SPring-8 News 9号(2003.7月号)
|
![]() 脂質二重膜中のカルシウムポンプ蛋白質。
αヘリックスは円柱で、βシートは矢印で示している。 結合した2個のカルシウムを丸で囲んでいる。 脂質二重膜は計算機によるシミュレーションで得たもので、 カルシウムが外れるときの運動の向きを点線の矢印で示している。 |
研究成果・トピックス
カルシウムポンプ蛋白質の構造とイオン輸送のメカニズム
東京大学分子細胞生物学研究所
豊島 近・野村 博美
カルシウムは骨や歯になるだけではない
生体はイオンを非常に巧みに使っています。蛋白質が安定に存在するために、また、酵素反応の触媒のために、亜鉛や鉄、銅イオンが使われます。また、細胞の内と外とで濃度差を作り、それを電気信号として使います。例えば、同じ1価の陽イオンでもNa+ は細胞外に多く、K+は細胞内に多く存在しています。神経が興奮するときは、Na+が外から濃度勾配に従ってチャネル蛋白質を通じて流入し、膜電位が変化します。これが興奮の実態です。つまり、電気信号と化学信号の橋渡しにもイオンが使われているわけです。
数あるイオンのうち、もっとも広範に使われ重要な働きをするのはカルシウムです。人体には1400グラムのカルシウムがありますが、大部分は骨や歯です。信号の伝達に使われるのは10グラムにも満たないとされますが、その働きは大変重要なものです。たとえば、筋肉の収縮弛緩を例にとって見ると、筋小胞体とよばれる筋繊維を取り囲む袋状の組織があり(図1)、カルシウムの貯めになっています。この貯めからカルシウムが放出されると収縮がおこり、もう一度カルシウムをポンプを使って汲み上げると弛緩が起こります。カルシウムを汲み上げるためには、小胞体内外でのカルシウムの濃度差に関係なく、一万倍の濃度差に打ち勝ってカルシウムを運搬する必要があります。そのためにはエネルギーが必要で、アデノシン三燐酸(ATP)が分解されます。つまり、カルシウムポンプの実体である蛋白質は、小胞体膜に埋まった膜蛋白質であり、ATPを分解する酵素です。(Ca2+-ATPaseと呼ばれます。)このポンプは一個のATPを分解することによって2個のカルシウムを運ぶことができます。筋肉の収縮弛緩を十分な速さで行うために、筋小胞体膜の全膜蛋白質の60%はこのポンプ蛋白質が占めています。従って、量的な問題がなく、構造解析には最も適した膜蛋白質の一つです。濃度勾配に逆らった輸送をするために、カルシウム結合部位の構造を高親和性状態から低親和性状態に変化させてカルシウムを運搬していると考えられています。この蛋白質の仲間には、高等生物ならどの細胞にもあるNa+K+ポンプや、胃のpHを低く保つのに使われるH+K+ポンプ(胃潰瘍の原因にもなります)があります。いずれも、細胞の恒常性を保つのに大変重要なポンプです。

ポンプ蛋白質は極微手押しポンプ
カルシウムポンプに関し、私たちはカルシウムを結合した状態の構造を2.6Å分解能で決定し3年前に報告しました(Nature 405:647-655, 2000)。これは、陽イオンのポンプとして初めての構造であり、広範な分野で注目を集めました。さらに私たちは、カルシウム非存在下での結晶を作ることに成功し、3.1Å分解能で構造を決定することができました( Nature418:605-611, 2002)。この結晶は座布団状の結晶でしたが、c軸方向(脂質二重膜が積み重なる方向で座布団の厚さの方向)の格子の長さが600Å近くあって実験室でのデータ収集は不可能なので、最新鋭の光源と大きな検出器を備えたSPring-8生体超分子複合体構造解析ビームライン(BL44XU、大阪大学蛋白質研究所)での測定が必須でした。
筋小胞体カルシウムポンプは、994個のアミノ酸残基がつらなった分子量約110kの一本のポリペプチド鎖によって構成されており、細胞質領域の3つのドメイン(A,NおよびP)と10本の膜貫通αヘリックス(M1-M10)より成っています(表紙図)。細胞質領域には、反応の途中で燐酸化が起こるPドメイン、ATPのアデニン環部分が結合するNドメイン、カルシウムの通路のゲートの開け閉めのレバーとなるAドメインがありますが、カルシウム結合時にはこの三つのドメインは広く離れており、カルシウムがないときには寄り集まって一つの固まりになります。カルシウム有り無しの二つの構造を比較すると、細胞質ドメインだけでなく、分子全体にわたって非常に大きな違いがあることが分かります(表紙図)。カルシウムが結合する場所は膜貫通へリックス(図では円柱)M4,M5,M6,M8で囲まれた領域ですが、驚いたことには、M4へリックスはカルシウムをはずしたときには小胞体内腔側(図では下側)にへリックス一巻き分(5.5Å)下がっていることが分かりました(図2)。つまり、このへリックスが手押しポンプのピストンのように上がったり下がったりして、カルシウムを結合したり押し出したりしているわけです。一方、M6へリックスは部分的に90°近く回転していることも分かりました。これはM5へリックスの傾斜運動と結びついており、M5へリックス自体はPドメインと一体となって動きます。Pドメインは他のへリックスとも連動していますから、分子全体の大きな動きが起こっているわけです。これは、Pドメインが燐酸化による制御を受け、Aドメインを介してゲートの開け閉めに関与していることを考えると、なるほどつじつまがあっています。
立体構造を原子レベルで決める為には分子が整然と並んだ結晶が必要です。しかし、蛋白質はじっとしているわけではなく、普通の温度でもふらふら動いています。これを熱運動といい、温度が高くなれば動きも大きくなります。これは熱によるエネルギー(熱エネルギー)が大きくなるためです。イオンポンプは、このような熱エネルギーを巧みに使って、エネルギー効率をあげています。このことは同時に、蛋白質が普通の温度でも大きく動くことを意味しており、実際、カルシウムなしの状態ではカルシウムポンプは不安定で、強力な阻害剤であるタプシガーギンを加えないと急速に失活してしまいます。カルシウムがあるときには、結合したカルシウムが膜貫通へリックスを固定するため、安定になります。本質的には、熱運動でここに紹介したような大きな運動が起こるわけです。従って、せっかく運んだカルシウムが漏れ出さないように、また膜貫通へリックスが飛び出さないようにするために、細胞質ドメインが寄り集まって運動を制限しているのでしょう。また、無駄にATPを消費しないように、つまり、分解反応が起こらないように反応サイトから離しておくために、寄り集まって動かないようにしているとも考えられます。

ポンプ蛋白質の構造決定と将来
このように、二つの状態の立体構造を比較することにより、ポンプ蛋白質が極微スケール(大きさ14ナノメートル)の手押しポンプのようにしてカルシウムイオンを運搬していることが分かった(図3)のですが、同時にこのポンプの強力な阻害剤であるタプシガーギンの結合様式が判明し、膜蛋白質を標的とする薬物のデザインに関して重要な指針が得られました。さらに本研究で得られた構造から、心筋でこのポンプを調節しているフォスフォランバンの結合様式も予測できたため、ある種の心筋梗塞の治療薬の開発に結びつく可能性も出てきました。私たちは、すでに発表した二つの状態以外の状態の結晶化にも成功しているので、イオンポンプの輸送機構の全貌を原子構造に基づいて解明できるのは近い将来のことと考えています。

用語解説
●カルシウムポンプ
カルシウムイオンを濃度勾配に逆らってATP(アデノシン三燐酸)のエネルギーを使って運搬するポンプ蛋白質。
●ポンプ蛋白質
光エネルギーや化学エネルギーを使い、生体膜を横切るイオンの能動輸送をおこなう酵素(膜蛋白質)の総称。これらの酵素がつくるイオン勾配は、共輸送や対向輸送などによって二次的に使用されるので、一次性能動輸送系とも呼ばれます。
●アデノシン三燐酸(ATP)
人の身体運動は、全て骨格筋の活動によります。筋活動の為のエネルギーは筋中に蓄えられているアデノシン三燐酸が利用され、これが分解してADP(アデノシン二燐酸)と燐酸に分解される時に放出される大きなエネルギーが筋肉を動かします。
●膜蛋白質
生体膜に存在する蛋白質の総称。特に、生体膜の表面に付着しているものを膜表在性蛋白質、内部に埋もれているものを膜内在性蛋白質と呼びます。内在性蛋白質では疎水性アミノ酸の含有率が高く、界面活性剤で可溶化されます。
●フォスフォランバン
52のアミノ酸残基からなる膜貫通蛋白質。主に心筋に存在し、心筋小胞体のカルシウムポンプを制御。心臓疾患のターゲット分子として注目されています。
行事報告
第11回SPring-8 施設公開

ゴールデンウィークの初日にあたる4月26日(土)に第11回SPring-8施設公開を開催しました。当日は朝から、前夜の暴風雨が嘘のように思えるほどの好天に恵まれました。今回の施設公開キャッチフレーズ「その目で見よう!世界一のSPring-8!!」そのままに、まさに自分の目で施設を見ようと集まった来場者は2,866人を数え、昨年度の2,454人を上回る多数の方がSPring-8を訪れました。
今回は公開施設として、長さ140メートルの線型加速器、放射光を利用した実験が行われる蓄積リング棟実験ホール、放射光を発生するための電磁石などの様々な装置が設置されているマシン収納部、世界最長の1kmの長尺ビームライン、兵庫県の中型放射光施設ニュースバルなどのほか、日本原子力研究所の実験棟である「放射光物性棟」が初めて公開されました。
ここでは各公開施設での様子や公開内容を、写真を交えて紹介します。
放射光普及棟は、施設公開日以外も公開している唯一の施設です。ここでは、常設展示の他に科学講演会を催しました。SPring-8でも盛んに行われているタンパク質研究についての「21世紀の生命科学(理化学研究所播磨研究所・飯塚哲太郎副所長)」、SPring-8での研究成果や話題のナノテクについての「物質が創るナノの世界(日本原子力研究所放射光科学研究センター・水木純一郎次長)」、SPring-8の心臓部ともいえる加速器についての「加速器のはなし((財)高輝度光科学研究センター加速器部門・熊谷教孝部門長)」のそれぞれに特徴のある3つの科学講演のいずれにも多くの来場者がつめかけ、SPring-8での科学研究に対する関心の高さがうかがえました。
蓄積リング棟実験ホール内では、実際に放射光が通る実験ハッチ内の装置も公開し、SPring-8の研究者がパネルやビデオを使い研究内容等を一般の方に紹介しました。
また、SPring-8を象徴する「光」に興味を持って親しんでもらおうと、研究者たちが工夫を凝らして開催した、波の動きで分かる光の性質の実演コーナー、分光器をCDやボール紙などの身近な材料で工作するコーナーなどの体験型コーナーは、小中学生から大人まで楽しめる内容ということもあって、家族連れで終始賑わいを見せていました。
線型加速器棟やマシン収納部では、普段は目にすることがない特殊な機械や装置を研究者が実物やパネルを用いて分かりやすく説明し、熱心に聞き入る来場者が多く見られました。
![]() |
科学講演会の様子
|
![]() |
![]() |
ビームライン(BL04B1)見学
この装置では超高温超高圧の世界を作り出して、地球内部の様子を研究しています。普段は見ることができない実験装置とあって来場者も興味津々。熱心に研究者の説明に耳を傾けていました。この装置に関連した、ダイヤモンドアンビルを使った冷蔵庫の外で氷をつくる実験や、高温高圧下で合成した人工ダイヤモンドの展示などのデモンストレーションが好評でした。 |
CDで虹を見よう─光を観察
違いが分かるかな?自分で作った分光器で蛍光灯や白熱灯などの様々な光源からの光を観察しています。きれいに虹色のスペクトルが見えた時や、研究者の説明をうけて光源によるスペクトルの違いを見つけた時には、歓声が。 |
![]() |
![]() |
![]() |
線型加速器棟
蓄積リングに電子ビームを供給する線型加速器では、最初に電子が飛び出し、加速されていく原理を研究員が要所要所で丁寧に説明していました。 |
カエルの心臓
カエルの心臓だけが動いてる様子に来場者はびっくり。SPring-8の放射光は医学利用などの生物関連にも盛んに利用されています。放射光の将来性に来場者から期待の声が寄せられました。 |
日本原子力研究所放射光物性棟
今回初の公開となった放射光物性棟では、色んなものにメッキをしてみる実演(写真)や、レーザーを使った光の回折実験、電子顕微鏡によるシリコン表面の観察など、盛りだくさんの実験や実演があり、研究員の意気込みを感じました。 |
この度の施設公開では、SPring-8全所をあげて470名ものスタッフで対応しました。来場者アンケートによると、施設公開の内容は難しいと感じた方も少なくないようでしたが、慣れないながらも分かりやすい説明を心がけたスタッフの努力を評価する意見や、「来年もまた来たい」などのスタッフにとって嬉しい回答が多数寄せられました。
3極ワークショップ開かれる
第8回3極ワークショップが米国アルゴンヌ研究所のAPSで開かれ、SPring-8から14人(吉良所長ほか)、ESRFから14人(W.G. Stirling所長ほか)、主催者のAPSから約40人(J.M.Gibson所長ほか)が参加しました。
この会議はESRF・APS・SPring-8の3つの第3世代大型放射光施設に共通な問題を議論するもので、1994年に第1回がESRFで開かれて以来、3施設の回り持ちで開かれ、今回はAPSで6月2日、3日の2日間にわたって開かれました。また、本会議に先立ち、サテライト会議として光学ワークショップが5月29日と30日に同じAPSで開かれました。本会議では初日に施設の20年にわたる見通し、施設の運転経験、光源の開発、検出器の開発について3施設から報告がなされ活発な議論が展開されました。その後、光学ワークショップでの議論の結果が報告されました。2日目はビームラインの制御と新しく始めた実験について各施設からの紹介があり、1日目に引き続いて活発な議論が交わされました。今回初めての試みとして、初日に3施設の広報活動についての情報交換がパラレルセッションとして開かれ、本会議の最後にその内容が報告されました。初めての試みに対して、非常に意義があることであり、これからも続けたいという意見が出されました。最後にSPring-8の吉良所長から次回は来年の10月か11月の初めにSPring-8で開く予定であるとの報告で締めくくられました。(所長室)
![]() |
![]() |
行事一覧
●4月26日 第11回SPring-8施設公開「その目で見よう!世界一のSPring-8!!」
●5月9日 SPring-8講習会:XAFSデータ解析(大阪)
●6月2日~4日 三極ワークショップ(シカゴ)
●6月2日~5日 トライやるウィーク(中学生体験活動週間)
●6月13日 第28回理事会・第17回評議員会/SPring-8利用推進協議会総会(神戸)
●6月16日 文部科学省ナノテクノロジー総合支援プロジェクト 放射光グループ研究成果報告会:放射光利用ナノテク最前線(大阪)
SPring-8 見学者
5月~6月の施設見学者数 4,011名
■主な施設見学者
5月15日 黒鉛化合物研究会 20名
5月22日 大阪大学大学院理学研究科 13名
5月26日 マックスプランク研究所 ドッシュ氏 他 4名
6月6日 日本製薬工業協会広報部会 30名
6月12日 在京外国特派員 関西プレスツアー 17名
6月13日 EU駐日大使 ベルンハルド・ツェプター氏 他 5名
SPring-8 Flash
相生ペーロン祭参加
播磨地区の初夏の訪れを告げる「ぺーロン祭り」が、5月24日(土)、25日(日)の両日、相生市で開催されました。25日に相生湾で行われた「ぺーロン競漕」には、今年もSPring-8から「SPring-8」と「じゃすり光」の2チームが参加しました。ぺーロン競漕は、天龍など龍の名前の付いた木造船に、艇長の他、舵取、銅鑼、太鼓の各担当と木の櫂を手にした28名の漕手の計32名が乗り込み、銅鑼と太鼓が織りなす「ドン・デン・ジャン」の囃子に合わせて力漕し、相生湾内に立てられた4本の旗を折り返し点に往復600メートルの順位を競うレースです。
当日の天候は生憎の曇天で風が強く、少し寒く感じられた程でした。9:30数発の花火の合図とともにいよいよぺーロン競漕の開始です。8頭の龍の冠をつけたぺーロン艇が、4艇ずつ交互に流線型の身をくねらせながら波間を滑って行きます。10:30さあ、「SPring-8」チームの出番です。入念に準備体操を済ませ、紫紺のベストに身を包み、櫂を雄々しく握りしめ、次々と龍の背にまたがっていきます。艇長の「用意はいいか」のかけ声のもと、28名の漕ぎ手が木の櫂を高く掲げ、スタートです。往路は、追い風に乗りきれず、僅差の2位で折り返しましたが、復路の直線に入った途端、ぐんぐんその差を縮めていき、船首差の1位でゴールしました。タイムは3分29秒と昨年より1秒早いタイムとなり、総合成績としても参加41チーム中7位(昨年は11位)と大殊勲でした。続いて、11:10「じゃすり光」の出艇です。女性中心のチームに相応しく、真っ赤なベストを着こなして、華やかな雰囲気の中、スタートしました。レースは、「SPring-8」と同様に後半の頑張りが功を奏して、3位で入賞しました。タイムは3分50秒と昨年より2秒ほど遅れましたが、強風により、他のチームが大幅にタイムを崩すなかでの大健闘でした。総合順位も昨年の34位から30位と躍進しました。両艇とも、厳しい陸上・海上練習に耐えての好成績だったために、メンバーの喜びもひとしおだったことと思います。
![]() |
![]() |
今後の行事予定
●7月5日~8日 SPring-8夏の学校(2003年度)
●8月5日~7日 高校生のためのサイエンス・サマーキャンプ
●8月20日~21日 高校生のためのサマーサイエンスセミナー