大型放射光施設 SPring-8

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1本の筋原繊維からのX線回折像撮影に成功

(財)高輝度光科学研究センター
放射光研究所 主幹研究員
岩本 裕之

 SPring-8の理化学研究所のビームラインBL45XU(理研構造生物学I)を用いて、筋肉細胞内にある直径わずか2マイクロメートルの筋原繊維1本からX線回折像を記録し、その中の収縮タンパクの格子構造を直接可視化することに成功しました。数マイクロメートル(1マイクロメートルは1ミリメートルの1/1000)の大きさに絞ったX線(マイクロビーム)を使って生体分子のX線回折像を記録した例は過去にもありましたが、髪の毛やクモの糸など、照射損傷に強い乾燥試料が使われていました。今回の成果は、細胞内で水を含み、機能する状態にあるタンパク質集合体からX線回折像を記録した例としては世界最小のものになります( 体積にして従来の約1/1000)。さらに細胞内のタンパク質集合体の単一格子から回折像が記録されたのも世界で初めてです。

 骨格筋(横紋筋)は、径50〜100マイクロメいます(図1a)。1本の筋細胞の中には更に径1〜2マイクロメートルの筋原繊維が多数あり(図1b)、これは筋収縮の最小構造単位である筋節(サルコメア、長さ約2マイクロメートル)が直列に並んだものです(図1c)。筋節の中で、収縮タンパクのアクチンミオシンからできたフィラメントが六角格子の形に規則的に並んでいます(図1d)。このため、X線を筋肉に照射すると六角格子に由来する回折像が得られます。回折像は「反射」と呼ばれる明るい斑点の集まりです。タンパク結晶構造解析のときと同じように、これらの斑点をなるべく数多く測定して解析することで収縮タンパクの構造に関するいろいろな情報を得ることができます。1個の筋節の中で格子面の向きは全部そろっています(つまり、ただ1つの六角格子しか含まれていない「単結晶」に相当)。
 今まで、X線回折に使われた筋肉試料で最も小さいものは単一の筋細胞でした。この中にたくさんある筋原繊維中の六角格子の方向は全くランダムなので、異なる格子面に由来する反射が全部重なった「回転平均」された回折像しか記録することができませんでした。1本の筋原繊維を使わなければ異なった格子面からの反射を分けて記録することはできません。今回の研究では、1本の筋原繊維から回折像を記録するため、以下のような工夫をしました。
 (1)まず、収縮タンパクの配列の規則性が脊椎動物の骨格筋よりも高い昆虫(マルハナバチ)の飛翔筋(胸部にあり、羽ばたくのに使う筋肉)を材料として使いました。
 (2)直径2マイクロメートルのピンホール(針穴)にX線を通すことで、微小なX線ビーム(マイクロビーム)を作りました。上にも書きましたように照射損傷に弱い細胞内の水を含んだタンパク集合体からマイクロビームを使って回折像を記録したのは初めてで、しかも露光時間は僅か5秒でした。このように短時間で露光できたのは第三世代放射光施設から発生する明るくて方向性のよいX線と高感度の検出器によるところが大きいです。また、BL45XUの1000倍も明るいX線を発生できるビームライン(BL40XU)も完成していて、これを使って格子の中で収縮タンパクの様子をさらに高精度で測定する研究も現在進行中です。
 (3)エンドオン回折。筋細胞のような繊維状の物体からX線回折像を記録するときにはX線を繊維の軸に直角に当てるのが普通のやりかたです。しかしこの方法で単一筋原繊維から回折像を記録しようとすると、図1の説明に書いてある理由から全ての反射を同時に記録することはできません。ですから、全ての格子面から反射を記録するためには筋原繊維の1本を筋細胞から抜き出して、鶏の丸焼きのように回転させながら撮影しなければなりません。この問題を避けるため、通常と違ってX線を繊維の軸に沿って当てました(エンドオン照射、図2c,d)。これにより1本の筋原繊維を筋細胞から抜き出さずに、筋細胞中にある筋原繊維の1本を狙い撃ちすることで1本の筋原繊維からの回折像(エンドオン回折像)を記録することにしました。この方法で1回の露光で全部の格子面からの反射を同時に記録できるはずです。
 実際に記録された回折像を図3に示します。まず、径50マイクロメートルのピンホールを使って撮影した回折像が図3aです。この場合、ビームの中には格子面の向きがランダムな筋原繊維が多数ありますから、反射は同心円状になります。これは結晶をすりつぶした粉にX線を当てたときに記録される「粉末回折像」と同じものです。
 それに対して、径2マイクロメートルのピンホールを使って撮影した回折像(図3b,c)では、各格子面からの反射がスポット状に見えています。これらのスポットは六角格子状に並んでいるのが一目瞭然で、明らかにただ1つの六角格子、すなわち1本の筋原繊維から回折像が記録されたことがわかります。
 さらに、反射がスポット状に見えていることは、本当は驚くべきことです。先に1個の筋節にはただ1つの六角格子しか含まれていないと書きました。しかしX線の軸に沿った筋原繊維の長さは約3ミリメートルあり、その中には筋節が1000個も直列に並んでいます。これらの筋節中の格子面が完全にそろっていないと反射はスポット状にはなりません。隣り合った筋節の間で格子面に0.1度でもねじれがあれば、3ミリメートルの間に100度もねじれてしまい、反射は図3aのように同心円状に広がってしまうことでしょう。3ミリメートルというのはマルハナバチ飛翔筋の全長に近い長さですから、マルハナバチの筋原繊維は全長を通して格子面がそろった1個の巨大単結晶ということができます。
 現在、タンパクの原子構造を決めるために国内外の多数の結晶学者がタンパクの良質な単結晶を作ろうと努力しています。得られる単結晶の大きさは、どんなに大きいものでも1ミリメートルよりは小さいです。しかしこれよりずっと大きな単結晶を体の中に作ってしまう生き物がいるのは大変面白いことです。外国には世界最大のクモ「タランチュラ」を狩る狩人蜂「タランチュラオオベッコウ」がいて、これは体長が8センチもあります。このようなハチでも筋原繊維は巨大単結晶なのでしょうか? その後の研究で、筋原繊維が巨大単結晶なのはハチやハエなど、一部の高等な昆虫に限られることがわかっています。
 細胞内には、分裂装置や鞭毛・繊毛、細胞膜裏打ち構造など、いろいろな種類の機能性タンパク質集合体があります。しかしこれらは筋肉の収縮装置よりもずっと小さいので(マイクロメートル程度)、いままでX線回折法の対象にはなっていませんでした。しかし今回の成功によって、これらの試料もX線回折によって構造解析ができる可能性が開けてきたといえます。ポストゲノム時代にはタンパク分子集合体中でのタンパク機能・構造解析が重要性を増すと予想されますが、そのときには本研究で使われた技術が強力な研究手段として役立つことでしょう。

図1. 脊椎動物の骨格筋(横紋筋)の構造。

図1. 脊椎動物の骨格筋(横紋筋)の構造。

a、全筋。多数の筋細胞(筋線維)が集まってできている。b、筋細胞。直径50〜100マイクロメートル。直径1〜2マイクロメートルの筋原繊維が多数集まってできている。c、筋原繊維の拡大図。長さ2〜2.5マイクロメートルの筋節(サルコメア)が多数直列に並んでいる。この中で収縮タンパクミオシンとアクチンのフィラメントが六角格子の形に並んでいる(d)。1個の筋節中では格子の向きは揃っている(単結晶)。格子の中には多数の線で示したように「格子面」とよばれる面があり(示した以外のものもたくさんある)、それぞれに1,0とか1,1などの名前がついている。X線を当てると、ちょうど光が鏡に反射するように、入射の角度と同じ角度でX線が「反射」する。ただし鏡の場合と違ってどの角度でX線を当てても反射が起こるわけではなく、X線の波長と格子面の間隔できまる特定の角度でX線を当てないと反射が起きない。

図2. マルハナバチ飛翔筋の筋細胞からX線回折像を記録する方法。

図2. マルハナバチ飛翔筋の筋細胞からX線回折像を記録する方法。

a、マルハナバチ。b、いままでの方法によるX線回折像記録(X線を筋細胞の軸と直角にあてる)。筋細胞に多数含まれる筋原繊維中の六角格子の向きはランダムなので全ての格子面からの反射が重なってしまう。c、エンドオン回折像記録。X線を筋細胞の軸に沿って照射する。この場合も、X線の径が大きい場合は多数の筋原繊維にX線があたるため、回折像は同心円状になり、反射はやはり重なってしまう。d、X線マイクロビームにより筋原繊維1本からエンドオン回折像を記録した場合。X線の中に1本の六角格子しか含まれないので、それぞれの格子面からの反射がスポットとして分離して記録される。

図3. マルハナバチ飛翔筋の筋細胞から実際に記録されたエンドオン回折像

図3. マルハナバチ飛翔筋の筋細胞から実際に記録されたエンドオン回折像。

a、50マイクロメートル径(筋細胞の太さ)のX線ビームで記録したエンドオン回折像。図2cに相当し、多数の筋原繊維が含まれるため同心円状の反射がみられる。b,c、2マイクロメートル径のX線マイクロビームで記録したエンドオン回折像。ただ1個の六角格子に由来する反射がスポット状に見える。回折像の中央が暗くなっているのは直接光から検出器を保護するためのビームストップの影。

 本研究は、理化学研究所の藤澤哲郎・西川幸宏両博士、高輝度光科学研究センターの若山純一博士と共同で行われました。また本研究は先端的共同利用施設利用促進事業(科学技術振興事業団)の一環として行われました。


用語解説

アクチン,ミオシン
筋肉内の主要な収縮蛋白で、それぞれが重合してフィラメントを形成しています。筋収縮は、アクチンとミオシンのフィラメントが互いに滑り合うことで起こります。アクチンは球状の蛋白質で、ミオシンは球状の頭部と、繊維状の尾部からなります。頭部にはアクチンと、収縮のエネルギー源であるATPに対する結合部位があり、収縮の原動力を発生します。尾部は、フィラメントの形成に関与します。

細胞膜裏打ち構造
細胞膜の直下にある構造蛋白の集合体で、細胞の形態を保つのに役立ちます。アクチンは代表的な構成蛋白のひとつです。