大型放射光施設 SPring-8

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原子配列を立体視できる顕微鏡

奈良先端科学技術大学
物質創成科学研究科教授
大門 寛

1.原子と物質

 この世の中の全ての物質は、100種類くらいしかない元素が色々に組み合わさってできています。その組み合わせの違いによって、やわらかいもの、硬いもの、電気を良く通すもの、磁石になるもの、など様々な性質が現れます。同じ炭素原子が集まったものでも、鉛筆の芯のように黒くて柔らかい物もあれば、ダイヤモンドのように固くて透明のものもあります。その性質の違いは、炭素原子の配列の違いからくるもので、原子配列の構造を知ることは、物質の性質を研究する基本です。
 ところが、原子は非常に小さいので、その配列を直接目で見ることはできません。光学顕微鏡では数千倍に拡大するのが限度で、細胞などしか見ることはできません。原子を見るにはさらに1万倍ほど拡大する必要があります。電子顕微鏡では100万倍程度に拡大することができるので、原子を見ることはできます。しかし、見える原子の並びは、3次元的に並んだ原子配列構造のある方向から投影した像にすぎず、立体構造は判りません。ここで紹介する研究成果は、特殊な光と特殊な分析器を用いることにより、100億倍に拡大して原子配列の立体写真を撮ることに世界で初めて成功したものです。

2.立体写真

 立体的に配列している物を見た場合、右目と左目で見た像は微妙に違い、この違いを脳が判断して物体までの距離を知ることができます。図1に左右の目で物体Aを見た時の様子を描いてありますが、この角度の違いΔを視差角と言います。視差角だけずらした一組の像を並べたものが立体写真で、左右それぞれの目で見ることにより、もとの立体を三次元的に認識することができます。視差角は、観測者から物体までの距離に反比例し、遠くのものほど視差角は小さくなっています。

図1:立体視の視差角。

図1:立体視の視差角。

Rは物体までの距離で、本文ではX線吸収原子(O)から光電子散乱原子(A)までの距離。

3.特殊なX線

 本研究で用いた光はSPring-8で作られる特殊なX線で、図2のように電場が左または右に回転している円偏光X線と呼ばれるものです。これを試料に照射すると、そのエネルギーをもらって原子の中の電子が飛び出します(光電子)。普通のX線を吸ったときには、原子の中心からまっすぐ拡がるように飛び出すのですが、円偏光X線を吸った時には、図2の右の図のように、中心から少し離れたところから回転して飛び出します。これは、雨の日に傘をまわすと、水滴が回したほうに飛んで行くのと似ています。

図2:左右円偏光と、それによって飛び出す光電子の拡がり方図2:左右円偏光と、それによって飛び出す光電子の拡がり方

4.原子の投影写真

 このように原子から飛び出した光電子を利用すると、原子配列の投影写真を得ることができます。図3は、その原理を示したものです。普通のX線を吸って出てきた光電子は、原子の中心からまっすぐ拡がるように飛び出すので、図3の左の図のように、周りの原子の影が遠くのスクリーンに投影されます。原子にはレンズ作用があるので、実際には暗い影ではなくて、明るい斑点になります。円偏光X線を吸った時には中心から少し離れたところから飛び出すので、図3の右の図のように、飛び出す方向が右回りと左回りの時とでは、スクリーンに映る像の位置がずれます。このずれが、立体写真の視差角と同じになっています。したがって、円偏光X線を照射して出てきた光電子の角度分布を二次元的に測定すると、光電子を出した原子から周りを見た時の立体写真が撮れることになります。これらの写真をそれぞれ左右の目で見ると、光電子が出た原子から見たその原子の周りの原子配列を、200億倍に拡大して立体視することができます。この倍率はこれまでの電子顕微鏡より2000倍ほど大きいものです。

図3:光電子による原子の投影像図3:光電子による原子の投影像

5.二次元表示型球面鏡分析器

 この角度分布の測定には、我々が開発した「二次元表示型球面鏡分析器(DIANA)」という装置が用いられます(図4)。この装置は、試料から飛び出した種々の光電子のうち、ある運動エネルギーの電子だけの放出角度分布を広い立体角の範囲で表示することができます。蛍光板上の像は、角度分布が全く歪んでいないので、立体写真がそのまま表示されます。

図4:二次元表示型球面鏡分析器図4:二次元表示型球面鏡分析器

6.立体写真の測定例

 表紙図(a)、(b)は、この装置で測定したタングステン結晶の立体写真の例です。測定は、大型放射光施設内のBL25SUというビームラインでおこないました。赤丸で示した5個の原子が見えます。一番上の原子の位置は、(a)、(b)において左右に少しずれていて、そのずれが視差角になっています。視差角は、一番上の原子が大きく、下のものは小さいので、(a)、(b)の図を左右の目でそれぞれ見ることにより、一番上の原子が近く、他は遠くにあるような原子の立体配列を認識することができます。

7.立体原子顕微鏡の今後の展開

 原子の立体配列が直接見えるようになったので、今まで見えなかったナノ構造の原子構造の解析、固体表面での原子分子の挙動の解析の研究が進みます。ナノ構造の解析は、原子レベルでのナノテクノロジーの発展が期待できますし、分子の挙動の解析は触媒・環境問題・バイオ機能解析への寄与なども予想できます。このように、この顕微鏡の開発は、工学、化学、生物学など多くの分野での基礎的な技術であり、多方面に応用されるでしょう。
 現在は一枚の画像の測定に15分程度かかっていますが、将来、円偏光の強度が強くなって回転の向きも高速で変化することができるようになると、左右の像が100分の1秒程度で交互に分析器の蛍光板に現れるようになります。それに同期して左右が交互に透明になる特殊なめがねを用いて蛍光板を見ることにより、テレビの速さ程度の実時間測定も可能になるでしょう。そのようになればSPring-8などの施設に専用の顕微鏡として設置しておき、広く一般の人々に開放して種々の物質の原子レベル観察が行われるようになると思われます。将来は光電子顕微鏡の機能も持たせ、サブミクロンから原子レベルの顕微鏡として活用することができます。
 また、ここでの視差角の測定は、軌道角運動量という量子力学の基本的な量が世界で初めて測定できたことになるので、軌道角運動量が関係した物理、磁性の起源の研究などにも応用が期待できます。

表紙図

表紙の図

タングステン結晶の立体写真(SPring-8 BL25SUで撮影)
(a)、(b)は回転の向きが反対の円偏光を用いて測定したタングステン結晶中のタングステン原子の立体写真。
(a)を左目、(b)を右目で見ることにより、ある原子から周りの原子を見た時の原子配列が立体的に認識できます。