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SPring-8で見えた巨大分子の二重ドーナツ型構造 ナノサイズの有機分子コイルが拓く新たなデバイスの可能性

研究成果 · トピックス

SPring-8で見えた巨大分子の二重ドーナツ型構造 ナノサイズの有機分子コイルが拓く新たなデバイスの可能性

 物質はすべて原子という小さな粒からできています。この世に存在する原子の種類は限られていますが、原子が結合してできる分子は、組み合わせや結合の方法によって多種多様です。原子の性質や結合の仕組みを理解して、これまで存在しなかった新たな分子を作りだすことができるのが化学という学問分野です。新しい分子の誕生は新たな性能をもつ材料を生み、技術革新を引き起こします。
 合成化学と機能材料化学を専門とする東京都立大学の伊與田正彦客員教授は、これまでにない巨大な環状分子の合成に成功し、SPring-8での解析の結果、ドーナツが上下に2つ並んだような世界に前例のない構造と不思議な性質をもつ分子であることを明らかにしました。この成果を報告した論文は2020年2月にJournal of the American Chemical Societyに掲載されました。

SPring-8で見えた二段重ねの奇妙なドーナツ構造

 物質は大きく分けて有機化合物と無機化合物に分けられます。有機は英語で organ、生物の器官という意味です。かつては、生物の体に関係するものを有機化合物と定義していましたが、有機化合物を人工的に合成できるようになると、その定義はあいまいになり、生物由来に限らず、二酸化炭素など一部の単純な構造の分子を除く、炭素の入った物質を有機化合物と呼ぶようになりました。石油も代表的な有機化合物です。よって、石油から作り出すプラスチックや合成繊維、樹脂なども有機化合物となります。私たちの暮らしは人工的に作り出した様々な有機化合物で成り立っていることがわかります。
 有機化合物の多くは電気を通さず、磁石にも反応しませんが、最近ではそうではない有機化合物も誕生しています。チオフェン分子(図1A)を鎖状につなげたポリチオフェン(図1C)は、電気を流す性質(導電性)と光透過性を示すことから、電子工学の材料として使用されています。
 伊與田さんたちはポリチオフェンの詳しい性質を調べるために、6個のチオフェンを輪のようにつなげた環状チオフェンオリゴマー(図1B)を合成しました。オリゴマーというのは比較的少数の分子が結合したもので、多いものはポリマーと呼ばれます。なぜ、鎖状のポリチオフェン(チオフェンポリマー)の性質を調べたいのに、環状チオフェンオリゴマーを作成したのでしょうか。伊與田さんは次のように説明します。
 「私の興味は化合物の性質や構造を正確に調べることにあります。鎖状のチオフェンは、中央部分と末端部分で性質が変わってしまいます。私たちが知りたいのは末端ではなく中央部分の性質なので、チオフェンを輪にすることで末端のない構造を作りました。実はもっと大きなものも作っているのですが、今の科学技術レベルでは、分子が大きすぎると構造を見ることができません。まずは、ある程度小さい方が正確な議論ができると考え、6 個の環状チオフェンオリゴマーを作成したのです」
 これまで、様々な有機化学合成を行ってきた伊與田さんは、それほど苦労することなく環状チオフェンオリゴマーを合成することができました。さらに、伊與田さんのもとで研究をしていた大学院生の藤原さんが、作成した分子の結晶化に成功したことで、研究は大きく前進しました。
 結晶化できれば、X線を使って分子の構造を解析できます。しかし、できた結晶は非常に柔らかく不安定であったため、長時間の測定には耐えられません。通常のX線では解析不可能だと判断した伊與田さんは、共同研究者の青柳忍教授(名古屋市立大学)とともに、SPring-8のビームラインBL02B1で解析を行うことにしました。

図1

図1 チオフェン分子(A)と、作成した環状チオフェンオリゴマーである6T4A-4Bu分子(B)。
4か所の水素がブチル基に置き換わり、環は三重結合と二重結合で連結されている。
(C)は鎖状のポリチオフェンのポリエチレンジオキシチオフェン(PEDOT)。

 SPring-8のX線は通常のX線に比べて単位面積当たりかつ時間当たりの強さ、すなわち輝度が格段に高いという特長があります。使用するX線の輝度が高いほど、測定に要する時間(X線露光時間)は短縮できます。また、結晶構造を解析するには数百枚のX線像を測定する必要があるため、迅速な測定を行うためにはX線像1枚当たりの読み取り時間を短縮することが求められますが、BL02B1に整備されている2次元ハイブリッド型ピクセル検出器(PILATUS)は、X線像を構成する画素(ピクセル)ごとにX線の検出と計数を行うため、高速なX線の読み取りが可能です。これらを組み合わせて用いることで、不安定な結晶にもかかわらず、何とか構造を決定できるデータを収集することができました。
 SPring-8で明らかになったのは、ドーナツ型の環状チオフェンオリゴマーが上下に2つ重なった1つの巨大分子(ダイマー)になっているという驚きの構造でした(図2A)。また、巨大分子の間には、ジクロロメタン2分子が取り込まれていました。

図2
図2 SPring-8の解析で見えた結晶構造を横から見た模式図(A)と上から見た模式図(B)。
(B)では2つの環状分子が立体障害を避けるために少しずれた形で上下に重なっている様子がわかる。
輪の中にはジクロロメタン2分子が内包されている。

 この結果について、伊與田さんは次のように語ります。「通常、環状の分子は不安定で重なることはありません。事前に行った理論計算では重なる可能性も示されていましたが半信半疑でした。実際に計測して、ここまできれいに2つの分子が重なり、しかも接近して1つの巨大分子のようになっている構造が見えたことに驚きました」
 さらに伊與田さんたちは紫外可視近赤外分光光度計(※)を用いて、2 つの分子の間に強い相互作用があることを光の吸収特性からも確かめました。

※分光光度計
 様々な波長の光を試料に照射し、どのような光が吸収されたかを調べることで分子の結合状態や特性を調べる装置

環状の構造が生みだす電流と磁界

 チオフェンは4つの炭素原子と1つの硫黄原子が結合して環状になった分子です(図1A)。原子はそれぞれ決まった数の電子をもっており、この電子は原子同士をつなぐ役割も果たします。チオフェンの炭素原子(C)と硫黄原子(S)にはそれぞれ5員環を作るために使われなかった電子があり、分子の環に対して垂直方向の軌道に存在しています(図3A)。これらの電子は隣の電子と作用して環と並行なドーナツ型の電子雲を作ります(図3B)。この水平に置いた輪の垂直方向に磁界をかけると、電子雲が磁界の方向を取り巻くように移動し、リングに沿って流れる電流が発生します。磁界が動くと電流が流れる、電磁誘導の原理です。このときに流れる電流のことを環電流といいます。

図3
図3 (A)チオフェンを構成する原子の電子の軌道。炭素原子Cは省略されている。
(B)チオフェン分子の上下に形成される電子雲。

 伊與田さんは新しく合成したこの環状巨大分子にも、電磁誘導が起こり、電気的な性質と磁気的な性質が現れることを期待しました。
 「ベンゼンやチオフェンのような1分子で環電流が流れることはよく知られていますが、今回のような二重ドーナツ型巨大分子で環電流が発生するかどうかを確かめた例はこれまでにありませんでした。確かめる方法も簡単ではありません。今回、たまたま運がいいことに、環状分子の中心に溶媒で用いたジクロロメタン分子が入っていたため、この分子の挙動を観測すれば環電流の効果がわかるかもしれないと考えました。そこで、横浜にある理化学研究所で核磁気共鳴スペクトル(NMR)装置による測定を行うことにしました」
 NMRは調べたい物質を強力な磁界の中に入れることで、物質を構成している原子の状態を調べることができる測定法です。作成したチオフェンオリゴマーを NMR装置で測定すると、ジクロロメタンに実際にかかっている磁界が、NMR装置で加えた外部磁界よりも小さいことがわかりました。
 「このようなことが起こる原因として、環の内部に外部磁界と反対方向の磁界が発生している可能性が考えられます。1分子のチオフェン環に磁界をかけると環電流が流れますが、それと同様のことがこの巨大な分子の環で起こり、その結果、環電流による電磁誘導が起こって外部磁界と逆向きの磁界が作り出され、外部磁界を打ち消していたのです。この観測データを基に理論計算で詳しく解析した結果、磁界中の二重ドーナツ型分子は、分子リングに沿って回転するように電気が流れる環電流特性をもつことが明らかになりました(図4)」

図4

図4 外部磁界(青矢印)に応答して二重ドーナツ型巨大分子に流れる環電流(黄色矢印)

ナノサイズの有機分子がコイルになる

 電気と磁気の作用を調節する二重ドーナツ型巨大分子は、分子サイズのコイルといえます。コイルは、現在、様々な電子機器で重要な役割を果たしていますが、小さな分子コイルはどのような技術応用が考えられるのでしょうか。
 「有機化合物は金属やシリコンを使った無機化合物よりも柔らかく、柔軟に形を変えることができるため、導電性や磁性をもつ有機化合物は電子デバイス材料として大きな期待がかけられています。その中でも、導電性と磁性の両方をもつ有機分子はめずらしく、うまく応用できれば、まったく新しい分子エレクトロニクス技術が発展するかもしれません。たとえば、ドーナツ分子を外部磁界中に並べると、リングの中だけ環電流によって反対向きの磁界が発生します。そういう特徴を生かして規則的な磁界の配列を作り、何らかの応用につなげることはできると思います。ほかにも、電気を流す性質と磁界によって変化する性質の両方をもつことを利用して、磁界の変化で挙動が変わる導電性素子や、磁界をかけることで一列に並べて特殊な繊維を作ることも可能です」
 これからも面白い性質をもつ分子を作り出していきたいと意欲的に語る伊與田さん。新たな分子がどんな未来を作っていくのか、とても楽しみです。


コラム

 伊與田さんの化学への好奇心のルーツをたどると、小学校の理科室にたどり着くそうです。担任が理科の先生だった伊與田さんは、ひとりでしょっちゅう理科室に行って遊んでいました。
 「覚えているのは、亜鉛と塩酸を入れたビール瓶の口に風船をつけて膨らませたことです。水素が発生しますから、宙に浮かぶ風船ができるんです。今だったらそんな危険なことを小学生にはやらせないと思いますが、良くも悪くも大らかな時代でした」
 高校時代はバレーボール部のキャプテンを務め、大学に入ってからも2年生までは部活を続けていた伊與田さんは、ひざの故障をきっかけに部活をやめて勉強に専念するようになりました。最初に出会った研究は天然に存在する抗腫瘍性物質の合成でした。その後、さらに基礎的な分野に移って研究をしますが、天然物質から研究を始めたことは研究スタイルに影響を与えたと伊與田さんは言います。
 「天然物というのは何が出てくるのか厳密に予測できません。そういうところから、何かを一生懸命探し出すという学問なのです。最近の若い方は、最初から計算して構造を決めて設計してから研究を始めるという人が多いのですが、私はある程度わかりながらも、完全にはわからないところがあるものを作って、その性質を探っていくのが好きなんです。おかげで、ほかの人がそう簡単に見つけないようなものがときどき出てくるのかもしれません」
 年中研究室にいる伊與田さんの趣味は、胡蝶蘭を育てること。年中温度が一定の研究室は、蘭が育ちやすいそうです。
 定年後も客員教授として精力的に研究を続ける伊與田さんは、若い学生たちと積極的にディスカッションを重ねながら、柔軟な感性とベテランの技術を駆使して、これからも面白い化合物を作りだしていくことでしょう。

研究室で育てている胡蝶蘭

研究室で育てている胡蝶蘭

文:チーム・パスカル 寒竹 泉美


この記事は、東京都立大学 理学研究科 伊與田 正彦 名誉教授・客員教授にインタビューして構成しました。