大型放射光施設 SPring-8

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筋収縮を調節する分子メカニズムの一端を解明(プレスリリース)

公開日
2003年07月03日
  • BL44B2(理研 物質科学)
  • BL45XU(理研 構造生物学I)
理化学研究所播磨研究所構造生物化学研究室と科学技術振興事業団の研究チームは、筋収縮の調節に重要な役割を果たしているタンパク質の立体構造を決定し、その分子メカニズムを解明することに世界で初めて成功した。

平成15年7月3日
理化学研究所
科学技術振興事業団

 理化学研究所(小林俊一理事長)と科学技術振興事業団(沖村憲樹理事長)は、筋収縮の調節に重要な役割を果たしているタンパク質の立体構造を決定し、その分子メカニズムを解明することに世界で初めて成功しました。
 心臓の筋肉および骨格筋の収縮は細胞内カルシウムイオン濃度の変化によって調節されています。この現象は1960年代に東京大学医学部の江橋節郎(東京大学名誉教授)らによって発見されました。この発見は、細胞内でカルシウムイオンが重要な多くの調節機能を担っていることの最初の発見であり、細胞一般についての大発見でした。今回解明したタンパク質トロポニンも、カルシウム調節メカニズムを担う中心タンパク質として、江橋らによってこの時発見されました。カルシウム調節のメカニズムを解明するにはこのトロポニンの詳細な立体構造を知ることがどうしても必要です。今回の成果は、トロポニン発見以来40年近く待たれていた快挙と言えます。
 本研究では、ヒト心筋トロポニンの機能に必要な中核部分の立体構造を、カルシウムイオンが結合した状態で解明しました。本研究ではよい結晶を得ることが困難であったため、成功まで13年の年月が必要でした。得られた構造から、カルシウム結合によってトロポニン分子内で大きな構造変化が引き起こされることがはっきりしました。また、その構造変化がさらにトロポニンが結合する他の筋タンパク質(特にトロポミオシン、アクチン)にも伝わっていくことが示唆されました。トロポニンの中核部分はさらに複数の部分構造(サブドメイン)に分かれ、それら同士は柔軟に連結されています。この柔らかい連結は、トロポニンと他のタンパク質との結合が大きく変化するために都合がよいと思われます。
 今回解明されたトロポニンの結晶構造を基にして、「筋収縮のカルシウム調節」のメカニズムの研究は大きく進展し、遺伝性心疾患などの疾病の研究、および心不全治療薬、診断材の開発研究を加速するものと期待されます。

 本研究成果の詳細は、英国の科学雑誌「Nature」(7月3日号)に掲載されます。

 本研究は、理研播磨研究所構造生物化学研究室の武田壮一研究員(現・国立循環器病センター研究所心臓生理部室長)、山下敦子研究員、前田佳代研究員、前田雄一郎主任研究員の研究チームによる成果であり、理化学研究所と科学技術振興事業団の研究契約に基づき行われた事業団の戦略的創造研究推進事業の研究領域「形とはたらき」(研究総括:丸山工作)における研究テーマ「横紋筋収縮調節タンパク質複合体の構造解析」の研究成果、および文部科学省科学技術振興調整費総合研究「アクチンフィラメントの構造と動態の解析による筋収縮・調節機構の解明」(代表:前田雄一郎)の研究成果を含みます。

(論文)
"Structure of the core domain of human cardiac troponin in the Ca2+-saturated form"
SOICHI TAKEDA, ATSUKO YAMASHITA, KAYO MAEDA & YUICHIRO MAÉDA

 

1.背景 ― カルシウム調節の中心タンパク質トロポニン
 トロポニンは「筋収縮のカルシウム調節」の中心を担うタンパク質です。「筋収縮のカルシウム調節」もトロポニンも、当時東京大学医学部にあった江橋節郎(東京大学名誉教授)らのグループによって1960年代に発見されました。「筋収縮のカルシウム調節」とは、筋収縮の調節は細胞内カルシウムイオン濃度の変化により制御されるとするものです。私たちが運動するのに使う骨格筋や心臓の筋肉(心筋)の収縮は、そのモーターに相当するミオシン、アクチンというタンパク質と、その燃料にあたるATP(アデノシン3リン酸)により行われますが、それだけでは収縮は起きず(モーターは駆動せず)力を発生しません。江橋らは、収縮の開始には筋細胞中でのカルシウムイオンの濃度の一時的上昇が引き金となっていること、そして筋肉の収縮装置にはカルシウムイオンで駆動するスイッチが存在すること、を発見しました。そのスイッチの中心にトロポニンがあります。
 この江橋らによる「筋収縮のカルシウム調節」の発見は、筋肉研究の枠を越えて大変重要な発見でした。というのは、これはカルシウムイオンが細胞中で重要な働きを担っていることを世界で最初に示したからです。今日では、すべての細胞で、多くの働きの調節にカルシウムイオンが重要な役割を果たしていることがわかっています。それゆえ、世界中の研究者が江橋らの研究はノーベル賞に値すると考えています。「筋収縮のカルシウム調節」もトロポニンも、我が国の生命科学研究の歴史の中で特別の意義を持っているのです。
 さて、「筋収縮のカルシウム調節」は図1に示すように働きます。細胞中にはカルシウムくみ上げポンプを備えたカルシウム貯蔵場所(筋小胞体)があり、この働きで「平常時」の細胞内のカルシウムイオン濃度は低く(10-7モル程度以下に)抑えられています。神経から「命令」が来ると、そのカルシウム貯蔵場所から細胞内へカルシウムイオンを放出する仕組みが働き、細胞内のカルシウム濃度が一時的に上昇します。そしてそのカルシウムイオンがスイッチを駆動し、モーターの働きを開始させます(図1)。
 そのスイッチは筋タンパク質から形成される「細い繊維」に組み込まれています。すでに説明したように筋細胞にはミオシンとアクチンという2種類のタンパク質から成るモーターがあります。ミオシンは「太い繊維」を、アクチンは「細い繊維」をそれぞれ形成して、これらが規則的な構造をとり、互いに滑り合うことで収縮し力を発生します(図2、中段)。カルシウムで駆動されるスイッチはこの「細い繊維」に組み込まれていて、スイッチ本体はトロポニンおよびトロポミオシンという2種類のタンパク質分子です(図2、下段)。トロポニンは細胞内に放出されたカルシウムイオンを結合し、トロポミオシンはその信号を「細い繊維」全体に伝える働きをします。
 もう少し詳しく言うと、トロポニン(Tn)はTnT、TnIおよびTnCの3つのポリペプチド鎖(サブユニット)からなる(構成比1:1:1)分子です。江橋らは「筋収縮のカルシウム調節」の発見と同時に、トロポニンを発見し「細い繊維」上での分子配置(図2、下段)を確定しました。しかし、このスイッチがカルシウムイオンの結合によってどのように働くか、そのメカニズムについてはこれまで不明でした。それはスイッチの要となるタンパク質トロポニンの立体構造がわからなかったからです。本研究ではトロポニン分子の詳細な立体構造を解明しました。これは江橋らによるトロポニンの発見以来40年近く待たれていた成果であります。
 トロポニンの立体構造解明の意義はそのような歴史的意義にとどまりません。トロポニンを中心とした「筋収縮のカルシウム調節」の研究は、細胞内の調節一般の研究のなかでも大変進んでおり、このメカニズムを詳しく知ることができれば、地球上の生物が調節メカニズムをどのように創ってきたかを知ることが可能です。トロポニン系の研究が進んでいる理由は、下記(図2、下段)の分子配置からわかるように、「細い繊維」はモーター(アクチン)の一部でありながらスイッチを組み込んでいる、つまりスイッチとモーターが接近しているために、両者の相互作用を知るには適した材料であるからです。また、筋細胞には「細い繊維」がぎっしりと配向しており、「細い繊維」上にはトロポニンがぎっしりと等間隔に並んでいる、そのことも研究を進めるうえで有利です。

2.研究手法 ― 長い年月が必要であった理由
 私たちがこの研究を開始したのは1990年(当時、前田雄一郎はドイツの欧州分子生物学研究所で自らが主宰していた研究室で前田佳代とこの研究を開始しました)でしたので、成功するまでに13年の年月が経過しています。この研究課題は重要ですので、当初は世界中の多くの研究者がこの課題を手がけました。しかし困難であることが判ると次々と去っていき最後には私たちのみが残りました。何が困難であったのか、それをどう克服したのか、という点を中心に以下に研究手法の概要を説明します。
 現代の生物学では、生体のメカニズムを理解するためには、そのメカニズムの中心を担うタンパク質分子(複合体)の詳細な立体構造(分子を構成する原子の座標)を解明する必要があります。タンパク質分子(複合体)の詳細な立体構造を解明するにはX線結晶構造解析という方法による以外にありません。この手法の鍵は、解析に使えるような良質の結晶を得ることにあります。よい結晶を得られないと立体構造を知ることができません。私たちが成功した原因は次のようにまとめることができます。

第一、遺伝子工学の方法を駆使したこと
 よい結晶を得るにはまず均一なタンパク質試料を大量に得ることが必要です。トロポニンはニワトリなど動物の筋肉から大量に抽出できますが、こうして調製した試料には複数のアイソフォーム※1が含まれ不均一なため結晶を作りません。それで動物のトロポニン遺伝子を大腸菌に大量発現させる方法(遺伝子工学の方法)を採用し均一な試料を得ました。当初はトロポニンの遺伝子も判っていなかったのでこれらを得る作業から始めました。トロポニンの遺伝子として、ウサギ骨格筋、ニワトリ骨格筋およびヒト心筋の3種類を用意しました。それぞれに3つのポリペプチド鎖がありますので、3 x 3で合計9個のタンパク質の発現系を作りました。どの生物種のトロポニンから良質の結晶が得られるかについては、実際に結晶を作ってみないと判断がつきません。実際、よい結晶を得られたのはヒト心筋由来トロポニンだけでした。3つのポリペプチド鎖を大腸菌内で独立に産生させ、これをそれぞれ単離・精製した後に試験管内で3つを合わせ複合体を形成させ結晶を調製しました。

第二、多くの組み合わせをしらべ尽くしたこと
 均一の試料を得ても丸のままのトロポニン分子ではよい結晶を生じませんでした。トロポニンの場合、トロポミオシンと結合するための「のりしろ」を持っており、「のりしろ」同士が結合して沈殿物を形成し、結晶を形成しないのです。このような場合、タンパク質分子の機能が損なわれないのであれば、あらかじめ「のりしろ」を切除したタンパク質試料を用います。私たちもこの方法を採用しました。実際には、プロテアーゼによる限定分解法※2を用いて、切除してもよい「のりしろ」を明らかにし、機能部分を同定しました。ポリペプチド鎖それぞれについて機能部分の範囲にはある程度の幅がありました。各ポリペプチド鎖について複数の機能部分断片をそれぞれ大腸菌に作らせ、これを3生物種のトロポニンについて繰り返し、それぞれ結晶化条件を探すという気の遠くなるような膨大な作業をやり遂げました。この結果、ヒト心筋由来トロポニンの機能部分を含む2つの「中核部分」Tn46kとTn52kから良質の結晶を得ることができました。

第三、大型放射光施設SPring-8を利用したこと
 本研究では大型放射光施設SPring-8の理研構造生物学ビームライン(BL44B2BL45XU)を用いて、多波長異常分散法※3で立体構造を決定しました。その結果、最終的に2.6Å※4(Tn46k)および3.3Å(Tn52k)分解能のX線回折強度データ※5を得て、全体の構造を決定することができました。本研究に使用した結晶は2種類とも不安定であったため、SPring-8の高輝度X線を使用して短時間で精度の高い測定を実行できたことは決定的に重要でした。

3.立体構造の解析結果から明らかになったこと
 今回解明した構造は、トロポニン分子から(トロポミオシンとの結合に使われる)「のりしろ」を除いた機能部分です。この部分はTnC, TnI, TnTの3つのポリペプチド鎖から成り立っており、以下「中核部分」と呼ぶことにします。これまで知られていたトロポニンの構造は、TnC単独の構造と、TnCにTnIの一部が結合している構造だけでした。今回の構造ではじめて3つのポリペプチド鎖の位置関係が明らかになりました。トロポニンの「中核部分」はさらに複数の部分構造(サブドメイン)に分かれ、部分構造同士は柔らかく連結されています。この柔らかい連結は、カルシウム結合に伴ってトロポニン自身の構造が、またトロポニンと他のタンパク質との結合が大きく変化することを示唆しているように思われます。

(1)TnT、TnCおよびTnI3つのサブユニットの相互作用
トロポニンの「中核部分」は2つの部分構造(サブドメイン)、「調節頭部」と「ITアーム」に分かれます(図3)。興味深いことに、部分構造(サブドメイン)の境界とポリペプチド鎖(サブユニット)の境界はまったく一致しません。例えば「ITアーム」では3つのポリペプチド鎖が複雑に絡み合っています。逆にTnTとTnIは単独で部分構造(サブドメイン)を形成しないことが初めて明らかになりました。大きな複数のポリペプチド鎖から成る複合体タンパク質はふつうそれぞれのポリペプチド鎖ごとにまとまった構造をとりますが、トロポニンの「中核部分」では、そのようになっていません。

(2)部分構造(サブドメイン)間の連結は柔軟で動きやすい
今回、2種類の結晶中にそれぞれ「姿勢」の異なる2つの分子の構造を得ることができました。得られた合計4分子の構造を比較すると「調節頭部」と「ITアーム間」の角度が分子ごとに大きく異なり(図4)、この2つの部分構造(サブドメイン)間の連結が柔軟であることが分かりました。すなわち、複数の部分構造(サブドメイン)から構成されるトロポニン分子は柔軟に動くことができることを示唆します。

(3)結合したカルシウムイオンの役割
心筋トロポニンには「調節頭部」に1つ(骨格筋トロポニンでは2つ)、「ITアーム」に2つのカルシウム結合部位があります。前者(結合部位II)へのカルシウムイオンの結合・解離が筋収縮・弛緩のスイッチとして機能しているのに対し、後者(結合部位IIIおよび結合部位IV)は筋細胞中で常にカルシウムイオンあるいはマグネシウムイオンを結合し分子の安定化に関わっていると考えられていました。今回得た構造により、結合部位IIへのカルシウム結合がTnIとTnC間の疎水性※6結合をスイッチする仕組みが解明されました。また結合部位IIIおよびIVへのイオン結合が3つのサブユニットを強く結び付ける役割を担っていることが明らかになりました(図5)。

(4)トロポニンの構造変化と収縮調節
結合部位(II)へのカルシウムイオンの結合・解離に伴い、TnCとTnIの調節領域(TnIreg)との相互作用が変化すると考えられます(図6)。すなわち、筋の弛緩状態(-Ca2+)では調節領域はTnCから離れアクチンおよびトロポミオシンと相互作用し、トロポミオシンとアクチンの相互作用を強め、その結果モーター分子ミオシン、アクチン間の相互作用を抑制し張力発生を抑えると考えられます。逆に収縮時(+Ca2+)には調節領域はアクチン、トロポミオシンから離れTnCと強く結合することにより抑制を解除し、アクチン・ミオシン間の強い結合が形成され筋は収縮を開始すると考えられます。今回得られた結晶構造にはトロポミオシンとの結合に使われる「のりしろ」は含まれていませんが、2つの「のりしろ」(常にトロポミオシンと結合している2つの領域、TnT1とC-TnT)の位置が約60Å程度離れていること、そのうちの1つの「のりしろ」(C-TnT)と調節領域が近接することが明らかになりました。このことから結合部位(II)へのカルシウム結合のシグナルが「ITアーム」を介し約60Å離れたTnT1に伝わり、その結果アクチン繊維上でトロポミオシンが構造変化することが示唆されました。

4.今後の展開
(1)メカニズムの全体を知ること:
 今回のトロポニンの結晶構造の解明は大きな成果ですが、「筋収縮のカルシウム調節」のメカニズムを理解する、という大きな目標へ向かって第一歩を記したに過ぎません。今回解明した構造では、スイッチの全体はまだ見えてきていません。筋のスイッチの実体はトロポニンだけではなく、トロポニン、トロポミオシン、アクチンから構成される「細い繊維」という複合体ですので、この複合体全体の構造を知る必要があります。他方、今回解明した構造はいわば静止写真であって、スイッチの動き、すなわちタンパク質の構造変化について推測しているだけです。さまざまな測定手法を使って「細い繊維」の構造変化を知る必要があります。これらの研究は、すでに当研究チームが中心になって組織した科学技術振興調整費研究グループが世界に先んじて取組んでいます。

(2)心疾患の原因の研究と心不全治療薬の開発研究:
 またトロポニンの結晶構造の知識は、今後病気の原因の研究と、心不全治療薬の開発研究に役立つであろうと期待されます。この点は補足説明で多少突っ込んだ説明を試みます。


 

《図一覧》

図1 筋細胞内部のカルシウムイオンの動き
図1 筋細胞内部のカルシウムイオンの動き

 


図2 筋肉の模式図
図2 筋肉の模式図

筋細胞は多数の筋原繊維から形成されています。筋原繊維はミオシンから成る「太い繊維」とアクチンとおよび調節タンパク質(トロポニンおよびトロポミオシン)で構成される「細い繊維」が規則的に並んだ構造を取り、これら2種類の繊維が互いに滑りあうことで張力を発生します。


図3 トロポニン・コアドメイン(Tn52kB)の結晶構造
図3 トロポニン・コアドメイン(Tn52kB)の結晶構造

トロポニン「中核部分」の結晶構造をリボンモデルで示す。TnCを赤、TnTを黄色、TnIを水色(一部TnC結合領域を青色)で示し、結合している3つのカルシウムイオンを黒い球で示す。「中核部分」はさらに「調節頭部(Regulatory head)」と「ITアーム(IT-arm)」の2つの部分構造(サブドメイン)に分かれる。


図4 4つのトロポニン分子の構造の重ね合わせ
図4 4つのトロポニン分子の構造の重ね合わせ

2種類の結晶(Tn52kおよびTn46k)より得た計4分子を対応する部分構造(右は「調節頭部」、左は「ITアーム」)ごとに重ね合わせた。2つの部分構造の間の角度が大きく異なる。


図5-1図5-2
図5 結合したカルシウムイオンの役割

左の図は収縮・弛緩の調節に関わるTnCの結合部位(II)に結合したカルシウムイオンとその結果生じるTnCの疎水性領域(茶色)とTnI(水色)の相互作用を示す。
右の図はTnCの結合部位(III)および(IV)に結合したカルシウムイオンを示す。この2つの結合部位は「ITアーム」中でTnC(茶色)、TnI(水色)、TnT(黄色)を束ねる役割を担う。


図6 カルシウムイオンの結合・解離に伴うトロポニンの構造変化と他の筋タンパク質との相互作用の推測図
図6 カルシウムイオンの結合・解離に伴うトロポニンの構造変化と他の筋タンパク質との相互作用の推測図

 


 <本研究の遂行を可能にした研究資金>

理化学研究所(平成10年(1998)度―現在)
科学技術振興事業団・さきがけ研究21・「形とはたらき」領域(統括・丸山工作)
  “横紋筋収縮調節タンパク質複合体の構造解析”
  (武田壮一、平成10年(1998)度-平成13年(2001)度)
文部科学省・科学技術振興調整費・総合研究 
  “アクチンフィラメントの構造と動態の解析による筋収縮・調節機構の解明”
  (代表者、前田雄一郎;平成11年(1999)度―平成16年(2004)度の予定)
松下電器産業(平成5年(1993)―平成11年(1999))
欧州分子生物学研究所(EMBL)(1990-1993)

 

<本研究についての問い合わせ先>
理化学研究所 播磨研究所
構造生物化学研究室 主任研究員  前田 雄一郎
E-mail:ymaeda@spring8.or.jp
TEL:0791-58-2822 FAX:0791-58-2836

国立循環器病センター研究所
心臓生理部 室長  武田 壮一
  E-mail:stakeda@ri.ncvc.go.jp
  TEL:06-6833-5012(内)2530 FAX:06-6835-5416

<報道担当>
理化学研究所 広報室  駒井 秀宏
  TEL:048-467-9272 FAX:048-462-4715

<本研究の意義について意見を聞くことのできる第三者>
丸山 工作
  独立行政法人・大学入試センター所長、千葉大学名誉教授
 勤務先電話:03-3468-3311(大学入試センター)

大槻 磐男
  東京慈恵会医科大学客員教授、九州大学名誉教授
  E-mail: iohtsuki@po1.dti2.ne.jp
 勤務先電話:03-3433-1111(東京慈恵会医科大学 生理学第二講座)

<研究振興事業「さきがけ研究21」についての照会先>
科学技術振興事業団 研究推進部
  研究第二課課長  瀬谷 元秀
  TEL:048-226-5641 E-mail: seya@jst.go.jp

 



<用語解説>

※1 アイソフォーム
 機能はほぼ同一であるがアミノ酸配列が異なるタンパク質分子。複数のアイソフォームが含まれているタンパク質試料からはよい結晶を得ることが難しい。複数のアイソフォームが存在する理由はまだよく判っていない。複数のアイソフォームの遺伝情報は、同一のDNAに由来する場合(スプライシングバリアント)もあれば、異なるDNAに由来する場合もある。

※2 プロテアーゼによる限定分解法
 タンパク質分子(複合体)内で安定に立体構造を保持する部分を同定する方法。ふつうタンパク質分子(複合体)内には、安定に立体構造を保持する部分と、立体構造を形成しないループ状の領域が存在する。この方法では、低濃度のタンパク質分解酵素(プロテアーゼ)を短時間作用させることによって、切断されないのは前者、切断される部位は後者であると結論する。

※3 多波長異常分散法
 X線結晶構造解析法の一つ。一連の金属原子のX線散乱能は波長に強く依存することを利用してタンパク質結晶構造を決定する。従来の方法では、構造決定のためには複数種の重金属原子(原子量の大きい金、白金、水銀など)を結合したタンパク質の結晶が必要だったが、この方法ではただ一種の金属原子を結合した結晶を用意すれば解析が可能になる。ただしこの方法では、波長可変のX線を使う必要があること、信号が微弱なため従来よりは輝度の高いX線源が必要でありかつ精度の高い測定が必要となる。以上の理由から、この方法はSPring-8のような放射光実験施設を使ってはじめて可能になった。この方法は最近5年間盛んに用いられるようになった。

※4 Å(オングストローム)
 長さの単位。1オングストロームは1×10-10メートル(= 0.1ナノメートル)。X線結晶構造解析においては、高次構造の解像度を示す単位として用いられる。数字が小さいほどより高解像度の立体構造であることを示す。

※5 X線回折強度データ
 結晶などにX線を照射して測定されるデータ。このデータをもとに結晶内に含まれる分子の立体構造を決定する。

※6 疎水性
 水分子との親和性の低い(なじみにくい)性質。逆に水分子との親和性の高い(なじみやすい)性質を親水性という。タンパク質を構成するアミノ酸には疎水性の性質を持つもの、親水性の性質を持つものそれぞれが存在し、タンパク質分子中において疎水性(または親水性)の残基が部分的にまとまって疎水性部分(または親水性部分)を形成していることがしばしば見られる。


 

<補足説明:心疾患の原因の研究と心不全治療薬の開発研究>

 トロポニンの遺伝的変異は遺伝性心疾患の原因となっています。また、トロポニンを標的とした薬剤の開発は心不全治療薬の開発で重要な目標になっています。今回解明したトロポニンの構造は、これら医療・医学分野の研究に生かされることになるでしょう。この点について説明します。

(1) 遺伝性心疾患とトロポニン変異
 最近の医学の進歩によって、複数の心筋症(心臓の病気)の原因がトロポニンの遺伝的変異であることがわかってきました(注)。肥大型心筋症 (HCM)、拡張型心筋症 (DCM)、拘束型心筋症(RCM)などです。このうち、肥大型心筋症は若年性突然死の原因となります。また、拡張型心筋症は、心臓移植を必要とする疾病のうちで最も患者数の多い心疾患となっています。

注: 肥大型心筋症では症例の70%程度が、拡張型心筋症の場合は症例の20-30 %程度が筋タンパク質(アクチン、ミオシン、トロポミオシン、トロポニンなど)の遺伝的変異に起因すると言われている。トロポニンの変異に起因するものはさらにその一部であるが、トロポニン以外の筋タンパク質の変異であっても、調節機能(スイッチ機能)に異変があると考えられる。というのも、トロポニンは調節の中心タンパク質であるが、トロポニンだけが調節機能を担うわけではない。「細い繊維」全体が一体になってスイッチとして働くし、また「細い繊維」とミオシンの相互作用が「細い繊維」のスイッチとしての性質に影響を及ぼすと考えられるからである。

 


 九州大学医学部の大槻磐男(現・東京慈恵会医科大学客員教授)、森本幸生らは、これらトロポニンの変異を詳しく調べて、心筋の働きが正常の心筋と異なること、その異なり具合は3種類に分類されることを突き止めました。心筋細胞が生じる張力の大きさは細胞内カルシウムイオン濃度によります。張力―カルシウムイオン濃度のグラフ(図7)からわかるように、心筋細胞はカルシウムイオン濃度がマイクロモル (μM = 10-6 M) 程度で半分の力を出し、それより低い濃度ではより小さな張力を、高い濃度ではより大きな張力を出します。そして心筋細胞の普通の収縮ではカルシウムイオン濃度はマイクロモル程度まで(中点まで)しか上昇しません。さて、肥大型心筋症では1例を除いて、このグラフが左に平行移動をする、つまりより低いカルシウムイオン濃度でより大きな張力を出します(カルシウム感受性の亢進)。拡張型心筋症では、このグラフが右に平行移動する、つまりより高いカルシウム濃度ではじめて一定の張力を出します(カルシウム感受性の抑制)。最後に、肥大型心筋症の1例では、張力―カルシウムイオン濃度のグラフは左右に移動するのではなく、縦軸方向に一様に拡大します、どのカルシウムイオン濃度でも一様に発生張力が大きくなりました。この場合には、肥大型心筋症としての症状は軽いそうです。

 このように遺伝性心筋症の機能異常はかなりわかってきました。しかしあるトロポニンの変異がカルシウム感受性の亢進を引き起こし、別の変異がカルシウム感受性の抑制を引き起こすか、その理由は説明できません。原因であるトロポニンの変異と、結果である機能の変化の間の因果関係は、今回解明されたトロポニンの結晶構造だけからは説明できません。今後の研究で結晶構造を基にしてトロポニンの動き(構造変化)が解明されると、因果関係は解明されるでしょう。


表1 遺伝性心筋症と機能の変化


遺伝性心筋症
心筋機能の変化
症状


肥大型心筋症
感受性亢進 (I型)
若年性突然死など

そのうち1例
張力増大  (III型)
軽い症状

拡張型心筋症
感受性抑制 (II型)
心臓移植を必要とするなど

拘束型心筋症






fig7a.gif

fig7b.gif

図7 遺伝性心疾患による心筋の機能変化
カルシウム感受性亢進(I型;図Aの赤)、カルシウム感受性抑制(II型;図Aの青)、および張力増大(III型;図Bの緑)の3種類の機能変化に分類される。心筋細胞内での実際のカルシウムイオン濃度変化は横軸の下の矢印の範囲内に限られる。

(2) 心不全治療薬の開発方向
 トロポニンの変異と機能変化の因果関係がわかると心不全治療薬としての強心薬を開発する戦略を立てることができるようになります。心筋梗塞などでは心臓の一部の筋肉が壊死しますので、残った筋肉に働きかけてこれまで以上に大きな力を出させる医薬品が必要となります。これが強心薬です。ジギタリスに代表されるこれまでの強心薬はすべて、細胞内カルシウム濃度を上昇させることで強心作用を発揮します。そのため、細胞内カルシウム過負荷による副作用、すなわち致死的な不整脈や心筋細胞障害を起こしやすいという欠点をもっています。そこで、ジギタリスに代わる新しい心不全治療薬として、細胞内カルシウム濃度を上昇させるのではなく、トロポニンに作用してカルシウム感受性を亢進させる薬物に大きな期待がかけられ、開発が進められてきました。しかし、肥大型心筋症の研究結果から予測されるように、カルシウム感受性を亢進させると突然死の危険があることがわかってきました。そのような副作用を伴わずに心筋の発生張力を大きくするには、カルシウム濃度に関わらず張力を増大させる効果を持つ薬物が有望でしょう。なぜなら、このような機能の変化は遺伝性肥大型心筋症の1例で観察されており、この症例では症状は軽いのです。もし、この症例におけるトロポニンの変異と、結果である機能の変化の関係が正しく理解されたなら、比較的容易にその変異と同じ効果をもつ医薬品を創ることができましょう。

 遺伝性心疾患の原因の研究と、心不全治療薬の開発方向を確立するための基礎研究は、今後、武田壮一が勤務する国立循環器病センター研究所と九州大学、東京慈恵会医科大学のグループなどが共同して展開することになります。