大型放射光施設 SPring-8

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SPring-8で水銀が金属から絶縁体に変わる瞬間を観測

金属が電気を通さなくなる瞬間

 鉄(Fe)やアルミニウム(Al)に銅(Cu)。これらは一般に「金属」と言われています。電化製品を中心に私たちの身近にあり、生活していく上で欠かせないものです。
 金属の最大の特徴は、電気が流れることです。しかし、これは常温で固体の場合であって、高温で溶かして液体にしたり、さらに温度を上げて気体になったら、それでも電気は流れるのでしょうか。
 半世紀ほど前、ロシアの理論物理学者ランダウは液体金属の水銀(Hg)に着目し、温度と圧力をかけて体積を膨張させていくと金属から絶縁体への転移が起こると予言しました。しかも、その転移は液体から気体への転移とは別ものであり、さらに、転移の瞬間に一気に体積が増えることも予言の中にありました。
 電気を通す金属が電気を通さない絶縁体に変わる瞬間、原子レベルのミクロの世界ではいったい何が起こっているのでしょうか。京都大学の田村剛三郎教授をリーダーとする研究グループは、その瞬間の様子を世界で初めて実験的に明らかにしました。

転移はいつ起こるのか

 実験では、圧力をかけた状態で温度を徐々に上げて水銀の体積を膨張させていき、ある時点で起こる金属−絶縁体転移の様子を、SPring-8の放射光を使って観測します。原子レベルの精密な測定には、高輝度の放射光が欠かせないからです。
 図1
は水銀の「相図」と呼ばれるものです。図中の左側、つまり温度が低いと水銀は液体であり、右側の温度が高い領域では気体となります。その境界を越える瞬間、液体は気体に、または気体は液体に変わる「相転移」を起こします。また、境界線の右上の白丸は臨界点と呼ばれ、この点から右上の領域に明らかな転移は存在しません。ただ、臨界点の上に向かう薄い線の辺りでは、「臨界密度ゆらぎ」といわれる、液体と気体の間を揺れ動く状態が現れます。
 では、問題の金属−絶縁体転移はこの相図のなかのどこにあるのでしょうか。ランダウは、この転移は相転移境界付近の液体側にあると予言しました(図1赤線)。そこで田村教授は「液体と気体の境界線をまわり込むよう青の矢印にそって温度と圧力を操作し、原子の振る舞いを観測することにしました」。

図1. 水銀の相図

図1.水銀の相図。

数値が付記された3本の直線は、密度が一定となる等密度線。密度9g/cm3の等密度線(赤い直線)付近で、金属−絶縁体転移が起こる。

サファイヤをくりぬいて容器を作る

 田村教授は、「この実験は高温・高圧で行わなければなりません。目標とする1800℃、2000気圧に耐えられる実験装置はなく、自分で作らなければなりませんでした。」といいます。とくに問題だったのは、高温の水銀を保持でき、しかもX線を透過させる容器の製作です。
 田村教授はその材料としてサファイヤを選びました。直径6mm、長さ2cmの円柱状の人工サファイヤを入手し、自分で中をくりぬき、細長い試験管のような形の容器を作りました。こうして高温・高圧に耐える実験装置(図2右)を完成させ、それをSPring-8のビームラインに取り付けました(図2左)。
 いよいよ観測ですが、やみくもに水銀にX線を当てるだけでは金属−絶縁体転移のとき何が起こっているのかわかりません。田村教授は次のように考えました。まず、体積の膨張が原子レベルではどうなっているのか予想する。それは、原子どうしが均等に離れていく、ある程度のかたまりを残しつつ広がっていく、の2つ(図3)。どちらが正しいかを決めるには、隣り合う原子間の距離と、原子が均一に分布しているかどうかを測定すればよい。これで方針が定まりました。

図2.SPring-8のビームラインBL28B2に取り付けられた高温・高圧用実験装置(黄色の装置)
図2.水銀を入れるサファイヤ製容器。
図2. 左はSPring-8のビームラインBL28B2に取り付けられた高温・高圧用実験装置(黄色の装置)。右は水銀を入れるサファイヤ製容器

3つのビームラインを駆使する

 田村教授らは、3つのビームラインを用いて実験を行いました。
 原子間距離の測定は、「X線回折」(BL28B2)で行いました。図4は実験から求めた二体分布関数と呼ばれるもので、このグラフから原子の並び方がわかります。常温(図4下)では0.3 nm(ナノメートル:1ナノメートルは10億分の1メートル)に大きな山と0.6 nmに小さな山があり、すぐ隣とその隣に原子があることがわかります。一方、金属−絶縁体転移が起こる条件(図4上)では山がなだらかになっていますが、一つめの山は相変わらず0.3 nmのところにあります。つまり、原子間の距離は変わっていないことがわかりました。
 さらに山の面積(青い部分)に注目すると、上の方が下に比べて小さくなっています。これは、一つの原子を取り囲む他の原子数が少なくなっていることを意味します。このことは、2つの予想(図3)のうちの1つが起きている(かたまりを残しつつ体積が膨張している)ことを示しています(図3右)。
 次に、原子の分布の様子を詳しく見るために、「X線小角散乱」(BL04B2)を使って観測しました。分布の様子は、「密度ゆらぎ」という指標であらわします。この密度ゆらぎが小さければ原子が均一に分布していることになり、大きければある程度かたまりながら広がっていることになります。観測結果から、大きなゆらぎが存在し、原子が密集した部分の金属領域と、そうでない絶縁体領域に分かれていることがわかりました。さらにこの「金属−絶縁体転移ゆらぎ」は、臨界密度ゆらぎとは異なることもわかったのです。
 最後に、「X線非弾性散乱」(BL35XU)を用いることで、このゆらぎが1ピコ秒(1兆分の1秒)程度で時々刻々と入れ替わっていることがわかりました。

図3. 体積膨張のときの原子の広がり方の予想

図3. 体積膨張のときの原子の広がり方の予想。

均一に広がる(左)か、ある程度かたまりながら広がる(右)。

図4. X線回折から求めた二体分布関数

図4. X線回折から求めた二体分布関数。

このグラフから原子間の距離など、原子の並び方がわかる。上は金属−絶縁体転移が起こるとき、下は常温のとき。

金属と絶縁体の間を揺れ動く

 3つの実験から、水銀の金属−絶縁体転移では、原子は図5左のようになっていることがわかりました。「破線の円で囲まれたおよそ1nmの領域に、原子が120個程度密集しているところと、80個程度しかないところがあります」と田村教授。「原子が密集している赤い部分は金属の性質を、散在している青い部分は絶縁体の性質を持っています」。比較のため載せた超臨界(図5右)での原子のほとんどが絶縁体的性質を示していることからも、金属−絶縁体転移は液体−気体相転移と全く違うものだということがわかります。
 また、安定してこのような状態を維持しているのではなく、1ピコ秒程度の周期で離合集散を繰り返し、金属と絶縁体の間をゆらいでいることも重要な結果です。ランダウの体積膨張に跳びがあるという予言が、現実には、ミクロの世界での「ゆらぎ」として起こっていることが明らかになりました。ランダウの予言は基本において正しかったのです。

科学に対する興味は尽きない

 田村教授は、「金属が膨張してどのように絶縁体になっていくかは物質の根幹に関わる非常に重要な問題で、このような基礎科学の研究は誰かがやらなければなりません」と言います。解明には時間がかかり、多くの困難が待ち受けていますが、「約20年前、私がこの研究を始めたのは助教授のときで、ほとんど研究費がなく実験装置も買えませんでした。しかし工夫を重ね、企業の方々に支援をしてもらい、研究を進めることができました」と、創意工夫と人の縁で道は開けると教授は強調します。
 さらに、短期的成果ばかりを求める日本の科学研究のあり方についても触れ、「若い人が勇気を持って未知の分野に飛び込み、息の長い研究ができる土壌作りが今必要なのではないでしょうか。それには、今すぐ役に立たないように見える研究でも、一人一人がその価値を認めて後押しすることが大切で、それが研究者にとっても大きな励みになります」と締めくくりました。
 田村教授は今、水銀だけでなくルビジウム(Rb)の金属−絶縁体転移の研究にも取り組んでいます。そして、これらの研究が高温超電導開発につながるのではないかと考えています。物質の根幹に対する田村教授の興味は尽きないようです。

図5. 左は金属−絶縁体転移のある瞬間の原子分布

図5.

左は金属−絶縁体転移のある瞬間の原子分布。赤い原子が集まったところは金属的、青は絶縁体的な領域をあらわす。右は液体−気体臨界点付近のある瞬間の原子分布。どの部分も青い原子で埋められ、絶縁体的である。

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ

用語解説

ランダウ
旧ソビエト連邦(現ロシア)の理論物理学者。多くの顕著な業績の中でも、ヘリウムの超流動の研究やフェルミ液体理論は有名。1962年ノーベル物理学賞受賞。研究業績に加えて、ランダウとリフシッツにより執筆された理論物理学教程は、物理学者のバイブルと言われている。


この記事は、京都大学大学院工学研究科材料工学教室の田村剛三郎教授にインタビューをして構成しました。