大型放射光施設 SPring-8

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SPring-8 で紐解く繊維構造

研究成果 · トピックス

SPring-8 で紐解く繊維構造

 繊維は衣類だけでなく、例えば自動車部品の一部や医療用など、人間の生活に欠かせない便利な材料です。人間は遠い昔から、綿や絹、麻などの繊維を利用してきました。こうした植物や動物から得られる繊維を天然繊維といいます。これに対して化学繊維は、人工的に作られた繊維で、ナイロンやポリエステルなどがよく知られています。化学繊維は天然繊維よりも細く、しかも強くする(引っ張る力に耐えられる)ことができ、利用しやすい繊維をつくるために、発明されてから年々
進化をし続けています。
 そうした中、信州大学繊維学部教授の大越豊さんは、“繊維の強度”を研究してきました。高強度繊維といわれる繊維のうちケブラーTMなどのいわゆる“硬い(曲げづらい)繊維”は、液晶紡糸*1で強度を高めています。一方、イザナスTMのようなポリエチレンの繊維などの“軟らかい(曲げやすい)繊維”は、ゲル紡糸・超延伸*2という方法で強度を高めています。(図1
 しかし、その中間に当たり、実社会で一番使われているポリエステルやナイロンなどは、強度があまり高くありません。それら分子“そのもの”の強度からすれば、ダイヤモンド並の強度が出ても不思議ではないのに、実際にはその数パーセントにとどまります。“この強度をどうすれば高められるか”これが大越さんの研究でした。
 「理論的な値の5%程度だった強度を10%に高めることは可能でした。その中で強度が低い理由は、一部分の分子だけに力がかかってしまうからです。分子全部が束になってきれいに並んでいれば、それこそ分子が切れるまで、原理的には切れません」。
 実際に強度が出ないということは、一部の分子に力が集中して、その部分で切れていることを示しています。その中で均一に力がかかるようにするには、分子の並びを均一にする必要があります。しかし、この並んでいる状態は、“見る”ことが難しいのです。“もりそば”を例にすると、“盛ってある状態”では、そばが“絡まっているかどうか”分からず、箸でつかんで持ち上げてみて初めて分かります。つまり、“絡まっているかどうか”は力をかけた瞬間しか分からず、力が抜けるとまた分からなくなってしまいます。

図1 繊維を使った製品例。

図1 繊維を使った製品例。

(左上)防弾チョッキ。(右上)船舶用ロープ。(下)洋服。

レーザー光で繊維をつくる中で

 大越さんの研究のひとつは、原材料であるポリエステルに、従来の方法とは異なり、遠赤外線レーザー光を照射して延伸する方法です。レーザー光を使う利点として、まずはエネルギー効率の問題があります。従来の繊維工場では、一般にヒーターで材料を加熱し、ある温度まで上がったところで材料を引っ張って延伸します(図2)。ヒーターで発生した熱量のうち、実際に繊維材料を温めるのに使われる熱量の割合はごく小さく、それ以外は無駄になるだけでなく、工場内が暑くなり、作業環境を悪くさせます。それを解決するためには、今度は冷房で冷やすという、エネルギー効率としては非常に悪いことをせざるを得なくなっています。ヒーターではなくレーザー光で材料のみを効率よく加熱すれば、この問題を解決できるかもしれません。
つぎに生産性の問題で、従来のようにヒーターを用いて加熱すると、材料の表面と内部で温度のムラが出てしまいます。しかし、レーザー光を用いると、材料をより均一に加熱でき、でき上がりの繊維の質もより均一となり、結果として高速に生産ができるようになるのです。また、レーザー光を用いると、従来の繊維を作る装置より小さく、かつ少量で作ることが可能となり、研究を行う上でもこれらのことは、小さなスペースで行える利点となります。
 化学繊維に遠赤外線レーザー光を当てると、温度が 芯から急激に上がり、用いる材料などの条件にもよりますが、ある温度に達した時に引っ張ると、どこかで“ネック延伸”が起こることが分かっています。例えばビニールテープを引っ張ると、ある部分が細くなって、それまでの引っ張る力ではもう伸びなくなる現象もネック延伸です。金属の場合、引っ張ると、見た目ではほとんど伸びず、そのまま切れてしまいますが、化学繊維などの高分子の場合は、延伸したときに分子が並ぶので、強度が高くなった状態になり伸びなくなります。大越さんは、その現象について、「SPring-8の放射光を用いて、繊維を急速にネック延伸した直後の状態をX線小角散乱法を利用して観察すれば、ちょうど箸で持ち上げた直後のそばを見るように、高分子材料の分子鎖が絡み合っている様子が直接観察できるかもしれない」と考えました。

図2 一般的な化学繊維を作成する機械

図2 一般的な化学繊維を作成する機械(信州大学 先進ファイバー紡糸棟にて撮影)。

材料を温めて混合後下側に押し出し、それが引き伸ばされて固まることで繊維になる。

X線小角散乱法で繊維を見る

 X線小角散乱法とは、試料に照射され散乱するX線のうち、散乱角が小さいX線を測定する方法で、1~100 nmレベルの構造解析が可能な方法です。例えば、高分子やタンパク質、さらに毛髪などの構造を解明する場合に利用されます。X線は試料を透過しやすいので、内部構造の観察に適しています。しかし、X線小角散乱法を利用して試料を観察するには、その試料の大きさに合わせてX線を絞る必要が生じます。すると絞られたX線は弱くなり、そのため内部構造を十分に観察できないことも多いのです。対してSPring-8のX線は、輝度が高く、繊維の様な細い物質でも十分に構造解析ができるのです。大越さんはさっそくSPring-8に利用申請をして、まずはX線小角散乱回折実験のできるBL40B2*3にて実験しました。このビームラインでは、“繊維の作り方によって絡み合い構造がどのように変わるのか”を調べることができました。しかし大越さんが求める“なぜ繊維の強度が理論値の数%しか出ないのか”を求めるには、X線強度が不足で、十分な時間分解能*4を得られませんでした。そのため大越さんは、利用するビームラインをFSBL*5に切り替えました。FSBL から発せられるX線は、普通に照射すると、強力すぎて繊維が分解してしまうほどですが、細い繊維1本に、しかもネック延伸直後にほんの一瞬(数十マイクロ秒)照射するだけで鮮明なX線散乱像が撮像できたため、分子鎖が“絡み合っている様子”の違いを明瞭に観察することができたのです。そして大越さんは、FSBLでの測定によって、繊維にレーザー光を当ててネック延伸されてから、絡み合った分子鎖が配列し、次第に結晶に変化して、さらにその結晶が配列した繊維構造ができ上がっていく様子を観察することができたのです(図3)。それは、ポリエステルをレーザー光で加熱してから、秒速2 mくらいで高倍率に引き伸ばすという条件の下でした。「低速で巻いた繊維を、急にネック延伸すると、結晶ができる前にスメクティック相*6という分子の束がきれいにできていることが、FSBLではっきりと計測できました。スメクティック相ができること自体は前から分かっていたことですが、ほとんどスメクティック相ばかりの構造ができていたのには感動しましたね」と大越さん。従来は「ゆっくり引っ張っていくと、伸びた構造になる前に、一瞬見えるくらいのかたちで、スメクティック相が間にできることがあるかもしれない」という報告がなされていた程度でした。結晶ができる前に、ポリエステル分子鎖がスメクティック相という形で絡まっていることが分かったことは、繊維の形成過程を解明する一端となり、大越さんが目指す“繊維の強度を高める仕組み”を解明する第一歩となったのです。

図3 化学繊維形成の模式図。

図3 化学繊維形成の模式図。

化学繊維を急に引っ張ると、分子が綺麗に並んだスメクティック相から次第に結晶化して微細な繊維状の構造ができることがFSBLを利用して明らかになった。

FSBLで時間分解能をより高めた計測を目指す

 最近は計測結果を実際のケースに応用させるため、もう少し大きな単位の繊維の解析も始めています。「工場では実際、秒速100 mで生産されていて、今回の実験では秒間約2 mと、そんなに速くはありません。より高速で引き伸ばすと、繊維の構造変化もより速くなり、高い時間分解能が必要となります。また分解能の点でいえば、繊維1本で測定をしていることもあり、それらの大きさに対するX線強度はまだ十分とは言い切れませんが、今後、今の数倍程度に実験速度を上げたいと思っています」。大越さんが使っているモーターで繊維を出して巻き取る装置は、当初実験で用いていたBL40B2の実験ハッチのサイズに合わせたものでした。
FSBLの実験ハッチはそれよりも大きく作られているので、大きくてより速く回るモーターを組み込んだ装置を入れることも可能です。
 「工場で作っているようなスピードに近づけ、さらに高い時間分解能での解析結果が得られれば、実際に繊維が形成される過程や分子鎖の絡み合いをもっと細かく解明できるので、私の目標に近づけられると思います」と大越さん。
 身近で便利であっても「分からない」ことがあった繊維の構造も、SPring-8で明らかにされつつあるのです。


用語解説

*1 液晶紡糸
高分子材料の液晶状態(液体のような流動性を持ちながら分子がある規則性を持って配列している状態)を利用して高度に分子鎖を配向させながら紡糸する方法。

*2 超延伸
分子の鎖が伸び切った状態にして高強度の繊維を作る方法。

*3 BL40B2
生体高分子や有機高分子などの構造解析を行うSPring-8の共用ビームライン。単色化されたX線を用いて、高い空間分解能(物体同士を区別できる最小の距離)と高い精度を持ったデータ収集ができる。

*4 時間分解能
試料の状態の変化を観察する時の、時間の分割単位。例えば一般的なテレビは毎秒30コマなので、テレビの時間分解能はおおよそ30分の1秒であると言える。時間分解能が高いほど、高速度で変化する現象の解析が可能となる。

*5 FSBL
SPring-8のビームラインBL03XUの名称。ソフトマター(高分子、コロイドやタンパク質などの分子の大きな集合体)研究開発専用のビームラインとして光学機器・実験機器が特化されている。(次項“実験技術紹介 利用者のみなさまへ”に詳細を記載)

*6 スメクティック相
層構造を有する液晶層。


コラム

山との縁

 「気分転換も兼ね登山にはよく行っています。山からの景色を眺めていると、“ふと”研究に関するアイデアが浮かぶことがあります。そのアイデアは役立つことが多いので、メモ帳を必ず持参するようにしています」と語る大越さん。学生時代から長野の山々に魅せられて、研究者となった今でも定期的に山登りは欠かさず、春と秋には研究室のメンバーと共に山に登り、研究のことからプライベートのことまで語り合い、親交を深めているそうです。そんな大越さんの誕生日は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する日」と制定された8月11日の“山の日”。山とは“切っても切れない”大越さんの縁を感じます。

研究用のポリエステル繊維の束を持つ大越さん

研究用のポリエステル繊維の束を持つ大越さん

文:日経BPコンサルティング 熊谷 勇一


この記事は、信州大学 繊維学部/ 国際ファイバー工学研究所 大越 豊 教授にインタビューして構成しました。