課題があれば教えてください。
ソフトウェア開発に力を入れています。 実験装置の安定化や高効率化の実現に向け、深層学習を用いた画像解析技術との融合No.1でOnly 1 なビームラインそしてエンドステーションの実験装置の構築を目指しています。 しかし、そのためには仲間も必要です。 放射光ユーザーの中からビームライン担当者として業界を盛り上げて自身のやりたい研究も展開して行くことを夢に頑張っていきたいと思います。
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第25回SPring-8夏の学校を開催しました
2025年7月6日(日)~ 9日(水)の日程で、第25回SPring-8夏の学校を開催しました。
今年のSPring-8夏の学校の参加者は全国25大学から総計83名が参加されました。
猛暑の中ではありましたが、講義・実習・見学に加えて懇親会などを通し、「研究に励む同年代の方々との交流を通して、自分の世界を広げることが出来て、とても貴重な機会になりました。」等の喜びの声を多くいただきました。
4日間を通し放射光についての理解を深め、さらに他大学の学生とも交流できる充実した時間を過ごせるSPring-8夏の学校/秋の学校へのご参加をお待ちしています!
第25回SPring-8夏の学校における集合写真