シリコン同位体で色分けされたナノクラスタ超伝導体
大阪市立大学大学院理学研究科
物質科学科教授
谷垣 勝己
クラスタナノ科学とは
クラスタという言葉の語源は房です。すなわち、数個から数十個の原子が集合して、通常の結晶構造とは異なる構造の物質を形成した状態をクラスタ状態、また物質をクラスタ物質と総称します。クラスタに関する研究の歴史は、古くはアルカリ金属*クラスタに関する研究から始まっています。このような物質はナノ領域のサイズ*を有する物質で、これらの物質を中心として取り扱う科学をクラスタナノ科学と呼びます。
クラスタナノ科学が注目されている理由は、クラスタが有する自己組織機能(self-assembling)を固体構造制御に適用して、人工的な微細加工では形成できない高精度な結晶の構造(ナノ構造)の制御を行える可能性があるためです。物理学者ファインマン*は、従来の人工的な微細加工をトップダウン手法とよび、それに対して自己組織的な固体構築方法をボトムアップ手法と名称し、近年の物質科学の発展を予測しました。
ナノクラスタを基本構造とする結晶
クラスタナノ科学は、1990年初期のC60の大量合成を機に大きく進展しました。このC60クラスタからは、ファンデルワールス結晶*ができます。これはC60では、構造の平面性が大きくsp2軌道がπ電子としてクラスタ全体に広がって閉殻電子構造をとっているからです。一方、60個の原子の集合体より小さいクラスタでは、表紙図上に示すように炭素ではなくシリコン(ケイ素)の正12面体クラスタが存在します。このようなクラスタは、クラスタ面の曲率が大きくsp3軌道が主体で、1個のクラスタとしては開殻構造です。そのために、結晶が形成する際にはsp3軌道が共有結合を作り、多面体の共有結合結晶ができます。このようなクラスタ結晶の特徴は、(1)バンド幅が狭く、状態密度が高くなる可能性が高い。(2)電子相関が大きくなる可能性が高い。(3)フォノンにはクラスタ内フォノンとクラスタ間フォノンの2種類があり、周波数の高いクラスタ内フォノンが関係した超伝導体の可能性がある。ということです。
2つのナノクラスタ超伝導体と同位体工学
1990年に、2種類のクラスタ超伝導体が発見されました。一つはC60系超伝導体(図1左)であり、もう一つはSi46系超伝導体(図1右)です。前者の超伝導体は、最高超伝導臨界温度はRbCs2C60でTc=33Kという超伝導を示します。後者はBa8Si46でTc=8Kという純粋なシリコンネットワーク物質では初めての超伝導体です。このような、2種類のクラスタ超伝導物質がどのような機構に基づいているのかは重要な学術的な問題でした。
超伝導体の発現機構を詳細に理解するためには、超伝導同位体効果は非常に重要な実験です。C60系超伝導体に関して、1992年にわれわれのグループは、炭素の同位体元素13Cおよび12CならびにRbの同位体元素85Rbおよび87Rbを用いて超伝導機構を同位体効果に基づいて解明する実験に成功しています。しかし、1990年代の同時期に発見されたシリコン(Si)多面体超伝導体に関しては、これまで、同位体シリコン原子をシリコン固体の塊から高純度に分離精製することは非常に難しく、今回のような研究は困難と考えられていました。しかし、近年の半導体材料の同位体工学が進展したため同位体の高純度分離生成が可能となり、純粋なSi同位体で色分けされた同一物質の合成が可能な状況となりました。

(ファンデルワールス結晶と共有結合性結晶)
ナノクラスタ超伝導体の機構
今回、Siのナノクラスタから構成されるBa8Si46超伝導物質について、構成原子のSi(原子量28)を質量数が異なる同位体Si(原子量30)に置き換えて、全く同じ原子配列をもつ物質で質量の異なる2種類の物質を合成することに成功しました1。これらの物質は、3GPaの圧力下で800°Cで加熱する高圧法で合成しました。ナノクラスタと半導体同位体工学を融合して得られた新しい同位体物質の構造を精密に決定するために、世界最高輝度のX線を発生させることができる大型放射光施設(SPring-8)の粉末結晶構造解析ビームライン(BL02B2)で構造解析を行いました。特に、シリコン同位体30Siと28Siがどのようにナノサイズ領域で結晶に組み込まれているかに関して、X線粉末解析法を適用して詳細に検討しました。図2のリートベルト解析の結果、得られた構造因子はどちらの物質とも、空間群Pm3nで、Ba828Si46に対してはa0=10.328Å、RP=4.12%、Ba830Si46に対してはa0=10.355Å、RP=5.89%が得られました。リートベルト解析の結果は、Si同位体元素は、正12面体のシリコンネットワークを形成していて、2つの同位体で色分けされた物質は、結晶学的には、どちらも同じ構造であることが分かりました。
この物質の超伝導機構を知るために、超伝導転移温度がSiの質量を変えることによってどう変化するかを調べる超伝導同位体効果の実験、比熱実験、同位体置換によるフォノンの変化を観測するためのラマン測定の実験を行いました。超伝導同位体効果の実験では、シリコンネットワークの同位体置換を28Siから30Siに行うことにより、図3に示すように、臨界温度の低下を明瞭に観測することができました。また、比熱の実験からデバイ温度は370K(約97°C)で、これは本物質系が共有結合結晶である事を反映していました。また同時に行った超伝導転移点における比熱の不連続性は、本物質系がフォノンを介在とするBCS理論*の範疇で解釈されるべき物質であることを示しました。さらに、超伝導転移後の低温領域の比熱の温度依存性から、s波の超伝導体であることが判明しました。超伝導同位体効果の実験とラマンで観測されたフォノンの周波数領域の情報から、本物質系が超伝導クーパー対を形成するための電子-格子相互作用、状態密度、電子-電子反発項の効果などの物理的パラメータを詳細に検討することができました。これらの情報を総合的に解釈すると、本物質系は物理変数がBCS機構の上限に位置している超伝導体であることが理解できました。

2種類のクラスタ超伝導体とSPring-8で測定された粉末X線回折像

新しいBCS超伝導体ファミリー
1990年代に発見された魅惑的なナノクラスタ超伝導体である、炭素C60系超伝導体とシリコンSi46超伝導体はどちらも、BCS機構に基づくことがわかりました。視覚的に表現すると図4のようになります。フェルミ粒子である電子がフォノンと相互作用することで、別空間にある2つの電子の間に斥力ではなく引力が働き、ボゾンである1重項の電子対が形成されます。このクーパー電子対が超伝導電子となり超伝導状態が発現すると理解されます。
本研究の意義は、超伝導同位体効果の実験により、20世紀に発見された2種類のナノクラスタ超伝導体が、BCS超伝導体であることを実験的に明確にした事にあります。今回の成果は、単に、Siクラスタやフラーレン分子を構成単位とする物質の超伝導の機構を明らかにしただけでなく、シリコン半導体デバイス中に、同じ構造であるが、同位体で色分けされ、異なる性質を持つクラスタ物質をナノスケールで配置する可能性を示すもので、将来シリコン量子コンピュータへもつながると言えます。
本研究は、科学技術振興事業団の戦略的創造研究推進事業の一環として行われました。また、SPring-8での実験は文部科学省のナノテクノロジー総合支援プロジェクトの支援を受けて粉末結晶構造解析ビームライン(BL02B2)で実施されました。本研究は、慶應大学清水智子氏、伊藤公平先生、大阪市立大学寺岡淳二先生、名古屋大学守友浩先生、広島大学山中昭司先生との共同研究です。また、比熱の解析に助言を頂いた東京工業大学阿竹徹先生に感謝致します。

用語解説
●アルカリ金属
周期律第1族元素で、Li, Na, K, Rb, Csなどの元素から構成される金属固体。
●ナノ領域のサイズ
ナノは、10-9である。nmサイズは、原子(0.1nm)と光微細加工技術(1μm)の間のサイズで、ナノ領域と呼ばれる。
●物理学者ファインマン
“ご冗談でしょうファインマンさん”などの著書で知られる著名な物理学者で1965年に量子電磁力学でノーベル物理学賞を受賞。
●ファンデルワールス結晶
分子間力(ファンデルワールス力)によってできる結晶で、不活性気体や閉殻構造を有する有機分子の結晶に多く見られる。
●BCS理論
超伝導は、フォノンを介在とした超伝導対電子の形成により生じる理論でBardeen-Cooper-Schrieferにより提唱されたことからBCS理論とよばれる。
参考文献 1) Tanigaki, K. et al., Nature Mater. 2, 653-655 (2003). |