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テラヘルツ光と高輝度放射光で見るファンデルワールス力 ―環境感受性を持つ生体適合性材料のデザインに新たな機軸を提供―(プレスリリース)

公開日
2019年09月11日
  • BL43IR(赤外物性)

2019年9月11日
国立大学法人東北大学
公益財団法人高輝度光科学研究センター

【発表のポイント】
● テラヘルツ光と高輝度放射光を用いてファンデルワールス極限のごく弱い水素結合の形成を観測
● 結晶を形成しない非晶質試料の明瞭なテラヘルツ分光スペクトル測定に成功
● 温度の効果を、外部電場に対する物質中の原子の応答特性である誘電率の変化に置き換え、複雑な非晶質高分子量モノマーの振動吸収スペクトル解析に成功

 東北大学大学院農学研究科 高橋まさえ准教授、理学研究科 松井広志准教授、工学研究科 鈴木誠名誉教授、森本展行准教授、および、高輝度光科学研究センター 池本夕佳主幹研究員らの研究グループは、生体適合性材料である双性イオン分子※1において、温度や圧力などの環境への感受性をつかさどる弱いファンデルワールス力の発現を、テラヘルツ光※2大型放射光施設SPring-8※3BL43IRにおける高輝度放射光を用いた測定と高精度第一原理計算※4による理論解析をもとに明らかにしました。
 生体適合性材料は、生体と接触した際に拒絶反応を生じないため、人工臓器のコーティングやドラックデリバリーなどに広く応用が期待されます。生体適合性材料である双性イオン分子は、温度や圧力などの環境に敏感であり、室温程度のエネルギーで容易に影響を受けるごく弱いファンデルワールス力が、これらの特性をつかさどっています。本研究では、水素結合検出に有用なテラヘルツ光と、微量試料の測定に有効な高輝度放射光を用いて、ファンデルワールス極限の弱い水素結合※5の形成を低温で観測することに成功しました。本研究は、温度、圧力などの環境に感受性を持つ生体適合性材料のデザインに新たな機軸を提供するものです。
 本研究の成果は、2019年9月11日午前10時(英国時間)に英国Nature Publishing Groupのオンライン科学雑誌 『Scientific Reports』 に掲載されました。

【原論文情報】
雑誌名:Scientific Reports
タイトル:Assessment of the VDW interaction converting DMAPS from the thermal-motion form to the hydrogen-bonded form
著者:Masae Takahashi, Hiroshi Matsui, Yuka Ikemoto, Makoto Suzuki & Nobuyuki Morimoto
DOI: 10.1038/s41598-019-49352-1

図

図:低温でファンデルワールス力が有効になり、ファンデルワールス極限の弱い水素結合形成が起こり、熱運動型から水素結合型に変換する。


【研究の背景】
 ファンデルワールス力の観測は、生物学的機能の柔軟な調節機構を調べるうえで中心的研究であり、基本となります。ファンデルワールス力は、中性分子間に働く引力として最初にファンデルワールスにより提唱されたものですが、その発生要因は、電荷分布の時間的ゆらぎに起因し、純粋に量子物理学起源の力(分散力※6)であり、近年ようやく理論的取扱いが可能となったものです。ファンデルワールス相互作用のエネルギーは、室温の温度と同程度で、ファンデルワールス極限の水素結合は、室温でついたり離れたりしています(熱運動型)。室温で機能する生物系では、この弱い相互作用が生物系特有のファジー※7で魅力的な特質を引き出しています。
 分子全体としては中性の双性イオン分子のような生体適合性材料は、隣り合わない位置に正負のイオン対を有しており、その構造は、分子内に正負のイオンを持つ基本的生体分子であるアミノ酸やリン脂質などのバイオミメティック※8であり、生体適合性を示します。生体と接触した際に拒絶反応を生じないため、医学薬学などへ応用されており、目的に応じた様々な生体適合性材料のデザインが切望されています。

【研究の内容】
 ファンデルワールス相互作用の検出には、生体物質を含む多くの物質に利用可能な振動吸収分光が有力な手段です。中でも、テラヘルツ振動分光は、ごく弱い相互作用の検出に有力です。 本研究グループは、生体適合性材料の双性イオン分子である非晶質スルフォベタインモノマーについて、弱い水素結合検出に有用なテラヘルツ光と、微量試料の測定に有効な高輝度放射光を用いて、低温にして熱運動を抑制することで、ファンデルワールス極限の水素結合形成を観測することに成功しました。
 テラヘルツ分光研究は近年急速に進歩し、結晶試料については、シグナルの検出と理論計算によるピーク同定が確立されつつあります[1-4]。しかし、非晶質試料については、シグナルが弱いことに加え、気相とも結晶とも違う系であるため、理論的にも実験的にも研究が立ち遅れていました。また、双性イオン分子の測定では、KBr塩などの充填剤との相互作用も懸念されます。生体内では結晶試料より非晶質試料がより多い構造であり、非晶質状態での情報が必要とされています。本研究グループでは、充填剤を使わずに測定し、テラヘルツ領域と高輝度放射光による遠赤外領域での温度依存のシグナルを得ることに成功しました(図1)。また、理論解析には、周囲の分子の影響を誘電率で取り込み、温度の効果を誘電率の変化に置き換えることで、観測された温度依存のスペクトル変化をあいまいさなく解析することに成功しました。

【今後の展開】
 高輝度放射光は微量試料の測定が可能であり、環境に敏感な生体適合性材料や非晶質生体試料の測定に適しており、高精度第一原理計算と組み合わせることで、生物界のいたるところで重要な働きをしているファンデルワールス力を見積もる研究の可能性を大きく広げるものです。また、今回、シグナルが弱く観測されないと従来から考えられていた非晶質試料のテラヘルツ分光測定に成功したことで、今後、高精度第一原理計算と組み合わせて、弱い分子間および分子内の相互作用の研究がさらに加速されると期待されます。本研究の成果は、温度、圧力などの環境に感受性を持つ生体適合性材料のデザインに新たな機軸を提供するものです。


【参考文献】
1. M. Takahashi, et al., Intermolecular hydrogen bond stretching vibrations observed in terahertz spectra of crystalline vitamins, CrystEngComm 2018, 20, 1960–1969.
2. M. Takahashi, et al., Temperature dependence in the terahertz spectrum of nicotinamide: Anharmonicity and hydrogen-bonded network, J. Phys. Chem. A, 2017, 121, 2558–2564.
3. M. Takahashi and Y. Ishikawa, Terahertz vibrations of crystalline α-D-glucose and the spectral change in mutual transitions between the anhydride and monohydrate, Chem. Phys. Lett., 2015, 642, 29–34.
4. M. Takahashi, Terahertz Vibrations and Hydrogen-Bonded Networks in Crystals, Crystals, 2014, 4, 74–103.

図1. 図中の数字は各ピークの振動数(cm-1). (a) 4Kと150 Kの遠赤外スペクトル.

図1. 図中の数字は各ピークの振動数(cm-1). (a) 4Kと150 Kの遠赤外スペクトル.
300 cm-1付近のピークが低温で分裂する(ボックス). ピーク分裂の詳細な温度依存性を挿入図に示す. (b) 300 cm-1付近の計算した遠赤外スペクトルと測定結果の比較(青点線はε = 8.33, 赤点線はε = 15.20の計算結果、ε は誘電率、青実線は4 K, 赤実線は150 Kの測定結果). 計算結果は、最も強いピークが実験値とあうように12 cm-1シフトしている. 考えられる範囲の9通りの誘電率で計算を行い、スペクトル変化を再現する誘電率を選んだ. 低温では分子が動きにくくなり、誘電率は下がる. (c) 温度依存テラヘルツスペクトル. (d)計算したテラヘルツスペクトル. ε は誘電率.


【用語説明】

※1 双性イオン分子
分子内の隣り合わない位置に負の官能基と水素原子を持たない正の官能基とを持ち、全体で中性の分子。

※2 テラヘルツ光
周波数1×1012 Hz (テラヘルツ)周辺の周波数の光。適切な光源や検出器がなく、この領域は長く光の暗黒帯と呼ばれていました。近年の光源と検出器の進歩により、テラヘルツ光を利用した研究は急速な進歩を遂げてきました。

※3 大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVGeV(ギガ電子ボルト)に由来します。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、指向性が高く強力な電磁波のことです。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジーやバイオテクノロジー、産業利用まで幅広い研究が行われています。

※4 第一原理計算
物質の電子状態を計算する方法。実験パラメータを使わない計算で、電子状態、最適構造、物性などを、実験とは独立に予測できます。

※5 ファンデルワールス極限の水素結合
水素結合は、共有結合している水素原子と電気陰性度の大きい原子との間の結合です。その範囲は広く、よく知られている水分子同士の水素結合を中心として、ごく弱いファンデルワールス極限から、強い共有結合極限まであります。水素結合を形成する3つの力(静電力、誘起力、分散力)のうち、ファンデルワールス極限の水素結合では分散力の寄与が最も大きいことが知られています。

※6 分散力
永久双極子をもたない非極性分子間に働く力。量子物理学的な電荷分布の揺らぎにより生じた瞬間双極子と、瞬間双極子により誘起された誘起双極子の相互作用により生じます。

※7 ファジー
ファジーは英語の形容詞で「あいまいな」「境界がはっきりしない」という意味。

※8 バイオミメティック
生体模倣または生物模倣。自然界の生物が有する構造や機能に似ていること。



【本件に関するお問い合わせ先】
東北大学

研究内容について
・農学研究科 生物産業創成科学専攻
 准教授 高橋 まさえ(たかはし まさえ)
 電話: 022-757-4412
 E-mail: masaeatfris.tohoku.ac.jp
・理学研究科 物理学専攻
 准教授 松井 広志(まつい ひろし)
 電話: 022-795-6604
 E-mail: hiroshi.matsui.b2attohoku.ac.jp
・工学研究科 材料システム工学専攻
 准教授 森本 展行(もりもと のぶゆき)
 電話:022-795-7365
 E-mail: morimotoatmaterial.tohoku.ac.jp

報道担当
 東北大学大学院農学研究科 総務係
 電話:022-757-4003
 E-mail:agr-syomattohoku.ac.jp

高輝度光科学研究センター
研究内容について
 主幹研究員 池本 夕佳(いけもと ゆか)
 電話: 0791-58-2750
 E-mail: ikemotoatspring8.or.jp

(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課 
 TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
 E-mail:kouhou@spring8.or.jp

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