核物理
高エネルギー光ビームで物質の究極を探る
世界最短波長のレーザー電子光ビームでクォークに迫る
SPring-8ではクォーク核物理研究も行われている。クォークは陽子や中性子のような重い質量をもった粒子、すなわちハドロンを構成する素粒子だが、クォークがハドロン内にどのように閉じ込められているか、どのような閉じ込め形態が可能か、さらには、本来は軽いクォークが閉じ込めの際にどのようなメカニズムで質量を獲得するかは、まだ明らかになっていない。これらの謎を解明することを目指すクォーク核物理研究において、レーザー電子光ビームと呼ばれるまったく新しい方法で生成された光ビームの有効性が明らかになってきた。
レーザー電子光とは、「レーザー・逆コンプトン光」とも呼ばれ、レーザー光線が電子ビームによって跳ね返された結果得られる高エネルギー光ビームである。
大阪大学核物理研究センターを中心とするLEPS(Laser-Electron Photon at SPring-8)グループは、SPring-8の8 GeV蓄積電子ビームに、波長350 nm (ナノメートル=10-9m)で3.5 eVの紫外レーザー光を正面衝突させることによって、最高エネルギー が2.4 GeVのレーザー電子光ビームを生成し、原子核実験を行っている。
光のエネルギーと波長は反比例するので、エネルギーが3.5 eVから2.4 GeVと7億倍に増幅される際に波長は7億分の1の0.5 fm(フェムトメートル=10-15m)に短縮される。レーザー電子光ビームの生成には、大強度でかつ軌道の安定した高エネルギー電子ビームと大強度のレーザーと、その2つを精度よく衝突させる技術が不可欠だ。LEPSで得られるレーザー電子光ビームは世界最高エネルギー(世界最短波長)を誇っているのだ。
0.5 fmは、非常に短い波長だが、それでも核子、つまり原子核を構成する陽子や中性子と同程度の大きさである。従って日常的な意味で2.4 GeVのレーザー電子光で核子やその中のクォークを直接見ることはできない。レーザー電子光で、クォークの世界を探るとき、重要になるのは光の一面である「波」としての性質ではなく、純粋なエネルギーの塊である「粒子(光子)」としての性質だ。
LEPS施設では、毎秒106個以上の光子が生成され、水素や原子核の標的に照射されている。エネルギーの塊である光子は、原子核内でさまざまな種類の電荷を帯びた粒子・反粒子の対に姿を変え、光核反応を起こす。クォークには、アップクォーク、ダウンクォーク、ストレンジクォーク、チャームクォーク、ボトムクォーク、トップクォークの6種類があり、陽子や中性子はアップクォークとダウンクォークでできている。2.4 GeVの光子を使うと陽子や中性子を構成するアップクォークとダウンクォークよりずっと重いストレンジクォークと反ストレンジクォークの対を生成することができる。
ストレンジクォークを含む複数のクォークからなる複合粒子はハドロンと呼ばれる。このハドロンは、10-20秒以下といった驚くべき短寿命で、すぐに崩壊してしまうので、それ自体を確認することは困難である。しかしそのような短寿命のハドロンの生成と崩壊の様子を調べることによって、クォーク閉じ込めの機構が明らかになっていくものと期待されている。
常識を覆し、不可能を可能にする
こうした期待を背景として、LEPSで世界に先駆けて発見されたのが、1個の反ストレンジクォークと4個の通常のクォークで構成されるペンタクォーク粒子である。
少し専門的になるが、レーザー電子光には、
(1)直線及び円偏光したレーザー光を用いることにより、簡単にスピン偏極した高エネルギー光ビームを得ることができる。
(2)原子核・素粒子実験にとってバックグランドの源となる低エネルギー(〜100 MeV以下)の成分が光ビーム中にきわめて少ない。
(3)光ビームの指向性がよく、コンパクトな検出器系が使用できる。
という3つの優れた特徴がある。中でも高いスピン偏極度は、従来の電子ビームの制動放射による光ビーム生成では達成できなかったことである。
ハドロンの世界では、力のやりとりは粒子の交換によってなされるが、通常は同時にいろいろな粒子の交換が可能であり、このことが実験データの解析を複雑なものにしている。しかし、光子の偏極方向と、ハドロン生成の際に放出されたメソン(中間子)の角度相関を見ることによって、交換された粒子についてある程度わかるようになるのだ。クォークはハドロンから自由に単独で取り出すことはできないので、ハドロン構造を研究する上で、どのような反応で生成されやすいかを調べられるということは、大きな利点といえる。解析を難しくしている特性を、有力な手がかりとして活用できるようになったのだ。LEPSにおける研究によって、これまで常識とされていたことが次々と覆されているのである。
レーザー電子光ビームの強度は、入射するレーザー強度に比例する。LEPSでのレーザー電子光ビーム強度も、蓄積電子ビームを随時補填するトップアップ運転、レーザー発振器そのものの改良、レーザーを2本同時に入射するパラレル入射の導入などで、この10年間で数倍にまで強化された。今後は、さらに短波長のレーザーを導入することにより、より高いエネルギーのレーザー電子光ビームを生成することを目指している。
これらがクォークの謎を解き明かしていくためのさらに強力な武器となるのである。

図1.蓄積電子ビームとレーザーを衝突させる部分の構造図

図2.荷電粒子検出器とその調整の様子

図3. LEPS実験装置(写真下)とTPC(タイムプロジェクションチェンバー、写真上)。右図は、2レーザーパラレル入射システムの模式図。