大型放射光施設 SPring-8

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138億年で1秒もずれない“原子核時計”の実現を目指す ~SPring-8で大きく前進~

研究成果 · トピックス

138億年で1秒もずれない“原子核時計”の実現を目指す ~SPring-8で大きく前進~

 現在、世界で最も正確とされる時計は原子時計と呼ばれます。原子がある特定の周波数の電磁波しか放出・吸収しないという性質を利用して作られています。かつて「1秒」は、一日の長さの86400分の1として決められていましたが、現在は、セシウム原子時計によって、セシウムが放出・吸収する電磁波が91億9263万1770回振動する時間の長さとして定義されています。
 原子時計には様々な種類がありますが、セシウム原子時計であれば、その精度は10-16ほどで、数千万年に1秒ずれる程度とされています。さらに高い精度のものの開発も進められていますが、原子時計以上に高い精度が得られる時計として実現が期待されているのが「原子核時計」です。子時計は、原子の外殻にあたる電子の状態に関係しているため、外部の電磁場の影響を受けやすいのに対して、原子核時計は、原子核内の状態に関係しているため外界の影響を受けにくく、宇宙が誕生した138億年前から現在に至るまでの間でも1秒もずれないほどの精度が実現できると言われています。
 そこまで精度の高い時計は日常では必要なさそうですが、実際に作られたら、大きな役割を果たす可能性を持っています(後述します)。そのような原子核時計の実現に向けての大きな一歩となる研究が、岡山大学 異分野基礎科学研究所 吉村浩司教授を中心に、SPring-8を利用して行われました。

「トリウム229」を人工的に励起する方法を確立したい

 原子核は、複数の陽子と中性子が強い力で結びついてできています。そして特定の周波数を持つ電磁波によってエネルギーを与えると、より高いエネルギー状態に遷移します(「励起」と言います:図1)。
 原子核を励起させるには通常、keVからMeV(=eVの1000倍から100万倍)レベルの大きなエネルギーが必要ですが、トリウム229という元素だけは唯一、その1000分の1から100万分の1にあたる、eVレベルのエネルギーで励起可能であることが以前より知られていました。それは、トリウム229がレーザー光で励起できることを意味し、それゆえに量子エレクトロニクス分野での様々な応用の可能性が考えられます。そのうち最も大きな期待を集めるのが前述の原子核時計の実現です。
 ただ、トリウム229を励起するためには、正確にそのエネルギーを持つ電磁波を照射する必要があるのですが、そのエネルギーはさまざまな理由によって特定が困難で、いまも正確な値はわかっていません。そうした中、その正確な特定へとつながる大きな一歩を、吉村さんらの研究チームがSPring-8を利用して実現させることに成功したのです。

図1

図1 原子核の励起を示す模式図

第二励起状態を経由してアイソマー状態へと導く

 励起した状態は複数あり、その中で最小エネルギーのものを第一励起状態と言います。原子核時計の実現のためにトリウム229を励起させたいのはこの第一励起状態で、この状態は寿命が長いと予想されているので、準安定状態=アイソマー状態と呼ばれています。
 トリウム229のアイソマー状態のエネルギーが、8 eV程度であることは近年わかってきましたが、直接その状態へと励起させるためには、より厳密なエネルギーの値が必要です。レーザーで励起できるか調べるためには、エネルギーを少しずつ変化させながら照射すれば求める値にたどり着きそうにも思えますが、可能性のあるエネルギーの幅が広すぎて、現実的ではありません。
 そのため吉村さんたちは、その一つ上のエネルギー状態(第二励起状態)を経由してアイソマー状態へと導くという方法を考えました。
 「トリウム229の第二励起状態のエネルギーが29.19 keVほどであることは、すでにある程度精度よくわかっています。私たちの方法は、高輝度X 線を用いてまずその状態へともっていき、そこからアイソマー状態へと遷移させ(図2)、さらにアイソマー状態から基底状態(最もエネルギーの低い状態)へと戻そうというものです。アイソマー状態から基底状態に戻る際、トリウム229は真空紫外光を発します。その光のエネルギーがアイソマー状態のエネルギーと等しいため、その光を捉え、エネルギーをmeV(=eVの1000分の1)の精度で測定すれば、アイソマー状態のより正確なエネルギーが決定できるというわけです」

図2

図2 トリウム229をアイソマー状態へ導く方法

 とはいえ、人工的に第二励起状態へと励起するのにも、正確にそのエネルギーの電磁波を照射する必要があり、そのエネルギーを、既知の値(29.19 keV)よりさらに厳密に知らなければなりません。そこで吉村さんたちはまず、SPring-8の高輝度X線を利用し、第二励起状態のエネルギーをより正確に測定することを目指しました。
 その測定は、「核共鳴散乱」という現象を利用して行います(図3)。
 「原子にX線を照射すると、ほとんどの場合、X線は電子にぶつかって様々な散乱光が放出されます(図3上の青線)。ただ、原子核の励起エネルギーと一致したX線を照射したときには、原子核にぶつかって原子核が励起されて(図3上の赤線)、電子の散乱から少し遅れたタイミングで信号が出ます。それが核共鳴散乱です。その遅れは100億分の1秒ほどというわずかなものですが、その遅れた信号を見ることによって、原子核が励起されたと判断できます。そしてその際に入射したX線のエネルギーを測定すれば、第二励起状態のエネルギーが正確に測定できます」

図3

図3 核共鳴散乱

“オールジャパン”態勢で臨んだSPring-8での実験

 核共鳴散乱を利用したエネルギー測定のための実験装置の模式図が図4です。SPring-8のビームラインBL09XUおよびBL19LXUにおいてのX 線は、まずは2つのモノクロメーター(HHMとHRM)で単色化、すなわち、X 線のエネルギー幅が絞られます。そして屈折レンズ(CRL)を通って集光され、ターゲットとなるトリウム229に照射されます。その散乱光を検出器(Detector)で捉え、同時にエネルギーモニター(AEM)で、X 線のエネルギーを正確に測定します。

図4

図4 SPring-8 BL09XUおよびBL19LXUでの実験装置の模式図

 「各段階でとても緻密な技術が必要で、それぞれ専門家の力を借りました。まず第一に、X 線について、輝度の高さ、エネルギーや時間の精度など、すべてが高いレベルで揃っているのが前提となる実験のため、SPring-8の利用とそのスタッフの皆さんの力が不可欠でした。また、レンズによるX 線の集光や、標的であるトリウムを0.4 ㎜というサイズまで凝縮するのにも高度な技術を要します。そして、決め手となったのがエネルギーモニターです。ここでX 線のエネルギーを極めて正確に測定することができたのは、性質のよくわかったシリコン結晶にX線を当てて反射する角度(ブラッグ角)を超精密に測る、ボンド法という方法を採用できたゆえです。検出器は我々で開発しましたが、それ以外は、日本中から専門家が結集したからこそ実現しました。まさに、SPring-8を軸とした“オールジャパン”態勢の実験でした」
 この実験装置にて、入射するX 線のエネルギーを少しずつ変えながら信号の変化を見ていきます。すると、そのエネルギーが共鳴エネルギーに一致した場合にのみ、少し遅れて核共鳴散乱の信号が観測されることになるはずです(図5

図5

図5 核共鳴の探索方法


図6

図6 実際の実験結果

 「図6が実際の実験結果です。X線がある特定の入射エネルギーの時だけ、僅かながらタイミングが遅れた値が得られ(図中の“信号領域”)、何回繰り返しても同じ結果になることが確認できました。このエネルギー付近での信号を見ると右側の図のように、あるエネルギーでピークになります。つまりこのときに核共鳴が起きていて、このエネルギーの値がトリウム229の第二励起状態のエネルギーだということがわかりました」

トリウム229の第二励起状態が人工的に生成可能に

 そうしてこの実験によって、トリウム229の第二励起状態のエネルギーE2nd
 E2nd = 29189.93±0.07 eV
であると決定できました。一度この値がわかれば、このエネルギーのX 線を照射することで何度でも第二励起状態へと遷移させることができます。そしてこの実験結果の解析によって、トリウム229の第二励起状態の半減期T1/2も、T1/2=82.2±4.0 psと判明しました。
 つまり、基底状態のトリウム229にエネルギーを加えて第二励起状態へと持っていくと、最終的には基底状態に戻ることになりますが、この際、その一部はアイソマー状態を経由します。そして経由したトリウム229は、基底状態へと落ちる際に真空紫外光を発します。
 「その真空紫外光が持つエネルギーこそが、アイソマー状態のエネルギーになります。これを測定することが、残る最後の関門となります。この実現のためにはまだ越えなければならない壁が少なからずありますが、今回、第二励起状態のエネルギーを決定し、第二励起状態を人工的に生成できるようになったことで大きく前進したことは確かです」 アイソマー状態のエネルギーが決定できれば、そのエネルギーを持つレーザー光を照射することで基底状態のトリウム229を直接アイソマー状態へと励起することが可能になります。その手法を確立することが、この一連の研究の最終的な目的です。
 トリウム229の第二励起状態のエネルギーを決定した吉村さんらの研究は2019年にNature誌に掲載され、世界的に注目を集めました。原子核時計の実現への大きな一歩だと評価されたゆえでしょう。吉村さんたちは現在、その実現をさらに近づける最後の関門に挑んでいます。

資源探査から宇宙の解明までを原子核時計は可能にする

 原子核時計が実現すれば、10-19の精度、すなわち、宇宙が誕生してから現在に至るまでの間に1秒もずれないほど正確な時計ができると言われています。それだけ正確な時計によって何が可能になるのでしょうか。
 「アインシュタインの一般相対性理論によれば、重力の強さによって時間の進み方が変わります。重力が強い場所ほど時間の進み方は遅くなり、その効果は実際に確かめられています。その変化はあまりにも小さいため、私たちは感じることはできませんが、10-18レベルの精度の時計であれば、1センチ持ち上げただけでもそのずれを検知できます。すなわち極めて高い精度の時計は、重力のちょっとした変化を察知するセンサーとなりうるのです」
 この時計を利用すれば、非常に微小な地殻の動きや、地下の状態を知ることができるため、地殻変動の検知や資源探査にも応用できる可能性があります。また、宇宙は現在、膨張を続けていて、膨張とともに様々な物理定数が変化している可能性が考えられていますが、原子核時計によってその変化の有無を確かめることができるとも期待されています。それは宇宙の謎の解明に大きく寄与するはずです。
 「原子核時計は、10年以内には完成するのではないかと考えています。私たちはまだその第一のステップを乗り越えたにすぎませんが、自分たちの手で、実現まで道筋を築いていきたいと思っています」



コラム

 吉村さんの元々の専門分野は素粒子物理学で、以前は、宇宙線の反陽子の測定や、ミューオンという素粒子を使っての実験を行っていました。X 線を原子核に照射するというような実験を試みたのは今回の研究が初めてだったそうです。
 「2013年に岡山大学に赴任した後にこの研究に着手したのですが、当初この分野に関しては全くの素人で、1年ぐらいで結果が出るんじゃないかと簡単に考えていました。最初のころは、人に見せるのも憚られるほどの拙い実験装置で、思い出すと恥ずかしいです。それから様々な壁にぶつかって悩み、いろんな方の力を借りてようやくここまで来られました」 大学時代はラグビーばかりやっていたという吉村さんはスポーツが好きで、いまは趣味の一つが自転車とのこと。岡山大学からSPring-8まで片道70キロほどを自転車で往復したこともあるそうです。
 「2回ほど自転車で行きましたが、途中の狭いトンネルでトラックがすれ違うと生きた心地がしないほど怖くて、これはあと何回かやったら死んでしまうと思ってやめました(笑)」
 しかしそんなチャレンジ精神が、今回の研究でも壁を乗り越える力になったのではないでしょうか。2019年は、本研究の論文がNature誌へ掲載されたこと、そしてラグビーワールドカップでの日本の活躍によって、一生で一番興奮した一年だったかもしれないと吉村さん。今後、トリウム実験の最後の部分が成功すれば、さらに大きな興奮が待っていそうです。

左から吉村さんと研究室の平木さんと岡井さん。

実験装置を前に。
左から吉村さんと研究室の平木さんと岡井さん。

文:チーム・パスカル 近藤 雄生


この記事は、岡山大学 異分野基礎科学研究所 量子宇宙研究コア 吉村 浩司 教授にインタビューして構成しました。