大型放射光施設 SPring-8

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SPring-8 NEWS 116号(2024.6月号)

 

研究成果 · トピックス

高分解能な軟X線解析を可能にする世界初の顕微鏡を開発 最短2 mmの長さの超精密小型集光ミラーを作る

軟X線用の新たな測定装置をつくる

 顕微鏡の発明によって細胞が発見されたように、これまでにない観察道具を作れば、新たな科学の進展に繋がります。東京大学の島村勇德さんは、X線の中でも波長の長い「軟X線」を使って、より詳細に物体を観察できる新しい装置を開発しました。
 研究の目的について、島村さんは次のように語ります。
 「X線の波長の長い側を軟X線、短い側を硬X線と大きく分けると、軟X線は硬X線よりもエネルギーが低い光で、硬X線だと透過してしまう物体の表面(例えば皮膚や細胞など)を見ることが得意です。しかし、エネルギーが低いため、硬X線に比べて解像度が低くなるという難点があります。これを改良し、高解像度な軟X線の観察装置を作ろうと試みたのが私の研究です」
 軟X線の解像度や強度を高めるには、一点に光を集める(集光)ことが有効です。虫眼鏡で太陽の光を一点に集めると、太陽の光は黒い紙を焦がすほどの強度になりますが、軟X線も小さな点に集めることができれば、局所的な反応を解像度高く起こすことができます。
 虫メガネの凸レンズは光の進路を曲げることで、虫メガネ全体に入ってきた光を集めています。しかし、軟X線はレンズでは集光しにくい理由があります。レンズがどういう角度で光を曲げるかは、光の波長によって変わってきます。可視光の波長は、400~700 nm ですが、軟X線は 0.1~10 nm という100倍も違う波長の光の集まりなので、レンズを通すと波長ごとに集光される位置(集光点)が変わってしまい、全てを一点に集めることができません。
 そこで島村さんはレンズではなく鏡を使って集光する方法を検討しました。鏡は波長に関係なく、入ってきた角度と同じ角度で光を反射します。さらに、鏡を楕円状に湾曲させておけば、一点に光を集めることができます。
 これは楕円の反射定理と呼ばれる現象です(図1)。楕円は平面上のある2定点からの距離の和が一定となるような点の集合から作られる曲線と定義されます。その2定点を焦点と呼び、この片方の焦点から出た光は、どういう方向に出ても、円周で反射してもう一つの焦点に向かうという面白い性質があります。レンズが使いにくいX線の集光には、この楕円の性質が使われています。

図1

図1 楕円の反射定理

これまでにない小さな鏡を作る

 島村さんが特に参考にした鏡は図2に示したKB(Kirkpatrick-Baez)ミラーと筒型形状ミラーです。KBミラーは入ってきたX線を楕円状に湾曲した2つの鏡を使って1点に集めます。まず1つめの鏡で水平方向に集光し、次の鏡で鉛直方向に集光して1点に集合させます。この方法は硬X線の測定でよく用いられますが、集光点(焦点)までの距離が長くなると、少しの凹凸で集光点からずれた光が出てきます。また、軟X線では十分な解像度が得られません。  筒型形状ミラー法は、島村さんが所属していた三村研(東京大学 三村秀和 教授)で開発されました。楕円の円筒状の鏡の中に光を通せば、どこに当たっても反射して一点に集光できます。しかし、理論上は上手くいっても、円筒形状の鏡を精密に作るのは大変です。現在も技術上の限界を超えるために開発が進められています。

図2

図2 従来のX線ミラーの課題

 「私が挑戦したのは、小さな鏡でKBミラーを作ることです。鏡が大きいと焦点距離が遠くなるため、微妙な凹凸のずれなどによって集光の精度が低くなりますが、鏡を小さくすれば焦点距離が短くなる、つまり的が近くなるので、精度が上がります。KBミラーの集光ミラーの長さは最長1 mにまで到達することもありますが、これを最短 2 mm にすることに挑戦しました」
 島村さんの目指す鏡は小さいだけでなく、楕円のカーブも急です。バスケットボールの表面くらいのカーブがついたツルツルの小さな鏡を作るのは、平らな鏡を作るよりも技術的に難しい挑戦でした。
 さまざまな試行錯誤の末、島村さんは、まずガラスで円筒を作り、その一部を切り出した面の一部に金属のニッケル(Ni)を載せて膜を作って楕円のカーブを作っていく方法にたどり着きました(図3)。

図3

図3 超精密小型集光ミラーの作り方

 ニッケルの膜をつける方法は、「差分成膜法」を応用しました(図4)。差分成膜法はアルゴン原子をニッケル板材にぶつけ、飛び出したニッケル原子を穴の空いたステンシルマスクを通して受け止めることで、成膜する位置をコントロールする方法です。従来の方法では、狙った範囲以外にもニッケルが広がってしまうため、スリットの穴を狭めました。さらに、まず粗い形状で成膜したあとに、スリットを2枚にしてより細かい形状の成膜を行う方法で急峻なカーブを作り、約 2.8 nmというわずかな誤差しか持たない理想の鏡を完成させることができました。  「ニッケル原子の直径は 0.2 nmほどなので、2.8 nmの誤差というと、ニッケル原子約15個ほどです。この精度に達するために、何度も加工と計測を繰り返しました。うまくいったときでも、1つの鏡を作るのに、最低1か月はかかっています」

図4

図4 開発した成膜法

図5

図5 完成したミラーの写真と実際の配置

神経細胞のスパインの元素の濃度分布偏りを初めて観察

 鏡ができあがったら、いよいよ測定です。島村さんは、できあがった鏡をSPring-8に持ち込み、軟X線ビームラインBL25SU-Aに鏡を使った測定装置を組み上げました。そして、実際の測定を行いました。
 まず、作製した鏡の集光能力を測定したところ、集光サイズは、最小20.4 nm を記録しました。集光サイズは小さいほど焦点が絞られていることを表します。SPring-8で用いられている軟X線の集光サイズである100 nm と比べても、極めて小さい値です。
 次に、実際にこの測定装置を使って、軟X線を用いて行われるX線蛍光観察で、培養したラットの脳の神経細胞を観察してみました。その結果、軽元素と金属の量と濃度を100 nm 空間分解能で評価することに成功しました。
 「光学顕微鏡では試料の厚みは評価できませんが、新たに開発した手法では厚みも軽元素や金属の量も同時に測定できるため、局所的な濃度を算出することもできました。神経細胞のスパインという部位は、シナプス結合を担う重要な場所ですが、そこでの元素の分布の偏りも観察できました(図6)。このようなことは、従来の観察装置では実現できない成果だと考えています」
 今後、この装置を使って島村さんは細胞中の薬の動態を観察したいと語ります。薬の中に含まれているフッ素などの軽元素を目印にして、細胞内のどこに偏って取り込まれているのかを見ることができたら、薬の効果や副作用のメカニズムの解明につながるかもしれません。
 生物学や薬学での貢献が期待される島村さんの装置がどのように活かされていくのか、今後の研究成果が楽しみです。

 しかし、この分子の構造を決めるためには、非常に精度が高い測定データが必要であり、一般的な分析装置では本当に狙い通りの分子構造になっているのかどうかを確信することができませんでした。そこで、SPring-8の高輝度の放射光を使って分子の構造を決定する「単結晶X線構造解析」を行うことにしました。単結晶X線構造解析とは、原子や分子が規則正しく並んだ結晶に、X線を当てたときに、X線が跳ね返る方向や強さを測定することで、原子の並び方や分子の構造を決めることができる解析方法です。SPring-8を利用した単結晶X線構造解析では、利用できるX線のエネルギーが高く、高輝度であることや、決まったエネルギーに絞り込んで取り出せることで一般的な装置よりも高い精度での測定ができました。
 「それまでは、一般的な装置の測定精度の限界であるのか、単に合成ができていないのかの区別がつかなかったのですが、単結晶X線構造解析のできるSPring-8のビームラインBL02B1で解析し、結晶構造を正確に決めることができました。SPring-8で測ったことで狙い通りの構造ができていることがわかって、ほっとしました」
 さらに、溶液中でも結晶中と同じ構造で、期待した通りの触媒機能が発揮できることを確認するために、SPring-8のビームラインBL01B1を使い、「X線吸収微細構造法(XAFS)」も実施しました。
 XAFSは、物質中に含まれる元素に対して適した波長のX線を照射することで物質の電子状態や元素周辺の構造を知るX線吸収分光法の一種で、試料が結晶状態でなくても精密な解析ができるという利点があります。XAFSはX線のエネルギーを連続的に変化させて高輝度なX線を照射する方法であるため、SPring-8のような放射光施設を利用しないと実施することができません。

図6

図6 神経細胞のスパインの観察結果


 

コラム

 島村さんが科学者になりたいと思ったきっかけは、島津製作所の田中耕一さんがノーベル化学賞を受賞したニュースを見たことでした。2002年当時は小学生だった島村さん。詳しい研究内容は分かりませんでしたが、田中さんに憧れ、その翌年の七夕の短冊には「科学者になりたい」と書いたそうです。
 「その後は研究者を目指して一直線に進んでいった……わけではありませんでしたが、紆余曲折あって、だんだん自分の研究に自信が持てるようになった感じです」
 ところで、今回紹介した島村さんの研究で最後に登場した培養したラットの脳の神経細胞は、島村さんの配偶者であり、研究者でもある文香さんが培養したものです。もともと島村さんも神経細胞に興味を持っていましたが、細胞培養の経験はありません。文香さんとのコラボレーションによって、軟X線ならではのインパクトのある測定結果を示すことができました。
 「妻とはコロナ禍をきっかけに結婚しました。その後、この研究の成果を論文にしたので、論文の著者名には共同研究者として妻の名前も入っています。夫婦で同じ論文に名前を載せられたことは、記念にもなり嬉しかったです」

コラム

文:チーム・パスカル 寒竹 泉美


この記事は、東京大学 物性研究所 特任助教 島村勇德さんにインタビューして構成しました。


実験技術紹介 利用者のみなさまへ

X線ミラーがつなぐ技術と人材

 “研究成果・トピックス”で紹介された内容は、島村勇德さんが学部4年生のときに抱いた夢である「生体細胞の中の元素を観察」するために、キーデバイスであるX線集光ミラーを先達とともに作り上げ、具現化した成果です。本稿ではこれまでの「実験技術紹介」記事とは趣きが異なりますが、光学系の開発にSPring-8が活用されてきた一端をご紹介します。
 SPring-8は黎明期から現在までX線ミラーの研究開発で世界をリードしています。とりわけX線集光ミラーの表面は、微視的には原子レベルで滑らかでありながら、巨視的にみると急峻な非球面形状のため、加工も計測も容易ではありません。計測できないモノを精密に作り込むことはできませんが、X線ミラーは微視的にも巨視的にもナノメートル以下の精度を要します。可視光の干渉計では被検物が平面か球面でなければ収差のため形が歪んで見えてしまうため、X線ミラーのごく一部しかナノ精度で形状を測定できません。そこで明るく安定なSPring-8のX線が活躍します。X線で評価すると、ミラーのどこかに僅かな形状誤差があればビームの形が歪み、斑が現れるなどの課題が露わになります。X線の波が乱されてしまうからです。形状誤差の大きさと分布を精密に測定できれば先の記事で紹介された差分成膜法などで修正できます。ここでは形状計測の一例としてX線タイコグラフィー法をごく簡単にご紹介しましょう。
 X線タイコグラフィーといえば、試料の微細構造をナノ分解能で観察した最先端の利用研究に接した方も多いでしょう。詳しい原理は別の書籍等をご覧いただくとして、試料からの回折像の強度分布(図中の|ψCCD2 )からX線の位相を回復して、試料の構造( fobj )を知る手法です。このとき、試料を照明するX線の波面(ψprobe )も同時に得られます。既知の構造(図中の“SP8”と書かれたパターン)の試料を用いると、X線の波面(ψprobe )を経由して、ミラーからの反射波面(ψmirror )を精密に求めることができます。ミラーへの入射波面が整っていれば、波面の乱れは表面形状の誤差による位相の乱れと考えられます。形状誤差を含む波面の伝わり方を考慮すると波に位相差を生じさせる形状誤差分布を精密に測定できるのです。
 実験室や工場で使える装置の限界まで計測し、最終仕上げに必要な修正の要点を高品質なX線を用いて特定することにより、SPring-8登場からX線集光ミラーは飛躍的な高精度化を遂げました。表面形状だけでなく安定性など使い勝手を考慮した光学システムとして改良を重ねています。軟X線や硬X線の光電子分光用のWolter集光ミラーのように利用者が意識することなく出し入れして使える光学系も、このような開発過程を経て実用化に至りました。光学素子開発から利用に繋ぐ研究開発の土壌が醸成されていることはSPring-8の特長の一つといえましょう。四半世紀前の第三世代光源SPring-8の登場によりX線ミラーの技術革新が進むとともに人材も育まれています。黎明期の先生方を第一世代、当時の学生を第二世代とすれば、島村さんらのように第三世代の若手研究者が次代の学生さんを指導する時代に入りつつあります。第四世代光源の登場と共に新たな光学系とその利用の扉を拓く好機が訪れようとしています。

※参考書籍:「改訂版ビームライン光学技術入門・第12章」(日本放射光学会)

図 X線タイコグラフィーによる高精度ミラー開発における形状誤差評価の例

図 X線タイコグラフィーによる高精度ミラー開発における形状誤差評価の例

SPring-8の 利用事例や相談窓口


 

SPring-8で学ぶ学生たち

第32回:兵庫県立大学 後長さん

 今回は兵庫県立大学大学院 理学研究科 博士後期課程1年の後長さんです。後長さんは田中研究室の研究の一環でSPring-8やニュースバルを使って研究をしています。

Q.現在の研究されてるテーマについて教えてください。

A.放射光とレーザーの融合による新光源開発に向けた研究をしています。
放射光の優れた波長可変性と、レーザーの位相が良く揃った波(可干渉性)を組み合わせることで、未踏領域の超短パルス光(発光時間が非常に短い光)発生を目指しています。
大掛かりな実験で、複数の研究者の方と一緒に研究を進めています。その中で私は、光の計測、評価の部分を研究テーマにしています。

Q.なぜ理系を志し、どのような経緯で現在の研究テーマにたどり着いたのですか。

A.幼いころからものの仕組みや自然現象の原理などへの興味は大きかったと思います。高校生の時に偶然SPring-8を見学する機会があり、その規模の大きさや普段見ることのない装置の数々に感動したことを覚えています。
「小さなものを見るためになぜこんなに大掛かりな装置が必要なのか」、「どのように利用されて最先端の研究が行われているのか」、理解したい気持ちが科学への興味へと繋がり、気づけば放射光を利用した研究に参加したいと思うようになりました。
放射光そのものに興味があることを田中先生に伝えたところ、現在の研究テーマを提案いただきました。新しい光を創るという基礎研究は、自分の興味にぴったりな研究テーマだと思っています。

Q.田中研究室を選ばれた理由を教えてください。また、田中研究室の雰囲気を教えてください。

A.放射光を含む光そのものへの理解に繋げることができそうな研究室を選びました。SPring-8、SACLA、NewSUBARU全てを利用しているというのは他の研究室にはない大きな特徴でした。
研究室の雰囲気は、全体的に活発で和気あいあいとした雰囲気の研究室だと思います。普段はそれぞれ自分のペースで研究活動を進めていますが、放射光施設を利用する研究テーマが複数あるので、お互いに自身の研究テーマ以外の実験にも積極的に参加をして、協力して研究を進めています。

Q.これから進学を考えている高校生へ一言お願いします。

A.少しでも面白いと感じたことや興味を持ったことを大切にしてほしいです。好奇心に勝る原動力は無いなと思います。

 SPring-8での実験は、常に時間に追われている感覚があると言う後長さん。前準備をしていても想定外のことが起こることがあるそうです。限られた時間の中で迅速かつ柔軟に対応する力と、実験時間を最大限活用するための体力も必要とのことで、実験は大変そうです。一方で、楽しいことは、最先端の研究環境を肌で感じられることです。との言葉もありました。特に、自分が作製した計測系がきちんと機能して光の評価をするためのデータを取得できた時は喜びを感じるそうです。研究以外にも多趣味な後長さん。これからも、好奇心を原動力に研究を進めて、新光源の開発を達成して欲しいと思います。

SPring-8で学ぶ学生

BL19LXU内の装置の前で。後長さん(向かって右端)と田中研究室のメンバー



 

行事予定  line
 

放射光利用の基礎と実践を学びたいあなたに、第8回SPring-8秋の学校を開催します。

 2024年9月1日(日)~ 4日(水)の日程で、第8回SPring-8秋の学校が開催されます。秋の学校は、次世代の放射光科学に貢献する人材の発掘と育成を目的とし、SPring-8/SACLAのユーザー団体であるSPring-8ユーザー協同体(SPRUC)が主催となって企画されています。
“SPring-8秋の学校”は“SPring-8夏の学校”とは異なり、若い学部学生から、企業研究者などまで幅広く参加対象としており、かつ講義とグループ講習は、大学3年生が十分に理解できる水準に設定され、放射線作業従事者の登録がなくても参加できる形となっています。
 興味のある方は「SPring-8秋の学校」と検索してみてください。2024年6月中旬には募集開始予定です。

第7回SPring-8秋の学校における集合写真

第7回SPring-8秋の学校における集合写真


表紙について:
「L字型超小型ミラー」を使って集光する方法に成功し、解像度高く物体を観察できる顕微鏡を開発した島村勇徳さんを描いた。背景は左から右へ解像度が上がる神経細胞を示す。今回の開発により、細胞などを局所的に観測することができるようになり、今後の生物学や薬学への貢献が期待できる。

表紙

イラスト:大内田美沙紀

最終変更日