大型放射光施設 SPring-8

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昆虫の羽ばたきを起こす筋肉内の分子変化の精密測定に成功(プレスリリース)

公開日
2017年02月08日
  • BL40XU(高フラックス)

2017年2月8日
公益財団法人 高輝度光科学研究センター

 公益財団法人 高輝度光科学研究センター(JASRI)利用研究促進部門 コーディネーター岩本裕之は、SPring-8の強力なX線と高速X線回折像記録法の組み合わせにより、昆虫の速い羽ばたきの毎回のストロークを開始させる速い分子現象を精密に捉えることに成功しました。

 昆虫は小さいほど羽ばたきの周波数が高く、蚊の場合は1秒間に500回も羽ばたきます。このような速い羽ばたきができるのは、昆虫の飛翔筋(羽を動かす筋肉)がもつ「伸張による活性化」という性質のお陰です。これは、飛翔筋が外から引っ張られると、即座に大きな力を出して引っ張り返す性質のことです。
 今回、SPring-8の強力なX線を用い、飛翔筋が引っ張られたときに最初に起こる速い分子現象を精密に捉えることに成功しました。この分子現象が、生きて羽ばたいているハチの飛翔筋内で起こっていることは既に明らかにしていました(2013年プレス発表)。今回はハチから取り出した筋細胞をわずか1ミリ秒の間に急速に伸張させることにより、その分子現象がほかの細胞内の構造変化より遥かに早く、伸張とほぼ同時に起こることを明らかにしました。これは上記の分子現象が、2013年の発表で予想したとおり、伸張による活性化の引き金であるという考えを強く裏付けるものです。
 この成果は、他の生物では不可能な昆虫の高速羽ばたきの仕組みを理解するうえで極めて重要なステップであると同時に、昆虫に類似した伸張による活性化の機構を利用しているといわれるヒトの心筋の働きなど、筋肉一般の収縮機構の理解に大きく役立つものと考えられます。

 今回の研究成果は、JASRIの岩本裕之コーディネーターの研究によるもので、2017年2月8日に英国科学雑誌 「Scientific Reports」にオンライン記事として掲載されます。
 本研究は、日本学術振興会(No. 26440185)による科学研究費補助金の助成を受け、SPring-8の利用研究課題として行われました。

論文
タイトル:The earliest molecular response to stretch of insect flight muscle as revealed by fast X-ray diffraction recording
著者:Hiroyuki Iwamoto
雑誌Scientific Reports
DOI10.1038/srep42272
オンライン掲載日:2017年2月8日

研究の背景
 進化した昆虫(ハチ、ハエ、蚊、甲虫など)は非常に速く羽ばたくことができ、蚊の場合は1秒間に500回も羽ばたきます。脊椎動物の筋肉は1回の神経指令により1回収縮しますが、これと同じやり方で1秒間に500回も羽ばたくのは不可能です。そこで、進化した昆虫では飛翔筋(羽を動かす筋肉)が収縮したまま自励振動※1を行なうことで高い羽ばたき周波数を実現しています。この自励振動は、飛翔筋の「伸張による活性化」(筋肉を外から引っ張ると大きな力を出して引っ張り返す性質)という機能によって起こされます。その詳細は前回のプレス発表記事に解説しています(2013年8月26日付)。
 前回、大型放射光施設SPring-8※2の中でも、他の標準的なビームラインより1000倍明るいBL40XUビームラインのX線を羽ばたいているマルハナバチの胸部に当てて生じるX線回折像を世界最高速の毎秒5000コマの速さでムービーとして記録することに成功しました。その結果、飛翔筋が引き伸ばされるタイミングで”111”と呼ばれる反射が強くなることが分かり、これが「伸張による活性化」の引き金になる構造変化を反映している可能性が高いと考えられました。モデル計算の結果、111反射の増強は、収縮蛋白ミオシンがもう一つの収縮蛋白アクチンに結合したままねじれるような変形をすることで説明できることが分かりました(詳細は前回プレス発表記事参照:超高速X線ムービー撮影により昆虫の羽ばたき機構を解明)。

研究内容と成果
 今回の成果は、マルハナバチの体内から取り出した筋細胞から外側の細胞膜を除去した試料を測定に用いました(図1、脱膜標本という)。脱膜標本を使うことで、標本の長さや、収縮タンパク質のまわりの溶液条件を自由にコントロールすることができます。
 この脱膜標本に、高速のサーボモーターを用いて、わずか1ミリ秒の間に振幅1-2%の急速伸張を加えると、これに遅れて「伸張による活性化」の張力が発生します。そしてX線回折像を高速ムービーの形で記録することで、このときの標本内部のタンパク質の構造変化を解析しました。今回の撮影速度は毎秒2000コマ(前回5000コマ)ですが、ハチが羽ばたいているときの筋肉の温度(42 ℃)に比べて低い20 ℃で測定したため、十分な時間分解能が得られます。実際に得られたX線ムービーの1コマを図2に示します。
 「伸張による活性化」の張力発生の時定数※3は7ミリ秒くらい、また張力発生に伴って起こることが分かっている反射強度変化の時定数も同じ程度でした。それに対して、111反射の変化はずっと速く、ほぼ伸張と同時に起こり、そのあと急速に減衰することが分かりました(図3矢印、時定数:0.5ミリ秒)。しかもこれは脱膜標本が活性化されたときしか起こらないので、収縮タンパク質の伸張による単純な受動的変形を反映しているのではないことが分かります。脱膜標本の活性化は溶液のカルシウムイオン濃度を上げることで行いますが、111反射の変化の大きさはカルシウムイオン濃度が高いほど大きくなり、同時に伸張による活性化の張力も大きくなります。以上のことから、111反射の変化を引き起こしている構造変化は、伸張による活性化の引き金になっている可能性が高いといえます。図4には、2013年の生きたハチを用いた研究の成果と、今回の成果を総合して考えられる「伸張による活性化」の仕組みを示します。図4のように、伸張により収縮タンパク質ミオシンが変形を受けることが「伸張による活性化」の引き金になると考えられます。
 また測定は、マルハナバチだけでなく、分類学的にかけ離れたタガメとガガンボの飛翔筋についても行い、同様の結果を得ました。つまり、観察された現象は昆虫一般に普遍的にあてはまるものと言えます。

今後の展開
 「伸張による活性化」は程度の差こそあれ種々の筋肉に広く見られる現象で、特に心筋ではその機能に対して重要な役割を担っていると言われます。従って昆虫飛翔筋の「伸張による活性化」を理解することは、脊椎動物の骨格筋や心筋の働きをよりよく理解するためにも役立つと思われます。
 また応用的な面では、昆虫程度の大きさの小型アクチュエーター※4を設計する際に、駆動機構として参考にすることができると期待されます。

 本研究は、X線高速撮影技術の開発の一環として行われたものです。X線高速撮影技術は、生命科学のみならず、材料科学分野にも幅広く利用できるものです。現在は本研究に用いられたものより更に高感度の高速ビデオカメラが導入されているため、X線回折・散乱強度の弱い試料でも高速の測定ができるようになっています。


《参考資料》

図1.実験に用いた試料。
図1.実験に用いた試料。

マルハナバチ飛翔筋の筋細胞を取り出し、細胞膜を取り除いて用いた。


図2.マルハナバチ飛翔筋細胞から記録された高速X線回折ムービー(毎秒2000コマ)の1コマ。
図2.マルハナバチ飛翔筋細胞から記録された高速X線回折ムービー(毎秒2000コマ)の1コマ。

緑枠で囲った部分に111反射があり、それを拡大したものが上の緑枠内(緑の矢印)。それを更に拡大したのが一番下の2つの枠で、左側が伸張の0.25ミリ秒前、右側が1.25ミリ秒後で、明らかに111反射が明るくなっている。


図3.111反射強度の時間経過。
図3.111反射強度の時間経過。

111反射の強度(右、緑)は、伸張による活性化により発生する張力(左、赤)より遥かに速く、伸張とほぼ同時に立ち上がっているのが分かる(矢印)。なお、張力の最初の部分の急激な立ち上がりは「粘弾性応答※5」という物性的な力学応答で、筋肉が能動的に力を出しているわけではない。


図4. 111反射の強度変化を説明するモデル。
図4. 111反射の強度変化を説明するモデル。

カルシウムイオンが存在していると、収縮タンパク質の1つであるミオシンが、もう1つの収縮タンパク質アクチンの繊維に結合する。この状態で飛翔筋に伸張を加えたとき、ミオシン分子がこの図のような変形を受けることで111反射の強度変化が説明できる。


《用語解説》
※1 自励振動
外部から振動の入力がなくても、自ら発振して振動すること。

※2 大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある、世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設、その運転管理はJASRIが行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8ではこの放射光を用いて、基礎科学研究からナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究を行っています。

※3 時定数
変化の時間経過が指数関数で表される現象について、ある時点から測り始めて、変化量の残りがその時点からの全変化量の1/eになるまでの時間。eは自然対数の底で、2.71828・・・という値。

※4 アクチュエーター
与えられたエネルギーを電磁力、油圧、圧縮空気等を用いて、回転や直線運動に変換するための機械要素部品。

※5 粘弾性
粘性(変形の速度に比例した抵抗を示す性質)と弾性(変形の大きさに比例した抵抗を示す性質)を併せ持つこと。生体物質や合成高分子の多くがこの性質を示す。



お問い合わせ先
(研究内容に関すること)
岩本裕之(イワモトヒロユキ)
公益財団法人 高輝度光科学研究センター
利用研究促進部門 コーディネーター
 住所:兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1
 TEL:0791-58-2506 FAX:0791-58-2512
 E-mail:iwamotoatspring8.or.jp

(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人 高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及啓発課 
 TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
 E-mail:kouhou@spring8.or.jp