大型放射光施設 SPring-8

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エックス線照射による有機絶縁体の金属化に成功ー遠赤外光学反射スペクトル測定により検証ー(プレスリリース)

公開日
2008年11月25日
  • BL43IR(赤外物性)
 東北大学金属材料研究所の佐々木孝彦准教授らと、財団法人高輝度光科学研究センターの池本夕佳副主幹研究員らの共同研究グループは、エックス線を有機物絶縁体にあてるという簡単な手法によって、電気が流れない絶縁体を、電気を流すことが出来る金属に変化させることに成功し、大型放射光施設SPring-8を用いてその機構を初めて明らかにしました。この結果は、有機物でできた絶縁体にエックス線を照射することによって金属的な良く電気を運ぶキャリアを発見したものです。

平成20年11月25日
国立大学法人 東北大学金属材料研究所
財団法人 高輝度光科学研究センター

 東北大学(総長 井上明久)金属材料研究所(所長 中嶋一雄)の佐々木孝彦准教授らと、財団法人高輝度光科学研究センター(理事長 吉良爽)の池本夕佳副主幹研究員らの共同研究グループは、エックス線を有機物絶縁体にあてるという簡単な手法によって、電気が流れない絶縁体を、電気を流すことが出来る金属に変化させることに成功し、大型放射光施設SPring-8※1を用いてその機構を初めて明らかにしました。この結果は、有機物でできた絶縁体にエックス線を照射することによって金属的な良く電気を運ぶキャリア※2を発見したものです。
 強相関電子系※3と呼ばれる物質群のひとつである今回使用した有機物絶縁体は、やわらかくて軽いという特徴を活かし、シリコン半導体に代わる次世代の半導体材料として発展が期待されています。今回発見したエックス線照射効果は、このような有機物絶縁体を利用した有機トランジスター※4の性質をコントロールしたり、製造や加工用の道具として、応用することができます。
 今回の発見は、有機物の中をどのように電気が流れるかを解明する基礎的な研究を進展させただけではなく、有機半導体エレクトロニクスの発展にも寄与するものです。
 本研究は、文部科学省(No. 16076201)および日本学術振興会(No. 17340099、 No. 18654056、 No. 20340085)による科学研究費補助金の助成を受け、SPring-8の利用研究課題2007B1150、2008A1121で行われました。
 今回の研究成果は、米国物理学会発行の英文学術雑誌「Physical Review Letters」のオンライン版で11月24日に公開されました。

(論文)
"Optical Probe of Carrier Doping by X-Ray Irradiation in the Organic Dimer Mott Insulator κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Cl"
(日本語訳:有機ダイマーモット絶縁体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clへのエックス線照射によるキャリアドープの光学的検証)
T. Sasaki, N. Yoneyama, Y. Nakamura, N. Kobayashi, Y. Ikemoto, T. Moriwaki, and H. Kimura
Physical Review Letters 101 (20), 206403 (2008), published online 14 November 2008.

《研究の背景》
 現在、次世代エレクトロニクス材料を開拓することを目的として、強相関電子系と呼ばれる物質群、たとえば遷移金属酸化物や有機物質の研究が進められています。強相関電子系物質では、相互に強く影響を及ぼしあった電子の集団が、電気、磁気、光学的に大きな応答性、たとえば超伝導や金属-絶縁体転移などを示します。これらの現象の解明、開拓は、これまでの概念にはない新しい電子デバイス材料の創製に結びつくものとして、基礎、応用研究が推進されています。このような次世代材料の候補として有機モット絶縁体※5があります。モット絶縁体は、個々の電子が動こうとする力に比べて電子同士が強く反発しあうことによって格子状に整列し全体として動けなくなることで電気的に絶縁体である物質です。このモット絶縁体に動けるキャリアを少数だけ注入する(ドーピング)ことで、整列して動けなくなっていた電子が動けるようになり金属的な電気伝導を生じさせることができます(モット絶縁体-金属転移)。遷移金属酸化物などの無機材料では、異なる原子によって部分的に置換することでキャリアを注入することができますが、有機材料、特に有機モット絶縁体である電荷移動錯体では分子の部分的な置換によるキャリアのドーピングはこれまで難しく、人為的な制御を行うことができませんでした。最近、BEDT-TTF分子※6で構成された有機モット絶縁体であるκ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Cl(図1:結晶構造)という物質にエックス線を照射することで、電気抵抗が大きく減少することが発見されました。この現象は、エックス線照射によって結晶中に分子欠陥が生じることで分子置換と同様なキャリアドーピングが生じた結果、モット絶縁体状態が金属化し電気抵抗の大きな減少が生じたものと考えられていました。しかし、エックス線照射による抵抗減少のメカニズムやドープされたキャリアの性質などの詳細は不明のままでした。

《研究内容と成果》
 今回、佐々木孝彦、米山直樹、中村瑛子、小林典男(東北大学金属材料研究所)、池本夕佳、森脇太郎、木村洋昭((財)高輝度光科学研究センター)らは、エックス線の照射量を系統的に変化させた有機モット絶縁体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clの光学反射スペクトル※7を詳細に測定し、エックス線照射により確かに金属的に振舞う電子の存在を確かめることに成功しました。特に大型放射光施設SPring-8(赤外物性ビームラインBL43IR)の高輝度放射光を利用した微小な測定面積での遠赤外光領域※8における光学反射スペクトル測定を行うことによって、絶縁体状態では動けなくなっていた電子が、エックス線の照射により電気を流すことができる動ける電子に変わっていく様子を光学的に検証することに成功しました。エックス線の照射量を増やすことで、電気抵抗は大きく減少し(図2:エックス線照射前後の電気抵抗の温度変化)、同時に光のエネルギー(波数)の小さい領域(遠赤外光領域)での光の反射率が大きく増加しています(図3:光学反射率のエックス線照射量による変化)。一般に、電気をよく流すことのできる自由に動ける金属的な性質を持つ電子は、遠赤外光領域の光に対して高い光学反射率を示します。今回の研究結果は、エックス線照射によってできた電気抵抗の低い状態では、確かに金属的な電子が存在することを示しています。これは、エックス線照射によってわずかに形成された分子欠陥が誘起するキャリアによってモット絶縁体状態が壊れ、動けなかった電子全体が動けるようになり金属化したことを示しています。少数のキャリアドープによって多くの動けるキャリアができる点が、強相関電子系の特徴を大きく反映しており、ドープしたキャリアだけが動くことができるシリコンなどの無機半導体とはまったく異なります。今後、より詳細な結晶構造の変化の研究を行い、エックス線照射によってどのように分子欠陥が形成され少数のキャリアが誘起されるかを調べる予定です。

《今後の展開》
 
今回の研究成果により、強相関電子系材料である有機モット絶縁体にエックス線照射という簡便な手法で、キャリアドーピングを行うことができることを確かめることができました。将来、有機物を機能性電子材料として利用するためには、現在のシリコン半導体で行われているように、キャリアのドープ量を正確にコントロールする技術が必要になります。エックス線照射では、照射時間や強度を変化させることでドープするキャリア量を容易にコントロールすることができます。また照射するエックス線ビームを細くして、照射位置を連続的に変えることによって有機モット絶縁体基板上に電気配線を描画し回路を作製することも可能です。将来、有機物でできたトランジスターやダイオードといった電子機能素子や回路を有機材料の上に作り上げていく時の描画、加工ツールとして応用できる可能性も期待できます。


《参考資料》

図1:有機モット絶縁体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clの結晶構造 図1:有機モット絶縁体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clの結晶構造
この有機物はBEDT-TTF分子で構成された電気伝導を担う層とCu[N(CN)2]Clによる絶縁的な層が交互に積み重なった層状の構造をしています。エックス線を照射する前は、BEDT-TTF層の電子も動けない状態(絶縁体)でいますが、エックス線を照射すると動けるようになります。(電気が流れる金属状態)


図2:エックス線照射によって変化する電気抵抗 図2:エックス線照射によって変化する電気抵抗
エックス線を照射すると電気抵抗が大きく減少します。照射後の電気抵抗は、照射前の値に比べて室温では40%程度、低温では3桁以上の大きな減少を示します。(グラフの縦軸(電気抵抗率)は対数で表示されています。)


図3:エックス線照射によって変化する光学反射スペクトル 図3:エックス線照射によって変化する光学反射スペクトル
エックス線を照射すると図2のように電気抵抗が減少するのと同時に遠赤外光領域(低波数領域)の反射率が大きく増加します。この光学反射率の増加は動くことができる金属的な電子(電気を運ぶことができる電子)が確かに作られたことを示しています。


《用語解説》

※1.大型放射光施設SPring-8
 独立行政法人理化学研究所が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す施設で、その管理運営は財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。 SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。SPring-8は日本の先端科学・技術を支える高度先端科学施設として、日本国内外の大学・研究所・企業から年間延べ1万4千人以上の研究者に利用されています。

※2.キャリア
 物質の中を電気が流れるときには、電気を運ぶ粒子が必要です。この粒子のことをキャリア(運び屋)と呼びます。キャリアにはマイナスの電荷を運ぶ電子やプラスの電荷を運ぶホール(電子の抜けた穴)などがあります。

※3.強相関電子系
 物質中の電子は、強い反発力を互いに感じながら(相互作用といいます)、動き回っています。通常の金属ではこの相互作用が弱く、電気抵抗などの性質にはあまり影響を与えません。しかし、銅や鉄などの遷移金属やセリウムなどの希土類金属を含むある種の無機化合物や分子でできた有機物質では、電子同士の強い反発力がその物質の性質に大きく反映し、いろいろな特徴的な性質を生み出します。これらの強く相互作用しあう電子を有する物質を強相関電子系といいます。銅酸化物による高温超伝導体などがその典型的な例で、現在の物性物理学研究における中心テーマのひとつになっています。また、特異な電気的性質を利用して、現在のシリコン半導体トランジスターの性能を凌駕するような将来の機能性電子素子の材料への応用が期待されています。

※4.有機トランジスター
 有機物分子でできた結晶や薄膜を材料として、その上に電極構造を作製してトランジスターにしたものです。やわらかくて軽いという特徴を活かして、これまでのシリコン半導体トランジスターとは異なる用途、たとえば曲がる大面積ディスプレーなどへの応用を目指した研究なども進められています。

※5.有機モット絶縁体
 モット絶縁体は、強相関電子系物質※3のひとつで、物質中の個々の電子が動こうとする力に比べて電子同士が強く反発しあうことによって格子状に整列し全体として動けなくなることで電気的に絶縁体である物質です。今回使用した有機物質(κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Cl)は有機分子でできたモット絶縁体です。

※6.BEDT-TTF分子
 炭素、硫黄、水素からなる平板状の分子。(図1参照) 多くの金属的な電気伝導や超伝導を示す有機物質の主要構成分子のひとつです。

※7.光学反射スペクトル
 物質の表面にいろいろな波長(波数は波長の逆数)の光をあてたときに、入射した光と反射して帰ってくる光の強度の比(反射率)を波長の関数としてあらわしたものです。入射する光の波長によって、物質中の電子の性質や、原子や分子が振動している様子を知ることができます。

※8.遠赤外光領域
 赤外光は目に見える可視光線の赤色よりも波長が長く(波数が小さい、またはエネルギーが低い)、電波よりも波長の短い電磁波で、人の目では見ることのできない光です。波長の短い方から、近赤外、中赤外、遠赤外に分けられ、遠赤外光はおよそ4マイクロメーターから1ミリメーターの波長を持つ光です。金属中の自由に動き回れる電子は、この遠赤外領域の光によく反応し(ドルーデ応答という)、高い光学反射率を示します。この領域の光に対する応答(光の反射)を調べることで、物質の中の電子の性質がわかります。


(問い合わせ先)
 国立大学法人東北大学金属材料研究所低温物理学研究部門
 准教授 佐々木 孝彦(ササキ タカヒコ)
  住所:宮城県仙台市青葉区片平2-1-1
  TEL:022-215-2027 FAX:022-215-2026
  E-mail:

 財団法人高輝度光科学研究センター 利用研究促進部門
 副主幹研究員 池本 夕佳(イケモト ユカ)
 住所:兵庫県佐用郡佐用町光都1丁目1-1
   TEL:0791-58-0832 FAX:0791-58-0830
   E-mail:

(SPring-8に関すること)
 財団法人高輝度光科学研究センター 広報室
   TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
   E-mail:kouhou@spring8.or.jp