大型放射光施設 SPring-8

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SPring-8で昆虫の飛翔進化の秘密を探る

昆虫が繁栄した理由とは

 「地球上でもっとも繁栄している生き物」とは何でしょう?さまざまな見方がありますが、こと生活圏の広さと種類の多さに着目すれば、あらゆる環境に様々な種類が生息している「昆虫」こそが、ずば抜けた成功を収めた生物と言えます。昆虫がここまで繁栄した理由のひとつは、飛ぶ能力を持ったためであると考えられています。
 実は昆虫の筋肉の構造(図1)は、ヒトの筋肉によく似ています。それにもかかわらず昆虫が自由自在に飛び回ることが出来る秘密は、昆虫の羽を動かしている「飛翔筋」が非常に精密な構造を持っていること、そしてその動作方式にあるのです。
 昆虫飛翔筋の動作方式は2種類あります(図2)。一つは「同期型」と呼ばれ、バッタのように大型で原始的な有翅(ゆうし)昆虫に見られます。この方式では神経の興奮(インパルス)一回ごとに飛翔筋が収縮弛緩を行い、羽ばたきが一回起こります。この方式の利点は大きく羽を動かせることですが、一方で羽ばたきの頻度は、毎秒100回程度が限界になってしまう欠点があります。
 従来は大型だった昆虫は、様々な生活環境に適応進化していく過程で、より小型化する必要に迫られました。小型化すると、同期型の限界を超えた高頻度の羽ばたきが必要になります。たとえばカは、毎秒500回も羽ばたいて飛んでいます。このため「同期型」とは異なる動作方式が生まれました。それが「非同期型」動作方式で、ハチやハエといった進化した昆虫に見られます。
 この「非同期型」方式では、飛翔筋を収縮状態に保ち、胸部外骨格との共鳴によって振動させることで高い羽ばたき頻度を実現します。この方式では筋肉の動きは小さくなりますが、少ないインパルス頻度で何回も羽ばたくことができます。この仕組みで筋の張力を正確にコントロールするには、筋節(図1)中のタンパク質が、筋節全体にわたって規則正しく並んでいる必要があると考えられます。実際、「非同期型」の飛翔筋の筋節を形作るタンパク質の並び方は、いわば「結晶的」な非常に規則性の高いものであることが、従来の研究から判っていました。
 (財)高輝度光科学研究センターの岩本裕之主幹研究員らのグループがまず取り組んだのは、この昆虫の飛翔筋が筋原繊維の全長にわたって結晶的な構造を持っているかどうかという問題でした。

図1 昆虫骨格筋(横紋筋)の構造

図1.

昆虫骨格筋(横紋筋)の構造筋肉は多数の筋細胞(筋線維、a)が集まってできている。この筋線維を拡大すると長さ2〜2.5マイクロメートルの筋節(サルコメア、b)という構造が多数集まってできている。1個の筋節の横断面では、ミオシンフィラメントとアクチンフィラメントという分子が六角格子の形に整列している(c)。

図2 昆虫飛翔筋の同期型(a)と非同期型(b)動作方式の違い

図2. 昆虫飛翔筋の同期型(a)と非同期型(b)動作方式の違い

昆虫の飛翔筋は巨大結晶

 X線が結晶格子によって回折される現象を利用して、物質の結晶構造を調べる手法をX線回折法といいます。従来の実験では、X線を筋細胞の長軸に垂直に当てていました。しかしこれでは、筋線維の垂直断面方向の結晶性しか知ることができません。昆虫の飛翔筋が筋原繊維の全長にわたって結晶性を持っているということを示すためには「筋線維の長軸方向でX線回折実験を行う」(エンドオン照射)という難しい実験をする必要がありました。
 この実験では筋細胞の中に多数存在する筋原繊維の一本だけに、針の穴を通すように精密に、強いX線マイクロビームを当てなければなりません。そこで、直径を2マイクロメートル程度に絞ったX線マイクロビームを筋細胞の長軸に平行に当てました(図3A)。これはSPring-8の輝度の高いX線(理研構造生物学ビームライン(BL45XU))を用いることで初めて可能になった実験です。
 このとき、もし飛翔筋の全長にわたって筋節が整列していれば、エンドオン照射によって得られるX線回折像は綺麗な六角格子状になりますが(図3B)、筋節が整列していない場合は同心円状のぼやけた回折像が得られることになります(図3C)。
 実験の結果は、驚くべきものとなりました。典型的な「非同期型」昆虫であるマルハナバチの1本の筋原繊維から得られたX線回折像は、筋節のタンパク質結晶の格子面が、筋節内だけでなく筋原繊維の全長(約3mm、筋節1000個分)にわたって整然と並んでいることを示していたのです。つまり、3mmもある筋原繊維全体が、1個の巨大タンパク質単結晶とみなせるわけです。タンパク質の研究者は人工的に結晶を作りますが、この大きさは通常1mm以下です。昆虫はこれよりはるかに巨大な、しかも働く結晶を持っているのです(SPring-8 News 2003年5月号参照)。

図3 昆虫飛翔筋細胞に対するエンドオン照射実験の模式図図3 昆虫飛翔筋細胞に対するエンドオン照射実験の模式図

図3. 昆虫飛翔筋細胞に対するエンドオン照射実験の模式図(説明は本文)。

昆虫の進化と飛翔筋の構造

 それでは、この巨大単結晶型の筋原繊維は、昆虫の進化の過程でどのようにしてできてきたのでしょう?岩本グループは、これを調べるためにSPring-8周辺の豊かな自然の中で、原始的なものから進化したものまで、なるべくたくさんの種類の昆虫を採取し、飛翔筋の筋原繊維のX線回折像を記録しました。また、これまでの実験では生の筋肉サンプルを使ったので、X線でサンプルが傷んだり、測定中に乾いたりしてしまうという問題がありました。そこで岩本裕之・井上勝晶・八木直人各研究員のグループは筋肉サンプルを急速凍結し、極低温(−199℃)で回折実験を行う手法を開発しました。そうすることによって、生の試料を用いた場合に比べて、さらに長時間の実験を行うことが可能になりました。そしてBL45XUの1000倍輝度の高いX線を発生できる高フラックスビームライン(BL40XU)を使うことで、より短時間の露光で回折像を記録することができるようになりました。
 この結果を示したのが図4です。「非同期型」であるハチ目、ハエ目、甲虫目、カメムシ目の回折像はいずれもきれいな六角格子状になり、筋原繊維が巨大単結晶型であることがわかります。「非同期型」の小型昆虫から進化したと考えられているカミキリムシの回折像も、きれいな六角格子状でした。調べた限り全ての「非同期型」昆虫が、巨大単結晶型の筋原繊維を持っていたのです。
 この一方、チョウ目やバッタ目など、多くの「同期型」の昆虫では、回折像はぼやけた同心円状に見え、格子面がそろっていないことが分かります。しかしカメムシ類と同じ目でありながら「同期型」のセミ科では、ぼやけた六角格子的な回折像が見えます。この昆虫は進化の途上にあるか、あるいは大型化にともなって「非同期型」の特徴を失いかけていると考えられます。
 また興味深いのは、有翅(ゆうし)昆虫で最も原始的と考えられているトンボ目のイトトンボ類が六角格子的な回折像を示していること、また「同期型」のチョウ目の中でも、空中に静止(ホバリング)しながら花の蜜を吸うという高度な飛翔能力を持っているスズメガ科のホシヒメホウジャクだけは、多数のスポット状の反射からなる回折像を示していることです。
 これらから、「非同期型」の飛翔筋動作をする昆虫は、巨大単結晶型の筋原繊維を持っていることがわかりました。しかし巨大単結晶型の筋原繊維を持たない「同期型」の昆虫でも、生活の中で飛ぶ能力が重要になっているものは、タンパク質配列に部分的な規則性を示しています。このことから推測されるのは、自然の精巧な仕組みです。つまり、進化の中である昆虫の種にとって飛ぶ能力が重要になった場合、飛翔筋の構造が、より飛ぶのに適した巨大単結晶型になっていくと考えられるのです。
 岩本グループは、SPring-8の設備と新たに生み出した技術を使って、昆虫が地球でもっとも成功した動物となった理由の一端を解明しました。昆虫が小型化していく際に、生体機能の効率を極限まで高めるために採用したシステムのひとつが「非同期型」飛翔筋であり、そのために筋肉を巨大結晶化したのだと考えられます。この自然の精緻な仕組みは、それ自体が驚くべきものであることはもちろん、今後ナノテクノロジーによってナノモーターなどの小型デバイスを設計していく時に、大いに参考になることでしょう。

図4 各種昆虫の飛翔筋から記録された筋原繊維のX線回折像

図4. 各種昆虫の飛翔筋から記録された筋原繊維のX線回折像。

名前の前に●が付いているものは「非同期型」の飛翔筋動作、■が付いているものは「同期型」の飛翔筋動作をする昆虫であることを示す。

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ


この記事は(財)高輝度光科学研究センター 主幹研究員 岩本裕之氏にインタビューをして構成しました。