大型放射光施設 SPring-8

コンテンツへジャンプする
» ENGLISH
パーソナルツール
 

SPring-8 NEWS 92号(2017.5月号)

目次

研究成果 · トピックス
SPring-8 でステンレス結晶相を観測
~無いと言われていた結晶相の存在が明らかに~
 

実験技術紹介 利用者のみなさまへ
BL02B1今昔物語

SPring-8で学ぶ学生たち
第7回:京都大学 杉本さん

SPring-8ミニトピックス
鉄器利用開始の謎をSPring-8で迫る

 
表紙の図

 

研究成果 · トピックス

SPring-8でステンレス結晶相を観測 ~無いと言われていた結晶相の存在が明らかに~

 ステンレス鋼とは、鉄に11%以上のクロムを含んだサビに強い合金のことで、世界で年間約4000万トンが生産されています。そのステンレス鋼の中でも最も多く利用されているのがSUS304(別名18Cr-8Ni)です。SUS304は機械的性質*1や耐食性に優れていることから、例えばシステムキッチンやエレベーター、自動車、電車の車両、化学プラントやタンクなど、私たちの身近なところで幅広く使われています。
 新日鐵住金ステンレス株式会社の秦野正治さんは、ステンレス鋼の中でも特に 水素 ( すいそ ) 脆化 ( ぜいか ) について研究を続けています。水素脆化とは、水素が金属中に入ることで脆くなってしまう現象で、その金属材料に力がかかると割れてしまうこともあります。
 「世の中が化石燃料から再生可能エネルギーにシフトして、これまで明らかにされてこなかった水素脆化の問題が浮上してきました」と秦野さんは語ります。例えば、燃料電池自動車に充填する水素は、水素ステーション(図1)で高圧に圧縮されますが、車に送り出す際に温度が急上昇します。そのため、ステーションでは水素ガスの温度を-40 ℃くらいまで低温にしないといけません。そこで、水素タンクや燃料電池車までの配管には、低温に強く水素脆化の起きにくいステンレス鋼(例えばSUS316L)などが使われています。それでも水素脆化が全く起こらない訳ではなく、秦野さんはより安定した安心できる材料を開発するために、「なぜ脆化が起きるのかを解明したい」と考えていました。
 「脆化の原因を探るには、代表的なステンレス鋼であるSUS304の結晶構造の実態を調べることが重要でした。対象は水素で、原子スケールの解析になるため、高エネルギーのX線や電子顕微鏡が必要でした」と秦野さん。そこで、大阪府立大学工学研究科教授の森茂生さんに相談したところ、森さんから精密構造物性や放射光粉末回折法の専門でSPring-8にも詳しい同大学院理学系研究科教授の久保田佳基さんを紹介してもらい、この出会いからステンレス鋼の水素脆化の解明について3人での共同研究が始まったのです。

図1 水素ステーション

図1 水素ステーション

(JHFC の:ホームページより引用)

結晶相の変態にこれまでの常識を覆す仮説

 まず、SUS304の結晶構造について簡単に説明しましょう。SUS304の結晶はγ相と呼ばれる磁性を持たない面心立方構造(fcc)をしています(図2a)。SUS304に常温で引き伸ばすなどの加工を加えると、原子の並びが変わりα’相と呼ばれる強磁性の体心立方構造(bcc)に変化します(図2b)。これを加工誘起マルテンサイト変態と言いますが、これによってSUS304は強度や延性*2が向上するのです。では、どうして水素脆化が起こってしまうのでしょうか?
 久保田さんたちは、「水素脆化の原因は加工誘起変態そのものではない」と考えました。「以前からε相(図2c)と呼ばれる水素に弱い結晶構造があるとの研究報告がありました。そこで、私たちはγ相からα’相への変態のプロセスでε相が生成され、それが水素脆化の原因になっているのではないかと仮説を立て、それを実証しようと考えたのです」と久保田さんは説明します。
 これまでもγ相からα’相への変態の中間相にε相があるという報告はありました。しかし、それは液体窒素を用いた低温領域で行われた実験結果に多く、試料も加工による歪みが少ない薄膜でした。一方、久保田さんたちの研究では、実用条件に近い室温で、実用材料であるSUS304試料を大きく引き伸ばした状態で観察するため、従来の実験とは条件が異なるものでした。
「これまでSUS304は、室温でε相が出現した報告も見当たらず、ε相は出現しないと有名な論文にも考察されています」と秦野さん。つまり、久保田さんたちの研究はこれまでの常識を覆そうとするものだったのです。

図2 SUS304 の結晶構造の変化

図2 SUS304 の結晶構造の変化

力が加わると母相のγ相( 面心立方構造) からε相( 六方最密構造) を介してα’相( 体心立方構造) に変態する。

X線回折実験とローレンツ透過型電子顕微鏡の双方で

 金属の結晶構造の観察には、X線回折法*3がよく用いられます。これは結晶構造に一定の波長を持つX線を入射する方法で、各原子が持つ電子が散乱したX線が干渉し合って生じる回折X線から、結晶内部の原子や分子の周期や配置、サイズ、歪みなどが測定できるのです。特にSPring-8のX線は、非常に高エネルギーで輝度が高いため、試料を透過して内部の構造やε相のような微量な結晶を観測するのに適しています。
 そこで久保田さんたちは、X線回折実験ができ、さらに試料に対するX線の入射角や回折X線の検出角度の制御の自由が効く多軸回折計を備え、試料引張実験が可能なSPring-8のビームラインBL02B1*4において実験をしました。
 試料片に予歪*5を与え、試料負荷装置に設置し、X線を入射したところ、図3左に示すようにγ相と同時にα’相とε相が観測され、10%、20%、30%…と予歪量を増やすにつれてε相のピークの面積も増加しましたが、40%では減少し50%ではほとんど見られなくなりました。このことから、試料を30%引き伸ばしたころから、ε相はα’相に変態し始めていることが分かります。
 次にγ相からε相を介してα’相に変態していく過程を観察するため、予歪がない試料を少しずつ引っ張る「その場観察」を行いました。このときも、やはり試料が伸びるごとにε相が増えていき、遅れてα’が現れる様子がはっきりと観測できたのです(図3右)。
 さらに久保田さんたちは、「これだけでは水素脆化のメカニズムを知るには不十分」と考えました。ε相やα’相が試料中の“どこにどのように”生成されるのかを電子顕微鏡で観察しなければ、水素脆化の問題を解明できたことになりません。そこで使用したのが試料における磁区*6構造が分かるローレンツ透過型電子顕微鏡です。「α’相が強磁性体であることに着目しました。
ローレンツ透過型電子顕微鏡を使えば、非磁性体のγ相やε相との境界を観測できるのです」と久保田さん。通常の透過電子顕微鏡では、対物レンズの磁場の中に試料を置くため、試料が単一の磁区になってしまいます。対してローレンツ透過型顕微鏡では隣り合う磁区との間にコントラストができ、相の境界が分かるのです。この実験においても図4のように、γ相の配列に乱れがある欠陥部分にα’相ができていることが分かりました。今回のX線引っ張りその場観察により、20%の予歪で2%程度のε相の存在が確認され、さらに透過型顕微鏡像で観測したところ、“ABCABC…”の順に並ぶγ相を特徴づける原子の積層した配列が観察できました。さらにそこを拡大して詳しく調べたところ、構造の異なる2つの結晶の境界(双晶界面)に、ABAB…と並ぶ原子の配列も混在していることが見えました。この配列はε相の六方最密構造特有のものです。つまり、久保田さんたちの予測通り、ここにε相の存在が明らかになったのです(図5)。「私はステンレスの実験では今回初めて原子レベルまで見ましたが、水素脆化の研究には必要ですね」と秦野さん。
 こうしてSPring-8での実験によって、これまで無いとされていた、室温におけるSUS304の中間相、水素に弱いε相の出現が明らかになったのです。

図3 SUS304 のX線回折プロファイルの観測

図3 SUS304 のX線回折プロファイルの観測

(左)予歪を与えた試料の観測。(右)無歪試料を引っ張りながらのその場観測。

図4 SUS304

図4 SUS304

破断試料のローレンツTEM 像α’の区域(白と黒の細い線が観測される)に磁性が生じた状態となっている。

図5

図5 ( 左)ε相の存在を示す高分解能 TEM 像(予歪 20% 試料)とε相の生成過程の概念図(右)

太線(双晶)から右の領域が“ABAB”と並ぶことにより、ε相として確認できた。

新しいステンレス鋼の開発を目指す

 近年、水素エネルギーにスポットがあてられる中、水素脆化に強いステンレス鋼のニーズはますます高まっています。「新しい材料の開発のためにも、世の中にステンレス鋼の安全性を理解してもらいたいですね」と秦野さん。SPring-8のような最新設備での実験データは信頼性が高く、周囲が納得してくれると言います。
 SPring-8における久保田さんや秦野さんたちの研究によって、水素脆化に強いステンレス鋼の研究開発や新しい材料の使い方の提案が可能になり、今後の利用における発展が期待されます。


用語解説   line
 

*1 機械的性質
硬さや耐変形・耐熱・耐摩擦・耐疲労の強さなどの性質。

*2 延性
物体が、破壊されずに引きのばされる性質。

*3 X線回折法
結晶の分子構造や配列を得る方法。詳細はこちらを参照ください。

*4 BL02B1
単結晶のX線回折実験を行うステーション。大型湾曲IPカメラ、CCDカメラ及び多軸回折計が設置され、高い精度のデータ収集ができる。

*5 予歪
あらかじめ試料を引っ張って伸ばし解放すること。

*6 磁区
磁石化して極の向きがそろっている領域。磁石の中では、磁区が立体的な組み合わせで存在し、隣り合う磁区の磁化は反対方向を向いている。



コラム

 日本の強みである水素エネルギーなどの分野に“どれだけ鋼材を使えるか”は企業の生命線です。「国を挙げて水素エネルギーが推進されるなか、精度の高い研究や実験、より優れた設計や提案が求められています。水素脆化を探るためには、原子レベルの解析が必要ですね」と秦野さんは語ります。久保田さんはそれを受けて「SPring-8を利用することで、今まで分からなかったことを知り、できなかったことが可能になります。SPring-8のことをまだ知らない方や、どうしたら利用できるのかを知らない方も多いですし、コーディネータ役は重要です。
 どんどんSPring-8の素晴らしさをPRしていくことも私の使命だと思っています」と想いを語りました。SPring-8について詳しいからこそ、よりSPring-8を必要とする人へ利用を広める久保田さんたちの活躍が期待されます。

研究用のポリエステル繊維の束を持つ大越さん

ステンレス構造の模型を持つ秦野さん(左)と久保田さん(右)

文:ダリコーポレーション 大内 佳陽


この記事は、大阪府立大学 大学院理学系研究科 久保田 佳基 教授と
新日鐵住金ステンレス株式会社 研究センター 秦野 正治 上席研究員にインタビューして構成しました。


実験技術紹介 利用者のみなさまへ

BL02B1今昔物語

 「研究成果・トピックス」で紹介された研究は、BL02B1(単結晶構造解析)で実施されました。BL02B1はSPring-8で最も古いビームラインで、1997年3月26日にSPring-8で最初に放射光が観測されたのもこのBL02B1です。今回観測に使用した多軸回折計もその前後に搬入された最も歴史のある装置であり、今年で20年稼動した、まさにSPring-8を代表する装置の1つです。本装置では主に誘電体や磁性体等の単結晶を中心に、外場の変化に伴う物性変化と構造変化、いわゆる構造相転移をX線回折法により明らかにすることができ、構造相転移に伴う微視的な原子変位や価数変化、軌道秩序が物性の起源と密接に関係していることを明らかにしてきました。近年は、放射光の高度化、技術革新による検出器の進歩、解析装置の高速化により、大型湾曲IPカメラとCCDカメラの2次元検出器を搭載した装置が導入され、前述の研究が0.1 mm程度の単結晶でさらに高効率で実施されるようになっています。一方多軸回折計では、実機を模擬したセンチメートル以上の大きさの試験片を中心に、鉄鋼材料やアルミニウム合金など、自動車や構造物で用いられている多結晶金属材料の材料強度と、変形メカニズムを解明するための応力やひずみ、変形評価などが計測されています。今回のトピックスで紹介した研究はその一例となります。紹介された実験では30 keV程度のX線エネルギーが用いられていますが、BL02B1では72 keVまでのX線が利用できますので、鉄鋼材料であれば5 mm、アルミニウムであれば20 mm程度の厚さでも透過し、内部局所の応力やひずみ、変形評価を行うことが出来ます。

SPring-8で最初に観測された放射光。

SPring-8で最初に観測された放射光。

利用者の皆様の図

供用開始当初に設置された多軸回折計全景(左)。 今回のトピックスでは試料負荷装置を据え付けて計測した(右)

利用者の皆様の図

現在の実験ハッチ内の様子(右)。多軸回折計は下流側に移動し、上流側には大型湾曲IPカメラが設置(左)されている。

   SPring-8の利用事例や相談窓口については、こちらをご覧ください。


SPring-8で学ぶ学生たち

第7回:京都大学 杉本さん

 今回は京都大学 大学院理学研究科 地球惑星科学専攻 鉱物学講座 修士課程2年次の杉本さんです。

Q.SPring-8で“どのような”研究をされていますか?

A.隕石中の鉱物から太陽系形成史を読み解く手がかりを探しています。
炭素質コンドライトという隕石は、太陽系形成初期の物質を今なお保持しており、太陽系進化の初期段階を知る上で、研究対象として非常に重要です。その中で私は、微細組織(nm 〜μmサイズ)に注目してSPring-8でマイクロCTによる観察を行っています。

Q.高校のころは“どのような目標”を持っていましたか?

A.数学の先生になろうと思っていました。「数学は科学の女王である」というガウスの言葉をヒントに、「科学のことを広く知っている数学の先生になりたい」と思っていました。

Q.どのような経緯で現在の研究室(鉱物学講座)で研究をしているのですか。

A.京都大学理学部は入学時に学科分けされず、基礎科学の様々な勉強をしながら所属を決めます。その中で“科学のことを広く知るため”に、初心通り選り好みせず、数学・物理・化学・生物・地学など様々な授業を履修する中で地学とフィールドワークの面白さに出会い、現在の研究室に入りました。

Q.SPring-8は“どのような印象”ですか?

A.“理系の総本山”といった感じでしょうか。難しそうな実験装置が濃集し、「色々な分野の人が色々な研究をしているのだなぁ」と感心しています。

 今まで研究室の様々な人からサポートを受け、今後は「後輩へのサポートという形で還元したい」と語る後輩思いな一面も お話いただきました。ミヤマカラスアゲハに由来するというお名前の通り、今後は社会で“はばたく”ことを期待しています。

BL09XU コントロールデバイスを前に福澤さん
BL47XUの装置と共に、杉本さん

SPring-8ミニトピックス  line
 

鉄器利用開始の謎をSPring-8で迫る

 岡山市立オリエント美術館を中心としたグループは、SPring-8の高エネルギーX線を用いた高分解能CT撮影を行い、バイメタル剣の柄の鮮明な内部画像を非破壊で得ることに、世界で初めて成功しました。
 西アジアは世界で最も早く鉄が使用された地域です。研究グループは、この地域で約3000年前に作られたとされる、鉄の刃に青銅の柄を付けた“バイメタル剣”の高分解能三次元CT像を得ました。内部構造から、鉄より先に普及していた青銅器製作技術が応用されていることが分かりました。これは、青銅器時代から鉄器時代への移行を詳細に知る手がかりとなるため、考古学に限らず歴史学、美術史においても有用な情報となりえます。

 詳細はプレスリリース(性質の異なる2種類の金属を組み合わせた古代のハイテク製品 〜SPring-8を使ったバイメタル剣製作技法の可視化〜)を参照ください。

バイメタル剣の柄内部(広島大学考古学研究室所蔵
バイメタル剣の柄内部(広島大学考古学研究室所蔵)

最終変更日