大型放射光施設 SPring-8

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SPring-8 NEWS 76号(2014.9月号)

研究成果 · トピックス

リチウムイオン電池の高性能化をめざして 〜負極の皮膜構造を深部まで探る〜

車の電池性能の向上をめざす

   現在、国内で消費される全エネルギーの約4分の1は運輸が占めています。その90%を自動車が占めることから、燃料をガソリンから電気に転換することは、エネルギー消費量およびCO2の削減に効果的です。また、電気を動力とする車は、粉じんやPM2.5の原因となる排気ガスを出さないため、クリーンな移動手段としても注目されています。このため、電気自動車に使用されるリチウムイオン電池や、燃料電池車に使用される固体高分子形燃料電池について、それぞれの性能向上とコスト低減に向けた技術革新に大きな期待が集まっているのです。
   とくにリチウムイオン電池で課題となっているのが、走行距離を延ばす上で欠かせない高容量化および軽量化・コンパクト化と、長寿命化です。この課題を克服するには、電池内部で起こっている化学反応を非破壊に、リアルタイムに観察する必要があります。その理由を、日産アークで電池材料の研究を手がける今井英人さんは次のように語ります。
   「リチウムイオン電池は、正極、負極、電解液、それを分けるセパレータから成りますが、それぞれの材料の特性を調べても、電池の性能を決めているメカニズムを知ることはできません。なぜなら、リチウムイオン電池は正極と負極の間をリチウムイオンが行き来するという電池内部の化学反応によって充放電が行われていて、その反応にともない電極の状態がつねに変化するためです(図1)。また、リチウムイオン電池を解体するとリチウムが酸素と水に反応して、状態がまったく変わってしまいます。そうしたことから、電池を非破壊に、リアルタイムに見ることが、今後の技術革新の鍵を握っているのです」。

図1.リチウムイオン電池のしくみ
図1.リチウムイオン電池のしくみ

性能を左右する負極上の薄膜を観察

   そこで今井さんは現在、大型放射光施設SPring-8の共用ビームラインBL46XUにて、硬X線光電子分光測定(HAXPES)を使ったリチウムイオン電池内部の評価実験を手がけています。SPring-8の放射光は、他の放射光施設よりも光の輝度が格段に高いため、電池内部の微量な成分やわずかな変化までつぶさに観察できます。
   具体的に観察したのは、負極の表面上に形成されたSEI(SolidElectrolyte Interphase)と呼ばれる部分(図2)。これは電解液の還元分解により負極の表面上に形成される複数の無機リチウム化合物や有機化合物からなる複合体で、その厚さはわずか数nm〜30nm程度しかありません。
   「じつに薄い膜なのですが、SEIがないと電解液がどんどん電極上で分解してしまい、やがて電池が動作しなくなります。つまりSEIは、リチウムイオンを負極に適度に取り込む役割を 果たしつつ、電解液が負極上で分解してしまうことを抑制する働きをしているのです。ところが、充放電を繰り返すと、このSEIが薄くなって反応が進みすぎたり、逆に厚くなりすぎて電気抵抗が高くなったり、SEI内部にリチウムイオンが固定化されることで容量が減ったりして、電池の寿命や効率に悪影響を及ぼします。電池の性能を高めるには、このSEIを安定して制御することが不可欠なのです」(今 井さん)。
   しかし、SEI生成の詳細なメカニズムはわかっていません。「SEIの観察手法を確立し、そのメカニズムを解き明かすことができれば、今後、性能向上のために電極を新たな材料に置き換えた際にも、大いに貢献できると考えました」と今井さんは強調します。

図2.SEI(電極上に形成される皮膜)
図2.SEI(電極上に形成される皮膜)

HAXPESによりSEIの深部まで見る

   従来、SEIの観察には、電子顕微鏡や走査プローブ顕微鏡などが用いられてきましたが、これらで見ることができるのは表面の形状のみです。SEI全体の化合物の組成や厚さを知るためには、SEIを溶媒に溶かす、つまり破壊して観察する方法しかありませんでした。そうしたなか今井さんは、まず日産アークの研究室内にある、X線光電子分光(XPS*1装置でSEIの表面を調べた後、より高エネルギーのX線を照射でき、なおかつ大気非暴露測定が可能なSPring-8のHAXPESにより、SEIの構造を保ったまま、SEIの奥深くまで観察するという手法を試みました(図3)。対象物にエネルギーの高いX線を照射すると、高いエネルギーを受けとった光電子が深いところからも飛び出してくるため、深部の成分と状態を見ることが可能になるのです。
   「XPSとHAXPESから得られた実験結果を見比べると、SEIを構成する有機化合物成分割合が異なっていることが判明しました。同じものを測っているので、前者では表面を、後者ではより 深くまで全体を観察していることがわかります。これにより、HAXPESがSEI全体を観察するのに最適なツールであることが判明したのです。また両者の結果を比べることで、表面と内部で成分に違いがあることもわかり、SEIの構造が不均一であるという結果も得られました」と今井さんは言います。

図3.XPSとHAXPESの違い
図3.XPSとHAXPESの違い

1回の充放電でSEIが大きく変化していた

   さらにもう一つの大きな発見が、充放電の過程におけるSEIの厚さのダイナミックな変化を、世界で初めてとらえた点です(図4)。
   「SEIは不動態皮膜とも呼ばれ、1度の充放電で大きく状態を変えるものではないと思われていました。ところが今回の実験で、充電すると無機成分の一部が蓄積してSEIが厚くなることがわかりました。また、とくに驚いたのは、放電すると有機成分の一部が溶解してSEIが薄くなることです。これらを繰り返すことで電池の劣化を招いていたのです」(今井さん)。
   SEIの安定化のために電解液にはさまざまな添加物が投入されていますが、この実験により、充放電を繰り返しても安定な電解液、添加剤の組み合わせを見つけるなど、さらなる改良の余地があることが明らかになりました。
   現状、HAXPESで計測できるのは30nmの深さまでですが、今井さんは今後、さらに高いエネルギーのX線を照射することで、より深くまで計測する予定です。また、計測結果をもとに「京コンピュータ*2で添加剤や電解液の分解過程シミュレーションをすることにより、詳細なSEI被膜形成メカニズムを明らかにしていきたいと言います。リチウムイオン電池の性能向上により、電気自動車のさらなる普及に期待がかかります。

図4.リチウムイオン電池の負極の充放電による変化
図4.リチウムイオン電池の負極の充放電による変化

コラム:実験装置の進化とともに

コラム:先生写真

   今井さんは、2001年頃から燃料電池を、2007年頃からはリチウムイオン電池の研究を手がけてきました。その間、一貫して電池を測定・観察することで、その研究成果を材料開発に活かしてきました。まさに電池の進歩は、実験装置の進歩とともにあったと言います。
   「当初はまだSPring-8の設備が整っておらず、電池そのものを非破壊で反応中に計測することはできませんでした。しかたなしに電池をばらばらにして持ち込んで測定していたのです」(今井さん)。
   それを画期的に変えることになったのが、SPring-8産業利用推進室のサポートの存在です。
   「電池を非破壊で計測したいという要望を伝えたところ、産業利用推進室が大いにサポートしてくださいました。現在のHAXPES装置は、大気に触れずに試料を運搬できる搬送容器や、電池の変質を防ぐための不活性ガスで満たされたグローブボックスなどを完備していて、非破壊が可能です。一般ユーザでも簡単に使えるソフトウエアが整備されており、自動測定もできることから抜群に使いやすく、大変助かっています」。
   今後はさらに高いエネルギーのX線を照射し、実際に充放電をしながらリアルタイムに観察をしたいという今井さん。SPring-8との協力体制は、今後も続きそうです。

 

用語解説

*1 XPS
サンプルにX線を照射し、生じる光電子のエネルギーを測定することで、その構成元素と電子状態が分析できる手法。

*2 京コンピュータ
理化学研究所が所有するスーパーコンピュータ。神戸に設置されており、世界最高クラスの計算能力を持つ。

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ 田井中 麻都佳


この記事は、株式会社日産アークの今井英人さんにインタビューして構成しました。

次号研究成果・トピックス予告
化学工業を支える“触媒”の挙動に迫る 〜今求められるグリーンケミストリーに向けて〜(仮題)

 

SPring-8の利用をご検討中の皆様へ

硬X線光電子分光法(HAXPES)

   光電子分光法は、物質に光を照射したときに生じる光電子の運動エネルギーを分析することで、物質の電子状態や化学結合状態を調べる手法です。なかでも硬X線光電子分光法(HAXPES)では、一般的なX線光電子分光法(XPS)の励起光(1.5keV)より高いエネルギーのX線(6〜10keV)を励起光に使用し、高い運動エネルギーを獲得した光電子がより深部から飛び出すようになるため、分析深さが数倍深くなります。一般的なXPSでは分析深さが数nmと浅いため、さらに深部を分析するにはイオンエッチングで試料表面を「破壊」しながら分析する必要がありますが、HAXPESでは、より深部や埋もれた界面の状態を、イオンエッチングすることなく「非破壊」で調べられます。国内でHAXPESが実施できるところは、今のところ高輝度な光が利用可能なSPring-8のアンジュレータビームラインしかありません。さらにBL46XUのHAXPES装置は試料を大気に曝すことなく移送する機構(トランスファーベッセル)を備え、トピックスでとりあげた電池材料の様な嫌気性材料への対応も可能です。その他にもエレクトロニクス、鉄鋼、ソフトマテリアル、触媒など幅広い分野での活用が進んでおり、汎用性の高い手法と言えます。またBL46XUでは、さらに深部からの情報を得るため、より高い運動エネルギーの電子が分析可能な15keV対応のHAXPESの運用も開始しています。ご興味を持たれた方は、ぜひ利用をご検討ください。
   SPring-8の利用事例や相談窓口については、こちらをご覧下さい。

15keV励起HAXPES装置8keV励起HAXPES装置

行事報告

第14回SPring-8夏の学校

   「将来の放射光利用研究者の発掘と育成」を目的としたSPring-8夏の学校が、7月6日(日)〜7月9日(水)の3泊4日の日程で開催されました。全国から76名の大学院博士課程前期と学部4年の学生等が集まりました。7講座の講義、SPring-8の実験ホールとマシン収納部やSACLA、ニュースバルの見学、17テーマの実習(参加者ごとに2テーマ選択)が行われ、参加者たちが熱心に取り組む姿が見られました。放射光を用いた研究は多分野に及ぶため、参加者の専攻分野も幅広く、懇親会等における交流が同世代の異分野の学生と話し合える貴重な機会となっていました。これからのSPring-8の発展には将来の研究を担う人材の育成が必須であり、この夏の学校の参加者が放射光を生かした研究に進むことを期待しています。 (SPring-8夏の学校実行委員会)

SPring-8夏の学校


お知らせ

研究者インタビューのお知らせ!

顔写真   「惑星や彗星の鉱物から、太陽系の起源物質を知る」と題した京都大学𡈽山明教授の動画が8月に公開され、「最先端分析技術を活用したヘアケア製品の開発」と題して㈱ミルボンの伊藤廉主任研究員の動画が9月下旬に公開予定です。ぜひご覧ください

SPring-8を支える技術

第9回:川井型高圧発生装置

フロントエンド
川井型高圧発生装置SPEED-Mk.Ⅱの前に 立つ筆者

    地上の100万倍もの超高圧、2000°Cを超える高温を発生できるのがBL04B1に設置されている川井型高圧発生装置(SPEED-1500&SPEED-Mk.Ⅱ)です。1960年代に大阪大学の地球物理学者であった川井直人教授によって開発され、その後国内企業による超硬材料の開発や、弾性変形を考慮した構造体の設計によって、大容量の試料を安定に加圧できるようになりました。その結果、現在ではSPring-8を始め、日本発の高圧装置としてAPSやESRFなど世界中の放射光施設にも導入されています。地球深部で起こる鉱物の相変化や物性変化を地上で再現でき、地球科学分野にとって欠かせないツールとなっています。最大荷重1500tonの巨大な油圧式プレスですが、荷重を6方向に均等に分割し、数mmの試料に等方的に効率良く集中させる精密機械でもあります。調整はミクロンオーダーで行い、プレス全体を1ミクロンの精度で移動できる精密ステージも備えており、放射光X線を試料位置に正確に照射することができます。最近では高温超電導物質やナノ多結晶ダイヤモンドなど、高温高圧環境でしか合成できない新規物質や超硬材料などの研究や合成にも活用されています。

(利用研究促進部門 肥後祐司)

お知らせ

ものづくり体験館 特別展「SPring-8とSACLAを支える最先端のものづくり」

   中学生等を対象に、職業教育の一環として、本格的なものづくり体験を実施している兵庫県立ものづくり大学校ものづくり体験館(姫路市市之郷1001番地1)では、「SPring-8とSACLAを支える最先端のものづくり」と題して、SPring-8とSACLAで行われる最先端研究を陰で支えている、兵庫県のものづくり技術を紹介する展示を行っています。SPring-8に工作品を納入している県内企業の協力を得て、変圧器、電磁石、真空装置、位置決め装置などの技術を紹介しています。平日昼間(11:00〜17:00)は自由に見学できますので、他の展示と一緒にご覧ください。(※5名以上の場合は、ものづくり体験館に事前連絡が必要です。TEL:079-240-7081)
   ご来館の際には、玄関から事務室にお電話をお願いします。年末まで展示の予定です。

 

SPring-8/SACLA コンファレンス2014 を開催します!

  • 2014年12月1日(月)
  • JPタワーホール&カンファレンス(東京都千代田区丸の内二丁目7番2号 JPタワー・KITTE 4階)
  • 参加費無料


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