大型放射光施設 SPring-8

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ナノテクノロジーで新しい“物質”をつくる

次々に生まれる新物質

 私たちは、身の回りの物質がもつ性質を便利に利用して暮らしています。逆の見方をすると、物質の性質が便利さを決めているともいえます。今後、新しい物質が発見されれば、私たちの生活は大きく変わるでしょう。そんな発見がナノスケール(ナノは10億分の1メートル)の世界では、今なお続いています。
 代表的な例をあげると、1985年にフラーレンという物質が発見されました(図1)。この新しい物質は、炭素原子が60個集まってサッカーボールのような形をしていることから、当時たいへん話題になりました。さらに、1991年には、筒状のカーボンナノチューブが見つかり、ナノテクノロジーの常識を変えました。そして、2008年1月、名古屋大学の北浦良准教授と篠原久典教授は、ナノスケールの金属ワイヤーの合成に成功しました。

図1. 炭素の同素体 図1. 炭素の同素体
炭素の同素体といえば、ダイヤモンドとグラファイト(黒鉛)であった。そこに、フラーレンとカーボンナノチューブが加わった。

最も小さな世界

 「東洋では、ナノ(10-9)のことを塵(じん)といいます。ナノテクノロジーはまさにチリの技術。しかも、これよりさらに小さい世界は原子の内部のことになります」と篠原教授。私たちがいるこの世界に直結している最小の単位がナノだということです。
 1959年に、アメリカのノーベル賞物理学者であるリチャード・ファインマンが、「この世界を小さいほうに向かっていくと限界があって、そこには、まだまだ研究の余地がある」と予言して以来、ナノテクノロジーの研究の歴史は始まりました。2000年にクリントン大統領が一般教書演説の中で、注目の技術として取り上げたことで、ナノテクノロジーは広く知られるようになりました。
 最近のナノ研究の進展は、80年代中頃からの、ナノ観察技術の進歩によるところが大きいとされます。例えば、鋭くとがった探針(プローブ)を物質の表面に近づけて、流れる電流から表面の原子レベルの構造がわかる「走査トンネル顕微鏡」は1982年に開発されました。また、微細構造を観察するための大型放射光施設SPring-8の建設構想がでてきたのも、1984年のことです。
 こうして、ナノ物質を扱えるようになり、今ではその特有の性質がさまざまに利用されています。例えば、フラーレンは、スポーツ用品のプラスチックの強度を増すために混ぜられています。また、球形構造が、紫外線で発生する肌に有害な物質を吸収することから、化粧品の成分になっています。
 一方、カーボンナノチューブは、気体を吸着するので、爆発性のある水素ガスを安全に運ぶ用途に大きな期待がかかっているほか、チューブの巻き方によって電気の通りやすさが大きく変化することを利用して、電子デバイスへの応用も期待されています(図2)。

図2. カーボンナノチューブの電子顕微鏡写真(左上)と特徴 図2. カーボンナノチューブの電子顕微鏡写真(左上)と特徴

金属ナノワイヤー

 注目のナノテクノロジー研究にあって、篠原教授らは今回、カーボンナノチューブを化学反応の反応炉として、金属ナノワイヤーを合成しました。
 カーボンナノチューブとフラーレンを混ぜて、500℃で加熱して2日間おくと、フラーレンはカーボンナノチューブの中に入り込みます(図3)。その様子が、サヤエンドウに似ていることから、peapod(ピーポッド)と呼ばれています。篠原教授は、ナノの世界で新しい物質をまた1つ見つけたいと、自分が力を入れて研究してきた金属内包フラーレン(金属原子が入ったフラーレン)とピーポッドで何か新しいことはできないかと考えたのです。
 ガドリニウム(Gd)という金属が1個入ったフラーレンを使ってピーポッドをつくり、それを1200℃の高温で処理しました。すると、フラーレンが壊れて、カーボンナノチューブの中でGdが見事に整列したのです。これは、カーボンナノチューブに被覆された金属ナノワイヤーがつくれることを意味しています。
 しかし、金属内包フラーレンを使ったこの方法では、金属の充填率が十分に高くないために、ワイヤーはカーボンナノチューブの中で、切れ切れになってしまいました。そこで、思い切って、フラーレンを使わずに、カーボンナノチューブとエルビウム(Er)の塩化物(ErCl3)を試験管に入れ、真空にして3日間、約800℃で加熱しました。電子顕微鏡で観察すると、ErCl3がカーボンナノチューブにびっしりと詰まってワイヤー状になっているらしいとわかりました(図4)。
 これが本当にErCl3であることを実証するために、X線分析を行う必要がありました。しかし、一般の研究室には、それだけのエネルギーを出せる装置はありません。そこで、北浦准教授と大学院生の小川大輔氏、今津直樹氏とをSPring-8に送り、高輝度光科学研究センターの中村哲也主幹研究員、産業技術総合研究所の斎藤毅研究チーム長らとの共同研究として、軟X線固体分光ビームライン(BL25SU)を使った実験をしました。その結果、Erに特徴的なX線の吸収が観察され、カーボンナノチューブの中に、ErCl3のワイヤーができていることが確認されました(図5)。

図3. フラーレンを取り込んだカーボンナノチューブ図3. カーボンナノチューブがフラーレンを取り込む。まるでサヤエンドウ(ピーポッド)のように見える。
図4. カーボンナノチューブ内にできるErCl3のナノワイヤー図4. カーボンナノチューブ内にできるErCl3のナノワイヤー
図5. SPring-8の軟X線固体分光ビームライン(BL25SU)を使った極高感度分光測定図5. SPring-8の軟X線固体分光ビームライン(BL25SU)を使った極高感度分光測定。Er特有の1409eVの吸収線がみられた。

究極のナノワイヤーを求めて

 「SPring-8の結果があったからこそ、その後の実験は自信をもって行うことができました」と篠原教授。
 ErCl3に続いて、臭化ニッケル(NiBr2)やユウロピウム(Eu)のナノワイヤーの合成にも成功。今では、原子1列でできた、これ以上細くできない究極の金属ナノワイヤーの合成も可能になっています。
 純粋な金属は酸素との反応性が高いために、簡単に酸化されてしまいます。それが、カーボンナノチューブという安定な物質に包まれていることで、こんなに細いナノワイヤーが空気中でも溶液中でも安定に存在できるのです。これは、ちょうど普通の銅線がビニールで被覆されているのと同じことで、超小型電子デバイスとして利用価値が高いと考えられます。
 「今、この物質は非常に注目され、世界が私たちの研究を追ってきています」と篠原教授。研究の過程では、ナノスケールの物質には、独自の安定構造があるということもわかり、こうした構造から生じる未知の特性を探っていくのも楽しみだと話します。ナノテクノロジーは、これからますます面白くなりそうです。

コラム セレンディピティの魅力

篠原教授

 高校にもよく講演に呼ばれるという篠原教授が、必ずする話があります。それは、ナノテクノロジーに関わる「セレンディピティ」の物語です。セレンディピティとは偶然の発見のこと。例えば、フラーレンは、宇宙空間にある炭素のクラスター(集合体)の合成実験中に、偶然できました。カーボンナノチューブも、フラーレン合成の際にできる副産物の中から、当時、NEC基礎研究所の特別主席研究員だった飯島澄男氏によって発見されました。「大発見は自分たちには縁がないと思って、科学に興味をもてなかった学生たちの目が輝きます」と篠原教授。もちろん、この幸運に恵まれるためには、途方もない努力と経験が必要です。飯島氏は、長年の電子顕微鏡観察の経験がありました。
 しかし、自分の研究について語る篠原教授を見ていると、途方もない努力も経験も、知りたいことに向かう楽しいプロセスなのだと感じられます。

文:池田亜希子 協力:サイテック・コミュニケーションズ


この記事は、名古屋大学大学院理学研究科物質理学専攻の篠原久典教授にインタビューをして構成しました。