大型放射光施設 SPring-8

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SPring-8 NEWS 111号(2023.3月号)

 

研究成果 · トピックス

SPring-8とクライオ電子顕微鏡で解き明かした最強のイオンポンプの仕組み
胃酸ができる仕組みを理解し、創薬に応用

100万倍の濃度に逆らって働く最強ポンプ

 ご飯を食べることは、私たちの楽しみの一つです。口に入った食べ物は噛み砕かれ、口や胃や腸で分泌される消化酵素によって分解され、最終的には細胞が利用できるサイズまで小さくなります。これが消化と呼ばれる過程です。
 消化の過程の中で重要な働きを担っているのが胃酸です(図1)。胃酸は、pH 1の強力な酸で、タンパク質を分解されやすい構造に変えます。また、消化酵素ペプシンを活性化します。胃の中に入った食べ物についている細菌のほとんどは胃酸で死滅します。そのおかげで、胃の中に食べ物が3、4時間留まっても腐ることはありません。

図1

 この強力な酸を作り出しているのは、胃プロトンポンプと呼ばれる胃壁細胞の細胞膜に埋まったタンパク質です。名古屋大学の阿部一啓さんは、長年にわたって胃のプロトンポンプの働く仕組みを研究してきました。
 「通常であれば、液体中の物質は、濃度の濃い方から薄い方へ移動します。自由に物質が移動できる空間では、時間が経つと液体の濃度は均一になります。しかし、生物は濃度に逆らって物質を偏らせる仕組みを持っています。そのひとつがイオンポンプです。細胞の外と中では液体中に存在するイオンの濃度が異なります。坂道から転がり落ちていくボールを坂の上に戻すように、イオンポンプは濃度に逆らってイオンを運んで、細胞膜の外と中のイオン濃度の偏りを一定に保ち、多様な生体反応に役立てています」
 さまざまなポンプが存在する中で、なぜ、阿部さんは特に胃のプロトンポンプに注目しているのでしょうか。
 「胃のプロトンポンプが最強のポンプだからです。酸性の強さはプロトン(水素イオン:H)の濃度で決まります。胃の中のプロトンの濃度は他の体内の場所よりも100万倍も濃いのです。胃のプロトンポンプは100万倍という激しい濃度勾配に逆らって、胃の中へプロトンをせっせと運んでいます。いったいどうやってそんな力技を成し遂げているのか。この手で解明したいと思いました」

新薬が胃酸を抑制する仕組みを調べる

 胃プロトンポンプの構造は、長い間、謎に包まれたままでした。阿部さんは学生の頃から胃プロトンポンプの構造を解き明かすために試行錯誤を重ねてきました。そして、2018年に世界で初めて、SPring-8を使って胃プロトンポンプの構造と働く仕組みを明らかにすることができました。
 成功の秘訣は何だったのでしょうか。
 「1つはヒト培養細胞を使った方法で、胃の純粋な試料を大量に得ることに成功したことです。もう1つは、胃プロトンポンプの阻害剤の研究を同時に進めていたことです。胃プロトンポンプ単独ではなく、阻害剤を結合させた状態で結晶を作ることで、安定した胃プロトンポンプの構造を得ることができました」
 胃プロトンポンプの阻害剤は胃酸の出過ぎを抑えることができるため、有効な薬になります。なぜなら、胃酸は、自分の組織さえ傷つける諸刃の剣だからです。胃酸は胃以外の場所にあふれ出てしまうと、胸やけや喉の痛みを起こします。また、通常は粘液で守られている胃の内部も、体の調子が悪くて粘液が出なかったり胃酸が出過ぎたりした場合は、胃酸によってダメージを受けて胃痛や炎症が起こります。そのため、古くから臨床の現場では、胃酸を抑える薬が治療として使われてきました。
 「これまでにさまざまなタイプの胃酸抑制剤が開発されてきましたが、私たちが注目しているのは、P-CABと呼ばれるグループの新しいタイプの胃プロトンポンプ阻害剤です。最初に開発された化合物SCH28080は、様々な制約から薬としては使えませんでしたが、その構造を基にいくつかの薬が作られました。日本では武田薬品工業からVonoprazanという阻害剤がタケキャブ®という商品名で、2016年から販売されています。P-CABは、これまでに使われていた薬よりも速やかに、かつ持続的に胃酸の分泌を抑える有用な薬ですが、どのような仕組みで効いているのかはわかっていませんでした」
 阿部さんたちは、P-CABを胃プロトンポンプに結合させ、胃プロトンポンプの構造を調べると同時に、P-CABがポンプのどこに結合しているのかをSPring-8とクライオ電子顕微鏡を使って調べたのです。
 まず、P-CAB開発のもととなった化合物SCH28080と、Vonoprazanを結合させた胃プロトンポンプの結晶を作製しました。放射光をタンパク質結晶に当てると回折像が得られ、その回折像からタンパク質の構造を導き出すことができます。阿部さんたちは、SPring-8のタンパク質構造解析ビームライン(BL32XU、BL41XU)を利用して、胃プロトンポンプと阻害剤の複合体の回折データを取得しました。その結果、胃プロトンポンプの構造が明らかになり、P-CABグループに属する阻害剤は、イオンの通り道にはまり込むように結合していることがわかりました(図2)。
 「胃プロトンポンプが、カリウムイオンとプロトンを交換する形でプロトンを胃の中に送り込むことはわかっていました。今回の結果で、P-CABがその通り道をふさぎ、プロトンを送り込むのを邪魔していることがわかったのです」
 これらの結果は2018年に英国科学誌『Nature』に掲載されました。

図2

図2 胃プロトンポンプの構造とP-CAB Vonoprazanの作用する場所の模式図

構造が分かれば薬の改良が容易になる

 阿部さんたちの研究グループはさらにP-CABグループの他の阻害剤についても調べ、4つの阻害剤の結合の様子を詳細に明らかにし、2022年に米国化学会雑誌『Journal of Medicinal Chemistry』に発表しました。
 2022年の論文の研究では、X線結晶構造解析だけでなく、SPring-8に設置されているクライオ電子顕微鏡も利用しました。クライオ電子顕微鏡による単粒子解析は、タンパク質を薄い氷に閉じ込めて画像を撮影し、コンピュータ上で大量のデータを解析する方法です。この手法を使うことで、結晶になりにくい胃プロトンポンプと阻害剤の複合体構造も解き明かすことができました」
 P-CABグループの阻害剤はすべて胃プロトンポンプのイオンの通り道をふさいでいましたが、詳細に見ていくと、そのふさぎ方に違いがありました。図3の左側の白い形はSCH28080の結合状態を表しています。通り道に対して横長にふさいでいます。一方、右側の黄色で示しているVonoprazanは、縦に長くなった形で通り道をふさいでいます。さらに、両方の図に重ねて赤紫色で示したRevaprazanは、SCH28080の作用する場所と、Vonoparazanが作用する場所の両方を弱くカバーしています。
「このように構造が詳細に見えてくると、より良い薬剤を設計していくことができます。たとえば、RevaprazanがSCH28080の作用場所とVonoparazanの作用場所の両方をカバーしていることに注目して、さらに強く両方に作用するような構造の化合物を作れば、もっと効果は高くなるかもしれません。また、副作用が出た場合も、どの部分の構造が原因なのかを調べて、そこだけを変えて、薬としての作用はそのまま残すというアレンジも可能になります」
 SPring-8を使った構造解析はこれからの創薬の強力な武器になると阿部さんは確信しています。またSPring-8の放射光による高輝度X線だからこそ、短時間で解析をすることができ、膜の中にある壊れやすいタンパク質でもここまで詳細に解析ができたのです。
 「2019年からBL45XUを始めとしてタンパク質結晶の自動測定環境が整備され、利用できるようになっていたことは、非常に助かりました。コロナ禍でも実験を止めることなく進められたからです。また、クライオ電顕による構造解析の手ごたえもつかみました。構造解析の専門家が集まっているSPring-8にクライオ電顕が設置されていることは、情報交換や技術の発展のためにも、大きな利点だと思います」
 現在阿部さんは、研究結果をもとに、より効果の高い薬剤を開発中です。
 「まだ論文で発表していないので詳細は話せませんが、プロジェクトは順調に進んでいます。胃プロトンポンプの働く仕組みを知りたいという想いが私の研究のもともとのモチベーションですが、研究成果が創薬につながり、苦しんでいる患者さんを助けることができたら嬉しいですね」

図3

図3 SCH28080、Vonoprazan、Revaprazanの作用部位


コラム

 阿部さんが「イオンポンプ」や「酵素」のような、構造を変化させて働くタンパク質に興味をもったのは、大学生のときでした。
 「濃度に逆らって物質を輸送するポンプの話を詳しく教えてくれたのが、大学生のときに所属した研究室の谷口和弥先生でした。谷口先生は自身の師匠の言葉を引用して、『酵素は君と話したがっているのに、なぜ耳を閉じるんだ?』と言っていました。当時、私が取り組んでいたのは、酵素の反応を数値的に見る生化学という学問だったので、一生懸命、酵素の声に耳を傾けていました」
 その後、声を聞くだけでは満足できなくなった阿部さんは、構造生物学に取り組み、タンパク質を「見る」ようになりました。今では、構造の一部を変えて反応の変化を確かめたり、阻害剤を作って口をふさいでみたりと「ずいぶん乱暴なこともしていますが」と笑います。科学技術の発達によって、研究者とタンパク質とのコミュニケーションの形は変わっていくのです。
 趣味は研究だという阿部さんのささやかな楽しみは、出張や旅行のときに、その地元の地ビール屋をめぐることだそうです。
 「先日、仕事でカナダとアメリカを回ってきました。向こうには小さな地ビール屋がたくさんあるんです。業務を終えた後には、そういうお店で地ビールを飲んで仕事の英気を養います」

阿部さん

文:チーム・パスカル 寒竹 泉美


この記事は、名古屋大学 細胞生理学研究センター 准教授 阿部一啓さんにインタビューして構成しました。


実験技術紹介 利用者のみなさまへ

共用クライオ電子顕微鏡EM01CTでのデータ測定

  “研究成果・トピックス”で取り上げられたクライオ電子顕微鏡単粒子解析(以下、単粒子解析)は、構造生物学ビームライン付帯設備のクライオ電子顕微鏡EM01CT(図1(1))を用いて行われました。EM01CTは日本電子製CRYOARM 300で、冷陰極電界放出形電子銃、インカラム形エネルギーフィルター、液体窒素冷却ステージ、ならびに自動試料交換機構などを装備しており、これにガタンK3カメラ(図1(3))を組み合わせることで高分解能、高効率データ測定を実現しています。利用者は大まかに、結晶化試料の性状評価を行う方と、結晶化がどうしてもうまくいかない試料の溶液構造解析を行う方に分かれます。この装置を利用するには、試料溶液から電子顕微鏡に用いる凍結グリッドを作製するための技術と、画像取得ソフトに習熟するための講習の受講が必要です。
 凍結グリッド作製装置(図1(4))を用いて、図2に示すような金属メッシュに貼り付けられた一定の間隔で穴の空いた炭素薄膜に生体高分子試料溶液を滴下し、濾紙で余剰な溶液を吸い取り、膜穴にかかった薄い液膜を液体エタンに急速に浸漬することで「アモルファスな氷」に試料を包埋します。これを図に示す流れで氷の厚みが十分に薄い領域をスクリーニングし、自動測定をセットアップし、16時間程度撮影を繰り返し7000枚程度のデータを取得します。
 単粒子のデータ解析では、単一粒子の投影像と考えられる粒子像を集め、同じ向きのものを集めて重ね合わせることで、ノイズの影響を減らし、3次元立体構造再構成を行います。この3次元像を再構成した後は、個々の単粒子像の構造の違いを推定し、分類することが可能になります。このことで複数の構造が混在してしまう試料からも高分解能な構造解析が実現されつつあります。図3に示したように、放射光を用いた結晶構造解析では同じものが規則的に並んだ結晶を作製しなければなりませんが、単粒子解析では精製試料をそのまま凍結し解析できるため、近年では構造生物学および創薬研究で盛んに試みられています。

図1

図1 構造生物学ビームライン付帯設備として整備された機器
(1) EM01CT CRYO ARM 300 (JEMZ300FSC)
(2) EM02CT CRYO ARM 200 (JEMZ200FSC)
(3) EM01CTに搭載されているK3カメラ
(4) 凍結グリッド作製装置 Vitrobot MkIV

図2

図2 クライオ電子顕微鏡単粒子解析におけるデータ測定の流れ

図3

図3 結晶構造解析と単粒子解析
均一に同じものが並んだ結晶を測定に用いるのに対し、混合物であっても測定したのちに計算で分類して目的の構造を得ることが可能になっている。

SPring-8の利用事例や相談窓口


SPring-8で学ぶ学生たち

第27回:北海道大学 中谷さん

 今回は北海道大学触媒科学研究所 触媒材料研究部門 博士後期課程2年次の中谷さんです。中谷さんはSPring-8の「大学院生提案型課題(長期型)」を活用しSPring-8で研究を続けています。

Q.現在の研究内容について教えてください。

A.アルカン脱水素やカップリング反応に対して有効な新規合金ナノ粒子触媒(固溶体合金、金属間化合物、多元素合金等)の開発を主に行っています。扱っている粒子は主に5 nm以下の非常に小さいサイズですので、合金のバルク/表面構造や触媒作用の解明には多岐に渡る実験と理論計算をする必要があります。

Q.なぜ理系を志し、どのような経緯で現在の研究テーマにたどり着いたのですか。

A.子供の頃から農業や建築、科学などに興味があり、漠然と「ものづくり」に携わりたいという気持ちがありました。高校では理数科に進学したため、自然と化学への興味が深くなり、そのまま理系の勉学を続けることを決めました。高校の頃から漠然と触媒に興味をもっていたのですが、高校化学で「この反応を促進するために、触媒として白金(Pt)を使います」と一方的に説明を受けたことを覚えています。だからこそ不思議に感じ、興味を持ちました。大学進学後も頭の片隅には「触媒を研究したい」という思いがあり、学部2年時に現在の研究室を訪問しました。その際に今の研究テーマである合金触媒に興味を惹かれ、現在に至っています。

Q.現在の研究において、なぜ放射光の利用が必要になったのですか。

A.学部4年生の頃の研究では、ラボレベルのX線回折装置で十分でした。しかしながら、研究が発展するにつれ、触媒ナノ粒子の更なる小粒子化と多元素化が必要となりました。その結果、構造解析には放射光を用いたX線回折とXAFS測定を行う必要があり、現在の放射光利用へと至りました。放射光を利用した実験は非常に有益なデータを与えてくれます。最近は年に2~3回ほど放射光を利用していますが、重要なデータが得られますので、毎度わくわくしながら測定しています。

Q. これから進学を考えている高校生へ一言お願いします。

A. 私が大学進学の際に化学を専攻しようと決めたのは、他の教科と比べて楽しく、そして苦手意識が少なかったからです。しかし、化学の中でも様々な分野があり、分野毎に得手不得手があります。現在の私の研究領域は非常に興味深く、そして自分の力を最大限発揮できると感じています。しかし、もしどこかで選択を間違えていたら、今のように研究生活を楽しむことはできなかったと思います。大学受験は人生の中でも大きな転換点です。大学進学を考えている方は、日々の受験勉強に追われているかと思います が、大学進学は“ゴール”ではなく“スタート”だと思います。その時に、分野選択を後悔しないためにも、高校生の皆さんには日々の勉学だけでなく、大学進学後を見据えた情報収集もして頂ければと思います。

 インタビューの初めは少し緊張した様子が伺えましたが、進めるにつれ中谷さんの真摯な性格と明るい性格が伺えました。実はこの取材直後、中谷さんは実験を続けられましたが、SPring-8の外では「10年に一度」クラスの寒波が襲い、真っ白な雪に包まれました。翌日実験が終わったときの外の雪景色は、北海道出身の中谷さんも「驚いた」のではないでしょうか。

【参考】
大学院生提案型課題(長期型)は将来の放射光研究を担う人材の育成を図ることを目的とし、大学院生が主体的に立案、提案、遂行することを奨励するSPring-8で行う課題です。
SPring-8大学院生提案型課題(長期型) https://user.spring8.or.jp/?p=39388

実験中のBL01B1内にて中谷さん

実験中のBL01B1内にて中谷さん


SPring-8夏の学校と秋の学校について

行事予定  line
 

 2023年度もSPring-8夏の学校とSPring-8秋の学校を開催します。
 「第23回SPring-8夏の学校」は2023年7月9日から(4月初旬募集開始)、「第7回SPring-8秋の学校」は2023年9月中旬(6月頃募集開始)に開催を予定しています。詳細はSPring-8 HPに掲載されるので、興味のある方は是非SPring-8 HPをチェックしてみてください。たくさんの生徒の参加をお待ちしています。

第22回SPring-8夏の学校における集合写真

第22回SPring-8夏の学校の集合写真


最終変更日