粘土に吸着されるカフェインの様子をリアルタイムで解析 溶液中の粉末をSPring-8の放射光で結晶構造解析する
粘土に吸着されるカフェインの様子をリアルタイムで解析 溶液中の粉末をSPring-8の放射光で結晶構造解析する
水や有害物質を取りこむ粘土の結晶構造
粘土と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、幼いときに遊んだ油粘土や、乾くと軽くなって固まる紙粘土でしょうか。最近は、子どもの口に入っても安全な小麦粘土や米粉粘土もありますし、アクセサリーを作るためのシリコン粘土や銀粘土もあります。
これらに共通しているのは、粘り気がある塊で、練って形を作ることができる点です。私たちはそのようなものを全部ひっくるめて粘土と呼びますが、科学の世界で粘土といえば、水を含むと粘性をもつ「土」を指します。
粘土を構成する粘土鉱物は、水を加えれば水分を含んだ粘り気のある柔らかい塊になり、高温や乾燥で水分が飛ぶと粘性がなくなり固まります。こういった性質をもつ粘土鉱物は何種類もあり、粘土というのはそれらの総称になります。大昔から人間は自然界にある粘土を見つけ出しては、器を作ったり、文字を書き記したりして、さまざまな用途に利用してきました。
粘土がこのような性質をもっているのは、単に粒が細かいからではありません。粘土が粘性をもつのは、粘土鉱物の結晶が、薄い板を何枚も重ねたような層状の構造をしているからです。粘土に加えられた水は、この層と層の間に入りこみます。水分子が入ると、層の間の距離が広がり、層同士がずれて動きやすくなるため、柔らかく変形可能になるのです。
粘土のなかには、水分子だけでなく、ほかのさまざまな分子を層の間に取りこむものがあります。この性質を利用して、粘土は有害物質を吸着する目的でも用いられます。また身近なところでは、汚れを吸着するために洗顔料や石鹸にも使われています。
信州大学工学部准教授の岡田友彦さんは、材料化学が専門で、粘土がもつ吸着作用や化学的性質についても研究をしてきました。そんな岡田さんが、ある日、飲料メーカーのキリンホールディングスの研究者たちから変わった相談を受けました。それは、「スメクタイト」(図1) という粘土鉱物が、緑茶のカフェインを吸着することがわかったので、そのメカニズムを一緒に調べてほしいというものでした。
その話に乗って共同研究を行うことを決めたきっかけを、岡田さんは次のように説明します。
「スメクタイト自体はよく研究されている粘土鉱物で、水中のさまざまな物質を吸着することが知られています。ですが、緑茶のカフェインを吸着するという話は、そのとき初めて聞きました。しかも、カテキンなどの他のお茶の有用成分は吸着せず、カフェイン分子だけを選択して吸着するのです。話を持ちかけてくれたキリンのお二人は研究熱心な方々で、その熱意にも共感しました。一体どういうメカニズムなのか、興味が湧いたのです」
図1 スメクタイトの模式図。
2枚のSiO4四面体シートにMg(OH)2またはAl(OH)3八面体シートを挟み込んだシリケート層と層間に交換性陽イオンを含んだ、層状のケイ酸塩である。
SPring-8でカフェインの吸着過程を追いかける
岡田さんが最初に工夫したのは、吸着のメカニズムを測定しやすくするために、スメクタイトを他の分子で修飾し、よりカフェインを吸着しやすい構造に設計することでした。天然のスメクタイトもカフェインをよく取りこみますし、飲料に応用するときは何も修飾されていないスメクタイトを用いますが、サイズの小さいベンジルアンモニウムという分子をあらかじめ層の間に取りこませておくことで、カフェイン分子がより吸着されやすいスメクタイトを作ることができました。
次に岡田さんはスメクタイトがカフェインを取りこむ様子を、SPring-8を使って測定することにしました。 SPring-8で測定するのはスメクタイトの層と層の間の距離です。スメクタイトが物質を吸着すると層間距離が広がります。その距離を精密に測れば、分子がどのような状態で取りこまれるのか推測することができるのです。さらに変化していく様子を細かいタイムスケールで追うことができれば、カフェインが吸着されていくメカニズムを解明できるかもしれません。
「実はSPring-8での測定の前に、同じ大学の理学部 飯山拓教授の研究室のX線装置を使って実験していました。ところが、測定してみると層が広がるスピードは実に速かったのです。1分という短い間で一足飛びに変化が起きてしまい、この間で何が起こっているのかさらに興味が湧きました」
飯山先生の研究室の装置は素晴らしい工夫がされ、岡田さんの知る限りでは最高性能でしたが、1分間隔の測定が限界でした。
「そんなときに、島根大学の笹井亮教授らの研究グループとの共同セミナーが信州大学で開催されました。笹井先生は、SPring-8で水溶液中の結晶構造を解析できるシステムの開発に成功し、研究成果を出していました。セミナーでその話を聞いた私は、SPring-8を使えば、水溶液中でカフェインを取りこむスメクタイトの結晶構造をより高い精度で解析できると考えました。まさに渡りに船でした」
こうして、岡田さんと笹井さん、そしてシステムを一緒に開発した広島大学教授の森吉千佳子さん、高輝度光科学研究センター(JASRI)の河口彰吾さんたちとの共同研究が始まりました。
笹井さんたちが開発したシステムは、SPring-8のビームラインBL02B2を使います。BL02B2は高エネルギー放射光を利用した粉末回折用ビームラインです。これを溶液中でも測定できるようにしたのが笹井さんたちのシステムの特徴です。最大で50ミリ秒の時間分解能でデータを取ることができるため、反応させたい物質を加える前と、加えた後の変化を、シャッタースピードの速いカメラのように、細かく追うことができます。
スメクタイトのカフェインの吸着は、大量の水の中に存在するわずかなカフェイン分子を捕捉する不思議な現象です。そのため、水中でカフェインを吸着する現象を理解するのに、粘土に吸着された水分子の構造を理解することから始める必要がありました。岡田さんたちはまず真空状態に乾燥させたスメクタイトに蒸気を吹きつけながら水を加えていき、層間の距離の変化を測定しました。すると、乾燥状態と、水がこれ以上吸着できない飽和した状態の2つの状態にはっきり分かれました。水が飽和したときの層間距離は0.53ナノメートル(nm)で、これは2つの水分子が重なった大きさに相当していました。
次にスメクタイトを水溶液中に分散させた状態でカフェインを投入して吸着させ、層間距離の変化を調べました。図2の写真の水色の吹き出しが出ているところに溶液に入ったスメクタイト試料があります。その試料が入った水溶液をスターラーでかき混ぜながら、上からカフェインを滴下し、左側から放射光をあてて測定しました。
その結果が図2の右上のグラフです。縦軸が層間距離で、横軸はカフェインが入ってからの時間です。0秒の時点がカフェイン投入のときです。カフェインを入れると数分以内に飽和して層間の距離は0.63 nmに拡大しましたが、今度は一足飛びの変化ではありません。飽和するまでの間にさまざまな安定した中間状態が存在することがわかりました。
「飯山先生の研究室のX線装置で測定したときは、カフェインが層の間に入る前と入った後の2種類の状態しか見えませんでしたが、SPring-8を用いて500ミリ秒間隔で測定してみると、層間間隔は徐々に広がっていることがわかりました。ミリ秒オーダーで測定できるSPring-8だからこそ、見えた結果です。しかし、今度はこの結果の解釈に悩みました。層の間に分子を吸着する鉱物の多くは、このように徐々に反応することはありません。分子がない状態(始状態)と、これ以上吸着できない状態(終状態)にわかれることがほとんどです」
じわじわと広がる層間距離は一体何を意味しているのでしょう。まるでカフェインが層の間に入るために順番待ちをしているかのようです。
図2 SPring-8で測定したカフェイン吸着の様子
カフェインの取り込みに水が関係していた
岡田さんが注目したのは、水分子とカフェインの間に働く力でした。スメクタイトを修飾しているベンジルアンモニウムとカフェインも相互作用がありますが、その場合は、ベンジルアンモニウムの量に応じた反応が見えるはずです。ベンジルアンモニウムの量は途中で変わっていないのに、このようにカフェインの吸着がゆっくりと増え続ける状態を説明できません。しかし、水ならスメクタイトの層間に大量に存在します。カフェインが層の間にたくさん入るためには水を追い出さなくてはなりませんが、このときに何らかの力が働いている可能性があります。そこで、岡田さんたちは溶液の溶媒を水ではなくエタノールやアセトンなどに変えて、同様の実験を行いました。
「溶媒を水からほかの有機溶媒に変更し、SPring-8で測定して比較して考えると、層の間に2分子積み重なった水がカフェインの取り込みに重要な役割を果たしていることがわかりました。この水分子は規則正しく並んでいてエントロピーが非常に低く安定した状態です。この水分子がほどけていくことで解放されたエネルギーが、カフェインを取りこむ力になっていきます」
エントロピーは簡単にいうと乱雑さを表すエネルギーの状態です。「エントロピー増大の法則」という言葉をどこかで聞いたことがあるかもしれません。この世の中の物質は、放っておくと乱雑さ(エントロピー)が増していく方へ進みます。それを規則正しい状態におさめるためにはエネルギーが必要になります。逆に言うと、整頓されたものがばらばらになるときには、溜められていたエネルギーが解放され、このエネルギーを使って別の仕事をすることができます。今回の結果から、水がほどけていくエネルギーが、カフェインを層の中に取り込むエネルギーに変わっていると考えられました。
「さらに、カフェインが層の間に増えてくると、お互いに接触面積を増やすように動きます。というのも、カフェインは疎水性分子なので、なるべく水と接触したくないのです。図3のようにカフェインの傾きを大きくして体を立てていくとカフェイン分子同士の接触面積が増えて安定します。カフェインの濃度を高くすると、層の間隔が0.03 nm増えるのです」
今回測定したのは、スメクタイトの層間距離で、分子が動いていく様子を直接見たわけではありませんが、スメクタイトの層の広がりとカフェインの吸着量が比例することは実験的に確かめています。500ミリ秒間隔で測定し、0.03 nmの変化も見逃さないSPring-8の測定結果が出たことで、さらに詳細なメカニズムを推測することができました。
「このような水溶液中にある特定の微量分子の構造の変化を、ミリ秒オーダーでとらえられる実験装置は今のところほかにないと思います。SPring-8の時間分解能と、スメクタイトのカフェイン吸着というちょうどよいモデルがあったからこそ、カフェイン吸着のメカニズムに迫ることができました」
粘土を用いた吸着剤は、環境浄化や有用物質の回収、医薬品など、さまざまな分野で人々の役に立っています。今回の研究で吸着剤の吸着メカニズムが解明されたことは、より高機能な吸着剤の設計に貢献していくことでしょう。
図3 スメクタイトの層の間に吸着されるカフェイン分子の模式図。
カフェインは水をかきだし、カフェイン同士の接触面積を増やすように傾きを大きくする。その結果、層間距離が広がっていく。
「今回、取材の話をもらって非常に恐縮しました」と岡田さんは笑います。「この研究は、僕が偉いわけじゃありません。笹井先生とJASRIの河口さんの技術に乗っかっただけですから」
岡田さんは謙遜しますが、このように、ちょうど良いタイミングで、ちょうど良い共同研究を行えたのは、普段から研究者同士のネットワークづくりに力を入れていたおかげかもしれません。信州大学と島根大学は地理的には離れたところに存在しながら、交流セミナーが毎年続けられています。開催場所も長野や島根、そして千葉などさまざまです。学生同士の交流を目的とし、若い人たちの間で活発に議論が交わされます。
「今回の研究成果を伝えるのに、ぜひ言及しておきたい人がいます。論文の共同執筆者で当時は大学院生だった和泉佳奈さんです。彼女はSPring-8での実験と測定結果の解析の大部分を担当し、修士論文に仕上げました。データも大量で、当時は手作業で進めるしかない部分も多く、かなり苦労したようです」
日本有数のスノーリゾートと酒蔵とワイナリーの宝庫である長野で、優秀な学生たちと一緒に新しい材料づくりを目指す岡田さん。今後の活躍も楽しみです。
2018年12月に開催された島根大学―信州大学合同セミナー。岡田さん(前列右から2番目)、和泉佳奈さん(前列左から2番目)、島根大学の笹井さん(中列右から2番目)、広島大学の森吉さん(前列1番右)、高輝度光科学研究センターの河口さん(中列1番右)。
文:チーム・パスカル 寒竹 泉美
この記事は、信州大学 学術研究院工学系 准教授 岡田 友彦さんにインタビューして構成しました。