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SPring-8 NEWS 62号(2012.5月号)

目次

研究成果 · トピックス
大腸がんに関わるタンパク質複合体の立体構造を決定
~より有効な治療法を求めて~

行事報告
2012年度 第20回SPring-8施設公開

SPring-8 Flash
SPring-8を使った研究の受賞情報!
大阪大学難波教授が恩賜賞・学士院賞を受賞

表紙の図

大腸がんの発症に関わるAPCのアルマジロリピート領域とSam68が結合した複合体タンパク質の結晶

研究成果 · トピックス

大腸がんに関わるタンパク質複合体の立体構造を決定 ~より有効な治療法を求めて~

「大腸がんを何とかしたい」

 食生活の欧米化に伴い増えている大腸がん。2008年に実施された厚生労働省の調査では、23万5000人の患者が報告されています。これは、2005年の前回調査の21万4000人に対して9.8%もの増加です。深刻な状況にある大腸がんの有効な治療法を確立しようと、タンパク質レベルで発症メカニズムを解明する研究が進められています。
 理化学研究所の横山茂之領域長はタンパク質の立体構造解析の第一人者です。これまでに2500以上の立体構造を解析してきました。数年前、大腸がんを研究している東京大学の秋山徹教授から、病巣の写真を見せられました。その時のことを「ショックでした。私にできることはないかと考えさせられました」と振り返ります。こうして横山領域長と秋山教授の「大腸がん発症に関わるタンパク質の立体構造解析」の共同研究が始まりました。
 2人の研究はやがて実を結び、2011年10月、大腸がんの発症に関わるAPCタンパク質とSam68タンパク質の複合体の立体構造が発表されました。

やっかいな変異APCタンパク質

 大腸がんはどのように発症するのでしょうか。家族性(遺伝性とほぼ同じ意)の大腸がん患者の多くに、APCタンパク質の変異が見られます。正常なAPCは、形態形成や細胞の増殖・分化などにおいて重要な役割を果たすWntシグナル伝達経路にあるβカテニンタンパク質と結合し、その分解を誘導します。ところが、変異したAPCはβカテニン分解を誘導できないため、βカテニンが蓄積し、TCFなどの転写因子と相互作用して、Wnt標的遺伝子の転写を促進します。それらの標的遺伝子は無制御な細胞増殖を刺激し、大腸がんを引き起こします。秋山教授らは最近、APCがβカテニンの分解誘導以外にも、Sam68と結合し、TCFの活性を制御してWntシグナルを阻害することを見いだしました。変異したAPCタンパク質とSam68の複合体はTCFのスプライシング*1を制御できなくなり、TCFのスプライスバリアント*1が増えることでWnt標的遺伝子が強く活性化され、細胞ががん化します(図1)。そこで、横山領域長らは、APCの立体構造がわかれば、大腸がんの発症のプロセスを解明できると考え、X線を使った結晶構造解析を始めたのです。

図1.大腸がん発症のメカニズム
図1.大腸がん発症のメカニズム

通常、遺伝子の発現は、正常なタンパク質の相互作用によって制御されている。タンパク質に変異が入り制御が効かなくなると、遺伝子の異常な発現がおこり、がんが発症する。

APC アルマジロリピートを介してさまざまなタンパク質と結合する足場タンパク質。
βカテニン 細胞接着や細胞融合に関する機能や、核内で転写因子と結合して遺伝子の転写を活性化する機能をもつタンパク質。
Sam68 スプライシングの制御に関わるタンパク質。
TCF DNAに特異的に結合して転写を制御する転写因子の一種。

X線結晶構造解析の戦略

 X線結晶構造解析とは、タンパク質の結晶にX線を当て、散乱されたX線の情報から、立体構造を解き明かす方法です。まず、立体構造を知りたいタンパク質の結晶をつくらなければなりません。一口に結晶にするといっても、タンパク質の大きさや性質によって、結晶になりやすいものとそうでないものがあります。APCは、2843個のアミノ酸からできているタンパク質で、これほど大きなタンパク質の結晶化の成功例はほとんどありません。そのうえ、同じようなアミノ酸配列が繰り返し現れる“リピート配列”が随所にあるために、結晶化に必要な“安定した構造”をとりにくいという問題もありました。そこで、APC全体の構造を決めることにこだわらず、機能を発揮するうえで重要な領域に焦点を絞って研究を進めていくことにしました。

アルマジロリピートに注目

 今回解析されたのは、APCのアルマジロリピート*2という領域です。このアルマジロリピートは、いくつものタンパク質が結合する重要な領域です。秋山教授らが発見したSam68タンパク質もここに結合することが明らかになり、アルマジロリピート領域は、ますます注目されるようになりました。
 そこで、アルマジロリピート領域を人工的に合成して、Sam68と結合した複合体をつくり、その立体構造を解析することにしました。とはいえ、アルマジロリピートを含む、どこからどこまでの範囲を合成すれば、安定なタンパク質を得られるかがわかりませんでした。この研究では、実に100通り以上のタンパク質合成が試され、ついに目的の複合体の合成に成功しました。
 成功の秘訣を横山領域長は「私たちが開発した無細胞タンパク質合成系があったからこそ、これだけの数のタンパク質合成を試すことができ、結果として欲しいタンパク質だけを大量に合成することができました。この技術は誰にも負けません」と話します。一般にタンパク質は大腸菌などの生きた細胞につくらせますが、無細胞タンパク質合成系は、材料のDNAやアミノ酸、酵素を混ぜるだけでタンパク質をつくる仕組みで、効率的に目的のタンパク質を合成できます(図2)。
 こうしてできた複合体を結晶化させ(表紙の写真)、SPring-8のビームラインBL26B2とスイスのポールシェラー研究所の施設を使ってX線結晶構造解析を行いました。いずれも約2オングストローム(Å:1Åは100億分の1m)という高い分解能での解析に成功しました。

図2.無細胞タンパク質合成系

図2.無細胞タンパク質合成系

大腸菌などの生きた細胞を使わずに、試験管や透析チューブの中で欲しいタンパク質だけを効率的に合成するシステム。タンパク質合成に必要なDNAやアミノ酸、酵素などを試験管や透析チューブに入れ、さまざまなタンパク質を合成する。

より良い治療法への足がかり

 結晶構造解析の結果に対して、横山領域長は「APCのアルマジロリピートの特徴がよくわかりました。“百聞は一見にしかず”ですね」と語っています(図3)。立体構造からは、アルマジロリピートがつくる溝にSam68がすっぽりと収まっているのがわかります。また、複合体をつくるのになくてはならないアミノ酸もわかってきました。中でもAPCの516番目のリジンについては、アスパラギン酸に変異した結果、大腸がんになる事例が確認されています。こうして徐々に、アルマジロリピートのどの位置に変異が入ると大腸がんが発症するかわかり始めています。「構造がわかったことで、大腸がんが発症するプロセスが詳しくわかりそうです。このプロセスは家族性の大腸がんだけでなく、加齢や食生活が原因の大腸がんにも共通していると考えています」と横山領域長は話します。
 「アルマジロリピートはさまざまなタンパク質と結合します。そのうち大腸がんに関わる結合だけをコントロールできるようになれば、効果が高く副作用の少ない治療が可能になります。このように立体構造が決まったことで、どこを狙って治療すればいいのか標的が次第にわかってきました」。さらに詳しく大腸がん発症のメカニズムを知るために、ほかのタンパク質複合体の構造解析が、SPring-8のビームラインで進められています。1つ1つ丁寧に解析していくことが、いつしかより有効な治療法の開発につながるのです。

図3.APCのアルマジロリピート領域(水色)とSam68(赤・ピンク)の複合体の立体構造

図3.APCのアルマジロリピート領域(水色)とSam68(赤・ピンク)の複合体の立体構造

Sam68が白丸部分で折れ曲がった形をしており、APCのアルマジロリピート領域(水色)の溝にすっぽりと収まるという構造上の特徴が明らかになった。また、立体構造からは、APCとSam68が互いにどのアミノ酸で接しているかわかる。中でも、APCの516番目のリジン(青色)とSam68の387番目のチロシン(黄色)は、正常な複合体の形成になくてはならないアミノ酸だということが明らかになった。

コラム:横山領域長が米国芸術科学アカデミー外国人名誉会員に

任命式で署名する横山領域長。
任命式で署名する横山領域長。
同じく2011年にアカデミーの会員に選ばれたサイモン&ガーファンクルのポール・サイモンによるライブが印象的だったという。

 2011年4月、米国芸術科学アカデミーから横山領域長に、「外国人名誉会員に選ばれました」という手紙が届きました。1780年設立の、米国でもっとも古いこのアカデミーの会員と なることは、時代を象徴する功績をあげた人と認められることであり、米国では最高の栄誉といわれています。アルバート・アインシュタインをはじめとする科学者や、ジョージ・ワシン トンなどの政治家、芸術家などが会員として選出されてきました。日本人会員には、元東京大学総長の有馬朗人氏や理化学研究所理事長の野依良治氏などがいます。横山領域長は2011年の外国人名誉会員16人の1人に選ばれたのです。
 横山領域長は返信のなかで、選ばれたことに対する感謝の意とともに、地震と津波で大きなダメージを受けた日本への支援に対するお礼を伝えました。この手紙はアカデミーの意向で多くの会員が目にするところとなり、「手紙を読んだよ。何か出来ることはないだろうか」とたくさんの方から温かく声をかけていただいたそうです。
 アカデミーは、広く社会的な活動をすることを求められます。横山領域長は、「タンパク質研究を通じた社会への貢献を行っていく決意を新たにしました」と語ります。

 

用語解説

*1 スプライシングスプライスバリアント
DNAの遺伝情報がmRNAに転写される際に、余分なものを切り離して再度つなぎ合わせることをスプライシングという。異なる場所でスプライシングが起こり、多様なmRNAが生産されることがあり、この多様なmRNAをスプライスバリアントと呼ぶ。

*2 アルマジロリピート
ショウジョウバエのアルマジロ遺伝子で最初に見つかった領域で、42〜45個のアミノ酸からなる特徴的な構造が繰り返し現れる。

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ 池田 亜希子


この記事は、理化学研究所 生命分子システム基盤研究領域 横山茂之領域長へのインタビューに基づき構成しました。

次号研究成果・トピックス予告
低燃費タイヤ開発を支える材料内部の構造解析 〜タイヤは進化を続ける〜

行事報告

2012年度 第20回SPring-8施設公開

 今年も科学技術週間の関連行事の一環として、SPring-8施設公開を4月30日(月・振替休日)に開催しました。時折小雨がぱらついたものの傘をさすほどでなく、過ごし易い新緑の中、昨年より1,300名多い過去最高の5,797名の方にご来場いただきまして、誠にありがとうござました。SPring-8に加えて、この3月から供用を開始したSACLAなど、先端研究施設に対する皆様の関心の高さが示される結果となり、関係者一同とてもうれしく思っております。
 開催いたしました28のイベントはいずれも盛況でした。毎年人気のツアーですが、今年は例年開催の加速器、実験ホール1周ウォーキングに加えてニュースバルにおいても開催いたしました。どれも相変わらずの人気ぶりで、当日に急遽参加者の枠を増やす対応をいたしましたが、それでも早々と定員に達してしまいました。この結果からも、皆様がいかに興味をお持ちかということが顕著に表れたと思います。なお、遠方からご来訪いただいたにもかかわらず、参加いただけない方も大勢いらっしゃいましたようで、この場を借りてお詫び申し上げます。
 SACLAは今年の3月に本格稼働し、またこれまでも多くのマスコミ等で取り上げていただいていることもあって、多くの方にご来場いただきました。実験が行われる装置などの説明を熱心にお聞きいただき、これから生まれるであろう成果をご期待いただいている様子でした。
 科学講演会も例年通り、会場は立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。SACLAや我々の生活に身近な話題、関心の高い話題が取り上げられたため、多くの方が熱心に耳を傾けていらっしゃいました。
 子供たちのもっとも興味を引いたイベントは「地球にやさしい次世代電池」でした。身近な物で燃料電池をつくり、それによって電子オルゴールを鳴らすというもので、参加した皆さんには電池の仕組みをよくわかっていただけたものと思います。
 今後も皆さんに喜んでいただけるような施設公開を開催していきたいと思います。来年も皆様のご来場をお待ちいたしております。 (広報室)

SACLAの見学 科学講演会 実験ホールのイベント
SACLAの見学
科学講演会
実験ホールのイベント

SPring-8 Flash

SPring-8を使った研究の受賞情報!

大阪大学 難波教授が恩賜賞・学士院賞を受賞

 日本学士院(文部科学省に設置された機関)は、学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対して、恩賜賞・日本学士院賞などの授賞を行っています。恩賜賞は、学士院賞の中で特に優れた研究業績に対して与えられます。

難波啓一教授
難波啓一教授

恩賜賞・日本学士院賞
受賞者:難波 啓一 大阪大学大学院 生命機能研究科長・教授
研究業績:生体超分子の立体構造と機能の解明

べん毛のCGイメージ
べん毛のCGイメージ

 難波啓一教授は、生命を支える様々な生体超分子の動作のしくみを解明するため、X線回折法や電子顕微鏡による立体構造解析法で独自の技術開発を進め、タバコモザイクウイルス、細菌べん毛、筋肉のアクチン繊維など、以前は解析不可能と考えられた生体超分子の立体構造を世界に先駆けて原子レベルで解析し、これらの超分子ナノマシンが工学技術をはるかにしのぐ精度や桁違いに小さなエネルギーでしなやかに動作するしくみを解明しました。
 上記の研究成果に加え、低温電子顕微鏡の画像解析による超分子構造解析法を格段に進歩させ、以前は何年もの歳月を要した数万におよぶ電顕像の収集と解析を数日に縮めるという画期的な高速化に成功。必要な試料も数ミリグラムから数マイクログラムへと減少させました。生命科学研究を大きく躍進させる、国際的に誇るべき独創性の高い研究成果です。これらの業績が高く評価され、今回の受賞となりました。 (広報室)

最終変更日 2019-11-21 17:19