大型放射光施設 SPring-8

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生活習慣病に関連するタンパク質複合体の結晶構造を世界で初めて決定-脂肪を体内に蓄える仕組みを制御する酵素の働きを可視化-(プレスリリース)

公開日
2008年03月27日
  • BL26B1(理研 構造ゲノムI)
独立行政法人理化学研究所は、生活習慣病に関連するタンパク質複合体の結晶構造を決定することに世界で初めて成功しました。理研放射光科学総合研究センタータンパク質結晶構造解析研究チームのバガウティン・バガウティノフ研究員および国島直樹上級研究員らによる研究成果で、文部科学省「タンパク3000プロジェクト」の一環として実施したものです。

平成20年3月27日
独立行政法人理化学研究所

本研究成果のポイント
 ○活性化した瞬間の複合体の結晶化に成功し、構造解析を実現
 ○解析困難なタンパク質の立体構造決定の新手法に
 
○肥満や糖尿病などの治療薬開発に新たな糸口をもたらす

 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、生活習慣病に関連するタンパク質複合体の結晶構造を決定することに世界で初めて成功しました。理研放射光科学総合研究センター(石川哲也センター長)タンパク質結晶構造解析研究チームのバガウティン・バガウティノフ研究員および国島直樹上級研究員らによる研究成果で、文部科学省「タンパク3000プロジェクト」の一環として実施したものです。
 生物は、体内で余ったエネルギーを脂肪(脂肪酸)として蓄え、生命活動の維持に必要な時にエネルギー源として利用しています。元来この仕組みは生物にとって必要不可欠なものですが、食糧事情の安定している人間では逆に肥満や糖尿病など生活習慣病を引き起こす原因となることがあります。過剰な食物摂取が原因の生活習慣病は、細胞による脂肪酸合成の最初の段階で必須な役割を担う酵素「アセチルCoAカルボキシラーゼ※1」の働きを制御することで、原理的には予防が可能です。具体的には、アセチルCoAカルボキシラーゼのBCCPと呼ばれる部分の活性化を薬によって制御します。そのような薬を開発するためには、この活性化を触媒するBPLと呼ばれる酵素とBCCPとの複合体の立体構造を決定する必要がありますが、この複合体は非常に不安定で、その構造解析はいまだ成功していません。
 研究チームは、2005年に古細菌※2由来のBPLの結晶構造を決定することに成功し、その立体構造情報をもとにBPLを部分的に改変した変異体タンパク質をいくつも作成し、古細菌由来BCCPとの複合体の結晶化を試しました。その結果、2種類のBPL変異体を使うと通常不安定なBPL-BCCP複合体が安定化して、結晶を得ることに成功しました。その後、理研の大型放射光施設SPring-8※3の放射光(理研構造ゲノムIビームラインBL26B1)を用いてこれらの結晶の構造決定を世界で初めて実現し、創薬の基盤となる貴重な構造情報を得ることとなりました。
 タンパク質の立体構造に基づく薬の設計が一般的になった今、タンパク質の立体構造決定の成否が治療薬開発成功の鍵を握っています。今回の変異導入によるタンパク質構造安定化法の成功により、今まで解析できなかった疾患関連タンパク質の構造解析に道が開けました。多くの治療困難な病気に対する安全で効能の高い治療薬設計が可能となり、その開発スピードが加速すると期待できます。
 本研究成果は、米国の科学雑誌『Journal of Biological Chemistry』に近く掲載予定です。

(論文)
"Protein Biotinylation Visualized by a Complex Structure of Biotin Protein Ligase with a Substrate"
Bagautdin Bagautdinov, Yoshinori Matsuura, Svetlana Bagautdinova, and Naoki Kunishima
Journal of Biological Chemistry, Vol. 283, Issue 21, 14739-14750, published online March 26, 2008

1.背 景
 生物は、体内で余ったエネルギーを脂肪(脂肪酸)として蓄え、生命活動の維持に必要な時にエネルギー源として利用しています。この仕組みは、常に飢えにさらされた野生生物では必要不可欠な安全装置となりますが、食糧事情が安定している人間では逆に肥満や糖尿病など生活習慣病を招く原因となることがあります。脂肪酸の生合成は、そのいくつかの段階で重要な役割を担う酵素「アセチルCoAカルボキシラーゼ」のBCCP(biotin carboxyl carrier protein)と呼ばれる部分の特定のアミノ酸残基に、ビオチンが化学的に結合して初めて動き出します(図1)。このBCCPのビオチン化は、すべての生物に共通してBPL(biotin protein ligase)と呼ばれる酵素が触媒します。従って、このBPLによるBCCPのビオチン化の仕組みを原子レベルで理解することができると、生活習慣病の治療薬開発に道が開けます(図2)。そのためには、BPLとBCCPの複合体の結晶構造を決定し、それぞれの機能を解析することが必要ですが、この複合体が不安定なために、これまで誰も結晶化に成功していませんでした。研究チームは、2005年に古細菌由来のBPLの結晶構造を決定することに成功し、それに引き続いて、BPLと古細菌由来のBCCPとの複合体の結晶化を試みていました。しかし、BPL-BCCP複合体が示す本質的な不安定性のため、従来行われてきた様々な方法では結晶化が困難でした(図3)。

2.研究手法と成果
 研究チームは、古細菌BPLの結晶構造を参考にして、BPLにおける基質※4の分子認識に関係するアミノ酸残基に部位特異的変異※5を導入したBPL変異体を8種類作成し、BCCPとの複合体の結晶化を試しました。その結果、2種類の変異体ではBPL-BCCP複合体の結晶化に世界で初めて成功しました(図3)。使用した変異体が酵素としての機能を本質的に保っていることは、反応中間体やビオチン化した活性型BCCPが正常に生成していることで確認しました。
 次に、大型放射光施設SPring-8の放射光(理研構造ゲノムIビームラインBL26B1)を用いて、BPL-BCCP複合体の構造決定を行いました。構造決定により、これらのBPL変異体では基質認識が野生型BPLにおけるそれよりも弱くなっていて、それが原因で通常不安定なはずのBCCPとの複合体を結果的に安定化していることがわかりました。また、驚いたことに、1つの結晶中でビオチン化が起きる前の状態とビオチン化後の状態の複合体を同時に観測することができました(図4)。最終的に、反応前後の3つの複合体構造と、複合体をつくる前の2つの構造を含む5つの異なる状態の結晶構造を得ました。
 BPLによるタンパク質のビオチン化は、特定のタンパク質の特定のアミノ酸残基だけを標的にするという選択性の非常に高い反応として注目されていますが、なぜそのようなことが可能なのか今まで不明でした。今回、複数の結晶構造を観測し、ビオチン化に至るまでに数多くの反応段階が存在することがわかりましたが、このことが高い選択性に大きく寄与していることが推測できました。さらに、複合体形成や反応に関わるアミノ酸残基が判明するなど、創薬の基盤となる貴重な構造情報を得ました。例えば、BPLのC末端ドメインと呼ばれる部分の構造が、観測された反応段階の間で大きく変化し、反応を制御する鍵となっていました。このC末端ドメインの構造を固定化する薬剤を設計すると、BCCPの活性化を効果的に制御することができるようになります(図4)。

3.今後の期待
 生命を担うタンパク質の機能を原子レベルで理解するには、その立体構造を原子レベルで決定することが不可欠です。X線結晶構造解析は、これまでタンパク質の原子レベルの立体構造を決定するための最も強力で一般的な方法の1つでした。しかし、これまでの構造ゲノミクス※6の結果から、耐熱性微生物由来のタンパク質でさえ、容易に結晶化できるものはゲノム全体の4割程度でしかないことがわかってきました。残り6割のタンパク質の結晶を得ることは、現在の技術では非常に困難です。超分子複合体※7膜タンパク質※8など、一般に難解析性タンパク質と呼ばれるものの多くは分子の性質に問題があり、良質の結晶が得られません。また、今回の例のように、タンパク質の機能に関わった本質的な不安定性がある場合もやはり結晶が得られません。
 一般的に変異の導入は、タンパク質の本来の機能を損なう可能性があり、構造解析の手段として変異体を利用することはできるだけ回避される傾向にあります。しかし、今回の成功例のように、変異の導入によって初めて構造解析が可能になる場合もあり、この手法が使えるケースはほかにも多くあると予想されます。今回決定した結晶構造は、変異体を含む試料タンパク質と異なる結晶化条件の組み合わせで、約30種類にものぼります。これら様々な結晶構造を比較検討することでBPLタンパク質の本来の機能に迫ることができました。研究チームは、この成功例を解析困難なタンパク質の構造解析のための技術開発につなげていきます。また、今回の研究成果をもとに、肥満や糖尿病などの治療薬開発のための候補化合物探索や、ビオチン標識を利用したタンパク質工学的技術※9の開発などを進めていきます。

《参考資料》

図1 BPLによるBCCPの活性化図1 BPLによるBCCPの活性化
図2 BCCPの活性化制御による生活習慣病の予防図2 BCCPの活性化制御による生活習慣病の予防
図3 変異導入によるBPL-BCCP複合体の可視化図3 変異導入によるBPL-BCCP複合体の可視化
 (1) ~(4)は野生型BPLの反応機構を模式的に表現したもので、括弧付きの状態は不安定なため通常の結晶構造解析の方法では構造決定できない。BPLは半円 状の物体として描いてあり、活性部位を星印で、今回変異導入を試みたアミノ酸残基を丸印で表してある。共有結合を太い実線、遷移状態の相互作用を太い点 線、非共有結合性の相互作用を細い点線で示す。(2)、(4)には反応中間体であるbiotinyl-5’-AMPが、(3)には遷移状態中間体が結合し ている。
 (a) ~(e)はBPL変異体を用いて今回構造決定に成功したすべての状態を模式的に表現したもので、変異導入した残基を黒い丸印で示す。ATPモデル中の点線 は、変異導入により非共有結合性相互作用が減少し、ATP構造の自由度が部分的に増したことを表している。変異体の結晶中では基質自体が非反応性の反応中 間体アナログとして働き、通常不安定なはずのBCCPとの複合体を結果的に安定化したと考えられる。(a)、(b)はそれぞれ野生型の(1)、(2)に、 (c)、(d)は(2)と(3)の中間状態に、(e)は(3)と(4)の中間状態に対応する。(b)や(e)が観測されることから、使用した変異体は酵素 としての機能を本質的に保っていることがわかる。
図4 BPL-BCCP複合体の結晶構造図4 BPL-BCCP複合体の結晶構造
BPL は2量体であり、図では緑と青のモデルで示してある。今回決定した結晶構造では、BPLのそれぞれの分子にBCCPが1個ずつ計2個(図ではマゼンタと黄 色のモデル)結合して2:2の複合体を形成していた。さらに、右の複合体(青と黄色のモデル)ではビオチン化が起きる前の状態が、左の複合体(緑とマゼン タのモデル)ではビオチン化後の状態の複合体構造が観測された。反応前後に複数の段階が存在することは、BPLによるタンパク質のビオチン化の高い選択性 に関連していると考えられる。また、点線で囲んだBPLのC末端ドメインと呼ばれる部分の構造が、これらの反応段階の間で大きく変化し、反応を制御する鍵 となっている。例えば、このC末端ドメインの構造を固定化する薬剤を設計すれば、BCCPの活性化を効果的に制御できると考えられる。

《用語解説》
※1 アセチルCoAカルボキシラーゼ
 ビタミンの1種であるビオチンを化学的に結合することで活性化する「ビオチン依存性カルボキシラーゼ」と呼ばれる酵素の1種。4種類のサブユニットあるい はドメインから成る分子量45万の大型タンパク質。クエン酸による調節を受け巨大な繊維状ポリマーになることでさらに活性化される。アセチルCoAカルボ キシラーゼは、脂肪酸の生合成の最初の段階でアセチルCoAへ炭酸を付加し、マロニルCoAを産生する。この反応は数段階の素反応を含む複雑な反応であ り、地球温暖化問題を解決する切り札として注目されている炭酸固定反応でもある。この酵素の遺伝子を破壊した変異体マウスは食物の過剰摂取による肥満がな く、筋肉が発達して健康で寿命も平均的という実験結果が報告されており、生活習慣病治療のためのターゲットタンパク質として注目されている。

※2 古細菌
 ヒトを含む真核生物、バクテリアなどの原核生物と並ぶ、生物の第3のグループ。温泉の源泉など、通常の生物では生体物質が熱で変性してしまうために生きら れないような環境を好んで生息する。これらから抽出したタンパク質は熱に強く、実験を行う上で都合がよいため、タンパク質研究によく用いられる。今回の研 究対象タンパク質であるBCCPおよびBPLは、ヒトと古細菌の間でアミノ酸配列がよく似ているため、モデル生物として古細菌を用いてビオチン化の仕組み を解明することは、ヒトにおけるそれを明らかにすることと直結していると言える。

※3 大型放射光施設SPring-8
 理化学研究所が所有する、兵庫県播磨科学公園都市にある大型共同利用施設。ほぼ光速で進む電子が、その進行方向を磁石などによって変えられると接線方向に 電磁波が発生する。これが「放射光(シンクロトロン放射)」と呼ばれるものであり、電子のエネルギーが高く、進行方向の変化が大きいほど、X線などの短い 波長の光を含むようになる。特に第3世代の大型放射光施設と呼ばれるものには、理研のSPring-8、APS(アメリカ)、ESRF(フランス)の3つ がある。SPring-8(電子の加速エネルギー:80億電子ボルト)の場合、遠赤外から可視光線、真空紫外、軟X線を経て硬X線に至る幅広い波長域で放 射光を得ることができる。国内外の研究者の共同利用施設として、物質科学・地球科学・生命科学・環境科学・産業利用などの幅広い分野で利用されている。年 間の利用者は、11,000人にものぼる。

※4 基質
 酵素の触媒する反応の原料となる物質を一般的に基質と呼ぶ。BPLの触媒するBCCPタンパク質のビオチン化反応では、ATP(アデノシン3リン酸)・ビ オチン・BCCPの3種類の基質がある。今回注目したのはこのうちのATPで、その分子認識に関与するBPLのアミノ酸残基に部位特異的変異を導入した。

※5 部位特異的変異
 遺伝子操作により、目的タンパク質の特定のアミノ酸残基を任意の別の種類のアミノ酸に置換することができる。この技術でタンパク質に導入した突然変異を部位特異的変異という。

※6 構造ゲノミクス
 タンパク質の立体構造は、生物を原子レベルで理解するために不可欠な情報である。生物の全遺伝子(ゲノム)を多種類の生物について解読するゲノミクスが実 現した後、それらのゲノムがコードするタンパク質の立体構造を網羅的に決定し、立体構造に基づく研究開発の基盤として役立てようとする大規模な研究プログ ラムが世界的に進められている。この学問分野を構造ゲノミクスという。日本では2007年3月までの5年間「タンパク3000プロジェクト」と呼ばれる国 家プロジェクトが実施され、多数の構造決定が行われるとともに、効率的な構造解析のためのインフラが整備された。研究チームでは、このタンパク3000プ ロジェクトにおいて結晶構造を139種類(PDB登録304件)決定し、これらの立体構造を比較してタンパク質の構造機能の相関関係を体系的に解明する研 究を展開した。また同プロジェクトにおいて、タンパク質自動結晶化システムや構造解析支援ソフトウェアなどの効率的な構造解析基盤を確立した。現在、それ らの成果をXFELプロジェクトや統合データベースプロジェクトの推進に活用する一方、難解析性タンパク質の構造決定を促進するため、タンパク3000プ ロジェクトで開発された要素技術を発展させ、変異導入による結晶改善技術やゼオライトによる結晶化制御技術の開発を進めている。

※7 超分子複合体
 多種類のタンパク質が会合して巨大な複合体をつくることで、初めて機能を発揮するタンパク質複合体のこと。プロトンポンプや