SPring-8 NEWS 22号(2005.9月号)
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![]() ラット精子中スズの検出
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研究成果・トピックス
精子に取り込まれたごく微量の“環境ホルモン”を見つける~微量スズの検出に世界で初めて成功~
はじめに
放射線医学総合研究所
武田 志乃
環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)とは、生体の恒常性の維持、生殖、発生、あるいは行動に関する種々の生体内ホルモンの合成、貯蔵、分泌、生体内輸送、結合、そしてそのホルモン作用そのものなどの諸過程を阻害する性質を持つ外来性の物質をいいます(内分泌障害性化学物質に関するスミソニアン・ワークショップでの定義)。近年、船底塗料や魚網防汚剤に混ぜたトリブチルスズやトリフェニルスズなどの有機スズ化合物による海洋汚染が世界的に広まり、汚染食品を介しての摂取やその環境ホルモン様作用に社会的関心が集まっています。ところがスズは一般的な分析法では感度の高い分析が困難な元素であります。そのため、これまで生殖器におけるスズの挙動に関する研究はほとんどなされておらず、詳細なしくみは不明のまま残されていました。我々は、SPring-8の放射光を使った蛍光X線分析が新たな研究戦術になるのでは、と考え、組織中の微量スズ(数百 ppb~数 ppm(ppb:10億分の1、ppm:百万分の1))の分析に取り組みました。
微小ビーム蛍光X線分析
SPring-8が発する高輝度でシャープなビーム(ビーム径:数マイクロメートル(1/100 mm))を試料に当て発生する蛍光X線を検出・解析することにより、試料を破壊することなく組織の状態のまま個々の細胞の元素情報を得ることができます。これまで微小ビーム蛍光X線分析*は20 keV以下のエネルギー領域を主体に整備が進められてきました。この領域内でK線*あるいはL線*の蛍光X線を検出すれば大部分の元素分析をカバーできるという立場からです。しかしながら低いエネルギーのX線では、スズなどの元素は生体中に多量に存在するカリウムやカルシウムなどの影響に埋没してしまうため測定できません。これを克服するために、高いエネルギーのX線を用いたK線の蛍光X線分析が望まれてきました。
昨年、SPring-8の分光分析ビームライン(BL37XU)が整備されたことで、微小ビームで、かつスズのK線を利用した蛍光X線分析が可能となりました。
精巣は複数の種類の細胞から構成される精細管が集合した複雑な構造をしています(図1)。精細管上皮には外側から精原細胞、精母細胞、精子細胞が配列し(図2)、系統だった分裂・分化を経て精子形成が行われています。生殖細胞の種類や成長段階によりストレスに対する感受性が異なることから、精巣内でのスズの挙動を把握するためには、精子に照準を合わせて微小ビームを照射してスズのK線を測定することが不可欠でした。

精巣は精細管の集合体で、図の断面図で1つ1つの大きな固まりが精細管である。
精細管上皮には生殖細胞が系統だって配列している。

精細管をドーナツにたとえると、ちょうど中央の穴の縁の部分に精子が配列している
(上記の図では、精細管の外側から精原細胞(長楕円)、精母細胞(丸、大小)、精子細胞(小楕円)、
そして黒っぽくおたまじゃくしの形をしたのが精子)。
微小ビームを精子に照射し、発生するスズの蛍光X線(Kα)を検出。
精子細胞にだけ照射して測定する方法
精巣内での精子形成最終段階の精細管(図2)は、中央に完成した精子が凝集して筋のように見えます。この精子に正確に照準を合わせる手法を確立して、ラット精巣における細胞選択的な測定を行いました。すなわち、精子には亜鉛が濃集していることを利用し、亜鉛の分布図から正確に精子の位置を割り出し、この部分の精子にビームを照射してスズの検出をしました。これによりトリブチルスズの投与後4日目にはスズが精子に移行していることが明らかとなりました。

精巣切片測定試料(A)の狙った精子(矢印)にビームを照射した時の蛍光X線スペクトル(B)。
今後の展開
このような成果が有機スズ化合物の継世代影響や生殖毒性、予防研究の手立てとなることを期待します。また、同じエネルギー領域に含まれる元素(ウラン、セシウム、カドミウム、モリブデン等)にも応用し、これまで不明瞭であった組織・細胞内挙動の解明につなげたいと思います。
参考文献
Homma-Takeda S., Nishimura Y., Terada Y., Ueno S., Watanabe Y.,Yukawa M., “Tin accumulation in spermatozoa of the rats exposed to tributyltinchloride by synchrotron radiation X-ray fluorescence (SR-XRF)analysis with microprobe”, Nuclear Instruments and Methods in PhysicsResearch B 231, 333-337 (2005).
用語解説
●K線、L線、特性X線
原子核の周りを運動する電子の軌道は内側からK、L、M、N殻と名付けられ、内側ほどエネルギー準位は低い。物質にX線を照射して内側軌道の電子がはじき出され、その空の軌道に外側の軌道から電子が移ってくると、両軌道のエネルギー差に相当する蛍光X線が放出される。K殻の空軌道に起因した蛍光X線をK線、L殻によるものをL線と呼び、いずれも元素に固有のエネルギーを持つため、これらを特性(固有)X線と呼ぶ。
●蛍光X線分析
上記のような原理から、物質から生じた蛍光X線のエネルギー(波長)と強度を測定することにより、物質に含まれる元素の種類と量を知ることができる。
※「環境ホルモン」の表記について
学術的には「内分泌かく乱化学物質」とよばれていますが、日本では一般に「環境ホルモン」として知られていることもあり、今回の記事では「環境ホルモン」という表現を使用しています。
行事報告
第5回SPring-8夏の学校 最先端の放射光科学を学ぶ
毎年恒例のSPring-8夏の学校は今年も(財)高輝度光科学研究センターと兵庫県立大学大学院との共催で7 月1 日~ 4 日の日程で開催されました。このSPring-8夏の学校は、学部4年生および大学院修士課程の学生を主な対象とし、次世代の放射光利用研究者の発掘と育成を目的としたものであり、今年で5回目の開催となりました。
今回の新しい試みは、夏の学校が兵庫県立大学大学院の単位として認められるようになったことと、SPring-8だけでなくニュースバルでも実習を行ったことです。今年の夏の学校のカリキュラムは、大学で放射線作業従事者になることができない方々に対してSPring-8で放射光を用いた実習を行うのに必要な放射線作業従事者になるための事前講習(6時間)が6月30日に行われ、7月1日には基礎講座として講義4科目、7月2日と3日の二日間にわたって実際に研究に使われている実験ステーションを使った実習2科目、最後の7月4日には応用講座として4科目の講義がありました。実習は9カ所のビームラインで行われ、参加者総数は40名でした。SPring-8内の滞在施設に泊まり込みで授業を受けたこともあり、受講者間での親睦も深まったようです。
夏の学校開催にあたっては講師や実習担当者の皆さん、またプログラムには明記されていない数多くのボランティアの方々のご協力がありました。実行委員会を代表してお礼申し上げます。私たちとしては、たとえひとりふたりであったとしても、この夏の学校に参加した皆さんの中から放射光分野での次世代の研究者が育ってくれることを期待しています。
なお、今回のプログラムの詳細は http://www.spring8.or.jp/ext/ja/sp8summer_school/sp8ss2005/sp8ss05.html でご覧になれます。 夏の学校実行委員会
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実習中の光景。
BL26B1、テーマはタンパク質構造解析です。 |
全部のカリキュラムが終わって全員で記念撮影。
場所は普及棟ロビーです。 |
実施した行事
● 8月22日~24日 高校生のためのサイエンス・サマーキャンプ
兵庫県下の高校生が体験実習や研究者との交流を通して科学技術分野への理解を深めるサマーキャンプ。今年度で8回目の開催です。
今回は「光の粒子性と波動性」「CT法による立体構造の可視化」「極低温でおこる不思議な現象『超伝導』を見てみよう」などの研究者による体験実習などを行うほか、科学講演会、SPring-8の施設見学、西はりま天文台見学等も実施されました。
今後の行事予定
● 11月17~18日 第9回SPring-8シンポジウム
SPring-8施設側と利用者側が一堂に会し、施設や研究の現状についての発表を通して相互の理解を深めるとともに、SPring-8における研究活動の更なる発展と共同利用の円滑化、実験ステーションの建設・高度化などを目指し議論を行います。
SPring-8 Flash
第8回X線顕微鏡国際会議XRM2005 The 8th International Conference on X-ray Microscopy
第8回X線顕微鏡国際会議(XRM2005、約260名参加)が、2005年7月26日から30日に姫路城を眼前に望む多目的施設「イーグレひめじ」で開かれ、日本を含む15カ国から約260名の参加がありました。X線顕微鏡は、光学顕微鏡よりも高い分解能が得られる道具として、世界各国で開発が進められています。特にSPring-8のような放射光リングからの高輝度なX線を使うことで、その性能を高めることができます。
会議では各国の研究者がこの数年間で得られた最新の研究成果を発表しました。顕微鏡の性能向上に関しては、分解能10ナノメートル(10万分の1ミリ)を切ることが最先端の目標です。これは原子が数十個並んだ長さに相当します。この性能を目指して、X線を一点に集めたり、試料の像を拡大するためのX線レンズや鏡の開発、設計について多くの報告がありました。X線顕微鏡では試料に含まれる元素の種類や、原子の並び方、あるいは磁気に関する情報も、知ることができます。さらに、10億分の1秒という驚くほど短い時間での試料の磁性の変化を、超高速度撮影することも可能になっています。
会期終盤の7月29日夕刻、参加者は5台のバスに乗り込み、懇親会場である龍野クラシックホテルへと向かいました。(財)高輝度光科学研究センター理事長の吉良の挨拶と乾杯の音頭のあと、和やかな雰囲気でバーベキュー形式のパーティーが開催されました。各国を代表するアルコール飲料のテイスティングや打ち上げ花火などの催しもあり、参加者の親睦も大いに深まりました。パーティーがお開きとなった後も、参加者たちは名残惜しそうに会場を去ろうとせず、主催者に促されてようやく帰りのバスへと乗り込みました。
会議最終日の午後にはSPring-8見学ツアーが開催されました。約80名の参加希望者が2台のバスに乗りニュースバル実験施設、SPring-8実験棟、長尺ビームライン実験施設を見学しました。普段から色々な放射光施設を使用している研究者でさえもSPring-8の規模の大きさには驚いていました。特に1kmの長尺ビームラインについては、その規模と得られるX線の性能の高さに対して研究者らが羨望の眼差しで見学しているのが印象的でした。
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大阪大学の三村氏の講演の様子。
SPring-8の1km ビームラインで使われている X線顕微鏡の原理を説明しています。 |
長尺ビームライン実験施設での見学の様子。
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実験用低温容器の破損について
7月2日に発生しました標記の件は、メディアによって大きく取り上げられ、皆様にはご心配をおかけいたしました。今回は、SPring-8施設本体に関わる事故ではありませんでしたが、施設の安全性について社会の一部に不安を与えた結果になったことについて深くお詫び申し上げます。
このたび、安全体制の再検討のための委員会及びBL12XU事故調査委員会において検討を行い、事故原因については7月15日に報告を行いました。この報告の内容を踏まえて、さらに安全確保のための対策を講じました。
報告内容は、SPring-8ホームページで閲覧できます。