大型放射光施設 SPring-8

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昆虫の飛翔に迫る〜高速の羽ばたきを生み出す分子機構〜

小さな昆虫ほど速く羽ばたく

  現在、地球上には数百万種とも、数千万種ともいわれるほど、たくさんの種類の生物がくらしています。この約半分は昆虫です。昆虫が非常に多くの種類に分かれて進化した理由の1つは、飛翔能力にあります。昆虫は、小さな身体で自由自在に飛び回り、さまざまな環境に進出して、種類を増やしていくことができたと言われています。
  では、昆虫はどのように飛んでいるのでしょうか。昆虫は、胸部にある飛翔筋という筋肉を動かすことで羽ばたきますが、それには2種類の動作方式があります。1つは「同期型」とい って、神経の興奮と飛翔筋の動きが対応していて、1回の神経の興奮で、飛翔筋の収縮が1回生じます。この動作方式は、原始的で比較的大型の昆虫が採用しています。
  一方、小型の昆虫は、「同期型」よりも羽ばたき回数が多い「非同期型」で飛んでいます。昆虫が飛翔できるのは、体重で落下する力(重力)に対向する上向きの力(揚力)を羽ばたきでつくりだしているからです。ただし、揚力は体長の4乗に比例するため、小さな昆虫ほど飛翔に必要な揚力を得ることが難しく、同期型では飛ぶことができません。高輝度光科学研究センター主幹研究員の岩本裕之さんたちは、高精度なX線回折像を得られるSPring-8の長所を活かして、昆虫の飛翔筋に関する研究を行ってきました。X線回折像とは、結晶構造にX線を照射した場合に得られる斑点模様のことです(図1-1)。このX線回折像を使った研究により、岩本さんたちは「非同期型」の昆虫の飛翔筋を構成する線維が非常に規則正しい結晶構造を持っていることを突き止めました(図1-2、SPring-8 News 2007年1月号参照)。
  岩本さんたちはその後も、昆虫の飛翔筋の動作の仕組みを解明しようと、「非同期型」の昆虫に着目して研究を続けてきました。

図1-1.X線回折像のイメージ
図1-1.X線回折像のイメージ

試料が規則的な結晶構造をとっていると、斑点模様ができる。複雑な形の分子1つ1つをここではアヒルに見立てている。

図1-2.脊椎動物骨格筋(左)と昆虫飛翔筋(右、タガメ)のX線回折像
図1-2.脊椎動物骨格筋(左)と昆虫飛翔筋(右、タガメ)のX線回折像

脊椎動物骨格筋は規則性が低く、ぼやけた像しか得られない。一方、昆虫飛翔筋は規則性が高く、鮮明な像が得られ、精密な解析に適している。

「非同期型」の飛翔を生み出す「伸張による活性化」

  「非同期型」の昆虫の羽ばたきでは、頭部から腹部に走る飛翔筋(図2のDLM)と、背中側から脚側に走る飛翔筋(図2のDVM)の2つの飛翔筋がはたらいています。2つの飛翔筋は拮抗する動きをしており、例えばDVMが収縮すると、胸部の外骨格が変形して、DLMが引き伸ばされます(図2の上図)。
  このとき、引き伸ばされたDLMには、「伸張による活性化」という筋肉のもつ性質がはたらきます。「伸張による活性化」とは、筋肉を外から引っ張ると、強く反発して収縮しようとする性質です。「伸張による活性化」により、引き伸ばされたDLMはすぐに収縮します(図2の下図)。すると、再び外骨格が変形してDVMが引き伸ばされ、DVMに「伸張による活性化」がはたらきます。このように、「伸張による活性化」によって2つの飛翔筋が交互に収縮と伸張を繰り返し、昆虫は羽ばたくことができるのです。また、「非同期型」の昆虫の羽ばたきでは、1回の神経の興奮で、飛翔筋の収縮が複数回生じており、効率よく羽ばたきが行われています。
  では、「非同期型」の昆虫の羽ばたきを生み出している「伸張による活性化」は、どのような仕組みで起きるのでしょうか。多くの研究者がこの謎を追いかけてきましたが、その仕組みを十分に解明することはできませんでした。

図2.「非同期型」の昆虫の2つの飛翔筋の動き
図2.「非同期型」の昆虫の2つの飛翔筋の動き

背中側から脚側に走る飛翔筋(DVM)と、頭部から腹部に走る飛翔筋(DLM)が交互に収縮と伸張を繰り返し、羽を動かしている。

羽ばたいている昆虫を超高速カメラで撮影

  そこで、岩本さんたちは、「伸張による活性化」を引き起こすタンパク質分子を特定するため、「非同期型」の昆虫のマルハナバチの飛翔筋のX線回折像を記録・分析しました。まず、できる限り精密なX線回折像を得るため、実験にはSPring-8の中でも特に輝度の高いBL40XUビームラインを使いました。さらに、実験手法に3つの工夫を凝らしました。
  第一に、実際に飛翔筋が動いている様子を観察するために、昆虫体内から取り出した飛翔筋試料ではなく、X線ビームを生きているマルハナバチに照射して、飛翔筋の動いている様子をX線回折像に記録しました(表紙図)。
  第二に、2つの飛翔筋が協調して動くことで起こる「伸張による活性化」の仕組みを調べるため、2つの飛翔筋のX線回折像を同時に記録して解析しました。2つの飛翔筋の動きの同時記録は、世界初の手法です。
  第三に、毎秒120回というマルハナバチの羽ばたきを精密に記録するため、毎秒5000コマ(羽ばたき1回を40コマ)で記録できる超高速カメラ2台を正確に同期させて使用しました。そして、1台は2つの飛翔筋のX線回折像を、もう1台はマルハナバチの羽ばたきの様子を記録しました(図3)。この超高速カメラによるX線回折像の記録も、前例のない実験手法です。
  そして、このような新たな手法により、羽ばたいているマルハナバチの飛翔筋で生じているタンパク質分子の構造の変化、飛翔筋の長さや張力の変化などのたくさんの情報を記録することに成功しました。

表紙図のマルハナバチ
表紙図のマルハナバチ

生きているマルハナバチにX線ビームを照射して、飛翔筋のX線回折像を記録している様子

図3.マルハナバチの羽ばたきと飛翔筋のX線回折像を記録するシステムのイメージ
図3.マルハナバチの羽ばたきと飛翔筋のX線回折像を記録するシステムのイメージ

2台のカメラが同期されていて、カメラ1が飛翔筋のX線回折像を、カメラ2がマルハナバチの羽ばたきの様子を撮影する。

昆虫は、人間の筋肉の謎を解明するためのヒントをくれる

  岩本さんたちは、このX線回折像の中で、飛翔筋が伸びたときに「111」というスポットが明るく変化していることに着目し(図4)、「111」の変化を引き起こしている物質の変化が「伸張による活性化」を起こすきっかけになった、と考えました。
  「近年、昆虫の飛翔筋だけに存在する特殊なタンパクが発見され、昆虫の飛翔筋の『伸張による活性化』を引き起こしているタンパク質ではないか、という仮説が有力視されていました。しかし、今回の実験で記録したX線回折像を分析すると、特殊なタンパク質によって『111』のスポットに変化が生じたと考えるには矛盾がありました」、と岩本さんは言います。その後、岩本さんたちは分析を続け、脊椎動物のどの筋肉にも含まれ、力を生み出すタンパク質のミオシンが、同じく筋肉の普遍的なタンパク質のアクチンと結合してねじれるように変形したことで、「111」のスポットに変化が生じていることを突き止めました。これは、従来有力視されていた仮説を覆す成果です。
  さらに、今回の実験の知見は、より幅広い研究に活かせるのではないか、と岩本さんは考えています。「『伸張による活性化』は、わたしたち人間を含む脊椎動物の心臓の拍動などに関わっていると言われています。今回の成果から、昆虫の『伸張による活性化』の仕組みには、脊椎動物と共通する部分がありそうです。そこで、昆虫は、脊椎動物の筋肉を研究するためのモデル動物として利用できるかもしれません」、と岩本さんは語ってくれました。わたしたち脊椎動物の筋肉のさらなる解明には、昆虫の筋肉がヒントを与えてくれるのかもしれません。

図4.羽ばたいているマルハナバチの飛翔筋のX線回折像
図4.羽ばたいているマルハナバチの飛翔筋のX線回折像

DLMが引き伸ばされて「伸張による活性化」が生じる直前に、「111」スポットが明るく変化した。

コラム:自分で採集した昆虫で実験する

岩本裕之 主幹研究員
岩本裕之 主幹研究員

 SPring-8は、自然豊かな丘陵地帯のなかに設置されており、実験施設のすぐ近くでも、様々な鳥や虫の声が聞こえてきます。
 岩本さんたちはこれまでに、さまざまな種類の昆虫を使って飛翔筋に関する実験をしてきましたが、実験で使った昆虫は、自分たちで採集したものだそうです。
 「今回の実験で使ったマルハナバチも、自分で捕まえました。虫取り網なんて、いりませんよ。そっと近づいて、プラスチックケースをかぶせるだけで、簡単に捕まえられます」、とほほ笑む岩本さん。SPring-8の研究施設での実験とともに、昆虫採集を通じた自然との触れ合いも、岩本さんは楽しんでいるようです。

 

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ 土谷 佳峰


この記事は、高輝度光科学研究センター 利用研究促進部門の岩本裕之主幹研究員にインタビューして構成しました。