大型放射光施設 SPring-8

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Topic 18 電子のスピンと軌道の相関による電子様態の制御

最外殻電子の奇妙な様態に新技術開発の鍵が!

物質の性質を決めるのは電子の様態だと言われているが、その様態を知るのは思いのほか難しい。中でも高温超伝導体や強磁性体、さらには絶縁体の性質をも示す遷移元素の酸化物の特性を解明するには、当該物質内原子の最外殻電子(いちばん外側の電子)の様態を的確に把握する必要がある。だが、従来、それを調べる方法には限界があったため、得られる情報は不十分なものであった。そこで、東京大学の高木英典教授、東北大学の有馬孝尚教授らの研究チームはSPring-8の高輝度放射光X線を用いて最外殻電子の様相を調べることにした。その結果、「スピントロニクス」に新展開をもたらす素材を発見、その特性の解明にも成功した。

電子のスピンと軌道運動の向きには強い相関性が

自らも自転しながら中心に位置する原子核を周回するというのが、極度に単純化された電子の運動イメージで、前者はスピン、後者は軌道運動と呼ばれている。各電子はいずれも小さな磁石の機能を備える。孤立した原子に属する電子の場合、スピンを自転、軌道運動を公転に見立てると、両者の回転運動の方向には相関性があることが知られている。一方、原子の密集する固体においては、原子の最外殻電子は隣の原子の影響を受ける。そのため、原子核を中心にして左右逆向きの軌道運動がほぼ同確率で出現して双方が相殺し合い、結果的に電子の軌道運動はほとんど影を潜めてしまう。1986年に高温超伝導体が発見されて以降、3d遷移元素(チタン、マンガン、鉄、銅)酸化物は高温超伝導体として注目を集めている。軌道運動をしなくなり、隣の原子に飛び移るかどうかぎりぎりの状態におかれている遷移元素の最外殻電子の機能が、3d遷移元素酸化物がもつ超伝導機能や超巨大磁気抵抗などに関係している。

元素周期表の3d遷移元素の下には4d遷移元素と呼ばれる元素群が、さらにその下には5d遷移元素と呼ばれる元素群がある。従来は、4d、5dと原子番号が大きくなる元素の原子の場合ほど最外殻の電子が隣の原子に飛び移りやすくなり、3d遷移元素の酸化物に見られるような機能は失われると考えられていた。だが、最近、その常識的見解に反する事例の存在が明らかになった。例えばSr2IrO4は絶縁体であるが、分子中のイリジウム(Ir)を周期表でその真上に位置するロジウム(Rh)やコバルト(Co)と置き換えた物質は、同じ結晶構造をもつがいずれも金属(伝導体)となる。一番電子が動きやすいはずの5d遷移元素のひとつイリジウム(Ir)の酸化物Sr2IrO4がなぜ絶縁体となるのかは謎のままであった。

「そこで私たちは、『軌道回転運動の復活』という考え方により、この謎のメカニズムを説明しようとしました。電子のスピンの回転方向と軌道運動の方向との相互作用は、原子番号が大きく重い元素ほど強いのです。イリジウム酸化物などでは隣の元素の影響力を凌ぐほどスピン-軌道相互作用が大きくなり、電子の軌道運動が復活している可能性が高いのです。それによって、伝導性が失われるほどに隣の原子への電子移動が抑えられているとすれば、Sr2IrO4が絶縁体となるのも説明がつきます。ただ、最外殻電子の軌道運動が復活しているかどうかを、磁性を用いる従来の手法で検証するのはとても困難でした。Sr2IrO4の磁性はきわめて微弱だからです」と高木教授は語る。

最外殻電子のスピンと軌道運動には奇妙な相関性が!

そこで研究チームは、問題のIr酸化物(Sr2IrO4)の伝導性や磁性を左右する電子の軌道運動を調べるため、SPring-8の放射光X線回折を用いてみようと考えた。研究チームがまず取り組んだのは、この絶縁体酸化物中のスピン配列(電子の磁性構造)の決定である。スピンの配列決定には中性子を用いるのが一般的だが、Ir原子には中性子を吸収する性質があるのでこの方法は使えない。また、一方、X線回折法のみでスピン配列を決定するのは至難の業で、過去に成功事例は皆無だった。

だが、今回、高木教授らのチームは、SPring-8において、Irの電子スピンによるX線の回折信号を増幅できるような波長を選んで実験を行い、スピンの配列を決定することに成功した。X線回折法は、中性子を用いる場合に比べ試料が小さくてすむという利点があるので、従来の手法の難点を補うこともできるようになった。そのため、今後、スピン配列の決定ではSPring-8放射光の活躍の場が拡がるものと期待されている。

5d遷移元素ではスピン-軌道相互作用が強いので、軌道運動が右回りであるIrの電子と左回りであるIrの電子の配列は、スピンの配列と同じパターンをとる。そのため研究チームは、スピンと軌道運動とが同周期をもつ場合、スピンによって回折されるX線の波と軌道周回により回折されるX線の波とが、その波長に応じて強め合ったり弱め合ったりすることに気づいた(図1)。きわめて強力でエネルギー(波長)も変換可能なSPring-8の放射光X線による実験の結果、L3端と呼ばれる波長では極度の共鳴増大が観測されるのに対し、L2端と呼ばれる波長ではほとんど共鳴が観測されないことが明らかになった(図2)。

この観測結果には共鳴の際の電子軌道運動波の干渉効果が反映されている。より詳細な理論解析の結果から、Irの最外殻の電子は、スピンの回転方向と軌道周回方向が一致した状態を約3分の2の確率で取り、約3分の1の確率でスピンが反転して軌道周回が止まっている状態(図3)にあることが判明した。孤立原子には見られないこのスピンと軌道との奇妙な相関性はSr2IrO4の最外殻電子に特有なもので、そのために隣への電子の移行が抑制され、Sr2IrO4が絶縁体になっているのだと結論するに至った。従来、物質科学での物性研究の舞台は、原子番号の小さいマンガン、鉄、銅などの酸化物(3d遷移金属酸化物)であった。しかし近年、この研究に見られるように、3d遷移金属酸化物などとは桁違いに強い電子スピン−軌道相互作用をもつ5d遷移金属酸化物の特異な物性や機能が脚光を浴びるようになってきた。

高木教授は、「共鳴現象を用いてスピン-軌道相互作用の直接観測に成功したことは大きいです。今後は、理論的な物性研究と高度な計測技術とのコラボレーションが加速していくことでしょう」と話す。「電荷」の代わりに「スピン」を操るスピントロニクス素子が誕生すれば、画期的な省エネルギーデバイス開発も夢ではない。まだ試行段階にある電子のスピン操作の実現にはスピンと軌道運動の相互作用の完全解明が不可欠だ。スピンと軌道運動の相関度が高いほど、スピン情報の電気的・光学的操作は容易になるので、5d遷移金属元素酸化物には画期的な手法によるスピン操作実現の可能性が秘められている。

なお、この研究業績は、2009年3月5日発行の米科学誌『Science』に掲載された。さらに高木教授は、本業績などにより、2010年度文部科学大臣表彰科学技術賞(研究部門)を受賞した。

図1.共鳴X線回折の概念図
図1.共鳴X線回折の概念図

回折は個々の原子からのX線散乱の重ね合わせによって生じる。個々の原子の散乱において、入射X線のエネルギーが原子内の電子励起のエネルギーに等しいと、X線エネルギーの吸収・放出との共鳴が起き、X線散乱が増強され、回折強度も増大する。共鳴の際、電子の波動に位相の違い(時間的ずれ)が存在すると、干渉効果によって共鳴の打ち消しも起こりうる。

図2.Sr2IrO4の磁気X線回折強度(赤)とX線吸収強度(黒実線)のエネルギー依存性
図2.Sr2IrO4の磁気X線回折強度(赤)とX線吸収強度(黒実線)のエネルギー依存性

X線吸収の立ち上がり部が電子遷移に対応し、そこで回折強度の共鳴増大が起きている。L3端(2P3/2 -> 5d)では見事な増大が起きるのに対し、L2端(2P1/2 -> 5d)ではほとんど増大が起こらない。横軸の単位(keV)はX線の波長を光子エネルギーで表す。波長との間には、ほぼ、波長(ナノメートル)×光子エネルギー(keV)=1.24の関係がある。

図3.今回明らかになったIrの最外殻電子の状態を模式的に描いたもの。
図3.今回明らかになったIrの最外殻電子の状態を模式的に描いたもの。

2/3程度の確率で電子は自転と同じ向きで軌道回転している。一方、残り1/3の確率で自転の向きが反転し、それにより軌道回転が止まる。なお、この隣のIr原子ではスピンも軌道回転運動もすべて逆の状態になっている。