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SPring-8 で味を見る~難解だった味覚センサー領域の構造の解明に迫る!~

研究成果 · トピックス

SPring-8で味を見る~難解だった味覚センサー領域の構造の解明に迫る!~

図1

図1 味を感じるプロセス

 私たちが食事を楽しむために、欠かすことができない感覚が味覚です。人間の持つ感覚の中で、味覚は食物に含まれる化学物質を感知し、身体にとって必要な栄養素なのか、それとも有害なのかを判断する役目も担っています。
 視覚における“赤・緑・青”の「光の三原色」のように、味覚にも、甘味・うま味・塩味・苦味・酸味の「基本五味」があり、それぞれが味を感知するタンパク質(受容体*1:この場合は“味覚受容体”)を持ち、味を見分けていると考えられています。これら基本五味は私たちが生命を維持するために意味をもち、例えば、甘味は生きるためのエネルギー源になる糖分、うま味はタンパク質源になるアミノ酸、塩味はナトリウムのイオン、酸味は腐敗物、そして苦味は毒物を判断する指標になっています。
 ここで、味を感じるプロセスを簡単に説明しましょう。味覚はまず、食べ物に含まれる味物質(化学物質)が私たちの口の中に入り、舌に触れるところから始まります。舌の上や側面には、乳頭と呼ばれるざらざらとした多数の突起があり、そこに味物質を感知する“味細胞”が集まっています。味細胞の表面には味覚受容体が存在し、味物質を受け取ると、その情報は味細胞の内部をリレーし電気信号に変換されます。さらに信号が神経細胞を通り、大脳に伝えられることで私たちは味を認識することができるのです(図1)。

メダカの味覚受容体のタンパク質結晶から

 「以前から“味覚”という感覚的なものの仕組みが、化学的にどうなっているのかを知りたいと思っていました。特に味物質を感知する味覚受容体の構造については、これまで研究は進められていたものの、明らかな報告は少なく未知の領域でした」そう語るのは、岡山大学大学院 医歯薬学総合研究科教授の山下敦子さんです。山下さんは味覚について知るために、味覚受容体のタンパク質を原子レベルで見て、味物質と結合するときの立体構造を知る必要があると考えていました。
 「味覚に限らず、私たちの体にあるタンパク質と、それに作用する化学物質との関係は、よく“鍵と鍵穴”にたとえられます。これは、“化学物質の形や大きさ”と“タンパク質が持つ感知ポケット”が鍵と鍵穴のようにぴったりと当てはまったときのみ反応が起こるというもので、100年以上前から提唱されていました(図2)。このことから、味物質と味覚受容体も、同じ関係にあると考えられます」と山下さん。

図2

図2 “鍵と鍵穴”説

 しかし、実際の味覚受容体は、外界の様々な幅広い化学物質を認識しています。たとえば甘味受容体の場合、「甘い」と感じるのはショ糖のみならず、ショ糖と化学構造が大幅に異なる人工甘味料のサッカリンやアセスルファムカリウムなども「甘い」と感じます(図3)。またうま味受容体についても、うま味物質であるグルタミン酸もイノシン酸も「うまい」と感じるわけです。一方で、ヒトには甘味受容体やうま味受容体は1種類しかありません。つまり私たちは、幅広い甘味やうま味物質をそれぞれ一種類の受容体で感知して見分けていることになります。これらのことは、“鍵と鍵穴”の考え方では説明できないことでした。

図3 ショ糖と人工甘味料の構造

図3 ショ糖と人工甘味料の構造

 そこで山下さんは、味覚受容体のタンパク質結晶をつくり、SPring-8を使ったX線結晶構造解析で立体構造を見ることにしました。研究を進める中で、ヒトの受容体では多くの研究者が挑戦したにも関わらず、どうしてもタンパク質結晶ができなかったため、ヒトと同じタイプの受容体を持つ脊椎動物の中からうまくいきそうなものをいろいろ探したところ、メダカの味覚受容体からタンパク質結晶を作ることに成功したのです。
 「味覚受容体の3分の2の部分は味細胞の外に突き出ており、外に出ているところで味物質と結合(リガンド結合*2)しています。そのため今回は、ヒトでは甘味受容体やうま味受容体としてはたらくものと同じタイプの受容体のリガンド結合*2を、メダカの受容体を使って作りました」。こうして、山下さんの味覚受容体センサー領域の立体構造研究が始まったのです。

“鍵と鍵穴”の理論では説明できなかった、広い感知ポケット

 甘味とうま味の受容体はT1r*3と呼ばれるタンパク質で構成されています。T1rには、ヒトの場合T1r1、T1r2、T1r3の3種があり、T1r1とT1r3がペアになるとうま味受容体、T1r2とT1r3がペアになると甘味受容体として機能します(図4)。
 山下さんは、メダカのT1r2とT1r3のペアはアミノ酸の受容体として働いていることが分かっていたので、アミノ酸のグルタミンと一緒に結晶化し、図5のような立体構造が得られました。T1r2とT1r3とも感知ポケットが口のような隙間のところにあり、ちょうど口の奥にアミノ酸(図5における赤・青・黄の球状のモデルで示したグルタミン)をくわえ込む構造をとっていることがわかりました。
 さらにT1r2のポケット部分を詳しくしらべたところ、味物質となるアミノ酸の分子の大きさに対して、ポケットがかなり大きいことが分かりました。また塩基性や酸性、中性など、どのような性質の味物質でも受け入れ可能なモザイク状の表面を持っていることから、幅広い味物質を認識している様子が解明されたのです(図6)。

図4 T1r の組み合わせと感じる味覚

図4 T1r の組み合わせと感じる味覚

図5

図5 味覚受容体T1r2-T1r3 リガンド結合領域へテロ二量体*4 の立体構造

図6 地球上での鉄の循環の模式図

図6 味覚受容体の全体構造および味物質結合ポケットの模式図

 味覚受容体以外の受容体では、“鍵と鍵穴”のように、センサーがぴったりと適合したもののみに反応することが多く、この場合は、化学物質の濃度が低くても受容体は感度よく感知できます。一方、同じしくみで味覚のように幅広い味物質を感知するためには、様々な味物質の大きさと形にそれぞれ対応した数多くの受容体を持たなければなりません。しかし実際の味覚受容体は、ポケットが広く空いており、そのため一種類の受容体で複数の味物質を感じることができます。その反面、味物質とセンサーの結合が弱くなり、感度が低じた領域で、低い感度でも感知できる程度の多くの量の味物質を摂取しているためです」と山下さんは説明します。こうして、今回の山下さんの研究で、これまで分からなかった、味を感じる第一段階で起こる味覚受容体の構造が明らかになりました。

SPring-8でのタンパク質結晶解析

 味覚受容体について、これまで研究が遅れていたのはなぜでしょうか?味覚受容体を解析するためには、適切な構造と機能を保った状態のタンパク質試料を一定量得て、これを用いてタンパク質結晶を作製する必要があります。そのなかでも特に“甘味・うま味”の受容体は、タンパク質結晶をつくるための試料の準備がとても難しいものでした。「生体内ではたらくペアの形で、適切な構造を保って試料が得られた成功事例はありませんでした」と山下さん。さらに試料が得られ結晶ができたとしても、今度はX線を使っていかによいデータを取るかが重要なポイントになります。山下さんは続けます、「味覚受容体のタンパク質結晶は、X線をあてて得られる回折が弱いことがわかりました。X線が弱いと、回折像がうっすらとしか出ず解析には使えません。そこで、SPring-8の中でもタンパク質結晶解析に特化し、強いX線が利用できるビームラインBL41XUを使ったところ、解析に成功したのです。この研究で結果が出せたのは、SPring-8があったからこそだと言っても過言ではありません。このビームラインをはじめ、SPring-8のビームラインを使うと、様々な波長のX線で実験ができます。T1rに結合している物質を証明するために特定の波長のX線を使うことができたのも大きなメリットでした」。
 今回の山下さんの研究によって、味覚を感じる際の最初の反応である、味覚受容体と化学物質(味物質)との相互作用が原子レベルで明らかになりました。これは世界初の快挙であり、さらなる味覚受容体の研究への活用、またほかの味覚への理解や新しい味物質の開発が期待されます。「SPring-8の解析で、感知ポケットが想像以上に大きいことや、複雑なモザイク状になっていることなど、これまでの研究報告と違う部分が見えました」と山下さんは生き生きと話します。
 味覚は「味わう」という、私たちにとって非常に身近な生命現象であるにも関わらず、まだまだ謎の多い領域です。「今回の研究によって、味覚を感知する瞬間を知ることはできましたが、その先で何が起こって、どのようなしくみで情報を細胞に伝えているのかはまだ分かっていません。これは、今後ぜひ調べてみたいことのひとつです」。山下さんのさらなる挑戦は続きそうです。


用語解説   line
 

*1 受容体
生物の体にあって、外界や体内からの何らかの刺激を受け取り、情報として利用できるように変換する仕組みを持ったタンパク質のこと。

*2 リガンド結合とリガンド結合領域
特定のタンパク質に特異的に結合する物質がリガンドで、そのタンパク質と結合した状態を“リガンド結合”という。さらにそのタンパク質におけるリガンドと結合する部位を“リガンド結合領域”という。

*3 T1r
味覚受容体タイプ1と呼ばれるタンパク質。ヒトではT1r1, T1r2, T1r3の3種類が存在し、それぞれ大きな細胞外領域、細胞膜に埋めこまれて存在する膜貫通領域、細胞の内側に露出した細胞内領域の各領域で構成されている。ヘテロ二量体を取ることで、甘味またはうま味の受容体として機能しており、生体において細胞外からの味物質の情報を細胞内に伝える役割を担っている。

*4 ヘテロ二量体
異なる2種類のタンパク質の1分子ずつがペアになって存在している状態のこと。



コラム

 「味覚の世界は、身近なのに分からないところが面白いのです」。山下さんは、まだまだ明らかにされていない味覚の奥深さをさらに追及したいと考えています。「実は近年、味覚受容体は口腔内だけでなく、腸や気道など身体の至るところに存在していることが注目されています。驚くことに脳や精子にまで存在していることが明らかになっているのです。味覚の情報を脳や精子が受け取って何に使っているか、想像が難しいだけに興味がありますね。未知の世界を知ることはワクワクします。どこまでできるかは分かりませんが、やるからには自分の手で、これらの謎を解明していきたいと思っています」と山下さん。人間の五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)に関わる受容体のうち、視覚はすでにSPring-8の研究成果から解明され、今回の山下さんの成果で味覚が解明されるかもしれません。このように人間の感覚もSPring-8で明らかになりつつありますが、それは山下さんの様な地道に研究に取り組む姿勢に支えられているのでしょう。

山下さん(中央)と共同研究者の安井さん(左)と渥美さん(右)

山下さん(中央)と共同研究者の安井さん(左)と渥美さん(右)

文:ダリコーポレーション 大内 佳陽


この記事は、岡山大学大学院 医歯薬学総合研究科(薬学系) 山下 敦子 教授にインタビューして構成しました。