一度に幾つの荷物を運べる?? ~胃酸分泌を担う胃プロトンポンプが輸送するイオンの個数を構造解析によって決定~(プレスリリース)
- 公開日
- 2019年08月29日
- BL32XU(理研 ターゲットタンパク)
- BL41XU(構造生物学I)
2019年8月29日
国立大学法人名古屋大学
【ポイント】
• 40年もの間 謎であった 胃の中を強い酸性にするためにカギとなる、一度に輸送できるイオンの数が1つであることが証明された。
• 胃プロトンポンプがカリウムイオンを特異的に認識する仕組みが明らかになった。
名古屋大学細胞生理学研究センター/大学院創薬科学研究科の阿部一啓准教授の研究グループは、胃酸(H+, プロトン)の分泌を担う胃プロトンポンプが一度に輸送するイオンの個数を決定することに成功しました。 【論文情報】 |
背景
Q.「問題です!山頂に荷物を運ぶとします。低い山であれば一度に2つの荷物を運ぶことができますが、高い山には一度に2つの荷物を運ぶことはできません。さて、高い山の山頂に荷物を運ぶにはどうしたらいいでしょうか。」
A.「一度に運ぶ荷物を1つにすればよい。」(図1)
(左)低い山であれば一度に2つ運ぶことができる。(中)高い山だと一度に2つの荷物を運ぶことができない。(右)高い山に荷物を運ぶためには2つずつではなく、1つずつ荷物を運ばなければならない。
このような一見当たり前のやり方が、我々の体の中で働くタンパク質でも使われていることが、今回研究グループにより明らかにされました。そのタンパク質が胃酸分泌に中心的な役割を果たす(図2)胃プロトンポンプです。胃プロトンポンプは、胃の中に『酸』(水素イオン, H+, プロトンとも呼ぶ)を輸送することで、胃の内部を塩酸と同じぐらいの強い酸性、ペーハー(pH)1という状態にしています。これが食物消化に重要であるわけです。
赤いインクを水に垂らすと拡散によって徐々に薄まってしまいますが、その逆は勝手には起こりません。イオンも同じで、濃度が薄いところから濃いところにイオンが勝手に移動することはありません。このためには何らかのエネルギーが必要です。胃の中は強い酸性(= H+濃度が高い)なので、ここにH+を輸送するにはエネルギーが必要になります。胃プロトンポンプは細胞内の共通エネルギー通貨とも呼ばれるATPを、いわば燃料にして、H+を濃度勾配に逆らって輸送することができる『ポンプ』なのです。
しかしながら、ここで問題になるのが細胞内外でのH+の濃度差です。細胞の中は中性(pH 7)なのでH+濃度が低く、細胞の外(胃の中)はH+濃度が高い(pH1)。その差は1,000,000倍にもなります。胃の中で作られているこの濃度差は、実は我々の体の中で最大のイオン濃度勾配なのです。この状況を冒頭の山登りに例えると、胃プロトンポンプはまさに世界レベルのクライマーであることがわかります。つまりH+の濃度差が大きいことは登る山が高いことに相当し、胃酸分泌時の胃は、例えるならエベレストということができます(図1)。
ATPから得られるエネルギーの量を考えると、胃プロトンポンプは胃内部が弱い酸性状態(低い山)になら一度に2つの荷物(H+)を運べるはずです。一方、消化時の胃内部が強い酸性には1つを運ぶのがやっとなはずです。しかし、これは理論計算上の話で、実際に胃プロトンポンプが一度に幾つのイオン(荷物)を運ぶことができるのかは、このポンプが発見されて以来40年もの間、答えが出なかった問題です。この問題を解決する為に、研究グループは非常に小さな(1/1億メートル)胃プロトンポンプの構造を解析することで、タンパク質内部に幾つのイオンが入っているかを調べました。
胃酸の分泌は、タンパク質分解酵素ペプシンを活性化し、食物の消化にとって重要です。また、口から入ったバクテリアなどは強い酸性状態では生存することができないため、胃酸によって殺菌されます。この胃酸によって胃自身が傷つくと胃潰瘍になります。ほとんどのバクテリアが胃酸中で生存できない中、ピロリ菌は生存することができ、この菌が胃潰瘍や胃がんの原因とされています。ピロリ菌の除菌や胃潰瘍の治療には胃酸抑制剤が使用されます。このような様々な機能を有する胃酸(H+)を分泌しているのが、胃のプロトンポンプです。このポンプはATPのエネルギーを利用して胃の内部にH+を輸送し、反対側に同じ数のK+を輸送することが知られています。
研究成果
(1) 輸送イオン個数の決定
上記の問題を解決するため、研究グループでは胃プロトンポンプが輸送イオンであるK+を結合した状態での構造を決定することを試みました。ヒト由来の培養細胞を利用して胃プロトンポンプを大量発現し、K+を結合している状態に調整、それらを用いて3次元結晶を作成した後、大型放射光施設SPring-8 BL32XU, BL41XUにおいてX線回折実験を行い、回折データから高分解能の立体構造を得ることに成功しました。
それらを解析した結果、イオン結合サイトに1つだけK+が結合している、ということが明らかになりました(図3)。胃プロトンポンプはH+とK+を同じ数だけ対向輸送することが分かっているので、1つのK+が結合している = 一度に1つのH+を輸送するということが判明しました。つまり、1つのATPから得られるエネルギーで1つのH+と1つのK+を輸送する、ということが初めて明らかになりました。
今回明らかになった胃プロトンポンプの全体構造とカチオン結合サイトの拡大図を示した。カチオン結合サイトにはK+(紫の球)が1つだけ結合していた。
(2)K+結合サイト
胃プロトンポンプによく似たナトリウムポンプはK+を2つ結合することが知られています。これら2つの構造を比較することにより、胃プロトンポンプでは何故1つしかK+が結合できないか、ということが理解できました(図4)。pH 1という強酸性環境に対してH+を放出するのは非常に骨の折れる仕事なので、胃プロトンポンプはそのための特殊な装置を備えています。それがリジン(K791)とグルタミン酸(E820)のペアで、リジンのプラスの電荷がグルタミン酸に結合しているH+を強引に突き出すことでH+が酸性の胃内部に押し出されることが、以前の我々の研究で分かっています(Abe et al., 2018, Nature)。ナトリウムポンプではこれらのアミノ酸がセリン(S782)とアスパラギン酸(D811)になっている為に、2つ目のK+が結合できる隙間があるのですが、胃プロトンポンプの場合、この位置をリジンとグルタミン酸のペアが占有しているので、2つ目のK+が物理的に結合できない構造になっていることがわかりました。
(左)プロトンポンプのカチオン結合サイト。結合している1つのK+とその結合に重要であるアミノ酸を球で示した。(中)ナトリウムポンプのカチオン結合サイト。結合している2つのK+とその結合に重要であるアミノ酸を球で示した。(右)左の2つを重ねたもの。ナトリウムポンプでK+が結合していた位置(I)にプロトンポンプのリジン(K791)とグルタミン酸(E820)がせり出してきており、K+が結合できない、ということが明らかになりました。
まとめ
今回の胃プロトンポンプの構造解析から、このポンプは常に1つだけH+を運ぶということが明らかになりました。なぜそんなに非効率的なことをするのか?低い山になら一度に2個運んだ方が効率的ではないのか?その理由は胃プロトンポンプが、エベレストのように高い山に登ることを専門にしたポンプだったということです。胃酸のpH1の中にH+を輸送するには特別な装置が必要です(図4. リジンとグルタミン酸のペア)。胃プロトンポンプは、本来荷物(イオン)を入れるところにこのアミノ酸のペア(山登りで例えるなら酸素ボンベ)を常に搭載していて、いつでも高い山に登れるようにしています。なので、低い山に登るときにも2つの荷物(H+)を同時に運べないというわけです(図5)。進化の淘汰圧は胃プロトンポンプを、効率度外視で強い酸性を作り出せるようにデザインしたということが、一連の研究から理解できました。
胃プロトンポンプは、本来荷物を入れるべきところに酸素ボンベのような装置を搭載しており、高い山に登ることが可能になっている。そのため、低い山に登る際にも1つしか荷物(H+)を輸送することができない。
謝辞
本研究は、科学研究費補助金・基盤研究(B)(課題番号 17H03653)、JST-CREST(JPMJCR14M4)、AMED創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業(BINDS)ならびに経済産業省による支援(新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)、日本医療研究開発機構(AMED)IT創薬プロジェクト)を受けて行われました。
《問い合わせ先》 (SPring-8 / SACLAに関すること) |
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