大型放射光施設 SPring-8

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水の水素結合環境を見分ける新しい振動分光の開拓(プレスリリース)

公開日
2017年11月14日
  • BL07LSU(東京大学放射光アウトステーション物質科学)

2017年11月14日
東京大学

発表のポイント:
◆軟X線のエネルギーを選んで特定の水素結合環境にある水の振動を抽出
◆密度の異なる水素結合環境が不均一に分布するという水の描像を裏付け
◆様々な溶液に適用して異なる水和水の状態を見分ける新しい分光が可能に

 東京大学物性研究所の原田慈久准教授、宮脇淳助教、山添康介大学院生らの研究グループは、ストックホルム大学との国際共同研究で、大型放射光施設SPring-8(注1)東京大学放射光アウトステーションビームラインBL07LSU(注2)を利用して、X線のエネルギーを選ぶことで特定の水素結合環境にある水の分子振動を検出できることを示すとともに、密度の異なる水素結合環境が不均一に分布するという水の描像を裏付けることに成功しました。
 通常振動分光(注3)では様々な水素結合環境にある水の状態を足し合わせた情報しか得られないため、情報を分離するために数多くの解析手法が存在し、その解釈も様々ですが、本手法を用いれば、各種溶液の水和水や固液界面、ナノ空間に閉じ込められた水など、特殊な環境下の水が持つ振動エネルギーを抽出できるため、新しい水の分析手法として今後幅広い応用が期待されます。
 本研究成果は米国化学誌「The Journal of Physical Chemistry Letters」のオンライン版(2017年11月6日)に掲載されました。

発表雑誌:
雑誌名:
The Journal of Physical Chemistry Letters
論文タイトル:Probing the OH Stretch in Different Local Environments in Liquid Water
著者:Y. Harada*, J. Miyawaki, H. Niwa, K. Yamazoe, L. G. M. Pettersson and A. Nilsson
DOI番号:10.1021/acs.jpclett.7b02060
アブストラクトURLhttp://pubs.acs.org/doi/full/10.1021/acs.jpclett.7b02060

研究の背景
 水は温度を下げると密度が増大し、4 ℃付近で極大を迎えて最も体積が小さくなります。そして、それより低温では逆に密度が減少してゆく性質を示します。一方、単純液体(注4)では温度を下げれば密度は増大し続けます。低温で水の密度が下がるのは、水素結合と呼ばれる水素を介して方向性を持った緩い結合が存在するためで、その究極が1分子あたり、正四面体型に4つの水素結合を形成する氷です。はたして、液体の水は氷に至る過程でどのように水素結合ネットワークを組み替えてゆくのか、様々な時間・空間スケールでの議論が続いています。
 21世紀に入って放射光を用いたX線分光で水の構造が調べられるようになりました。そして液体の水の中には高密度状態(High Density Liquid : HDL)と低密度状態(Low Density Liquid : LDL)が相互に入れ替わりながら共存し(図1)、HDLは単純液体のようにふるまい、LDLは1ナノメートル(=10-9メートル)程度の大きさを持つ氷に良く似た水素結合ネットワークを構築して、温度によってその量と平均サイズを変えるという「ミクロ不均一モデル」が提唱されました(2009年8月11日プレス発表)。LDLに相当するミクロ構造は実際にX線小角散乱とX線回折によってもその存在が確認されています。一方、従来の振動分光ではこのミクロ不均一モデルを裏付けることができていません。その最大の理由は、振動分光で得られる情報は、様々な水素結合環境にある水の状態を足し合わせたものであるため、適当な解析手法を仮定すれば、どんな水の構造モデルでも説明がついてしまうためです。

研究内容と成果
 本研究グループは、放射光軟X線の持つ特性を利用して、次のような実験を行いました。図2に示すように、液体の水に軟X線を照射すると、水の酸素原子に捕われていた内殻電子が引き剥がされ、酸素と水素の結合(OH)が切れやすい状態が生まれます。この状態は不安定なので、わずか4フェムト秒(4×10-15秒)程度で引き剥がされた電子が元の鞘に収まります。これはあたかも酸素と水素をつなぐバネに力を加えて瞬時に手を離したような状態なので、OHが伸び縮みするような振動が残ります。これを「軟X線非弾性散乱」と呼びます。この実験のポイントは2つあります。
 ①軟X線のエネルギーで、特定の水素結合状態にある水を選択することができる。
 ②残された振動のエネルギーはこの水素結合状態を反映し、軟X線非弾性散乱で観測できる。
 つまり、軟X線を使えば、水素結合環境の異なる水分子を見分けて振動分光ができるということです。
 実験の結果、従来の振動分光(ラマン散乱)では振動エネルギーが幅広く分布しますが(図3右)、軟X線非弾性散乱では用いる軟X線のエネルギーによって異なる振動エネルギーが現れること、つまり異なる水素結合環境が選ばれていることがわかりました(図3左)。540 eV付近(赤丸)は水素結合が4つ繋がった水分子を表しており、LDLに対応するものです。一方535 eV付近(青丸)は水素結合が切れた状態を表していて、これはHDLの中でも水素結合の最も歪んだ、あるいは切れた水分子を観測していると考えられます。HDLは歪んだ水素結合の海のようなものであるとすると、歪みの程度に応じてLDL以外の幅広い振動エネルギーをカバーするものと考えられます。ここでは、LDLとその他の成分が明確に見分けられるという点が最も大事です。
 本実験で得られた振動エネルギーの分布は、まさに「ミクロ不均一モデル」で予測されたものと一致しています。一番低いエネルギーの軟X線を用いた場合(緑丸)は特定の水分子を選択しなくなるため、その振動エネルギーが右図のほぼ重心に位置していることも、軟X線非弾性散乱とラマン散乱の良い対応を示唆しています。

今後の展望
 今回得られた結果は、軟X線非弾性散乱が、水の「ミクロ不均一モデル」を裏付けるのみならず、水素結合のような弱い結合環境でも違いを見分けることのできる新しい振動分光として汎用的に利用できることを表しています。水は単なる溶媒としてだけでなく、より積極的に細胞内外のイオン濃度のコントロールやタンパク質の応答、化学反応、触媒反応を精密にコントロールする反応場としての役割も担っており、これらの水の状態を抽出して水の持つ”機能”を解明する研究が今後進展することが期待されます。


用語説明
(注1)大型放射光施設SPring-8
 SPring-8は兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高輝度の放射光を生み出す理研の施設。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。

(注2)東京大学放射光アウトステーションビームラインBL07LSU
 2006 年 5月に総長直轄の組織として発足した放射光連携研究機構物質科学部門がSPring-8の長直線部に所有する世界最高水準の軟X線アンジュレータビームライン。3つの常設の先端分光実験ステーションとユーザーが任意に装置を持ち込める1つのフリーポートを有し、2009 年10月から共同利用を開始している。(BL07LSU概要

(注3)振動分光
 物質は様々な原子から構成されており、お互いは電子という糊を介してバネのように結合した集合体と見なすことができる。その結合の強さや数、向きなどに応じて原子が安定点の周りで振動するために要するエネルギーを捉えて、そこから逆に原子間の結合を推測する方法を振動分光と呼ぶ。典型的な振動分光には光吸収の一種である赤外吸収分光と光散乱の一種であるラマン散乱分光の2種類があるが、本研究では軟X線非弾性散乱と直接比較できるラマン散乱を想定している。

(注4)単純液体
 液体を構成する分子間に等方的な力のみが働く場合、その液体を単純液体と呼ぶ。単原子分子からなる液体などがその典型例である。


図1

図1.水のミクロ不均一構造モデル

図2

図2.軟X線非弾性散乱と水の振動励起

図3

図3.軟X線非弾性散乱とラマン散乱で得られた振動エネルギーの比較
軟X線のエネルギーを横軸に、実際に観測された振動エネルギーを縦軸にプロットしたもの(左図)と、ラマン散乱で得られた振動エネルギーを同じ縦軸に描いたもの(右図)。



問い合わせ先:
東京大学物性研究所 准教授 原田 慈久(はらだ よしひさ)
 TEL:0791-58-0802 (内線4111)、FAX : 0791-58-1886
 E-mail: haradaatissp.u-tokyo.ac.jp

(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課 
 TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
 E-mail:kouhou@spring8.or.jp

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