大型放射光施設 SPring-8

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SPring-8 NEWS 37号(2008.3月号)

研究成果・トピックス

~らせん状の数珠つなぎになって情報を伝えるタンパク質構造の発見~

ウィント(Wnt)シグナル伝達系の仕組みを知る

 私たちの体はタンパク質でできています。しかしタンパク質は体を作るだけでなく、様々な役割を果たしています。なかでも重要なのが、「シグナル伝達」という役割です。細胞のなかでは「栄養状態が悪いから、増殖せずに省エネにつとめよう」とか「となりの細胞と一緒に働こう」といった、生命にとって大切な情報シグナルを、タンパク質が情報をリレーすることで伝えているのです。
 そしてこのシグナル伝達の仕組みに狂いが生じると細胞は暴走してしまい、無限に増え続けます。これが「がん細胞」という状態です。
 数あるシグナル伝達系のなかでも、「ウィント(Wnt)シグナル伝達系」は重要な役割を果たしています。この伝達系の異常は、大腸がんや肝臓がんをひきおこします。これらの病気のメカニズムを知り、治療法を確立するためには、その仕組みを明らかにすることが大切です。
 ウィントシグナル伝達系の重要な部分は、ディシブルドやアキシンというタンパク質によって調節されていることが知られていました。しかし、その具体的な仕組みは、これまで明らかになっていませんでした。このディシブルドの特殊な構造を明らかにしたのが、兵庫県立大学大学院生命理学研究科の樋口芳樹教授、柴田直樹准教授とイギリス医学研究評議会のマリアン・ビエンツ博士たちの研究グループだったのです。

DIX領域結晶化の苦労

 ディシブルドとアキシンは、どちらもアミノ酸配列(アミノ酸の組み合わせのつながり)が良く似た部分を持っています。この共通部分はディシブルド(DIshevelled)とアキシン(aXin)の文字からとって「DIX領域」と名付けられています。研究グループはこのDIX領域がウィントシグナル伝達系で重要な役割を果たしていると考え、その構造を詳しく調べることにしたのです。
 研究グループは、まずディシブルドからDIX領域を取り去ったタンパク質を人工的に作成し、この人工タンパク質が細胞内でどのようなふるまいをするかを調べました。すると、普通のディシブルドは細胞内で結合して、多量体というかたまりをつくったり、また分かれたりする(これを可逆的といいます)のに対し、人工タンパク質は多量体を作ることができず、しかもウィントシグナル伝達系で正常に働かないことがわかりました(図1)。どうやらこの「可逆的に多量体を作る能力」がディシブルドの機能に重要であり、またその能力はDIX領域に依存しているらしいのです。
 そこで研究グループは、DIX領域の構造を詳しく知るため、この部分を切り出して結晶化することにしました。ところが、研究技術の進んだ現在でも、特に難しいのがこのタンパク質の結晶化という作業です。樋口教授と柴田准教授は、一連の実験を振り返って「やはり何よりも難しかったのは、結晶化の段階でした」と語ります。世界のライバルたちも、きれいな結晶を生み出せずにいました。
 しかし研究グループはDIX領域の構造を調べ、結晶化を難しくしている原因を見つけました。DIX領域の内部にはシステインというアミノ酸があります。このシステインのチオール基(-SH基)が結晶化の最中に露出してしまい、このチオール基どうしが反応して結合することが結晶化を妨げているためではないかと見当をつけました。そこで水銀化合物によってこのチオール基の反応をブロックしたところ、見事に結晶化することに成功したのです(図2A)。
 ここまで来ると、あとは結晶をX線回折法*によって解析し、タンパク質の構造を調べるだけです。しかし、実験室のX線回折装置では4.0Å(1Å=0.1ナノメートル)までしか解像度を上げることができませんでした。このレベルではタンパク質構造の細かい部分まで見ることはできません。そこで研究グループは、タンパク質の精製・結晶化方法に改良を加える一方で、SPring-8のBL41XU構造生物学 II ビームラインを用いて解析しました。すると最終的に2.9Åの解像度のX線回折像を得ることができ(図2B)、DIX領域の構造が明らかになったのです(図3B)。

 

図1. ディシブルドの細胞内での様子図1. ディシブルドの細胞内での様子。
正常なディシブルド(A)は集まって多量体を作っているため小さな粒に見えるが、DIX領域を切り取った変異体
(B)は粒状にならずに細胞内全体に散らばっていることがわかる。右写真で中心に黒く見えるのは細胞の核である。

 

 

図2. DIX領域の結晶とX線回折像図2. DIX領域の結晶とX線回折像。(A)DIX領域の結晶写真。
(B)SPring-8のBL41XU構造生物学 II ビームラインによって得られた結晶のX線回折像。矢印のあたりが2.9Å分解能の反射領域を示す。

 

DIX領域は非常に珍しい構造を持っている

 こうして得られたDIX領域のX線回折像からは、面白い事実が次々に浮かび上がりました。
 まず、DIX領域は、多量体を作ることで知られている「ユビキチン」というタンパク質(図3A)に良く似たβシート構造*を持っていました(図3B)。タンパク質が古くなって壊れてくると、折りたたまれていたタンパク質の内部が外側に露出してきます。この露出した部分に、ユビキチンが繰り返し結合して、「数珠つなぎ」になります。この数珠つなぎのユビキチンがついたタンパク質は「不用品」と判断され、細胞内で廃棄あるいはリサイクルにまわされます。
 DIX領域がこの多量体を作るユビキチンに似た構造を持っていることは、DIX領域を持つタンパク質が多量体を作っているという観察結果に一致します。ところが、DIX領域はユビキチンとは大きく異なる、今まで知られていなかった形式で、隣り合うタンパク質と結合していることも明らかになりました。
 DIX領域は、β1から5まで、5個のβストランドを持ち全体で1枚のねじれたシートを作ります。タンパク質が複雑に折りたたまれるなかで、このβストランドは4-3-5-1-2の順番で並びます(図3C)。ある方向から見るとβ4ストランドからβ2ストランドまでが、ちょうど「らせん階段」を上から見たように配列しているのです(図3C)。さらに隣り合うタンパク質のDIX領域は、それぞれ60°ずつ回転しながら(図4AとB)、同じ方向を向いて並びます(head-to-tail)。すると前側のDIX領域のβ4ストランドと後側のDIX領域のβ2ストランドが同じ向きにつながります(図3C)。これもまた、タンパク質6個で一周するらせん階段状の構造です。つまり全体として、「DIX領域内部のβストランドが、らせん状につながり、そしてDIX領域を含むタンパク質そのものも、らせん状につながる」という美しい構造が見いだされたのです(図4AとB)。研究グループは、この結合の仕組みを「分子間β2−β4相互作用による『head-to-tail型構造』」と名付けました。
 これが、DIX領域が可逆的な多量体を作るときの構造であると考えられます。そこで研究グループは、β2とβ4ストランドの一部を人工的に別のアミノ酸に置き換えたタンパク質を作って、細胞のなかでの様子を調べました。すると予想どおり、この人工タンパク質は、細胞内で多量体をつくることも、正常な機能を発揮することもできなかったのです。
 これらの実験によって、ウィントシグナル伝達系で重要な役割を果たしているタンパク質の機能が、DIX領域の特殊な結合システムに依存していることが明らかになりました。

 

図3. X線回折の結果を解析して描いたDIX領域のコンピュータグラフィック像図3. X線回折の結果を解析して描いたDIX領域のコンピュータグラフィック像。
(A)ユビキチンの構造。(B)結晶中で並んだふたつのDIX領域の構造。ユビキチン構造と良く似ていることがわかる。
(C)βストランド(β1−β5)やαヘリックス(α1)を模式的に描いたDIX領域。同じ方向を向いたβ2とβ4のあいだで結合が起こる。
5つのβストランドがらせん階段状に並んでいることがわかる。

 

 

図4. DIX領域の形成する多量体の模式図図4. DIX領域の形成する多量体の模式図。ひとつひとつのDIX分子を色違いで示してある。
(A)DIX領域は60度ずれてつながるため、6つで一周する構造を取る。(B)Aを横から見ると、らせん状構造につながっていることがわかる。

 

DIX領域の特長と普遍性

 研究グループの実験成果は、驚きをもって迎えられました。ウィントシグナル伝達系の最初で起こる情報伝達の仕組みは、それまで考えられていたように「あるタンパク質が次のタンパク質に情報をリレーしていく」というよりは、まずDIX領域を持ったディシブルドなどのタンパク質が、らせん状につながった数珠繋ぎの構造を取ることが始まりになっていたのです。ここから先の仕組みは、まだこれからの研究を待たなければなりませんが、おそらくこのディシブルドの数珠つなぎの構造が作られると、アキシンがそこに引き寄せられ、それまでアキシンにつかまえられていた別のタンパク質(β-カテニン)が何らかの作用で自由になって細胞の核に移動していき、遺伝子の制御をおこなうと考えられています。
 さらにその後、研究グループがDIX領域を取り出したもととなったディシブルド以外にも、DIX領域に似た構造を持ち、多量体化するタンパク質が見つかり始めています。「このhead-to-tail型の多量体化の仕組みは、情報伝達だけではなく、生物がさまざまな機能に用いている、普遍的な仕組みとなっている可能性があります」と、いきいきと語る樋口教授。こうした研究の積み重ねによって、私たちは生物の仕組みに関して理解を深めていくことができます。仕組みが明らかになれば、その仕組みに作用する薬を開発し、病気の治療方法を考え出すことも可能になるのです。

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ

用語解説

X線回折法
X線を結晶に照射すると結晶内で規則正しく配列した原子によって、X線の回折がおきます。得られた回折線の位置や強度(回折像)を回折することによって、結晶構造に関する情報が得られます。

βシート構造
βストランドというコイル状の特殊なアミノ酸配列が連続することにより、タンパク質の一部がシート状になる構造のこと。


この記事は、兵庫県立大学大学院生命理学研究科の樋口芳樹教授と、柴田直樹准教授にインタビューをして構成しました。

SPring-8 Flash

SPring-8を使った研究の受賞情報!

2007年11月 第21回「日本IBM科学賞」

佐々木 裕次(財)高輝度光科学研究センター
受賞内容:「X線1分子追跡法の考案とその融合領域への応用」

廣瀬 敬 東京工業大学大学院
受賞内容:「ポストペロフスカイト相の発見と地球コア・マントル境界域の研究*1

2007年12月 第5回ひょうごSPring-8賞*2

佐野 雄二(株)東芝
受賞内容:「レーザーピーニング衝撃法による材料改質の研究」

2007年のN. L. Bowen Award*1

大谷 栄治 東北大学大学院
受賞内容:「地球深部条件における地球物質(特にメルト)の物理的・化学的性質」

2008年1月 第12回日本放射光学会奨励賞

加藤 健一 (独)理化学研究所
受賞内容:「放射光粉末回折法による光誘起構造物性の研究」

*1 SPring-8ホームページ(プレスリリース・トピックス)に掲載
*2 SPring-8利用者情報 2008年1月号に掲載

佐々木裕次主幹研究員が第21回日本IBM科学賞受賞

 (財)高輝度光科学研究センター・佐々木裕次主幹研究員が「X線1分子追跡法の考案とその融合領域への応用」というテーマで第21回「日本IBM科学賞」を受賞しました。タンパク質は細胞の中で様々な動きをしながら機能していますがこれまでタンパク質の構造は実際の細胞の中とは異なる、多数のタンパク質が並んだ結晶の中での止まった状態の構造しか分かっておらず、その形から動きを想像するしかありませんでした。佐々木研究員は細胞中でのタンパク質1分子の動きをX線を用いて直接観察する手法を考案し、その手法を実現するための様々な困難な課題を解決しました。それによりタンパク質分子の動きを観察する事に成功し、さらにタンパク質以外の様々な分野へも応用が広がろうとしている事が高く評価され、満場一致での受賞となりました。

物理部門で受賞したJASRI佐々木裕次主幹研究員(右端)と同じくSPring-8を利用した研究で受賞した東工大廣瀬敬教授(右から2番目)
物理部門で受賞したJASRI佐々木裕次主幹研究員(右端)と同じくSPring-8を利用した研究で受賞した東工大廣瀬敬教授(右から2番目)

常陸宮同妃両殿下のお成り

常陸宮同妃両殿下のお成り

 平成19年11月16日の午後、SPring-8は常陸宮同妃両殿下をお迎えしました。これは、両殿下が自然公園ふれあい全国大会(神戸市)へ、ご出席のため来県され、その前日に、晩秋の山粧う播磨科学公園都市を訪問されたものです。
 SPring-8では、大熊健司理事(理研)がSPring-8やXFELの概要等について、また先導役の吉良爽理事長(JASRI)が施設を案内し、蓄積リング棟見学室ではビームラインや放射光利用状況等について説明しました。
 約40分間の視察後、両殿下はお見送り者に暖かいお言葉をかけられ、兵庫県立粒子線医療センターに向かわれました。なお、皇室のSPring-8視察は今回が初めてでした。

今後の行事予定

●第16回SPring-8施設公開

2008年4月27日(日) 9:30~16:30(15:30入場終了) ※ホームページ

行事報告

第21回日本放射光学会年会・放射光科学合同シンポジウム

 第21回日本放射光学会年会・放射光科学合同シンポジウム(JSR08)が2008年1月12日(土)から14日(月)の三日間、立命館大学びわこ・くさつキャンパスで開催されました。加速器から利用実験まで幅広い分野の研究者が集い、最新の研究成果発表や放射光科学の将来についての議論が行なわれました。
 JSR08の話題は、「新しい放射光源施設」と「アジア・オセアニアにおける放射光科学研究ネットワーク」です。SPring-8キャンパスで建設が進んでいるXFEL施設に関する企画講演、高エネルギー加速器研究機構(つくば)で進行中のコンパクトERL施設に関する企画講演、さらにアメリカの第3世代中型放射光施設計画に関する特別講演があり、先端研究分野への広がりがますます期待されます。また、アジア・オセアニアにおける放射光科学研究ネットワーク形成に関する特別企画講演があり、ヨーロッパ、アメリカと並び、アジア・オセアニア地区における放射光科学の広がりが期待されます。
 JSR08での朗報は、加藤健一研究員((独)理化学研究所播磨研究所)の学会奨励賞受賞です。同研究員は、「放射光粉末回折法による光誘起構造物性の研究」の成果が日本放射光学会から評価されて、受賞しました。

第21回日本放射光学会年会・放射光科学合同シンポジウム学会奨励賞を受賞した加藤研究員(右から2番目)

SPring-8供用開始10周年記念 産業利用講演会

 SPring-8は平成9年10月の供用開始から、本年度で10周年を迎えることができました。供用開始以来、企業からの利用割合も着実に増加し、産業界の幅広い分野での利用拡大の下、着実に成果が創出されています。そこで、SPring-8供用開始10周年を記念し、平成20年1月23日に『SPring-8供用開始10周年記念産業利用講演会(主催:(財)高輝度光科学研究センター、後援:文部科学省)』がコンファレンススクエアエムプラスで企業経営にかかわる各産業界の方を招待して開催されました。

講演会のプログラムは、下記の通りです。
● 開会挨拶(財)高輝度光科学研究センター 理事長 吉良 爽
● 来賓挨拶 文部科学省研究振興局長 永 保(代理:研究振興局 基礎基盤研究課 課長 大竹 暁)
「SPring-8の産業利用-OVERVIEW-」(財)高輝度光科学研究センター 常務理事 永田 正之
●「エレクトロニクス産業からみたSPring-8」(株)日立製作所基礎研究所 所長 長我部 信行
●「自動車産業におけるSPring-8」(株)豊田中央研究所 取締役 斎藤 昭則
●「鉄鋼業におけるSPring-8の活用について」
住友金属工業(株)総合研究所 常務執行役員 外山 和男
●「ゴム業界からみたSPring-8」
SRI研究開発(株)材料プロセス 取締役 溝口 哲朗
●「創薬業からみたSPring-8」第一三共(株)研究開発本部
創薬基盤研究所 第七グループ長 半沢 宏之
● 閉会挨拶 文部科学省大型放射光利用推進室長 林 孝治
 参加者は116名で、各産業分野とSPring-8のかかわりについての講演と活発な議論のもと講演会は盛会のうちに幕を閉じました。

講演会の様子講演会の様子
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