分子をデザインし、まだ見ぬ触媒を作り出す-SPring-8だから証明できた溶媒中の安定構造
分子をデザインし、まだ見ぬ触媒を作り出す SPring-8だから証明できた溶媒中の安定構造
新しい触媒がさらなる快適を生み出す
私たちの身の回りには、様々な物質が存在しています。壊れやすいもの、頑丈なもの、電気を通すもの、ベタベタするもの、光るものなど、それらはいろいろな性質を持っています。物質の性質を決めているのは、その物質を構成している原子の組み合わせです。そのため、自由に原子の組み合わせを変えながら新しい分子を作ることができれば、これまでにない性質を持つ物質を作ることもできます。
化学は物質の性質や構造を研究する学問ですが、その研究成果を活かすことで、自然では起こらない方法で既存の分子を作ったり、自然界には存在しない分子を新たに作ったりすることもできます。これまでにも化学の研究のおかげで、自然からは得られない薬や肥料やプラスチック製品や電子機器などが作れるようになってきました。
東京大学の鈴木康介さんと米里健太郎さんが取り組んでいる研究も、新たな機能を持つ分子を作り出すことです。そのなかで鈴木さんたちが作ろうとしているのは「触媒」となる分子です。
触媒は化学反応を助ける物質です。通常であれば作り出すのに膨大なエネルギーが必要とされる物質も、触媒があることによって、低いエネルギーで効率的に生成することができます。私たちが日々使っている化学製品の中にも、触媒がないと作ることができない物質が多くあります。また、自動車の排ガスなどの環境汚染物質の除去や、脱臭、殺菌など、環境を守る効果を発揮する触媒も存在します。
触媒はさまざまな化学反応を左右します。新たな機能を持つ触媒を作ることができれば、有害な試薬の使用や廃棄物を減らしたり、必要なエネルギーを抑えて地球に優しい化学反応を起こしたりすることも考えられます。また、これまで人工的に作ることができなかった物質も、新しい触媒が誕生すれば製造可能になるかもしれません。
鈴木さんたちは銀を使った新しい触媒分子を開発し、その成果を2023年6月に『Nature Chemistry』誌で発表しました。
足場をリング状にして金属原子の合成を制御する
鈴木さんたちが開発した触媒分子は、リングの中に銀の原子が入った姿をしています(図1の右下の赤い四角で囲った分子)。このような形に設計した理由を、鈴木さんは次のように説明します。
「触媒には金や白金や銀などの金属が使われますが、触媒として機能できるのは表面部分の原子です。そのため、金属酸化物を足場(担体)にして金属原子や“ナノクラスター”と呼ばれる金属原子の小さな塊を載せたものが触媒としてよく使われています。これを担持金属触媒と呼びます(図1上)。しかし、この担持金属触媒には、課題があります。金属酸化物担体の表面に載せられている触媒金属が均一ではないことです。そのため、触媒反応の選択性や効率性が低くなります。また、より優れた性能に改良したくても改良しづらいのです」
図1 よく使われている担持金属触媒(上)と今回開発した触媒(下)の模式図
そういった課題を解決するために開発されたのが、今回の触媒です。図1の右下に示しているように、触媒となる金属を、金属酸化物がぐるりと取り囲んでいます。この新しい触媒について、鈴木さんは次のように説明します。
「足場となる金属酸化物の形をリング状にすることで、中に入れる原子の数や配列や電子状態を制御できるようになりました。触媒となる銀原子のナノクラスターは、単独では不安定ですぐに分解・凝集してしまいますが、金属酸化物のリングで囲うことで、安定した状態を保つことができます。また、露出した部分が効率的に触媒として働くため、安定性と反応性の高さを両立できます」
有機溶媒の中で行う自由度の高い無機材料合成
このような画期的な形の分子の作り方を確立させた共同研究者の米里さんは、「もともとは別の目的のためにリング状の金属酸化物を研究していた」と話します。
「その研究は行き詰まってしまいましたが、何とかこのリングを他に活かせないかと考えて生まれたアイデアが、銀ナノクラスターと組み合わせたハイブリッド分子触媒でした」
米里さんのアイデアが実現したのは、研究室が築き上げた技術が背景にありました。通常、銀や金属酸化物のような「無機材料」は水溶液の中で合成反応を行いますが、鈴木さんと米里さんが所属する研究室では、その反応を有機溶媒の中で行うことで反応性を制御し、より精密かつ自在に無機材料合成を可能にする技術を確立しています。
「リング状の金属酸化物を作ること自体は、ほかの研究グループでも行っていましたし、その中に金属原子を入れるアイデアを考えたのも私が初めてではありません。ただ、ほかのグループは有機溶媒中で合成を行う技術がなかったため、リングの中に銀原子をきれいに入れることができていませんでした」と、米里さん。
米里さんによると、金属原子を酸素原子で繋げた金属酸化物を入れることはこれまでにも達成されていたそうです。しかしながら、金属原子同士が直接繋がった金属ナノクラスターを入れることはまだ誰も達成できていませんでした。
最初の頃は合成材料を一度に入れていたため、思うような分子を作ることができませんでした。しかし、目的とは違う生成物の中にほんのわずかだけ、目的通りの構造に似ている分子を見つけたことで米里さんは「方向性は合っているな」と勇気づけられました。
最終的には、直径約 1 nmのリング状金属酸化物に、銀イオンを段階的に反応させていくことで、リング状構造の中に銀原子30個で構成された銀ナノクラスターを合成することに成功しました(図2)。
図2 2段階で還元してリング状金属酸化物の中に銀を集積させる
しかし、この分子の構造を決めるためには、非常に精度が高い測定データが必要であり、一般的な分析装置では本当に狙い通りの分子構造になっているのかどうかを確信することができませんでした。そこで、SPring-8の高輝度の放射光を使って分子の構造を決定する「単結晶X線構造解析」を行うことにしました。単結晶X線構造解析とは、原子や分子が規則正しく並んだ結晶に、X線を当てたときに、X線が跳ね返る方向や強さを測定することで、原子の並び方や分子の構造を決めることができる解析方法です。SPring-8を利用した単結晶X線構造解析では、利用できるX線のエネルギーが高く、高輝度であることや、決まったエネルギーに絞り込んで取り出せることで一般的な装置よりも高い精度での測定ができました。
「それまでは、一般的な装置の測定精度の限界であるのか、単に合成ができていないのかの区別がつかなかったのですが、単結晶X線構造解析のできるSPring-8のビームラインBL02B1で解析し、結晶構造を正確に決めることができました。SPring-8で測ったことで狙い通りの構造ができていることがわかって、ほっとしました」
さらに、溶液中でも結晶中と同じ構造で、期待した通りの触媒機能が発揮できることを確認するために、SPring-8のビームラインBL01B1を使い、「X線吸収微細構造法(XAFS)」も実施しました。
XAFSは、物質中に含まれる元素に対して適した波長のX線を照射することで物質の電子状態や元素周辺の構造を知るX線吸収分光法の一種で、試料が結晶状態でなくても精密な解析ができるという利点があります。XAFSはX線のエネルギーを連続的に変化させて高輝度なX線を照射する方法であるため、SPring-8のような放射光施設を利用しないと実施することができません。
図3 SPring-8のX線吸収微細構造法(XAFS)の測定結果
図3は鈴木さんや米里さんたちが開発した分子を東京都立大学 山添誠司 教授に協力頂き、XAFSで解析した結果です。溶媒中と結晶状態で、波形の振動の様子が一致しています。このことから、鈴木さんや米里さんたちの新しい分子は、溶媒中でも安定な状態で存在していることが確かめられました。
さらに他の実験から、7日間以上溶媒に入れていても変化しないことが分かり、この性質は触媒として用いるときに、大きなメリットとなります。
これらの研究の意義について、鈴木さんは次のように語ります。
「金属ナノクラスターと金属酸化物を組み合わせた構造の設計が可能になったことで、今までにない機能を持つ触媒や材料の開発の可能性が広がりました。この方法で、金属の種類や並び方や距離などを制御できるようになったので、それらを変化させることでどういう性能が出るのかを、今後は調べていきたいと思います」
鈴木さんや米里さんたちが開発した技術は、新たな分子を生み出すだけでなく、精密に制御された合金を作る技術にも応用できます。どのような組み合わせで、どのような形の触媒を作り出すか。可能性は無限に広がっていきます。お二人のさらなる研究の発展が楽しみです。
鈴木さんたちの研究室には、30人以上の学生・院生と6人のスタッフが所属しています。週に一度は研究テーマごとの小グループに分かれて研究成果を発表します。しかし、自分の作成した分子の新しい構造が見えたときには、嬉しくなってミーティングの日を待たずに人に見せて回ってしまうそうです。「米里さんもいまだに僕に見せに来ますよね(笑)」と鈴木さんは笑います。化学者にとって、新しい分子の構造が分かることは、そのくらい面白いことなのでしょう。
「分子の構造を狙った通りにどこまで作りこめるか、その限界に挑戦しています」と米里さんは話します。「一番楽しいのは実際に作った分子の構造を測るときですね。狙い通りに作れていたら嬉しいですし、狙いとは違う意外な構造になっていたら、それはそれで興味深いです」
また、鈴木さんたちの研究室では、恒例行事として、年に一度、研究室旅行に行きます。旅行ではスタッフも学生も一緒になって様々な交流をするそうです。「カードゲームなどをすると、学生の違った一面を見られて、新鮮に感じます」と鈴木さん。分け隔てなく交流する雰囲気が、新しいものを生み出す土壌を作り出しているのかもしれません。
2023年度の研究室旅行。
最前列の一番左が鈴木さん、同列中央が米里さん
文:チーム・パスカル 寒竹 泉美
この記事は、東京大学大学院工学系研究科 准教授 鈴木康介さんと、助教 米里健太郎さんにインタビューをして構成しました。