大型放射光施設 SPring-8

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軽水と重水の綱引き -水素結合の違いを高感度で検出-(プレスリリース)

公開日
2013年11月09日
  • BL07LSU(東京大学放射光アウトステーション物質科学)
  • BL17SU(理研 物理科学III)

2013年11月9日
国立大学法人東京大学
独立行政法人理化学研究所
公益財団法人高輝度光科学研究センター

発表のポイント
• 水の中で水素結合が切れた水分子を選んで観察し、水のミクロ不均一モデルを裏付けることに成功
• 軽水(普通の水)と重水(普通の水素より質量数の大きい水素からなる水)における水素結合の違いを高感度で検出
• 水分子の振動と電子の情報を融合することにより生体、化学反応における水の役割を解明へ

 水分子が持つ、同様な構造の分子と比べた時の沸点、融点の高さ、あるいは固体が液体より密度が小さいなどの独特な性質は、水分子を引き付ける水素結合(注1)と呼ばれる力によって説明されています。しかしこの力が作り出すネットワーク構造については諸説あり、中でも歪んだ水素結合で水全体がつながっているとする連続体モデルと、異なる水素結合の状態の混合であるとするミクロ不均一(混合物)モデルが知られています。しかし、どちらのモデルがより的確に液体の水の水素結合を表したものであるかは、明らかではありませんでした。
 東京大学物性研究所(瀧川仁所長)、東京大学放射光連携研究機構(雨宮慶幸機構長)の原田慈久 准教授、独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)の德島高 技師らは、広島大学、高輝度光科学研究センター(JASRI)、アイスランド大学、ストックホルム大学、SLAC国立加速器研究所との国際共同研究で、大型放射光施設SPring-8(注2)東京大学放射光アウトステーションビームラインBL07LSU(注3)および理研ビームライン物理科学III BL17SU(注4)を利用して、水素結合の切れた水分子のみを選択して観測する手法を用いることにより、液体の水がミクロ不均一モデルに従うことを裏付けるとともに、軽水(普通の水)と重水(普通の水素より質量数の大きい水素からなる水)における水素結合の違いを高感度で検出することに成功しました。
 本研究で用いた手法を水素結合が重要な役割を果たしている種々の化学反応や触媒反応、生体中の水にも適用することにより、水の役割の解明が進むと期待されます。研究成果の詳細は、2013年11月8日(日本時間11月9日)に米国物理学会 速報誌「Physical Review Letters」(オンライン版)に掲載されます。

(論文)
論文タイトル:"Selective Probing of the OH or OD Stretch Vibrations in Liquid Water using Resonant Inelastic Soft X-ray Scattering"
著者: Yoshihisa Harada, Takashi Tokushima, Yuka Horikawa, Osamu Takahashi, Hideharu Niwa, Masaki Kobayashi, Masaharu Oshima, Yasunori Senba, Haruhiko Ohashi, Kjartan Thor Wikfeldt, Anders Nilsson, Lars G. M. Pettersson, Shik Shin
雑誌名:Physical Review Letters 111 193001, published 8 November 2013.

研究の背景
 水は単なる溶媒としてだけでなく、より積極的に細胞内外のイオン濃度のコントロールやタンパク質の応答、化学反応、触媒反応を精密にコントロールする反応場としての役割も担っており、昨今、水のこれらの機能性をミクロに理解しようとする研究がますます注目されています。水分子(H2O)は酸素原子(O)と二つの水素原子(H)で構成されていて、図1に示すように一分子あたり合計4つの水素結合を形成することができます。この紐のように水分子同士を結び付けている水素結合の特性が、水の複雑で多様な性質の根源となっていると考えられています。氷の場合は、水素結合の4本の紐はしっかりと結びついていて水分子をきれいに整列させていますが、液体の水分子の場合は、水分子同士がさまざまな距離、角度で隣接していて、水分子同士を結び付けている水素結合の紐が切れたものもあります。水分子の並び方に関しては、X線回折実験によって精密に調べられていますが、実際に水素結合している数とその結果として生じるネットワーク構造が長年の問題となっていました。東京大学物性研究所附属極限コヒーレント光科学研究センター 原田慈久 准教授、理化学研究所 德島高 技師らの研究グループは、これまでにSPring-8を利用した液体の軟X線発光分光実験(注5)を行い、液体の水の中に水素結合に違いのある2成分の構造が存在するというモデルを提唱し(2008年6月12日プレス発表:http://www.riken.jp/~/media/riken/pr/press/2008/20080612_2/20080612_2.pdf)、「氷によく似た微細構造」が1ナノメートル(= 10−9 メートル)程度の大きさを持つミクロ不均一構造を持つことを報告しました(2009年8月11日プレス発表:http://www.riken.jp/pr/press/2009/20090811/)。しかしこれらの研究は、電子状態から水素結合の有無を検出するという完全に新しい手法による研究であり、従来の分光法で得られる情報との間をつなぐことができていませんでした。

研究内容と成果
 研究グループは、高分解能の軟X線吸収・発光分光を使って、今回は軟X線照射によって起こる水分子の振動を精密に観測しました(図2)。水分子の振動は、通常の赤外吸収分光やラマン散乱分光でも観測することができます。しかし軟X線では照射する光のエネルギーを選ぶことによって特定の水素結合環境にある水分子を選ぶことができるようになります。図2(a)に示すように、液体の水の酸素の軟X線吸収スペクトルには、特徴的なピークA(図中に矢印で示しています)が現れます。上述の水のミクロ不均一モデルでは、このピークAが水素結合のつながっていない水分子に由来すると考えてきましたが、その実験的な証拠が掴めていませんでした。そこで、ピークAに照射する軟X線のエネルギーをあわせることで、水素結合がつながっていない水分子を選択し、軟X線発光スペクトルに現れる水分子の振動エネルギーを観測することにしました。図2(b)は、入射した光のエネルギーを原点にとって表示した軟X線励起の振動スペクトルです。入射する軟X線は振動エネルギーに比べて1000倍以上のエネルギーを持っているため、通常の振動分光とは異なり、図のように高いエネルギーを持った振動まで観測することができます。軟X線励起の振動構造のうち、最も低いエネルギーの振動を、図中に赤点線で示した既存の振動分光手法で得られる振動エネルギー(水素結合の紐が切れた分子と繋がった分子全てからの信号)と比較すると、はっきりとした違いがあることがわかります。軟X線の実験の結果は孤立した水分子のOH伸縮振動エネルギーに近いことから、ピークAで選択された水分子は確かに水素結合が切断されていること、つまりピークAが水素結合のつながっていない水分子に由来するということがはっきりと示されました。このことから、水の中に水素結合様式の異なる状態が共存するというミクロ不均一モデルが裏付けられました。
 次に研究グループは、水素結合がつながっていない水分子を選択して観測できるという特徴を活かしてHとD(重水素:通常の水素よりも質量数が大きい)を1つずつ持つHDOの振動スペクトルを測定しました。これは、通常の水素で構成される水素結合と重水素で構成される水素結合の違いを調べるためです。図3はH2O(軽水)とHDO、D2O(重水)の振動スペクトルを並べたものです。H2OとD2Oで水素結合のしやすさが一緒であれば、HDOの振動スペクトルはH2OとD2Oの1:1の和で表されるはずです。ところが実際にはH2Oの寄与が大きく、水素結合がつながっていないHDO水分子は、OH側、つまり通常の水素で構成される水素結合の方がつながっていない確率が高いことがわかりました。これは通常の水素で構成される水素結合の紐が、重水素で構成される水素結合の紐よりも切れている確率が高いことを示唆しています。H2OとD2Oを比較すると、H2Oの方が融点や沸点がD2Oに比べて低いことが一般に良く知られていますが、H2Oの方が水素結合のつながっていない確率が高いという本研究結果は、この水の物理化学的性質をよく説明することができます。

今後の展開
 本研究の成果により、軟X線励起で観測される振動スペクトルは、前述した水のミクロ不均一モデルを支持することが示されました。また、軟X線を利用することによって、特定の振動エネルギーを持った分子を選択しつつ、その分子の電子状態の情報が得られることもわかりました。分子の振動を調べる赤外分光などの振動分光は、溶液化学、生物物理全般で汎用的に利用されていて膨大な数のデータの蓄積があります。電子状態と振動状態の両方を観測できる軟X線を用いた新しい実験手法と、この振動分光の情報を組み合わせることによって、特に、水素結合が重要な役割を果たしている種々の化学反応や触媒反応、生体中の水の研究が進むと期待されています。


《参考図》

図1 水分子とその水素結合
図1 水分子とその水素結合


図2 (a)H2Oの軟X線吸収・発光スペクトルと(b)軟X線励起の振動スペクトル拡大図
図2 (a)H2Oの軟X線吸収・発光スペクトルと(b)軟X線励起の振動スペクトル拡大図


図3 (a)H2O, HDO, D2Oの多重振動スペクトル比較と(b)H2OとD2Oの和でフィッティングしたHDOの振動スペクトル
図3 (a)H2O, HDO, D2Oの多重振動スペクトル比較と
(b)H2OとD2Oの和でフィッティングしたHDOの振動スペクトル


《用語解説》
注1 水素結合

弱い陽性の電荷をもつ水素原子を介して、陰性の電荷をもつ原子(酸素、窒素など)間に作られる弱い結合。水素結合の結果として分子同士が弱くつながる。

注2 大型放射光施設SPring-8
SPring-8は兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高輝度の放射光を生み出す理化学研究所の施設。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8ではこの放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。

注3 東京大学放射光アウトステーションビームラインBL07LSU
2006年5月に総長直轄の組織として発足した放射光連携研究機構物質科学部門がSPring-8の長直線部に所有する世界最高水準の軟X線アンジュレータビームライン。3つの常設の先端分光実験ステーションとユーザーが任意に装置を持ち込める1つのフリーポートを有し、2009年10月から共同利用を開始している。

注4 理研ビームライン物質科学III BL17SU
最先端の物質科学研究を推進することを目的として理化学研究所が建設した軟X線アンジュレータビームライン。常設の実験ステーションのひとつとして、本研究が行われた大気圧下の液体、溶液の軟X線分光測定のための実験ステーションが設置されている。BL17SUビームラインでは、そのほかに、光電子分光、軟X線回折などの実験手法を用いた研究が行われている。

注5 軟X線発光分光実験
軟X線とは、エネルギーの低いX線のことを指し、エネルギーの高い硬X線よりも空気に吸収されやすい性質をもつ。「軟X線発光分光実験」を用いると、物質の電子の状態などを明らかにすることができる。



《問い合わせ先》
 東京大学物性研究所・東京大学放射光連携研究機構
  准教授 原田 慈久(はらだ よしひさ)
    TEL:0791-58-1973 または 0791-58-0803(呼出音後)4111
    E-mail:mail1

 独立行政法人理化学研究所放射光科学総合研究センター 利用システム開発研究部門
 ビームライン基盤研究部 軟X線分光利用システム開発ユニット
  技師 徳島 高(とくしま たかし)
    TEL:0791-58-2839 または0791-58-0803(呼出音後)3777
    E-mail:mail2

(SPring-8に関すること)
 公益財団法人 高輝度光科学研究センター 広報室
    TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
    E-mail:kouhou@spring8.or.jp