SPring-8 で元素と地球をつなぐ!~エアロゾル中の鉄(Fe)から“元素の循環”を覗く、分子地球化学~
SPring-8 で元素と地球をつなぐ!~エアロゾル中の鉄(Fe)から“元素の循環”を覗く、分子地球化学~
私たちが生きている地球は、今から約46億年前に誕生したと考えられています。太陽が形成されたのち、宇宙空間に漂っていた分子が集積して塵になり、さらに長い時間をかけて地球の核(コア)やその周りのマントル、そして地球の表面を覆う地殻ができました。続いて大気や海洋などができ、今のような地球に進化したのです。
東京大学大学院理学系研究科教授の高橋嘉夫さんは、原子・分子のレベルから地球上のマクロ現象を理解する分子地球化学の研究を続けています。地球自体を含め地球上にはありとあらゆる物質が存在します。ヒトや動物、昆虫、草花、建物やコンピューター…どれも形は違いますが全てにおいて共通していえるのが「元素の組み合わせからできている」ということです。元素の性質は一つひとつ異なりますが、分子と分子が結合し、また離れて他の分子と結合することで多様な物質や現象が生じます。つまり、地球上で起こる現象について知るためには、元素の状態を観察することが重要になってくるのです。
高橋さんは、分子地球化学の研究に、主にSPring-8のX線吸収微細構造法(
XAFS
)を用いています。XAFSとは、試料にX線を照射して吸収スペクトル*1を測定する方法で、注目する元素周囲の構造や化学的な状態を知ることができます。高橋さんの研究では、地球上の多種多様な物質が研究の対象になります。複数の化合物が混ざり合っていたり、水を含んだ固体試料も多く、また鉱物中の極めて微量な元素を見ることもあります。XAFSは構造(結晶、アモルファス状態)を問わず、様々な形態(固体、液体、気体)の材料を分析することが可能で、かつ高感度であることから、結晶構造を持たない微量元素や元素周辺の局所構造、固液界面*2の情報などを引き出すのに適しているのです。
元素の大きさから生物の必須元素と進化を探る
「地球上の生物の進化について理解するためには、元素の大きさ(原子半径*3)を知ることが不可欠です」と高橋さんは語ります。元素の周期表(図1)には元素記号と元素の重さの順に振られた原子番号が書かれ、陽イオン*4では表の下および左に行けば行くほどサイズが大きくなります。地球の核は厚さ2,900 kmのマントルで覆われていますが、そのマントル上部の主成分はかんらん石と呼ばれるケイ素(Si)やマグネシウム(Mg)に富んだ鉱物です。マントルにはマグネシウムより大きな元素は入れず、入れなかった元素はマントルの外にはじき出されマントルを覆う地殻を作りました(図2)。
さらに地殻ができた後に海ができました。海水には地殻中の元素が溶け込み、生物はそれを取り込んで進化したのですが、全ての元素を取り込んだわけではありません。「生物にとっては必要な元素と不要な元素が存在しました。海水中で生物は地殻を食べることはできなかったはずで、海水に溶けていた元素が生物の体内に取り込まれたのです。また海水に溶けにくい元素は、最終的に海底の堆積物に入りました。特に微量な元素が化学的に濃集(集まって濃度が上がること)する反応を起こす場合(図3)、存在が希少な元素(レアメタル)の資源となります」と高橋さんは説明します。「元素の性質を解明することで地球の生命史が理解できます。そのためには、天然試料中の元素の状態を調べることができるSPring-8での分析が不可欠なのです」。
セシウム(Cs)とヨウ素(I)を観察し、福島の土壌汚染についても解明
分子地球化学の研究は、地球の生命史のように長期スパンのものばかりではなく、今すぐ解明しなくてはならない環境問題などにも応用されています。福島第一原子力発電所の事故における土壌汚染に関する研究もその一つです。事故で放出された放射性物質の中で、特に放射性セシウム(Cs)とヨウ素(I)は、非常に水に溶けやすい元素です。これら元素は雨が降れば流され、地下深くまで浸透する可能性があり、農作物や地下水への影響が懸念されました。しかし、実際には地表に吸着したまま何年たっても動かないのです。高橋さんがその原因を探るためセシウムをXAFSで調べたところ、表層の土壌に含まれる粘土鉱物と直接結合することによりセシウムは土壌中に固定されることが分かりました(図4)。またヨウ素は土壌中の有機物と結合することで溶けにくくなることも分かりました。福島の土壌の表面5 cmを削ぎ取って除染する方法はまさにこうした研究の成果だったのです。
エアロゾル中の鉄(Fe)の化学種をSPring-8で観察
高橋さんの重要な研究テーマのひとつにエアロゾルがあります。エアロゾルとは大気中に浮遊する微粒子のことで、その大きさは、黄砂のような目に見えるものから半径0.01 μm(10万分の1 mm)程度の小さなものまで様々です。エアロゾルには、土壌粒子や海塩粒子などの自然起源のものだけでなく、工場の煙や自動車の排気ガスなどの気体が凝結して固体になった人為起源のものも多くあります。エアロゾル粒子は、偏西風などによって数百から数千キロメートルも流されますが、その過程で化学反応を起こして変質しながら大気中を浮遊し、地球の気候に大きな影響を与えることが知られています。
ここで高橋さんのエアロゾルに含まれる鉄(Fe)についての研究を紹介しましょう。北太平洋のHNLC海域*5の植物性プランクトンは“鉄欠乏症”にかかっています。そのような環境で、もし海水にプランクトンの栄養源である溶解性の鉄がエアロゾルを介してもたらされれば、プランクトンは増加するはずです。また、二酸化炭素の増加による地球温暖化が問題になっていますが、プランクトンが増えれば光合成によって二酸化炭素(CO2)吸収量は増加し、地球の寒冷化に影響を与えると考えられています。そのような中で、これまでエアロゾル中の鉄に関する研究は盛んに行われてきました。しかし、鉄の化学種*6まで見ることは少なく不明点も多かったと言います。そこで高橋さんは、中国や日本でエアロゾル試料を採取し、SPring-8の放射光を用いたXAFS法での鉄化学種や可溶性鉄の量、組成や濃度を分析したところ、鉄が人為的な影響で化学変化を受けた場合、鉄はより溶けやすい化学種になることを示しました。また、鉄には質量数の違いによって54Feと56Feなどの同位体*7がありますが、人為起源の鉄は必ず工場などにおける“燃焼”を経由するため、軽い同位体の方が気化しやすく、54Feが多くなると予想されていました。そこで、高橋さんらが太平洋上で採取したエアロゾル試料を分析したところ、鉄は主に燃焼後の反応によって生成される水酸化鉄の状態で存在し、溶解性が高く、また54Feが多いことが明確になりました。さらに、溶解性が高いのは、黄砂などが大気中を輸送される過程で工場などから出た硫酸等と反応したり、もともと人間が排出したエアロゾル中の鉄であるからだと判明したのです(図5)。
この研究結果を元に過去の記録と照らし合わせると、どれだけの鉄がもたらされれば海域のプランクトンが増え、気候に影響を及ぼすかが予測できるのです。
一方、こうして海にもたらされた鉄は、最終的には海洋中でマンガンなどと共に沈殿物を作り、海底に堆積します。この沈殿には、先ほど述べたとおりレアアースや白金などのレアメタルが濃集しています。濃集しているとはいえ白金などは極微量(ppmレベル)であるため、高橋さんはこれらの状態もSPring-8で進めている世界最高レベルの感度の蛍光分光検出器を用いたマイクロXRF-XAFS法で解明しています(装置写真は“コラム”中にある写真参照)。蛍光X線を分光するには、蛍光X線自体の発光点を小さくする必要があり、100 μm(0.1 mm)以下のビームが必須です。さらに1 μm(0.001 mm)程度のビームによって、不均質な天然物中の濃集点を探し、濃度の低い元素を検出するためには、蛍光分光マイクロXRF-XAFS法がとても役に立つのです。
人の役に立ち、好奇心を満たせる分子地球化学の発展を目指して
「エアロゾルの中に人為起源の鉄が入り、それが海洋にもたらされれば、植物性プランクトンが増え、CO2を吸って気候変動に影響を及ぼします。最終的に鉄はプランクトンなどに取り込まれて海底に堆積し、色々な元素を吸着して資源になります。さらにプレートと共に沈み込んでマグマになって山をつくり、黄砂となって再び飛んでいきます。このように、地球を舞台にした元素の循環と、それに伴う様々な現象の分子レベルの素過程がXAFSによって明らかにされていくのです(図6)」と高橋さんは強調します。
地球を原子・分子レベルから探ることで、生命史、気候の変化、資源、環境問題、元素の循環などの理解に繋がり、問題の解決や未来予測にも貢献できます。「分子地球化学は人の役に立ち、好奇心も満たすことができる、“いいとこ取り”のサイエンスなのです」という高橋さんの研究は、SPring-8とともにこれからも続いていくことでしょう。
*1 吸収スペクトル
物質が各波長のX線をどのくらい吸収するかを測定したもの。スペクトルを測定することで試料の性質を調べることができる。
*2 固液界面
固体と液体の層の境のこと。固液界面は重要な化学反応の場でもある。
*3 原子半径
原子の共有結合やイオン結合していない状態での原子核の中心から一番外側の電子までの距離。原子では、原子番号と同数の陽子を含む核の周りを、同数の電子が運動している。周期律表の同じ段では、右に行くほど原子番号が大きくなり、陽子の数も多い。陽子は正電荷を持ち電子を引きつけるので、陽子の数が多ければ電子はそれだけ強く原子核に引き寄せられる。そのため、同じ段の元素では右に行くほど電子の運動の半径は小さくなる。
*4 陽イオン
どの原子も単体では陽子の数と電子の数は同じで電気的に中性であるが、電子を放出してプラスの電気を帯びた原子を陽イオンという。陽イオンは種々の陰イオンと結合して溶解度などの性質が異なる化合物になる。
*5 HNLC海域
植物性プランクトン量が比較的少ない海域のことで、代表的なものに北太平洋亜寒帯域や東部太平洋赤道域、南極海などがある。
*6 化学種
物質をその化学的性質によって分類した種類のこと。
*7 同位体
原子は原子核と電子から構成され、原子核はさらに陽子と中性子に分けられる。同じ元素同士であれば陽子の数(原子番号)は同じだが、中性子の数(質量数-原子番号)は異なるものがあり、それを同位体という。
「学生さんには興味のある分野の基礎をしっかりと学んでほしいですね」と高橋さんは語ります。「大災害や地球温暖化など、何らかの現象が起こると、多くの場合現象から原因や解決策を探ろうとします。しかし、どんな現象にも普遍的な基礎があり、それが物理であり化学です。研究者の人生は40年あり、1つのテーマで研究者人生を全うすることは不可能です。でも、こうした基礎がしっかりしていれば、色々な分野に対応できるので、今扱っているテーマが終わっても、次の新しい研究分野に挑戦することが可能になります。それが研究者としての寿命を延ばすことにもなるのです」。高橋さんはもともと化学専攻でしたが、広島大学大学院での助手時代に地球惑星科学に転向しました。化学の基礎に助けられたことは多いと言います。「元素のニオイをかぎ、元素の機嫌をうかがう。SPring-8によって元素の意図が見えるのです」。ミクロからマクロをつなぐ高橋さんの分子地球化学の今後の研究が楽しみです。
共同研究者の柏原さん(海洋開発研究機構)(左)と高橋さん(右)。BL37XUで行っている蛍光分光マイクロXRF-XAFS法の実験装置の前にて。
文:ダリコーポレーション 大内 佳陽
この記事は、東京大学 大学院理学系研究科 高橋 嘉夫 教授にインタビューして構成しました。