大型放射光施設 SPring-8

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SPring-8 NEWS 82号(2015.9月号)

研究成果 · トピックス

あるがままの生体血管ネットワークをSPring-8で視る

SPring-8と糖尿病

   日本人男性の4人に1人が“糖尿病または糖尿病予備軍”と言われています。糖尿病は「血液中のエネルギー源であるブドウ糖がインスリンというホルモンの作用低下で生体組織にうまく取り込めないために、血液中のブドウ糖の量が必要以上に高くなり、余った糖が尿へ排出される病気」と言われています。糖尿病で怖いのは合併症です。高血糖が長く続くと、全身の血管が障害されて、冠動脈硬化や脳動脈硬化などの大血管障害や、腎障害や網膜症や神経障害につながる細小血管障害を引き起こします。この合併症は、はじめは自覚症状がほとんど無く、気付かないうちに進行してしまうのです。「気付いたときには取り返しのつかないことがあります。だからこそ“早期発見・早期治療”が重要なのです」と国立循環器病研究センターの白井さんは言います。
 白井さんと長年研究を共にしているモナッシュ大学のピアソンさんはSPring-8放射光の高輝度X線を用いて高分解能微小血管造影法を開発し、マウス・ラットなどの小動物の拍動する心臓において、冠動脈の太い血管から細い血管までの血管ネットワークを“あるがまま”の姿で観察することに成功しました。しかし「SPring-8の放射光X線を使って小動物心臓の“あるがまま”の血管を観察する」ことは、糖尿病の治療とどのような関係があるのでしょうか?

小動物の疾患モデルとは?

   先ずはこれらのつながりを理解するには、基礎研究における“マウス・ラットなどの小動物疾患モデル”の存在を理解しないといけません。このモデルは、人間の疾患の仕組みの解明や、新しい治療法の開発を行うための基礎研究に欠かせないものとなっています。その理由は、1)これらの小動物は人間に比べはるかに寿命が短いため、疾患の初期から末期までの経過を短期間で確認でき、疾患モデルの開発・応用から成果取得までの実験効率を上げることができる、2)実験効率だけでなく経済的な効率の良さから、色々な疾患モデルが開発・確立されている、3)注目する遺伝子が疾患においてどんな役割をしているかを調べたいときに、その遺伝子を欠損させたり導入したりする遺伝子操作技術が使われ、その技術は小動物で最も確立されているからです。人間への薬を開発する過程において、新薬をいきなり人間に投与することはありません。薬の臨床使用の前には、「その薬が正しく作用しているか?」、「どの位の量で安全かつ効果的であるか?」などの数的には膨大な量の前もった調査・研究が必要で、その研究効率をあげるためにもマウス・ラットなどの小動物疾患モデルは必須なのです。

高分解能微小血管造影法

  「私は光学顕微鏡では見ることのできない、小動物の脳や心臓の表層から深層までの連続した血管ネットワークを“あるがまま”の状態で高精度に観察してみたかったのです。なぜなら疾患の早期において、血管ネットワークのどこから、どんな血管障害が起こり始めるのかを、画像で説明することが最も説得力を持つからです」白井さんは続けます。白井さんとピアソンさんがSPring-8で開発した高分解能微小血管造影法は、病院で使われているX線血管造影法を基にした技術です。X線血管造影法は血管の形状や分布を可視化する技術で、1927年に発明されました。この方法では、X線が透過しづらい造影剤(通常ヨウ素を含む“ヨード造影剤”を用いる)を血管内に注入し、造影剤が流入した臓器の血管を周りの組織からはっきり判別できるようにします(図1)。

図1.ラットの肺動脈における血管造影写真の仕組み
図1.ラットの肺動脈における血管造影写真の仕組み

 血管が造影され浮かび上がった写真(③)を得るために、造影剤注入後の写真(①)から造影剤注入前(②)の写真をデジタル処理にて画像の減算(サブストラクション)を行っている。

 それでは、SPring-8で開発された高分解能微小血管造影法は病院の血管造影装置と比べ何が違うのでしょうか?病院の血管造影装置は、空間分解能(物体同士が異なると認識できる最小の距離)が約200 μm程度(マイクロメートル:1 μmは0.001 mm)、時間分解能(1枚の画像の撮影時間)が約8 ms(ミリ秒:1 ミリ秒は1秒の1/1,000)、観察視野(撮影できる範囲)は大きくφ20 cm程度で、このレベルの空間、時間分解能および観察視野は人間の血管の観察には適しています。しかし、マウス・ラットの血管を視るには適していないのです。例えばマウスの心臓は人間の心臓よりはるかに小さく(マウスの心臓 平均約0.15 g 人間の心臓 平均約300 g)、心拍数も早いのです(マウス:平均約500拍/分程度 人間:平均約60拍/分)。病院の血管造影装置の分解能と観察視野では、このような“小さく早い”ものを見ることが困難で、せっかく病状を再現した小動物がいても、心臓の“あるがまま”の姿を観察することができませんでした。そのためにSPring-8の放射光を活用した、高分解能微小血管造影法が開発されたのです。

図2.高分解能微小血管造影法の全体概要
図2.高分解能微小血管造影法の全体概要

青囲い(---)と赤囲い(---)は「SPring-8の利用をご検討中の皆様へ」の図1と図2にそれぞれ対応。

SPring-8で観察できたこと

表1 一般的な病院のX線装置とSPring-8高分解能微小血管造影法の違い
表1 一般的な病院のX線装置とSPring-8高分解能微小血管造影法の違い
   高分解能微小血管造影法が今までの血管造影法と比べ、高分解能で血管を観察できたのは、SPring-8の放射光X線が高輝度(病院で使われるX線装置の約1億倍)で、指向性が良く(広がりにくい)、特定の波長のX線を選択できると言う特性を有しているためです。現在ではSPring-8のビームラインBL28B2では、空間分解能が約6 μm、時間分解能が0~ 7.4 ms、観察視野は約1cm2 で血管を観察する事が出来ます(表1)。
 具体的には、生きたマウスの心臓画像を撮る場合、心臓が常に高速で動いて画像がブレる現象が起きます。そのブレを押さえるため、高速回転円盤型X線シャッターを用いて数ms幅のパルスX線を連続的に発生させ、それを動く心臓に照射することで、ストロボ的なX線画像を撮ります。このとき、明確な画像を得るには周囲の明るさが必要ですが、その明るさを確保できるのは、SPring-8の高輝度性のおかげです。さらに照射X線の極めて高い平行性のおかげで、半影を無視することが出来ます。そして波長を選ぶことが可能なので、造影剤のX線吸収が特異的に高まる波長を選んで、より高分解能の画像を得ることができるのです(これら高分解能微小血管造影法の全体概要:図2)。ピアソンさんも「SPring-8の放射光はクオリティが高く、その特性を最大限に生かすことができました」と付け加えます。
 そして実際にこの方法を用いて、初期糖尿病のメカニズムの一端が解明されました。正常なラットと初期糖尿病のラットを準備し(図3 A, B)、体内で産生されている2種類の血管拡張性物質(一酸化窒素とプロスタサイクリン)を薬剤で阻害すると、初期糖尿病ラットでは比較的太い冠動脈の特に血管が分岐している箇所に限局して強い血管収縮が見られましたが(図3 D)、正常ラットではこのような異常収縮は見られませんでした(図3 C)。

図3. 高分解能微小血管造影法で得られた成果。
図3. 高分解能微小血管造影法で得られた成果。

赤枠内は、矢印の先の異常な血管収縮の拡大像を示す。(B)の写真左上の矢印“50 μm reference wire”は、血管の太さが分かるようにするため、血管と一緒に撮影された50 μm径のワイヤーを示す(A,C,D左上にも同様にあり)。
 上の二つのパネルには、投薬前の正常ラットの冠動脈(A)と初期糖尿病ラットの冠動脈(B)が映し出されている。血管内に常に放出されている、“血管を広げる作用の物質(一酸化窒素とプロスタサイクリン)”の産生を投薬で遮断すると(下の二つのパネル)、初期糖尿病ラットの冠動脈(D)では、比較的太い血管の血管分岐部近傍で局所的な強い血管収縮が見られた(黒矢印)。このような異常収縮は正常ラット冠動脈(C)では見られなかった。

 この結果は、心臓の血管ネットワーク全体を一度に見渡すことを可能とした、高分解能微小血管造影法によって初めて明らかにされたもので、糖尿病によって生じる太い血管の機能異常は、血管の分岐部近傍を起点にして発症することを示唆しています。ここで強調したいことは、この結果が冠動脈および心筋組織の病理組織学的な異常を認めないごく初期の糖尿病ラットで得られたことです。糖尿病初期における血管障害の発症メカニズムを解明するには、血管機能を“あるがまま”の血管ネットワーク上で評価することが極めて効果的と考えられます。


SPring-8と循環器病研究

    初期糖尿病において異常な血管収縮が確認されたことは、糖尿病性血管障害の早期治療法や予防法の開発に繋がる可能性があります。たとえば、異常な血管収縮が検出された血管分岐部近傍の細胞内分子シグナル伝達や遺伝子の異常を取り出した組織標本で集中的に調べれば、異常を引き起こす可能性のあるいくつかの分子を絞り込むことができるでしょう。そうすれば、その分子に作用する薬の糖尿病性血管機能障害に対する直接的な効果や、その分子の遺伝子を改変したマウスでの糖尿病性血管障害の改善、あるいはそれらの悪化を微小血管造影法により生体レベルで検証することが可能となり、治療や予防における標的分子の特定に繋げることができるでしょう。
 白井さんはこう言います。「今後は循環器病に関連する様々な標的遺伝子に注目し、その遺伝子を改変したマウスを微小血管造影法で評価することで、循環器病の根本的な分子機序の解明や新たな治療法の開発を進めていきたいと思います。また、癌が体で広がる仕組みや癌に対する薬物効果も血管機能異常と関連しており、この微小血管造影法の格好の研究対象となります」。ピアソンさんも続けます。「この造影法を使ってドラッグ・リポジショニングの研究をしたいと思います。そして体の中にあるタンパク質も全ての機能が分かっているわけではありません。それらを解明して行きたいと思います」。
 お二人は、循環器病研究には血管機能と心筋機能の総合的な評価、さらには循環と密接に関連する肺機能の評価が必要だと考えており、すでにSPring-8のBL40XUを用いて「心臓収縮の力の源となる心筋収縮タンパク質の分子運動の解析」や、BL20B2を用いて「新たなコントラスト法を用いた微小な肺気道と肺血管の同時可視化」を進めています。SPri ng-8の放射光X線を小動物疾患モデルに応用して、様々な臓器血管、心筋、肺などの器官の機能と形態を“あるがまま”の生理的な状態で解析することにより、循環器病だけではなく、さまざまな疾患の基礎研究の促進が期待できそうです。

コラム:SPring-8の輪

SPring-8で実験しているピアソンさん(左)と白井さん(右)
SPring-8で実験しているピアソンさん(左)と白井さん(右)

   SPring-8完成当初から利用実験を共に行ってきた白井さんとピアソンさん。白井さんは「自分がSPring-8で実験できなくなりそうになったときもピアソンさんがいたから実験を続けることが出来た」とピアソンさんを称え、ピアソンさんも「白井さんのような人柄だから周りに人が集まります」と言います。お二人がSPring-8を使って初めて実験を行った時には、実験環境が何も分からないので、手術用器具や測定装置に加え、持ち込む必要のない実験台、手術台、イスまでも持参されたそうです。そんな経験を生かして、今では新たにSPring-8を使う実験を考えている研究者に対して、見学や相談など快く対応しているそうです。研究の相談を受けるうちに新たな共同研究へ発展した例も。SPring-8が出来て18年、白井さんとピアソンさんが作り上げた輪は時間と共に広がってゆきます。


《用語説明》

*1 冠動脈
心臓を囲むように走る血管(動脈)。心臓を動かす心筋に酸素や栄護素を供給する役目を担う。

*2 半影
X線画像による“ぼやけ”。一般的な病院のX線装置の場合、X線が発散しフィルム位置が対象物から遠くなると“ぼやけ(半影)”が大きくなる。それに対してSPring- 8のX線を用いると平行性が高いので、発散が小さく、半影がほとんど現れない。

*3 ドラッグ・リポジショニング
既に薬剤として使用されているものについて、その薬が有する異なる効果を発見し、別の疾患の治療薬として確立することを目的とした手法


文:JASRI 利用推進部 普及啓発課


この記事は、国立循環器病研究センターの白井幹康さんとモナッシュ大学のピアソン・ジェームスさんにインタビューして構成しました。

 

SPring-8の利用をご検討中の皆様へ

血管造影による血管機能イメージング

   「研究成果・トピックス」で紹介された研究は、BL28B2ビームラインで実施されました。ここでの利用分野の一つである医学利用研究では、主にマウスやラットを使い、放射線治療基礎研究と血管機能イメージングが行われています。特に、マウスの拍動する心臓の血管の撮影には、高速度・高感度での撮影が必要です。このために図1の高速回転円盤型X線シャッターにより、0 ~ 7.4ミリ秒のパルス状X線を生成します。次に、実験動物を位置合わせ機構で動かし、目的部位がX線に照射される位置へ合わせます(図2)。そして、目的部位の透過像を高感度なX線直接変換型検出器で撮影します。この検出器はX線を直接電気信号に変換するため、非常に高感度な撮影が可能です。このような装置の組合せで約1 cm角の視野により、微小で高速拍動するマウスの心臓血管全体の画像化が可能となります。
   SPring-8の利用事例や相談窓口については、こちらをご覧ください。


図1 X線射出部と高速回転円盤型X線シャッター、図2 試料台とX線直接変換型検出器

SPring-8を支える技術

第15回:超高真空技術

   放射光は蓄積リングをほぼ光速で周回する電子から放射されます。大気中で電子を周回させると、電子はすぐに気体と衝突し、軽い電子ははじき飛ばされてしまいます。そのため、電子の通り道の気体を取り除いて真空にする必要があります。SPring-8の蓄積リングでは、長さ約1.5 kmの電子の通り道をパイプで覆い、内部の圧力を10-8パスカル、1気圧は101325パスカルですので、10兆分の1気圧という宇宙空間並の超高真空にしています。
 図1に真空チェンバーの断面を示します。左側が電子の通り道、右側には真空ポンプを入れています。超高真空を作るため、真空チェンバーの中はきれいに洗浄して徹底的に汚れを落とし、洗浄後は埃が入らないようにクリーンルームの中で取り扱います(図2)。真空チェンバーの内部は絶対に素手で触ってはいけません。手の脂が付くとそれだけで超高真空を達成できなくなるからです。
 また、大気の力は非常に大きく、幅30 cmの真空チェンバー長さ1 mあたり、約6トンもの力がかかっています。そのため、つぶれないように軽くて丈夫なアルミニウム合金で作っています。

(加速器部門 大石真也)


図1 真空チエンパー断面、図2 クリーンルーム内で真空チェンバーに真空ポンプ

お知らせ・行事報告

第15回 SPring-8夏の学校

 “SPring-8夏の学校”は、SPring-8を教育の場として活用する機関が主催し、「将来の放射光利用研究者の発掘と育成」を目的として開催されており、今年は第15回を迎えました。
 2015年は7月5日(日)〜7月8日(水)の3泊4日の日程で開催され、66名の北海道から九州までの大学院修士(博士前期)課程と学部4年の学生が集まりました。期間中には7講座の講義、SPring-8の実験ホールとマシン収納部やSACLAの見学、各参加者2テーマのビームライン実習が行われ、参加者たちが熱心に取り組む姿が見られました。
 放射光を用いた研究は多分野に及ぶため、参加者の専攻分野も幅広いのですが、一般の講習会では得られないような広範な知識を得られる点こそが、夏の学校の大きな特長となっています。さらに懇親会などにおける交流が、同世代の異分野の学生と話し合える貴重な機会となっていました。これからのSPring-8の発展には将来の研究を担う人材の育成が必須であり、参加者が放射光に関係した研究に進むことを期待しています
(SPring -8夏の学校実行委員会)

“第15回SPring-8夏の学校”の実験風景(左)と集合写真(右)

第1回SPring-8文化財分析技術ワークショップを開催します

poster
ポスター(PDF 2MB)

日時:2015年11月6日(金)13時00分から
場所:国立科学博物館 地球館 講堂(東京都台東区上野公園7-20 )

 本ワークショップは、文化財におけるSPring-8の“X線蛍光分析”“赤外分光”“イメージング”“X線回折”“XAFS”の各分析手法について、手法と事例の紹介を行います。
 詳細・プログラム等についてはSPring-8 HPにて順次発表いたします。

詳しくは第1回SPring-8文化財分析技術ワークショップHPをご覧下さい



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