大型放射光施設 SPring-8

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結晶中の強く相関する電子雲の振る舞いを解明(プレスリリース)

公開日
2022年03月25日
  • BL02B1(単結晶構造解析)
  • BL43LXU(理研 量子ナノダイナミクス)

2022年3月25日
理化学研究所
東海国立大学機構 名古屋大学

【ポイント】
・放射光X線回折実験とコア差フーリエ合成法により軌道自由度を持つ価電子の異方的な分布状態の観測に成功。
・電子が縮退した軌道を時間的に揺らぎながら占有していることを解明。
・軌道自由度を有する電子の本来の姿を解明。

 国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学大学院工学研究科の萬條 太駿 大学院博士後期課程学生、澤 博 教授らの研究グループは、理化学研究所創発物性科学センターの鬼頭 俊介 基礎科学特別研究員、帝京大学、早稲田大学、東北大学、東京大学、横浜国立大学(研究当時)、広島大学、高輝度光科学研究センターとの共同研究により、大型放射光施設SPring-8注1)におけるX線回折・散乱実験によって、軌道自由度を持つ電子が異方性を持った揺らぎ状態として観測されることを明らかにしました。
 電子は、原子核の周りに電子雲として存在しますが、量子力学的に振舞うために離散的な軌道状態をとります。さらに、電子軌道の空間的な異方性は、固体物質の性質(物性)を支配する自由度の一つとして知られています。これまで、秩序化した電子軌道の異方性の観測手法の提案はあるものの、軌道自由度を有して秩序化する前の状態については、直接議論されたことはあまりなく、実空間での形について明確なイメージは持たれていませんでした。
 本研究では、鉄とバナジウムの酸化物中の価電子雲のみを直接観測し、縮退した電子軌道分布状態を解明しました。このことは、巨大な応答を示す複数自由度の相関を考える上で、新たな知見を与えます。
 本研究成果は、2022年2月25日付 イギリス英国王立化学会(Royal Society of Chemistry)の学術誌「Materials Advances」電子版に掲載されました。
 本研究は、SPring-8の課題(2019A0070/2020A0835/2021A1575)の支援のもとで行われたものです。

【論文情報】
雑誌名:Materials Advances
論文タイトル:Do electron distributions with orbital degree of freedom exhibit anisotropy?(軌道の自由度を持つ電子分布は異方性を示すのか?)
著者:萬條 太駿、鬼頭 俊介、片山 尚幸、中村 真一、勝藤 拓郎、新居 陽一、有馬 孝尚、那須 譲治、長谷川 巧、杉本 邦久、石川 大介、Alfred. Q. R. Baron、澤 博
DOI: 10.1039/d1ma01113h
URL: https://pubs.rsc.org/en/content/articlelanding/2022/MA/D1MA01113H

【研究背景】
 原子内では、原子核の周りを電子の雲が取り巻いています(図1)。この雲は、一様になっているわけではなく、原子核に近い方から、K殻、L殻、M殻、N殻…と呼び、電子が内側から詰まっています。この電子の詰まり方にもルールがあり、内側からn番目の殻には最大2n2個の電子が内側から順々に満たされています。つまり電子雲は、粒子として数えられる電子の占有状態として理解されることが、量子力学によって説明されます。この殻についても、内部に別々の軌道状態が存在し、s軌道、p軌道、d軌道、f軌道…と名付けられ、各々の電子の最大占有数は2, 6, 10, 14…となり、その空間分布も段々複雑な形になります。原子が持つこれらの電子の状態は「量子数」と呼ばれる3つのパラメータで記述されます。ただし、単独の原子の場合にはこの異方性は失われて球形の分布状態です。これが、通常原子を球状に描いている理由です。この電子軌道は周りの原子と相互作用することによって、様々に形を変えてエネルギー的に安定な状態を選択します。特に原子が凝縮して安定な構造を取る場合、単独の電子軌道ではなく複数の原子の軌道が結合することで、分子や結晶を形成します。ところが、このような場合でも、軌道の形が固化せずに揺らいで存在することがあります。
 遷移金属酸化物に代表される、強相関電子系と呼ばれる物質群では、電子間のクーロン相互作用によって電子が局在化することがあります。この場合には、電子が持つ電荷、スピンと同様に軌道のエネルギー縮退に起因する軌道自由度が存在します。局在している電子にとって、磁性と密接に関係するスピン自由度と同様に、軌道自由度は原子間の飛び移りの相互作用を持ち、低温になると安定な状態に秩序化します。さらに、これらの自由度が相関することによって、多彩な物性が発現することから盛んに研究されています。
 物性を正しく理解し応用するためには、これらの自由度を詳細に調査することが重要です。しかし、電荷やスピンは電場や磁場に応答しやすい性質があり、実験的に容易に調査できますが、電子軌道は実験的な観測が難しいことが知られていました。我々の研究グループでは、電子軌道の観測手法として、放射光X線を用いたコア差フーリエ合成(CDFS)法注2)による電子密度解析手法を提案しています。この手法では、分子性結晶における分子の価数変化の直接観測を皮切りに、YTiO3のTi(チタン)イオンの持つ1つの3d電子の秩序化した電子軌道の直接観測にも成功しました(関連情報】を参照)。

【研究背景】
 軌道秩序状態の空間分布の研究について、偏極中性子散乱、共鳴X線散乱など様々な手法が提案されています。しかし、我々が最も知りたいのは、エネルギー縮退して自由度を有している軌道状態の観測であり、さらに複数電子の電子軌道の解明です。
 我々は、このような対象としてスピネル型酸化物注3)FeV2O4に注目しました。この物質はFe(鉄)とV(バナジウム)のイオンがM殻の中の3d軌道に、それぞれ6個と2個ずつの電子を持っています。3d軌道には、最大10個の電子が収容可能であることから、どちらのイオンも部分的に満たされた状態となっていますが、強い電子相関によって電子が局在化した強相関電子系絶縁体です。すなわち、電荷の自由度を持たない系ですが、温度降下に伴って多段階の相転移を示すことが知られており、FeとVの軌道自由度の縮退の消失による軌道秩序化転移と磁気転移であることが、様々な方法で調べられてきました。ところが、高温の軌道自由度が活きている場合に、どのような電子軌道の状態であるかを明確に示された実験はありませんでした。我々は、この物質の軌道縮退状態における複数電子の軌道状態の実験的な直接観測に取り組みました。
 この物質にCDFS法を適用して価電子密度の情報を取り出したところ、特にVイオンが特徴的な形状の価電子密度分布を持つことが分かりました(図2(a))。この形状の持つ軌道状態を、量子力学的な計算によって探索したところ、電子が縮退している電子軌道を部分的に占有している複数の軌道の平均であることが分かりました(図2(b))。つまり、教科書等によく描かれている3d軌道の重ね合わせによって実験電子密度分布を再現できたわけです。結合していない電子軌道は量子力学によって計算された形を持っていることが示されました。部分的に電子に占有されているFeイオンも、同様な異方的価電子密度分布を持つことも分かりました。このように、CDFS法によって縮退軌道を持つ複数電子状態の直接観測に成功しました。このような電子状態の精密な測定が可能になった最大の理由は、放射光X線回折データの質が格段に上がったことに起因します。この解析に用いた光子計数型検出器(PILATUS3 X CdTe)が放射光X線の特質を引き出せるように、様々な測定条件を最適化したことも追記します。
 少し専門的ですが、軌道状態について簡単に説明しましょう。1つの原子の電子軌道には、全く同じ状態の2電子を占有させることはできません。つまり3d軌道の1つの軌道には、アップスピンとダウンスピンの2つの電子しか占有できません。次に、縮退した軌道に電子を配置しようとすると、電子間のクーロン斥力によって、なるべく空間的に広がった分布状態をとる軌道から順番に占有されます。さらに、この時、周りの原子とのクーロン斥力も反映して、電子軌道が選ばれます。このようにして、軌道の占有状態は、比較的単純なルールに則って記述されると考えられます。ところが、温度が高く、この原子を取り巻く対称性が高い場合には相互作用は拮抗して、安定状態がどのように選ばれるかは自明ではありません。したがって、様々な物理的なパラメータを駆使してこの電子状態を推定しなければなりません。その際に用いるパラメータの値も、物質毎に微妙に異なるために、理論的に確信を持って電子状態を言い当てることは困難です。我々の用いた実験的な価電子密度解析は、これらの量子力学的なパラメータなしに、実際に選択されている軌道状態とその電子の占有状態を直接観測することができる優れた手法と言えます。
 しかし、電子が縮退した軌道を平均的に占有するという状態は、どういう意味でしょう? この点について、多くの研究者と意見交換をしましたが、十人十色のイメージを持っていました。我々は、時間的に揺らいでいるということをどのように表すべきかについて、軌道の位相を含めた、分布状態の時間と空間の平均値を観測していると結論しました。例えば2重縮退している軌道に1/2個の電子を占有しているというシミュレーションで、実験結果を完全に再現できることを突き止めました。もちろん素粒子である電子を1/2個に分けることはできません。2重に縮退している軌道を1個の電子が等確率で占有していることを表現しています。さらに、このような電子状態の揺らぎは、結晶を構成している原子の並び方、すなわち結晶格子にも揺らぎを誘発します。この様子を放射光による非弾性X線散乱実験によって明らかにしました。詳細については原著論文をご覧ください。こうして、量子力学的に記述される電子軌道の詳細について実験的に明らかにし、軌道自由度を有する電子の本来の姿を捉えることに成功しました。

【成果の意義】
 これまでは、軌道の縮退があることは理論的に自明であったとしても、その状態がどうなっているかが明確にはわかりませんでした。軌道に関連する物理現象は、軌道縮退が解消されてエネルギー的に安定な基底状態を調べることで対応づけてきました。本研究により、軌道縮退状態も直接議論が可能となり、物性の発現機構の理解に重要な知見を与えることができるようになりました。今後幅広い物質、特に高機能材料について同様の研究が行われることで、軌道物理学の発展が期待されます。

図1

図1 電子雲の模式図


図2

図2 (a)Vイオン周りで観測された価電子密度分布。黄色とオレンジ色はそれぞれ異なる濃さ(黄色が4.5e/Å3、オレンジ色が5.3e/Å3)の電子密度面に対応する。(b)価電子密度のシミュレーションとVの電子軌道状態。横棒が電子軌道のエネルギー準位であり、矢印がその軌道を占有する電子を表す。点線の矢印が縮退した軌道上の1電子を表し、この電子が縮退した2つの軌道を平均的に占有している。シミュレーションにはこの3つの電子軌道を用いている。

【関連情報】
SPring-8を用いた精密構造解析による分子軌道分布の可視化法を開発、電子状態の直接観測に成功 ー電荷分布観測による新たな分子設計への提案ー
https://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20170807_engg_2.pdf
電子の蝶々型の空間分布を1000億分の2メートルの精度で観測!-放射光X線を用いた電子軌道の新規観測手法を提案-
https://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20201001_engg1.pdf


【用語説明】

注1) 大型放射光施設SPring-8:
兵庫県の播磨科学公園都市にある、世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その利用者支援などは高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げたときに発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究がおこなわれている。

注2) コア差フーリエ合成(CDFS)法:
X線回折実験による電子密度解析手法の一種。実験的に得られる全電子の情報から、内殻(コア)電子の寄与を差し引くことで、物性に寄与する価電子の情報のみを抽出する方法。

注3) スピネル型酸化物:
一般式AB2O4であらわされる元素組成を持った代表的な結晶構造を持つ金属酸化物。



 

<問い合わせ先>
【研究者連絡先】
東海国立大学機構 名古屋大学大学院工学研究科
教授 澤 博(さわ ひろし)
 TEL:052-789-4453
 E-mail:z47827aatcc.nagoya-u.ac.jp

理化学研究所 創発物性科学センター強相関量子構造研究チーム
基礎科学特別研究員 鬼頭 俊介(きとう しゅんすけ)
 E-mail:shunsuke.kitoatriken.jp

【報道連絡先】
東海国立大学機構 名古屋大学管理部総務課広報室
 TEL:052-789-3058 FAX:052-789-2019
 E-mail:nu_researchatadm.nagoya-u.ac.jp

理化学研究所広報室報道担当
 E-mail:ex-pressatriken.jp

(報道に関することおよびSPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課 
 TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
 E-mail:kouhou@spring8.or.jp