大型放射光施設 SPring-8

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X線で1分子の動きを追う

(財)高輝度光科学研究センター
利用研究促進部門II
生物・医学グループ副主幹研究員
佐々木 裕次

究極の計測法とは?

 “最先端の計測技術”、“究極の計測科学”という言葉を聞いて、なにを想像しますか?科学の話題で“最先端”とか“究極”などの枕詞を良く耳にしますが、それを聞いて、例えば、1つの原子や分子を見る、触る、操作するというイメージをすぐ思いつく方がいるとすれば、その方はかなりの科学通でしょう。最先端の科学はそんなレベルまで現在到達しようとしています。ここでは、物質を計る、特に生きた生体分子1個を原子の大きさ以下の精度で計る最先端計測科学について報告します。計測の世界では、日常的に原子や分子を見ることができます。原子や分子を見るための道具にはX線、電子線などの高いエネルギーを持った光源を使用することが一般的です。ここSPring-8で取り扱っている放射光は通常のX線光源よりも1億倍の強度を持っているので、非常に小さい試料を非常に速く、そして精度良く計測することができます。ではX線を用いた究極的な計測はどこまで可能になったのでしょうか?ここでいう究極的計測とは、1原子や1分子を見るということ、特に1つの原子や分子がどのような運動をしているか実時間で計測できることを指します。放射光を用いた今までの計測法では、原子や分子を10−100万個程度集めてその平均を測って、原子や分子の位置や構造を決めていました。その精度は原子及び分子の集め方にもよりますが、原子の大きさの1/10程度の精度でした。でも、原子1個とか、分子1個とかの運動計測となると実時間計測は元より、現在までX線では全く不可能だと思われてきました。しかし、原子1個や分子1個の動きを正確に計測したいという要望は最近になって非常に多くの研究者から言われるようになってきて、特に生命科学の世界では、1つの生体分子の細胞内での運動が非常に重要視されるようになってきました。なぜなら、細胞の中の生体分子は集団でその役割を果たしていることは少なく、たった1つの分子で機能していることの方が圧倒的に多いからです。ここで、紹介するX線1分子計測法とは、こんな時代の要求に世界で初めて答えた画期的な新規計測法なのです。

1分子の動きの計り方は?

 エネルギーの高い光で物質を見ようとすることは日常私達が使っている可視光よりも困難を伴います。それはX線が物を透過するという特徴からも理解できると思います。ですから、強度の強い放射光ですら1分子を計測することは到底不可能であるというのが現在までの常識でした。それも、動いている1分子の運動を実時間で高精度に計測しようというのは夢のまた夢でした。図1がX線1分子計測の原理図です。計測したい1分子に比較的大きな結晶体を標識します。大きさは10ナノメートル(ナノメートルとは1メートルの10億分の1)程度、原子50個分程度の直径です。この1個のナノ結晶体はX線の回折現象を利用すると1個のスポットとして検出されます。この高感度なX線の回折現象を利用することでX線1分子計測は実現したのです。ただ、だれもが思う疑問は、このナノ結晶の運動がはたして着目している1分子の運動を表現しているのかという点です。私は2年前にこれを実証しました。実験は簡単でした。運動の様子が分かっている高分子の末端にナノ結晶を標識して、予想される高分子の末端の運動がナノ結晶から読み取ることができるかどうか温度を変数として実験しました。その結果、ナノ結晶の運動から高分子の末端分子の運動が読めることが分かったのです。

図1:X線1分子計測法の原理図

図1:X線1分子計測法の原理図

DNA1分子の超微細運動計測に成功!

 次に生体1分子計測の例を示します。図2(a)のように、直径10-15nm程度のナノ結晶体を計測したい短い塩基列を持ったDNA1分子の末端に化学的に標識します。水溶液中で完全に自由なブラウン運動をしている分子では、標識したナノ結晶からの回折斑点を検出できません。それで、DNA分子は図にあるように基板表面に固定します。基板に固定された分子がブラウン運動をすることは既知の事実でした。実験の結果、標識されたナノ結晶も同様に運動することが明らかになりました。図2(b)(a)と比較してください。この(b)が従来からのX線回折の実験です。X線回折を起こす物質をサンプルホルダーに固定して、正確な回折斑点を計測して回折を起こしたその物質自身の構造情報を得るわけです。X線1分子計測で使用されているナノ結晶は回折斑点を発生しますが、私はそこからの構造情報には全く興味はなく、その回折斑点の運動だけに興味があります。正にコロンブスの卵的発想ですが、これがX線1分子計測のエッセンスです。図2(c)はDNA分子の末端に標識されたナノ結晶からの回折斑点が動く様子です。検出画面の左下へと回折斑点が移動して行っていることが分かります。細かく解析すると、なんと原子の1/100の精度で計測できていました。夢のピコメートル精度の実現でした。実験は、大型放射光施設内のBL44B2というビームラインで行ないました。X線1分子計測では、回折角すべてで反射しなければ、1分子の連続的運動追跡は不可能です。ですから波長領域幅の広い、いわゆる白色X線が必要となります。この点は本来白色特性を持つ放射光光源が本実験を行う上で理想的な光源であると言えます。しかし意外にも、SPring-8のビームラインで白色X線を利用する実験は例外的なのです。検出系は、X線を可視蛍光に変換するX線イメージングインテンシファイヤーV5445Pを使用しました。可視蛍光はCCDカメラにて検出。この検出システムがビデオレイトのリアルタイムイメージングを可能にしました。サンプルは、厚さ7μmの水溶液層を挟んで両側にX線透過膜で封をしています。サンプルは温度制御可能でDNA分子の実験では5°C設定下で行なわれました。

図2

図2:

(a) DNA分子は末端に導入されたアミノ基を介して基板に化学固定され、逆の端に導入されたSH基を介してナノ結晶の一部分に蒸着された金と反応させて修飾しています。
(b) 基板上に物理吸着したナノ結晶。これが一般的なX線回折法のサンプル状態。ナノ結晶からの回折斑点は検出できますが全く動きません。
(c) DNA分子に標識されたナノ結晶からの回折斑点の動画。各フレーム間は180ms。入射X線の位置は画像の左下部分。mradは回折角の単位。

今後のX線1分子計測の行方

 現在計測を進めているサンプル系には、DNA以外に筋肉の主要成分であるミオシンやアクチン分子などがあります。特に、ミオシン分子では突然変異体を設計して、色々な水溶液条件下で分子内運動を計測しています。また、膜蛋白質分子の構造変化計測の可能性も見出しており、視細胞内の主要生体分子であるバクテリオロドプシンの光誘導励起による内部構造変化も計測に成功し始めています。このように、非常に微細な構造変化、つまり分子内構造変化を実時間で検出して、構造変化と生体分子の機能発現との関係をモデルではなく、実際に同時計測し
て解析を進めています。ポストゲノム時代という言葉が新聞に多く取り上げられてもう1年以上がたちますが、次の生命科学の最大目標は生体分子の機能と構造の相関研究であることは疑う余地がなく、生命がどのようにして誕生、維持、そして死んで行くのかを完全に理解するためのスタートラインに私達は今、立っているのです。その計測方法論的突破口が1分子計測であり、その中でも、ずば抜けた位置決定精度を持っているX線1分子計測の可能性は、細胞内での機能発現計測を視野に入れて、日々進展しています。この新規計測方法によって、想像もしていなかった高度な生体分子の運動様式が浮き彫りにされる日が確実に近づいています。