大型放射光施設 SPring-8

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常識は覆される -液体中の横波音波の観測に成功

教科書の常識

 高校物理の教科書の「横波と縦波」の項に、次のような記述があります。「横波は固体中しか伝わらない。これは、液体や気体では媒質を横に少しずらしたとき、もとにもどそうとする力がはたらかないからである」 [注1]
 縦波・横波というと、よく耳にするのが地震のP波、S波でしょう。P波は進行方向に密度の変化が伝わる縦波で、S波は進行方向に垂直に揺れる横波です。地震波は普通、震源から上に向かって伝わるので、地表ではP波は縦揺れ、S波は横揺れとして感じられます。
 教科書には、さまざまな理論や実験結果に裏付けられた「常識」が書かれています。しかし、広島工業大学の細川伸也准教授はSPring-8を使って、この常識を覆す観測結果を得ることに成功しました。つまり、横波は液体中でも伝わり、媒質を横にずらしたとき元に戻す復元力が働くことがわかったのです。

あるけど見えない

 もともと物質の原子構造や電子状態を研究対象としてきた細川准教授が、液体を伝わる横波音波*1に興味を持ち始めたのは、2000年のことでした。米国アルゴンヌ国立研究所の放射光施設APSで、ある実験を行った細川准教授は、その解析データを眺めるうちに、縦波だけでは説明できない「何かがある」ことに気付きました。
 これが横波音波のせいではないかと考えた細川准教授は、すぐに理論研究者たちに意見を求めました。すると「横波音波はあるけど、実験では見つかりません。別の影響ではないでしょうか」とあっさり否定されたと言います。
 理論家の間では、30年以上も前から横波音波の存在は確実とされていました。液体中では、ナノメートルサイズ(10億分の1m程度)の「かご」状原子集団が固体的性質を持ち(図1)、そのため横波音波が存在できるというのです。しかし2つの理由から、実際には観測できないとも考えられていました。一つは横波音波の強度が非常に小さいから。もう一つは、横波には密度変化がないため、電子密度の変化を使って測定するX線実験では検出できないというものです。

図1. 液体中の「かご」状原子集団の概念図。

図1. 液体中の「かご」状原子集団の概念図。

丸は1個の原子を示す。青色部分の中心の原子(黄色)は、まわりを囲まれて身動きが取りづらい状態にあるため、固体的性質を示す。赤い波はX線の波の模式図。「かご」のサイズに近い波長のX線によって、詳しく調べることができる。

横波の証拠を発見

 しかし、細川准教授は自分のデータを見る目を信頼し、詳細な測定をすることにしました。2006年、SPring-8のビームラインBL35XUに設置されたX線非弾性散乱スペクトロメーター(図2)を使い、液体ガリウム(Ga)*2の音波を測定しました。
 その結果が図3のグラフです。真ん中の高い山の裾野をよく見てください。わずかにふくらんでいるのがわかるでしょうか。これが横波の影響なのです。パッと見ただけではなかなかわかりませんが、細川准教授はこのグラフだけでなく、APSで取得されたもっと精度の低いデータの解析結果からさえも「ふくらみ」を見つけ出したのです。そして詳しい解析により、横波音波は0.5ピコ秒(1ピコ秒は1兆分の1秒)間に0.5nm(ナノメートル:1nmは10億分の1m)だけ存在できることがわかりました。
 この成果を生み出すポイントとなった2つの装置があります。一つは、世界最高クラスのX線強度を誇るSPring-8です。この実験はノイズが多く、その影響を減らすのはどれだけ多くのX線を当てられるかにかかっています。細川准教授は「測定は3日にわたって行いましたが、1日目には『あるな』と気付きました。SPring-8さまさまです」と言います。
 もう一つは液体ガリウムを入れる容器です。ガリウムと全く反応しない人造サファイア容器(図4)は、ダイヤモンド工具などを使って自作しています。これは京都大学の田村剛三郎教授[注2]から引き継がれてきた世界で唯一の技術です。

図2. 全長20mにも及ぶ巨大なX線非弾性散乱スペクトロメーター。

図2. 全長20mにも及ぶ巨大なX線非弾性散乱スペクトロメーター。

世界で4つしかない同種の装置の中で、最も高いエネルギー分解能と最も強いX線強度を誇る。10mのアームは、空気でステージの上に浮かせて最大50°ほど向きを変えることができる。

図3. 液体ガリウムのX線非弾性散乱スペクトル(○)と理論曲線(赤線、青線)。

図3. 液体ガリウムのX線非弾性散乱スペクトル(○)と理論曲線(赤線、青線)。

赤い方のグラフには、理論から導かれた縦波音波成分(- - -)、横波音波成分(−・−・)、 準弾性散乱成分(・・・)が書かれ、3つを足したものが理論曲線(赤の実線)となる。 ○で形成された実験値と赤の理論曲線が見事に一致している。青い方は横波音波成分(−・−・)を抜いたもので、真ん中の山の裾野が実験と理論でわずかにずれている。

図4

図4. 人造サファイア容器、X線が当たる部分の液体ガリウムの厚みは50μm(マイクロメートル:1μmは100万分の1m)

苦闘はここから始まる

 このデータを得るのに相当な苦労を重ねてきましたが、実は細川准教授の苦闘はここからが本番でした。実験結果を裏付ける理論的な説明ができなければ科学としては不十分。しかも今回は、教科書に載るほどの常識を覆そうというのです。「世の中がこうだ、と思っていることに反論するのは本当に大変です」と細川准教授。
 2009年春に論文が受理されましたが、その後も実験結果と理論的裏付けへの疑問が相次ぎ、ずっとその対応に追われていました。そして半年ほど経過した今、ようやく目処がついてきたとのこと。液体中の横波音波の存在は、研究者の間で認められつつあるようです。
 ただ、この結果をもって教科書がすぐに書き換わるのかというと、それはまだでしょう。今後たくさんの実験によって、液体中に横波音波が存在する事実を積み重ねていくことで、いずれ新たな一文が書き加えられることになるのかもしれません。

どんどん「ムダ」なことをやる

 細川准教授は教育者として、月曜日から木曜日までみっちり1年生の物理などの講義を担当しています。「実験ができるのは金土日の3日間」と苦笑いしますが、不満を言うわけではなく、「与えられた環境でやりくりすることで結果は出る」と前向きに捉えています。
 また、研究者として「一見ムダだと思えることでもたくさんやるべきです。それをすることで、逆に研究の要領が良くなるのですから」と言います。この姿勢が、教科書の常識を覆す大発見につながったのかもしれません。「常識を少しずつひっくり返す」醍醐味は、これからも細川准教授の研究を支えていくことでしょう。

コラム:難しいものが好き?

コラム

 「趣味は物理です、なんていうのはいやですね」と語る細川准教授。休日にはジョギングをしたり、パズルを解いたりしています。もちろん家で何もせず休息をとることもあるそうです。体と頭を動かしてリフレッシュさせ、研究に取り組む準備を整えているのでしょう。
 はまっているのは推理小説。とくに内田康夫が好きで、その理由を「日本語が難しいから」と言います。しかも、「半分読んで犯人がわかってしまうような作品を書く作家のものは買わない」。どうやら趣味も仕事も、一筋縄ではいかずに最後までどきどきさせてくれるものに興味があるようです。

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ 吉戸智明

用語解説

*1 音波
 よく知られるのは人が音として認識する空中を伝わる波のことだが、ここでの意味は、気体、液体、固体に関わらず伝わる波の総称。

*2 ガリウム(Ga)
 元素番号31。金属ながら融点が29.8℃と低いのが特徴。実験は40℃で行った。

注1]高等学校「物理?」(数研出版)より引用。
注2]SPring-8 NEWS 35号の研究成果・トピックス「SPring-8で水銀が金属から絶縁体に変わる瞬間を観測」参照。


この記事は、広島工業大学工学部の細川伸也准教授にインタビューをして構成しました。