大型放射光施設 SPring-8

コンテンツへジャンプする
» ENGLISH
パーソナルツール
 

メッキ中の電気二重層の構造

慶應義塾大学理工学部化学科教授
財団法人高輝度光科学研究センター外来研究員
伊藤 正時

1.固液界面の複雑な電気二重層

 1901年レントゲンがX線の発見でノーベル賞を受賞して以来今日まで、X線は自然科学の研究だけでなく、産業、医療などの応用面でも、大変優れた“光(武器)”であるということが証明されました。物質の原子配列を調べるのにX線ほど確かな研究手段はないと思われます。X線回折による成果でノーベル賞を受賞した人が多いのも当然かもしれません。科学の最先端をいくSPring-8の高輝度X線であれば、どんなに複雑な原子配列をした物質であっても解析でき、もはやSPring-8におけるX線回折研究で構造がわからぬものはないとさえ思われます。
 古来水の構造ほどわからぬものはない、といわれてきました。地球上で生物の進化をもたらした水、特に電解質イオンに水和した水の構造はまさに研究者泣かせでありました。電極金属と電解質溶液の境界部分の構造は恐ろしく複雑であり、これまでその正確な全構造はだれも口にすることがありませんでした。なぜなら、電位のかかった電極金属の表面構造を調べるだけでも厄介なうえに、電極表面には水分子、水素原子、水酸化物イオン、水和した電解質イオンなどが一緒に吸着(共吸着)しており、これらの分子、イオンは電極の表面金属原子と結合し、かつまた、電極と反対の溶液側にある溶媒分子(水)、水和イオンとも相互作用しているからです。電極が働いているときは、界面では電子の獲得(または放出)による酸化還元反応が起こっています。このような一見複雑な電極界面でも、ある条件下では非常にきれいな周期配列をとることが、最近トンネル顕微鏡によりわかってきました。しかしながら、トンネル顕微鏡では全ての原子が見えるとは限らず、また見えた原子像でも原子種の同定や原子位置の精度に難があり、肝心の水分子の位置については全くとらえることが出来ません。ここで紹介する電気二重層の表面X線回折の結果では、すべてが一望のもとにみえたという意味でX 線の威力をまざまざと思い知らされる気がします。

2.表面X線回折による電極表面構造解析

 Au(111)電極(表面が(111)方位の金電極)をCuSO4(硫酸銅)+ H2SO4(硫酸)水溶液に浸漬し、適切な電極電位を設定すると、図1のように電極表面にはなんらかの周期構造が形成されます。しかし、このトンネル顕微鏡の原子像からわかることは、最表面層に吸着したSO42-(硫酸イオン)の酸素原子と思われる原子が特定の周期構造をしていることだけであり、内部がどうなっているかなどは全くわかりません。この状態の表面構造を出来るだけ詳しく調べるために、X 線をAu(111)電極表面すれすれ方向から入射させAu(111)電極表面部分からの回折X 線の強度測定を行いました。実験はSPring-8 のBL09XUで実施されたものです。測定方法と解析方法は通常の3次元結晶構造解析の場合と全く同じですので、ここではその結果についてだけ述べることにします。
 得られた表面構造を図2および表紙図に示します。これは電極電位を約0.35V に保っているときのものです。図2でわかるように、この構造は大変対称性が高く、電極表面に垂直な3回回転軸およびその軸を含む鏡映面をもっています。溶液中のCu2+(2価の銅イオン)は直接、Au(111)表面に接して電子を受け取りCu+(1 価の銅イオン)になっていますが、そのCu+とSO42-がAu(111)電極表面上で共吸着していることがわかります。SO42-の3個の酸素原子は6個のCu+に囲まれており、そのCu+の真上に2.77(6)Åの距離で水分子が水和していることがわかりました。SO42-の残りの酸素原子とあわせると、表紙図でわかるように酸素原子による最密充填平面が形成されていることになります。
 酸素原子が最密充填した平面内では、酸素原子—酸素原子間の距離は2.88(4)ÅでAuの原子間距離に等しく、かつ水溶液中でみられる水素結合距離と同程度であるので、水素結合が関与していることがわかります。氷は四面体構造をとるために隙間が大きくなり、比重が1より小さいことはよく知られています。高圧氷の場合や水溶液の場合でも酸素原子の周りは四面体構造であることを考えると、このように平面的に最密充填配列をしている水は、異常に密度の大きな(1.5以上)状態であると言えます。図2に示したように、Au(111)電極自身は最表面層と2層目の間隔が内部よりも0.10(1)Å 程度のびていることもわかりました。結局、電気二重層全体の構造、界面に吸着したイオン、水分子、金属原子の正確な位置をすべて決定することができました。(1)

図1

図1:トンネル顕微鏡で観察したAu(111)電極表面におけるCu+とSO42-の共吸着構造。

モデルで白丸はAu原子をあらわしており、吸着化合物の単位格子はAu 原子の周期の√3 x √3倍であることがわかる。電極電位0.40V(水素電極基準)、バイアス電位-65.6mV、トンネル電流2.8nA

図2

図2:表面X線回折で解析されたAu(111)電極表面におけるCu++SO42-+H2Oの共吸着構造。

電極電位0.35V(水素電極基準)、空間群P31m、独立反射数53、最終R因子8.8%

3.メッキの初期過程

 表紙図で電極の電位を0.35V よりも負側にするとAu(111)電極表面に共吸着していたSO42-と溶液中のCu2+との交換がおこり、Au(111)の表面はCu+で全部覆われて、一見Cu(111)の単層表面が完成したようになります。しかし、Au(111)に吸着しているCu+の大きさはAu原子の大きさよりはるかに小さく、Cu+同士は接触しておりません。また、そのCu+にはSO42-や水分子が吸着(配位)していることもわかりました。このような状態のCu+には金属としての性質がありません。SO42-+Cu+共吸着化合物はむしろ絶縁体的な性質を示すことが他の分光実験からわかりました。さらに電位を負にすると、SO42-が電極からはずれるとともに溶液中のCu2+が多層吸着し始めることになります。このときにはCu+は電極からさらに電子を受け取って中性のCu原子になります。Cu原子は、この電位では当然金属的な性質を示します。これがいわゆるメッキの原理です。
 真空中でAu(111)表面にCuを蒸着させても単層だけの構造規制された表面をつくることは困難です。しかしここで述べたように、電極表面では電極の電位を制御することによって、特定の構造を作ることが可能です。このようなことから、固液界面で新物質、新素材を合成する試みが盛んに行われています。例えば、液中トンネル顕微鏡を用い、Au(111)電極表面上でチップ(探針)を利用することによって、1nm幅のCu細線やCuドットが作られました。ステンレス表面上で数ミクロン幅の溝をつけるマイクロマシーンも開発されています。

4.将来への展望

 SPring-8ではX線パルスによる実験も可能ですので、電位制御された構造が電位とともにどのような変化をたどるかという反応の経時変化も追えるようになると思います。燃料電池のエネルギーは電極表面で酸素と水素から水ができるときのエネルギーです。負側に帯電した電極表面上で酸素がどのような過程で水になるのか、電極反応機構が解明できれば、大変効率のよい、すばらしい燃料電池が世の中にでまわるに違いありません。また、ナノテクノロジーをささえる新素材、新規化合物、生命現象の理解に必須な糖鎖、2分子膜など、軽原子のみからなる有機物薄膜も次々と解析されることでしょう。

(1) M.Nakamura, O.Endo, T.Ohta, M.Ito and Y.Yoda,Surf.Sci., 514,227(2002).