大型放射光施設 SPring-8

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高分解能な軟X線解析を可能にする世界初の顕微鏡を開発 最短2 mmの長さの超精密小型集光ミラーを作る

高分解能な軟X線解析を可能にする世界初の顕微鏡を開発 最短2 mmの長さの超精密小型集光ミラーを作る

軟X線用の新たな測定装置をつくる

 顕微鏡の発明によって細胞が発見されたように、これまでにない観察道具を作れば、新たな科学の進展に繋がります。東京大学の島村勇德さんは、X線の中でも波長の長い「軟X線」を使って、より詳細に物体を観察できる新しい装置を開発しました。
 研究の目的について、島村さんは次のように語ります。
 「X線の波長の長い側を軟X線、短い側を硬X線と大きく分けると、軟X線は硬X線よりもエネルギーが低い光で、硬X線だと透過してしまう物体の表面(例えば皮膚や細胞など)を見ることが得意です。しかし、エネルギーが低いため、硬X線に比べて解像度が低くなるという難点があります。これを改良し、高解像度な軟X線の観察装置を作ろうと試みたのが私の研究です」
 軟X線の解像度や強度を高めるには、一点に光を集める(集光)ことが有効です。虫眼鏡で太陽の光を一点に集めると、太陽の光は黒い紙を焦がすほどの強度になりますが、軟X線も小さな点に集めることができれば、局所的な反応を解像度高く起こすことができます。
 虫メガネの凸レンズは光の進路を曲げることで、虫メガネ全体に入ってきた光を集めています。しかし、軟X線はレンズでは集光しにくい理由があります。レンズがどういう角度で光を曲げるかは、光の波長によって変わってきます。可視光の波長は、400~700 nm ですが、軟X線は 0.1~10 nm という100倍も違う波長の光の集まりなので、レンズを通すと波長ごとに集光される位置(集光点)が変わってしまい、全てを一点に集めることができません。
 そこで島村さんはレンズではなく鏡を使って集光する方法を検討しました。鏡は波長に関係なく、入ってきた角度と同じ角度で光を反射します。さらに、鏡を楕円状に湾曲させておけば、一点に光を集めることができます。
 これは楕円の反射定理と呼ばれる現象です(図1)。楕円は平面上のある2定点からの距離の和が一定となるような点の集合から作られる曲線と定義されます。その2定点を焦点と呼び、この片方の焦点から出た光は、どういう方向に出ても、円周で反射してもう一つの焦点に向かうという面白い性質があります。レンズが使いにくいX線の集光には、この楕円の性質が使われています。

図1

図1 楕円の反射定理

これまでにない小さな鏡を作る

 島村さんが特に参考にした鏡は図2に示したKB(Kirkpatrick-Baez)ミラーと筒型形状ミラーです。KBミラーは入ってきたX線を楕円状に湾曲した2つの鏡を使って1点に集めます。まず1つめの鏡で水平方向に集光し、次の鏡で鉛直方向に集光して1点に集合させます。この方法は硬X線の測定でよく用いられますが、集光点(焦点)までの距離が長くなると、少しの凹凸で集光点からずれた光が出てきます。また、軟X線では十分な解像度が得られません。  筒型形状ミラー法は、島村さんが所属していた三村研(東京大学 三村秀和 教授)で開発されました。楕円の円筒状の鏡の中に光を通せば、どこに当たっても反射して一点に集光できます。しかし、理論上は上手くいっても、円筒形状の鏡を精密に作るのは大変です。現在も技術上の限界を超えるために開発が進められています。

図2

図2 従来のX線ミラーの課題

 「私が挑戦したのは、小さな鏡でKBミラーを作ることです。鏡が大きいと焦点距離が遠くなるため、微妙な凹凸のずれなどによって集光の精度が低くなりますが、鏡を小さくすれば焦点距離が短くなる、つまり的が近くなるので、精度が上がります。KBミラーの集光ミラーの長さは最長1 mにまで到達することもありますが、これを最短 2 mm にすることに挑戦しました」
 島村さんの目指す鏡は小さいだけでなく、楕円のカーブも急です。バスケットボールの表面くらいのカーブがついたツルツルの小さな鏡を作るのは、平らな鏡を作るよりも技術的に難しい挑戦でした。
 さまざまな試行錯誤の末、島村さんは、まずガラスで円筒を作り、その一部を切り出した面の一部に金属のニッケル(Ni)を載せて膜を作って楕円のカーブを作っていく方法にたどり着きました(図3)。

図3

図3 超精密小型集光ミラーの作り方

 ニッケルの膜をつける方法は、「差分成膜法」を応用しました(図4)。差分成膜法はアルゴン原子をニッケル板材にぶつけ、飛び出したニッケル原子を穴の空いたステンシルマスクを通して受け止めることで、成膜する位置をコントロールする方法です。従来の方法では、狙った範囲以外にもニッケルが広がってしまうため、スリットの穴を狭めました。さらに、まず粗い形状で成膜したあとに、スリットを2枚にしてより細かい形状の成膜を行う方法で急峻なカーブを作り、約 2.8 nmというわずかな誤差しか持たない理想の鏡を完成させることができました。  「ニッケル原子の直径は 0.2 nmほどなので、2.8 nmの誤差というと、ニッケル原子約15個ほどです。この精度に達するために、何度も加工と計測を繰り返しました。うまくいったときでも、1つの鏡を作るのに、最低1か月はかかっています」

図4

図4 開発した成膜法

図5

図5 完成したミラーの写真と実際の配置

神経細胞のスパインの元素の濃度分布偏りを初めて観察

 鏡ができあがったら、いよいよ測定です。島村さんは、できあがった鏡をSPring-8に持ち込み、軟X線ビームラインBL25SU-Aに鏡を使った測定装置を組み上げました。そして、実際の測定を行いました。
 まず、作製した鏡の集光能力を測定したところ、集光サイズは、最小20.4 nm を記録しました。集光サイズは小さいほど焦点が絞られていることを表します。SPring-8で用いられている軟X線の集光サイズである100 nm と比べても、極めて小さい値です。
 次に、実際にこの測定装置を使って、軟X線を用いて行われるX線蛍光観察で、培養したラットの脳の神経細胞を観察してみました。その結果、軽元素と金属の量と濃度を100 nm 空間分解能で評価することに成功しました。
 「光学顕微鏡では試料の厚みは評価できませんが、新たに開発した手法では厚みも軽元素や金属の量も同時に測定できるため、局所的な濃度を算出することもできました。神経細胞のスパインという部位は、シナプス結合を担う重要な場所ですが、そこでの元素の分布の偏りも観察できました(図6)。このようなことは、従来の観察装置では実現できない成果だと考えています」
 今後、この装置を使って島村さんは細胞中の薬の動態を観察したいと語ります。薬の中に含まれているフッ素などの軽元素を目印にして、細胞内のどこに偏って取り込まれているのかを見ることができたら、薬の効果や副作用のメカニズムの解明につながるかもしれません。
 生物学や薬学での貢献が期待される島村さんの装置がどのように活かされていくのか、今後の研究成果が楽しみです。

 しかし、この分子の構造を決めるためには、非常に精度が高い測定データが必要であり、一般的な分析装置では本当に狙い通りの分子構造になっているのかどうかを確信することができませんでした。そこで、SPring-8の高輝度の放射光を使って分子の構造を決定する「単結晶X線構造解析」を行うことにしました。単結晶X線構造解析とは、原子や分子が規則正しく並んだ結晶に、X線を当てたときに、X線が跳ね返る方向や強さを測定することで、原子の並び方や分子の構造を決めることができる解析方法です。SPring-8を利用した単結晶X線構造解析では、利用できるX線のエネルギーが高く、高輝度であることや、決まったエネルギーに絞り込んで取り出せることで一般的な装置よりも高い精度での測定ができました。
 「それまでは、一般的な装置の測定精度の限界であるのか、単に合成ができていないのかの区別がつかなかったのですが、単結晶X線構造解析のできるSPring-8のビームラインBL02B1で解析し、結晶構造を正確に決めることができました。SPring-8で測ったことで狙い通りの構造ができていることがわかって、ほっとしました」
 さらに、溶液中でも結晶中と同じ構造で、期待した通りの触媒機能が発揮できることを確認するために、SPring-8のビームラインBL01B1を使い、「X線吸収微細構造法(XAFS)」も実施しました。
 XAFSは、物質中に含まれる元素に対して適した波長のX線を照射することで物質の電子状態や元素周辺の構造を知るX線吸収分光法の一種で、試料が結晶状態でなくても精密な解析ができるという利点があります。XAFSはX線のエネルギーを連続的に変化させて高輝度なX線を照射する方法であるため、SPring-8のような放射光施設を利用しないと実施することができません。

図6

図6 神経細胞のスパインの観察結果


 

コラム

 島村さんが科学者になりたいと思ったきっかけは、島津製作所の田中耕一さんがノーベル化学賞を受賞したニュースを見たことでした。2002年当時は小学生だった島村さん。詳しい研究内容は分かりませんでしたが、田中さんに憧れ、その翌年の七夕の短冊には「科学者になりたい」と書いたそうです。
 「その後は研究者を目指して一直線に進んでいった……わけではありませんでしたが、紆余曲折あって、だんだん自分の研究に自信が持てるようになった感じです」
 ところで、今回紹介した島村さんの研究で最後に登場した培養したラットの脳の神経細胞は、島村さんの配偶者であり、研究者でもある文香さんが培養したものです。もともと島村さんも神経細胞に興味を持っていましたが、細胞培養の経験はありません。文香さんとのコラボレーションによって、軟X線ならではのインパクトのある測定結果を示すことができました。
 「妻とはコロナ禍をきっかけに結婚しました。その後、この研究の成果を論文にしたので、論文の著者名には共同研究者として妻の名前も入っています。夫婦で同じ論文に名前を載せられたことは、記念にもなり嬉しかったです」

コラム

文:チーム・パスカル 寒竹 泉美


この記事は、東京大学 物性研究所 特任助教 島村勇德さんにインタビューして構成しました。