大型放射光施設 SPring-8

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エコと安全を両立する高性能タイヤの開発 ~材料内部の構造解析が生きる~

注目の低燃費タイヤ

 2008年、北海道洞爺湖で行われたG8サミットにおいて、国際エネルギー機関(IEA)は、「運輸部門におけるエネルギー消費の約80%が自動車によるものであり、その燃料エネルギーの約20%がタイヤの転がり抵抗*1によって消費されている」として、“低燃費タイヤ”を普及させる必要性を提言しました。これをきっかけに、タイヤ業界はこぞって低燃費タイヤの開発に乗り出し、2010年には消費者にもわかりやすいようにと統一基準が設けられました。
 そんな中、2011年12月、住友ゴム工業は、自社従来品に比べて転がり抵抗で39%低減、燃費性能で6%の向上を達成したタイヤを発表しました。このタイヤが注目されているのは、これまで難しいとされてきた、燃費性能とグリップ性能の両立を成し遂げたからです。それを可能にしたのは、東京大学の雨宮慶幸教授、篠原佑也助教らとと もにSPring-8で開発した、タイヤの材料の内部構造を解析する手法でした。高性能タイヤ誕生の裏には、どのような技術革新があったのでしょうか。

タイヤの性能は添加剤で決まる

 タイヤは、ゴムに加える添加剤の種類や量、混ぜ方を変えることによって、乗り心地や走行中の静かさ、グリップ性能、燃費性能などが改良されてきました。しかし、燃費性能とグリップ性能を高度に両立させるという問題が残されていました。なぜなら、グリップ性能がタイヤの摩擦力によって生じる、スリップや空転を防ぐ性能であるのに対して、燃費性能を上げるには、転がり抵抗などの摩擦力によって生じるタイヤの発熱を減らす必要があるからです。そこには、どんなに燃費性能を上げたくとも、安全性にかかわるグリップ性能をおろそかにはできないという、ジレンマがありました。
 一方、近年の観察技術の発達によって、ゴムに加えた添加剤がゴム内部でさまざまなサイズの構造を形成し、それらの構造が性能に深くかかわっていることが明らかになってきました。しかし、サブマイクロメートル(1万分の1ミリメートル)領域の構造については、特に三次元構造情報を得る手法がありませんでした。ここにタイヤの性能に関する未解決問題を解く鍵があるのではないかと考えたのが、住友ゴム工業の岸本浩通さんたちでした。
 「高輝度で高並行なX線を使えば、技術的な壁を打ち破れると思いました」と話す通り、2003年、東大の雨宮教授、篠原助教(当時は学生)らとともに、SPring-8を使った“世界で誰も観察したことのないサブマイクロメートル領域への挑戦”を始めました。

160mの大きな装置

 タイヤなどの材料の内部構造は、サンプルにX線を照射し、散乱されたX線を解析して調べます。X線には、小さい構造ほど大きな角度で散乱されるという特徴があるので、分子や原子の情報を得ることができます。それに対して、分子や原子が集まってできるサブマイクロメートル領域の構造は、X線が散乱する角度が小さすぎて、計測が 困難でした。これを大きな差として計測するには、観察するサンプルと検出器の距離を長くとる必要があります。このことは理論的にはわかっていましたが、それを可能にする広いスペースと高輝度なX線がありませんでした。それを提供したのが、SPring-8でした。
 SPring-8には、BL20XUという、普段は生体試料などの超精細なイメージング(X線による透視)に使われているビームラインがあります。ここには、長さ160mを超えるX線を通す真空パスがあり、これを利用することにしました(図1)。しかし、BL20XUは透過X線を測定するビームラインなので、そのままではきわめて小角に散乱したX線を測定することはできませんでした。それを改善するために、検出器に届くまでのX線の形成の仕方を変えては照射するという作業を繰り返し、その都度、像を確認するために、160m離れた検出器まで移動しなければなりませんでした。岸本さんは、「サンプルと検出器の間を何度も往復して、大変でした」と当時を振り返ります。
 こうして1年半かかって、サブマイクロメートル領域の構造が観察できる、「時分割二次元極小角X線散乱法(2D-USAXS)」は完成しました(表紙左上)。さらに、フロンティアソフトマター開発産学連合ビームラインBL03XU*2で得られる高精度な「時分割二次元小角X線散乱法(2D-SAXS)」のデータを加えることで解析が可能になりました(図2)。

表紙図
表紙図

極小角X線散乱法で得られた散乱像

図1.BL20XUで行われた時分割二次元極小角X線散乱法(2D-USAXS)を用いた測定
図1.BL20XUで行われた時分割二次元極小角X線散乱法(2D-USAXS)を用いた測定

図2.タイヤの構造観察
図2.タイヤの構造観察

低燃費タイヤをエコにつくる

 構造観察を始めると、これまでわからなかったサブマイクロメートル領域の構造が、実際にタイヤの燃費性能に大きくかかわっていることが明らかになってきました。燃費性能を悪くするとされる転がり抵抗によるタイヤの発熱は、タイヤのグリップ性能を上げるために加えたシリカが凝集している場所でおこっていました。そこには、シリカのサブマイクロメートルサイズのネットワーク構造が形成されていたのです。
 「どうしたらシリカのネットワーク構造をコントロールできるかを検討するシミュレーションにも、内部構造のデータが生かされました」とシミュレーション担当の内藤正登さん。まず、2D-USAXSで得られたデータを、従来法で得られたデータとともに、スーパーコンピュータの地球シミュレータなどを活用しながら解析しました。これを 基に、シリカを効率的に分散する方法をシミュレーションしました。その結果が、まったく新しい「両末端マルチ変性ポリマー」の開発につながり、低燃費性能とグリップ性能を両立したタイヤを誕生させたのです(図3)。
 シミュレーションを含めた新しい一連の技術は“4D NANO DESIGN(フォーディーナノデザイン)”と名付けられました。4Dには、これまでの三次元(3D)のシミュレーションに、時間変化を盛り込んだという意味が込められています。「モノづくりではこれまで、実際につくっては性能を評価するという試行錯誤が繰り返されてきました。それが、より多くの実験データに基づく高精度なシミュレーションを導入することで、結果が予測できるようになり、モノづくりは効率的になりました」と岸本さん。タイヤ用材料開発のエコ化が達成されたのです。

図3.新しい「両末端マルチ変性ポリマー(水色と黄色の鎖)」を開発

図3.新しい「両末端マルチ変性ポリマー(水色と黄色の鎖)」を開発

従来、シリカ粒子(白の粒子)と結合する変性基(黄色の粒子)はポリマーの一方の端にしか存在しなかった。今回、ポリマーの両端と鎖中に変性基を付けることに成功した。これにより、図中Bのようにシリカ粒子どうし(ネットワーク構造)を効率的に引きはがして分散させることができ、結果、不要な発熱が抑制され、転がり抵抗の低 減が実現した。

次に求められる技術は?

 「サブマイクロメートル領域の構造をコントロールできるようになったら、終わりということではありません」と、岸本さんたちはすでに次の技術開発に向かっています。
 シリカの分散法を開発する過程で、分散された後のシリカがどのくらいの自由度で振動できるかが、タイヤの性能にかかわってくることがわかりました。これを受けて、ゴムの中に含まれるシリカ粒子1つ1つの振動状態を観察し、性能との関連を調べようというのです。すでにBL03XUを使って研究は始まっています。
 この研究で得られる新しいデータなどを生かして、住友ゴム工業は2015年までに転がり抵抗の50%低減を目指しています。

コラム:新しい発想のタイヤ開発

岸本さん(左)と内藤さん(右)。
岸本さん(左)と内藤さん(右)。
ほとんど1人で始めたようなSPring-8での研究でしたが、今ではシミュレーションや材料開発の仲間とチームを組んで進めています。

 「本当にいろいろな研究をさせてもらっています」と話す岸本さんが、SPring-8と歩んできた時間はとても長いです。SPring-8が稼働した翌年の1998年、岸本さんは住友ゴム工業に入社しました。タイヤのことは何も知らなかったのに、“これを使えば何かできる”と直感したといいます。しかし、当時はまだどうすれば産業利用できるのかわからず、思いは叶いませんでした。
 チャンスが巡ってきたのは、2001年の産業利用ビームラインBL19B2の立ち上げのときでした。これに参加することになった岸本さんは、現場を見ながらJASRIの産業利用推進室の方々に教えてもらい、一生懸命にX線の扱い方を学びました。この経験が、今につながっています。「今ではタイヤ量販店に行くと、思わず感触を確かめてしまいます」と岸本さん。同じ部署の内藤さんも、「4年ぶりに自分の車のタイヤを交換して、燃費性能がずっと良くなっているのを実感しました」と嬉しそうに話します。タイヤ好きの2人が、いいタイヤを開発しているのだと感じました。

 

用語解説

*1 転がり抵抗
タイヤの進行方向とは逆向きに働く力。摩擦力。

*2 フロンティアソフトマター開発産学連合ビームラインBL03XU
日本で初めてのソフトマター研究開発専用のビームライン。住友ゴム工業など日本の代表的な化学、繊維企業と大学等の学術研究者とで構成される19研究グループで結成した「フロンティアソフトマター開発専用ビームライン産学連合体」が運営を行う。ソフトマターとは、高分子や有機物を指し、私たちの生活を支える身近な材料であると同時に、最先端科学の分野でも欠かすことのできない材料である。

取材・文:サイテック· コミュニケーションズ 池田 亜希子


この記事は、住友ゴム工業株式会社 材料開発本部材料第三部の岸本浩通さんと内藤正登さんにインタビューして構成しました。

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SPring-8研究者インタビュー
2012年度SPring-8施設公開の科学講演会動画「環境対応低燃費タイヤの新材料開発技術」
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